“足りないものだらけだった” /國重侑輝さん(立命館大学)【ギャッパーインタビュー6】

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「足りないものだらけだった」

國重侑輝/立命館大学国際関係部国際関係学科2回生 休学期間(2010年4月~2011年3月)


 

今回のGapyearインタビューは立命館大学国際関係学部2回生の國重侑輝さんにご協力いただきました。国際協力からWEBデザインまで幅広い分野に関わりを持つ彼。様々な領域に精通している程の探求心の源はどこにあるのでしょうか?お話を伺いました。


 

幸せへの道は様々

編>高校時代から様々なことに打ち込まれていたようですが、どんなことをされていたのでしょうか?

國重>中学高校はただ部活と勉強に打ち込む学生でした。でもそんな毎日が窮屈に感じられたんです。その頃は大企業に入って、名誉のある職に就くのが幸せを掴むことが出来る唯一の道であるという価値観で生きてきましたし、自分もその道を歩むんだと思っていました。でも心の底ではそうではないだろうなと思っていたんです。自分を変えたかったのですが学校という環境の中で自分を変える自信もなかったですし、変われたとしてもその中で浮いてしまう勇気もなかったんです。そんな自分を変えるために自分のことを知っている人が1人もいないような環境に身を置きたいと思うようになりました。今の環境から逃げ出したかったんです。自分のことを知らない世界=海外という考えからネットで「高校生 海外 逃亡」で検索をかけたところマレーシアのボルネオ島でホームステイをするという企画に出会い、逃げるようにそこへ参加しました。それまではお金と名誉がない人って絶対不幸せそうにしているんだろうなと思い込んでいたのですが、実際は違いました。そこに住む人たちはすごく目がキラキラしていて笑顔が素敵なんです。これが本当の幸せなんだなと思いました。それまで幸せになる道は自分には1つしかないと思っていました。でもそれは1つしか道が見えていなかっただけで、本当はいろんな道があることに気付きました。幸せ大きさではなくて色んな形があるということ、自分なりの幸せの形を見つけて幸せを掴もうと決めました。AO入試で高3の秋には大学進学を決めていたので、高校生だけの国際協力団体を立ち上げ、そのメインプロジェクトで3月にパプア・ニューギニアへ行きました。

お前普通になってるで

編>休学を決心するまでの詳しい経緯を教えてください

國重>AO入試で立命館大学の国際関係学部に入学したのですが、同学年のAO入試での合格者仲間が面白い人ばかりだったんです。国連事務局長にアポをとれるという友人もいました。こんなに意識の高い学生と受ける授業は凄く楽しいんだろうなと期待していました。でも実際授業が始まると想像していたイメージと違いました。高校生の頃までやりたいことを見つけて実行に移していましたが、大学生になってから流されがちになり、充実感のない、ただ楽しいだけの生活が続きました。そんな時、高校の時代の友人に会い「お前普通になってるで、面白くなくなってる。」と言われたんです。高校の時に持っていた熱い志がない、その場に流されている自分がいました。今までせっかく幸せになるための色んな道を見つけてきたのに、また同じ道に戻ってしまう気がしたんです。自分を変えるにはまず環境を変えなければいけないと思い、大学にはあまり行かなくなりました。

編>大学に求めるものは無かったという事なのでしょうか?

國重>そうですね。1回生の後期になり、来年も大学に通うという選択肢は自分には無くなっていました。結局1回生の後期は全く大学へは行きませんでした。その頃はビジコンに参加したりNGOでインターンをしていました。大学に通いながら並行してやりたいことをするという道もありましたが、どっちつかずになるのが嫌だったので最終的には休学することにしたんです。所属学部は通常よりも登録可能単位が多く、その気になれば2年で卒業単位は取得できるということも要因になりました。中退という選択肢もあったのですがその時の自分の将来設計が甘いと思っていましたし、実際その勇気もなかったので考えませんでした。

編>國重さんが考える大学に通う意義とは何なのでしょうか?

國重>まず「大学」に通う意義は、大学でしか学べないものを得るためであったり、自分で学ぶよりも教えてもらうことで効率良く学べるからだと思います。大学はあくまでツールであって、それを使うか使わないかは自分次第だと思います。自分の場合はたまたま得たいことが本や現場で学んだり、勉強会や団体でディスカッションするなどした方が効率がよかった為に、大学にあまり行きませんでした。

次に大学生である意義は大きく3つあると思います。1つ目は大学生という身分を得られるということ。社会人では会うことのできない人に会えますし、行けないところにも行けます。それに何をするにしても実行しやすいですし、リスクを通常より背負わずに済むと思います。2つ目はたくさんの人に出会えるきっかけができること。総合大学などでは大学でのつながりは大きいものだと思います。3つ目は親孝行になること。大学を卒業することも結局は親孝行になると思っています。でもこの3つの価値と自分にとって利用しづづらい授業に年間100万円を払う価値があるかどうかは正直疑問に思うときもあります。

知識だけじゃ何もできない

編>では具体的に休学中に何をしようと考えていたのですか?

國重>いざ計画を立てようとしたときに、1回生の後期に参加していたNGOのインターンの経験を思い出したんです。チラシのデザインやホームページ制作を任されて頂いたのですが知識がなく何もできなくて、雑用をやるしかなかったんです。その時に今の自分は凄く力不足だと感じたんです。色んな学生団体とも関わっていたのですが、自分にはコレができるというものが無かった、結局自分は何もできないのではないかという無力感がありました。では具体的に何が足りないのかを考えた時に企画力・営業力・web技術等色んな部分が全く足りていないと思ったんです。NGOインターンの時に求められたのは大学で得られるような硬い知識ではなくて、お金集め・広報・マネジメントといったものでした。その時は国際協力に必要なのは”知識”だと思っていたのですが、こういう能力がないと熱い思いがあったとしても何もできないことに気付いたんです。

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