藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·May 29『映画を早送りで観る人たち』に出てきた、全部言葉で説明されないと分からない観客や、人間の内面や心理の動きを軽視してドラマや映画を観る人たちの増大は、比喩的な用法としてのアスペルガー的な人たちが増えてるってことなんだろうかな。3177192
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·May 29文学国語を減らし、論理国語を重視する文科省の方針はアスペルガー対策ではないかと矢野さんがおっしゃってたけど、大きな変化が起きているのかもしれないね。その良し悪しは保留するとして13660
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·May 29妊娠時の父親の高齢化が発達障害を増やすという知見があるので、遺伝子や脳神経レベルで増加している可能性はあるし、あるいはITなどの発達で社会的な成功をしやすくなったから性淘汰などで増えてるのかも13543
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·May 29先天的ではなく、文化的要因もあるのかも。インターネット、コンピュータか普及し常に触れるメディアになったこと、ゲームやアニメの影響などなど。12433
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·May 29良し悪しは保留するけど、これは伝統的な日本文化、日本文学のありようとは全然違う、大きな切断であることは確かで、かつては少数派だったサブカルチャーの主流化と、なんらかの関係があるだろうと思える。日本文化は、どこに行くんだろうかな……13038
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·May 29直接何かを言わないで、間接的に何かを伝えて、その間や情緒的な複雑さの感興を互いに味わい合うことが、昔の日本文学のコミュニケーションだったわけだけど(それは、空気を読む、察する文化として日常にも影響してると思うけど)それは壊滅するだろうね24553
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·May 29誤解のないように言うと、「比喩としてのアスペルガー」は、医療的な診断としてではない、という意味であり、カントとかイーロン・マスクらを想定してます。そして、変化が悪いとも主張はしていません。33132
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·May 29「性淘汰で増える」とは、イーロン・マスクが世界一の金持ちであることから分かる通り、「社会的に成功して、モテて、結婚や出産で有利になっていく」という意味です。12127
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·May 29あるいはチューリングみたいな人でもいいですが。こういう性質の人はたとえば狩猟採集よりも、コンピュータが日常や産業にある時代の方が活躍しやすいのは自明だと思います。産業がシフトすれば、その中心となり富と権力を得る人の種類が変われば、文化も変化するのも自明であり12231
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·May 29変化は、この世界の全ての変化がそうであるように、いいところと悪いところがあると思います。それを仕分けし、いいところを最大化し、悪いところを最小化する作業をすれば、全体の利益が最大化すると思うわけですが。そういう議論はしてもいいかなと思いますが62435
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·16hもう一回補足しておきますが、「比喩としてのアスペルガー」とは、具体的な病気のことではなくて、たとえばこういう文脈で出て来るもののことです。10~11頁ぐらいを読んでいただければ。 http://blog.livedoor.jp/kay_shixima/text/asperger.pdf…1514
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujitaこういう、精神医学や、あるいは『〈自閉症学〉のすすめ』に出て来るような他の専門領域への展開を指して「比喩」と呼んでいます(「社会のアスペルガー化」などの言説がそれですね)。そのような「比喩」「理念」としての利用が良くない、精神医学的な批評自体がダメだ、というご意見は、理解しますが1:29 AM · May 30, 2022·Twitter Web App3 Retweets7 Likes
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·16hReplying to @naoya_fujita『〈自閉症学〉のすすめ』の「文学」の章では、前原由喜夫氏の『心を読みすぎる』が紹介されています。自閉症者は「心の理論」に問題があるとされていたが、心の理論モジュールの欠点ではなく、ワーキングメモリや実行機能の不足により、自己を相手に投影して理解しやすいのではないかという説ですね1614
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·16hそこでは、文学などのフィクションの機能を「シミュレーション」ではないかという仮説に基づき、「マインド・リーディング」をする訓練になるのではないか、という話が出ています。ぼくも賛同します。166
藤田直哉@『攻殻機動隊論』『ららほら2』@naoya_fujita·16hフィクションを経験することによって「マインド・リーディング」を訓練し、他者の内面や感情のあり方を理解する経験を積むことが、現実での他者とのコミュニケーションに寄与することが推測されます。……その訓練をする機会が減少すると、その能力は低下していくんじゃないかとは思うんですよね810