2017の「ハロスクール、バイバイ」という作品ぶりに舞台に出演するのだけれど、それまでにも
SHISHAMOさんの「中庭の少女たち」のMV
Maybe!のコラム2本
インベカヲリ★さんのモデルやったり
いろいろしてて
その期間、まあ、cocoonのオーディションと稽古含めて14~17歳の期間凄い活動してる面は幸せに満ちていて、何より人に恵まれていたなと。こころのそこから。
たくさんの優しい人たちに出会えたから今がある、とか言えちゃう私が居る現在。を作ってくれた期間で。
そこからなぜ、わたしは、演劇、またそれにまつわる制作、何かを作ること、から離れたのだろうかと、冷静に考える。
第1に、最後に出演した「ハロスクール、バイバイ」が個人的にものすごく不完全燃焼で、この時期、演出家の同時進行の作品があまりに多く作品を作ること、とは一体なんなんだろうか、自分自身が主役という役割を与えられそんなことを考えながらもお客さんは時間を割いて劇場にやってくる。そういった作り方と私と思考と劇場と人々、全てがチグハグに感じた。
そのチグハグさを抱えながら私は演じてしまったのだった。
そして、なにより、劇場へ向かう時間たちの考え方のすれ違いを演出の藤田貴大さんと強く感じた。そこから、私は演じる、作る、携わる、ではなく、完全に裏方の仕事、学芸員等、について学べる大学の学部に入学した。
それまでは、油絵をやっていたが、作ること、を、17歳の時、私は完全に1度やめて、作るため、それを世に出すにはどう言った仕組みがあり、どうしたら人々が作品を見ることができるのか、という仕組みについて学ぶ事が大切であると考えたのだ。
家庭の方では、ハロスクール、の時に、無断で私の本名、仕事歴、外見、精神病をコンテンツとして扱い親が大儲けしていた。リストカットの事は書かれていなかった。このころ、初めて精神科に行った、家庭環境を聞かれると直ぐに児童相談所に連絡しますと言われた、私はそんなことされたら殺されると思い、泣きながらやめてくれと懇願し、サインバルタをもらって帰った。
そっから私はさらに表に出ることをやめてバイトと趣味に専念してなんだか無理やり楽しい高校生にしてた。でも、この期間の趣味たちにはほんとに救われた、音楽だった。
また違う自分の目線も生まれれば、家の中にいる時耳栓をするんじゃなくて、好きな曲を大きな音で聞くことでどうにか過ごせるようになったし。部屋にポスターを貼って、猫と過ごしていたら、そこはもう、私たちだけの世界だった。
ある日の事だった、理解ある彼くん、でもないし、分かり合えてる訳でもないし、正反対で、永遠とぶつかってはつながる、そんな恋人、つまりめちゃくちゃ健全な恋人とデートする約束があった。
私は基本的に洗面台を長時間使うことを許されては居ないが、兄は許されている、というか、実家(と言いたくないけど)の洗面所とふろ場はガラス張りでスケスケで、洗面所を使う=ふろ場が丸見えということなのだ。
私は用事があるので洗面所を使いたかった。
もちろん長風呂して中で違法アップロードされたバライティを見ている兄は分かっていても出てこない。ノックをする。無視。ノックをする。無視。全力でドアを殴る。ビビってキョドる兄。
兄は喧嘩をしたことが無い。
大急ぎで風呂を出た兄は部屋にいる私に向かって廊下からばーか!くそが!うにゃうにゃー!みたいなことを言っていたので、私は廊下に出て「お前が死ねばよかったのに」と、13年間思い続けてきたことを言った。
そしたら、喧嘩をしたことがない兄は、顔を殴ろうとしてミスって耳を殴った。
しかしピアスまみれの私には大打撃だった。
兄はそういうやつだ。
その後遅刻して彼に出会った時、「お前が死ねばよかったのに」という発言を思い返して涙がでた。お父さんはきっと望んでいない言葉だからだ。
家に帰るとお母さんが怒っていた、大学生がJKと風呂の長さで喧嘩してお母さんにチクっていた。うける。そんなこと言っちゃいけないのよ、と言われたので「今度から思っていることは言わないようにします」と言って部屋にもどった。
明日に親戚のおじさんが来ると言われた、お父さんが居ない私にお父さんの代わりのように親戚のおじさんをよく召喚する。
お父さんはお父さんでしかないのに。
次の日家で吉原炎上を見てたら親戚が来た
映画見終わってからでいいよと言われた、なんだよその気遣い。なんて思った。
このとき吉原炎上を見ていて良かったと思った、肝が座っている私だが、映画に影響を受け、いつも以上に肝が座って、劇中のかたせ梨乃の佇まいだった。
おじさんは「なんでおいちゃんがここにきちゅうかわかっちょると思うけど、お母さんの考えでひよは、これから一人暮らしすることになったら、家族のありがたみがわかるはずや」といった、
「私にあばずれ、クソ女、ヤリマン、ゴミ、そんなふうに言ってたお母さんは私の個人情報をばらした上に私のメンタルを壊して、その、個人情報のせいで、バイト先に変なおじさんが来たり、学校でからかわれたりしたことはなかった事ってことでいいんですか?」
と伝えた
おじさんの隣に座るおばさんは、ずっと苦しそうな顔をしていた。私と同じような言葉をかけられていたからだろう。反発する私と、反発せずおじさんの横に座ることを決めた人生のおばさん。
「そおゆう言葉はコミニケーションやき、まあ、ね、そおゆうこともあったのも知らんかったがやけどまぁこの家に産まれたからにゃしょうがないことや」
そう言われた
しょうがない
うける
うける
能が何が正しいのかわからなくなり解離して私が私を見ているのがまじまじと分かった。
何も解決しない会話があった高校三年生の真ん中だった。
この頃から、文章が書けなくなった。
精神世界の話、というより、目の前にある全てのものが精神世界だった。バグって見えていた。それを私は書いていた。もちろん採用?されることは無かった。
最初は学費も生活費も出さないと言っていたお母さんをほっといたらAOで受かった大学の入学金を、勝手に振り込んでいた、お母さんは本気で私のことを捨てる度胸がないからだ。
三学期の家にいる期間、毎日、過呼吸や手首がズタボロになるまで何かと罵られていたが、そこんとこは病気特有の能が忘れさせてくれていて覚えていない。
ただ覚えているのは、5万円突然渡してきて、受け取って、ありがとうって言わなかったと永遠と罵られて5万円くれてありがとうございますと私が泣きながら言う。的なプレイは毎日のようにあった。あるあるの私のお金がなかったらお前は死んでるんだぞ発言は普通すぎて能が普通だよ〜って覚えてる。
なぜ今こんなこと書いてるかっていうと、カウンセリングが進んで脳が思い出してきてるからで、そして、精神世界に生きていなくなっていて、外の感覚、皮膚とか温度とか空気とか、そういうのがやや分かるようになってきて、普通の人のように。
そして去年東葛スポーツのA-②をみて、初めてcocoonにでた時のような幸せな心を思い出して、ああ、そういえば私って、なにかつくったり、かいたり、演じるのが好きな人だった。うれしかった。自分が自分を思い出すまでに時間がかかってしまったけど。
そいで、金山さんにファンレターみたいなのを送って、出演することになって。
生きてる限り誰かは私の事見ててくれるし知ってくれるのかと、私っていう存在は私だけでどんだけ解離性同一性障害であろうと、私という物体は1つだったんだ。過去に何があろうと、今なんだな、と。
コロナでどうなるのか分からないけど無事本番を迎えられますように。
そして、愛する鴨志田穣さん、私のお父さん。苗字を借りました、ありがとうございます。ずっと一緒にいるなってきもちが、一番で。今までもそうだったけど、それ以上に。
勝手に過去のお父さんの画像をsns載せてる方がいらっしゃいますがライターを名乗るのならしっかりと許可を取ってください。