- ヤマザキ、小山田圭吾を撃て!
- 岩波書店もDOMMUNEも週刊文春も、ロッキング・オンに土下座するよね?
- なぜ片岡大右は宇野維正の証言を無視するのか?
- こべにと片岡大右の恋のキューピット
- それってあなたの感想ですよね?
- 小山田圭吾における「ちっ、うっせーな。反省してまーす」の精神
ヤマザキ、小山田圭吾を撃て!
片岡大右の「長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす」という珍妙な作文は、それじたいが呪いである。
連載第2回目の副題は、「『ロッキング・オン・ジャパン』はなぜいじめ発言を必要としたのか」というもので、ずいぶんな長文を費やして、『ロッキング・オン・ジャパン』(1994年1月号)の責任を追及している。
同誌編集長でインタビュアーだった山崎洋一郎が、小山田圭吾の発言を誇張または捏造して記事にしたとの前提で片岡大右は、これを書いている。当然、その前提がまちがいであれば、すべてが憶測と妄想を爆発させたイカサマ、ペテンの誹謗中傷であり、謝罪し訂正しなければならない。
事実それは、まちがいなのだ。
岩波書店もDOMMUNEも週刊文春も、ロッキング・オンに土下座するよね?
株式会社ロッキング・オンの元社員であり、音楽ジャーナリストの宇野維正は、すでに騒動直後に、「山崎洋一郎さんは盛ってない」と明言している。
それは、2021年7月24日に開催の「宇野維正×柴那典 緊急イベント 強行開催!東京オリンピックと2021年音楽シーン」での発言であり、「あーりんマッギー」がそれを文字に起こしている。
さらに、この年の暮れ(12月25日)に行われたイベントでは、より強い口調でロッキンオンの捏造疑惑を否定している。
別のイベントでも「それすら捏造になってる擁護派ののりにはついて行けないんですけど」と語っている。
当初はその箇所を引用していたが、有料配信という事なので、引用をすべて削除した。
なぜ片岡大右は宇野維正の証言を無視するのか?
片岡大右の連載第2回目が岩波書店のサイトに掲載されたのは、2021年の12月28日である。宇野維正の証言はその3日前であるため、知らなかったのかも知れない。
だが、今知ったのだ。何もしないでいいわけがない。
ましてこの連載は「インフォデミック」、つまり誤情報やデマやフェイクニュースの拡散を批判する意図で書かれているわけであるから、それが誤情報の発信源となっては笑い話にもならない。
しかし、片岡大右は本当に宇野維正の証言を知らなかったのか?
そうではあるまい。
なぜなら、片岡大右にとって宇野維正は、最も信頼を寄せている音楽ジャーナリストであるからだ。
こべにと片岡大右の恋のキューピット
宇野維正が『小沢健二の帰還』(岩波書店 2017年11月)を刊行した時、片岡大右はこれを称賛するエッセイを『図書新聞』(2018年4月14日・3347号)に寄稿している。
そして、これがウェブ公開されたものを、こべにが読んでツイートした。それを目ざとく見つけた片岡大右がリプを送り、交際がスタートする。これがのちに「こべに軍団」として大活躍する熟年カップルのなれそめである。
こべにをプロデュースしているのが片岡大右であり、よく言えばカヒミ・カリィと小山田圭吾、華原朋美と小室哲哉の関係だと考えればわかりやすい。知らんけど。
宇野維正は、いわば恋のキューピットなのである。
したがって、こべにも宇野維正の証言を無視することはできまい。
あのデタラメだらけの検証記事がどのように訂正されるか楽しみである。これでも訂正しないのであれば、なにがファクトチェックか。id:kobeni_08
『ロッキング・オン・ジャパン』による捏造疑惑という重大な問題を論ずるにあたって、元社員でもある宇野維正の発言が気にならないわけがない。調べればすぐに、その証言に突き当たる。
『小沢健二の帰還』の版元は岩波書店である。編集者が気づけば、片岡大右に教えるはずである。
つまり、片岡大右は意図的に、宇野維正の証言を無視したのだ。
そうして書かれたものは、当然ながら妄想と憶測を爆発させた世にも奇妙な物語である。
片岡大右は、自説を補強するために、原宿のレコード店の「代表及びトイレ掃除担当」という仲真史のブログまで引用する始末だ。
それは、『ROJ』の記事が出て、小山田のマネージャーが「これは困る」と話していたというのを聞いた、という他愛もないエピソードで、次のように続く。
その話の細かい部分は完璧な記憶じゃないですけど。しかしそんなこといちいち気にしなそうな僕に対しても(それはそれで猛省します)わざわざ話してきたくらいなので、当時だとしてもトラットリア及びポリスターのレコード会社内でも問題になっていたことが想像できます。
(引用元「片岡作文2 太字強調筆者)
こんなあいまいな記憶と想像で書かれたブログが、いったい何の証拠になるというのか。せめて当時のマネージャーやレコード会社の社員らに裏を取れよ。
それってあなたの感想ですよね?
どうやら片岡大右には、他人の心を読むテレパシーがあるらしい。
あるいは仏文学者というのは、こんな憶測と妄想だらけの作文で許されるようだ。
片岡大右は雑誌の記事をもとに、一面識もない小山田圭吾と山崎洋一郎のお気持ちを推し量る。
これを笑わずに最後まで読み通せたなら、あなたの勝ちである。(太字強調筆者)
責任の一端が自分にあることを認め、雑誌やインタビュアーの個別の観点を尊重したいとしながらも、『ROJ』1月号の記事内容がまったく本意ではないことが明言されている。少なくとも、「いじめ自慢」と受け取られるような記事づくりを、当時の小山田がまったく望んでいなかったことは明らかだ。
当然ながら、このように述べているからといって、山崎は小山田圭吾の音楽を、より本格的なロック・ミュージックへの入り口にすぎないものと考えていたわけではない。それどころか彼はたぶん本気で、小山田のソロプロジェクト始動を同時代のロック・シーンの最も重大な出来事のひとつだと確信していたはずだ。
ここからは、既存のロック・シーンの再編、ロック・ミュージックの再定義が求められているという当時の山崎の問題意識が伝わってくる。「くそややこしい」道をあえて選んだ小山田の音楽は、これまでの「求道的なロック」とは一線を画しているからこそ、ロックの現在と未来を考えるには必ず聴かれなければならないというわけだ。
そしてたぶん、このような小山田評価との関係で、山崎洋一郎はいじめ発言を必要としたのだと思う。
それではなぜ、山崎洋一郎はインタビューの見出しにまでして、小山田のいじめエピソードを強調してみせたのか。上記からもうひとつ推測できるのは、このエピソードは山崎にとって、小山田圭吾という日本の音楽史上に類例のない個性に対し、当時のロック・シーンのなかになんとか居場所を与えるために必要な道具立てだったのだろうということだ。
ただし不幸なのは、山崎がこのようなアプローチのもとで小山田を誌面に取り上げるに際して、「小山田のロック・シーンに対するイヤミ=いじめを自分が抑えてみせる」という構図をつくったこと、そしてそのためにインタビュー中の発言の一部をきわめて問題のあるかたちで強調する誌面をつくることで、四半世紀後の破局をはるかに準備してしまったことだ。
山崎洋一郎は、いじめっ子ぶっていても所詮は「ヒ弱」な、けれども圧倒的な才能を持ったやさぐれものというアーティスト・イメージを小山田圭吾のために用意した。それはおそらく、少なからずのリスナーや業界人がコーネリアスの音楽を流行の「オシャレ系」としかみなさないなかで、小山田をロック・シーンの最重要人物として通用させようとする苦肉の策だったのだろう。
なるほど、『ROJ』リニューアル号でのいじめ発言は、編集部――より正確には、担当者である編集長・山崎洋一郎――の思惑により、誇張の域を超えて事実に反するまでに歪められたものだったらしいことはわかった。それでも、山崎はゼロからの捏造を行ったわけではなく、あくまで取材時の発言に即して若干の操作を行ったにすぎないという事実は残る。
「本当か嘘か分からない」、「一応がんばるそぶり」といった同誌のインタビュアーの受けた印象は、『音楽と人』の記事から読み取れるものとそれほど変わらないように思う。小山田は、この課題をそれなりに切実なものと感じつつも、全面的なイメージ転換が可能だとは信じていなかったろうし、たぶん望ましいとも思っていなかったろう。
小山田圭吾における「ちっ、うっせーな。反省してまーす」の精神
前提が変わることによって、それまでの人物像もがらりと変わる。
片岡大右は、「小山田圭吾は当初から記事に困惑していた」と書く。そして古い雑誌の記事から小山田圭吾が反省しているようにみえる発言をいろいろ並べている。
ウェブ配信されたDOMMUNEの番組内でも、ネットワーカーのばるぼらが、膨大なコレクションの中から、小山田圭吾が反省しているようにみえる発言をあれこれ紹介していた。
しかし、事実はくつがえったのだ。
『ROCKIN'ON JAPAN』の記事に捏造はなかったという目でこれらを読んでみると、小山田圭吾が少しも反省しているようには思えない。自分で話を盛っておいて、それが批判を受け、「ちっ、うっせーな。反省してまーす」という感じである。
「村上清のいじめ紀行」の方がさらにひどい障害者蔑視にかかわらず、ばるぼらが膨大なコレクションを探索しても、ついにその記事についての反省の言葉は見つけられなかったようだ。オリ・パラ開会式での炎上がなければ、謝罪する気さえあったかどうか。
では、中原一歩のインタビューで、いじめエピソードを「盛って」掲載したのは雑誌の側だと語ったのは、どういうことだろうか。これがきっかけで、山崎洋一郎への猛烈なバッシングが巻き起こったのだ。
宇野維正が言うように、当時のインタビューテープがすでにないのを知っていて、ロッキング・オンが証拠を出せないのを知ったうえで中原一歩に記事を書かせたとするならば……。
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