ネパールの「カースト制度」知っていますか?
▼目次
カースト制度とは
カースト制度といえばインドを思いつく方は多いですが、実はインドの隣国であるネパールでも独自のカースト制度が存在します。
ネパールのカースト制度(身分制度)全体をジャーティと呼び、人々を血筋によって階級化しています。各階級には様々な規定があり、人々はそれに沿って生きていくようになっていました。インド同様、時代と共にその役割がカーストの正確な意味である苗字としての役割になっていますが、発展の進んでいない地域ではカーストの風習が現在も強く存在し、一定の人々に苦しい生活を強いています。
ネパールのカースト制度はアーリア人が起源とされています。当初はアーリア人の民族内のルールでしたが、その規模が大きくなるにつれて国家を統制する普遍のルールとなり社会的に特権化した集団の上位性の維持に変質していきました。血統的な階級の世襲制は、一定の家系的集団に知識は独占され、一定の家系的集団を教育や一般生活において平等な機会が失われていく原因となりました。
各階級の名前と位置
ネパールのカースト制度における階級を「ヴァルナ」と言います。4階級に分けられ、上からブラーミン(司祭)、クシャトリ(武人)、ヴァイシャ(平民)、スードラ(労働力)に定められていました。これは本人の意思に関わらず、人種や民族によって分類されていました。
カーストの本来の意味は苗字です。多民族国家であるネパールにはアーリア系の諸民族やモンゴロイド系の諸民族等、多種多様な民族がおり、各民族独自の苗字があります。つまり苗字(カースト)で民族がわかり、民族で階級がわかるのです。
ネパールのカースト制度による職業分類
1.バラモン (ブラーミン)
神が原人の口から作ったといわれる階級でヒンドゥー教の僧侶、教師、知識人の人々を言います。
2.クシャトリヤ(チェトリ)
神が源人の腕から作ったといわれる階級で兵士、王族、役人、支配者階級の人々を言います。
3.ヴァイシャ
神が原人の腿から作ったといわれる階級で、農民、商人、自由業の人々を言います。
4.シュードラ(スードラ)
神が原人の腿から作ったといわれる階級で、労働力、職人、工人の人々を言います。
このうち1.バラモンと2.クシャトリヤはアーリア系であることが条件です。2.クシャトリヤはアーリア系を母体とした混血ですが、1.バラモンは他の階級と婚姻か混血した時点でバラモン階級ではなくなります。
通常どの階級も農業しいてるケースが一般的ですが1.バラモンと2.クシャトリヤは役人に多く、特に政治家や軍・警察のハイポジションには1.バラモンが高確率で就いています。
カースト制度の職業については実際には1.バラモンといえども子々孫々人数が増加していくため皆が司祭や役人の位置に就くことはできません。通常、階級は世襲していき、稼業は農業であることが一般的でした。
また、階級の位と貧富は比例していません。高位であっても貧農は沢山いました。しかし、高位カーストはたとえ貧しくても自分よりも下位カーストの裕福な者と結婚することはありませんでした。
ネパールには各民族に独自の苗字があります。民族ごとの繋がりは強く独自の言葉や文化を持っています。そのためネパール人は苗字によってアイデンティティを識別しています。
ネパールのカースト制度では階級間の規定が多く存在し、階級を超えての婚姻は許されてありませんでした。それは現在でも文化的に続いているため、民族を超えての混血がほとんど生じていないため、顔立ちにおいても民族を推測することができます。
当初は上記に示したカーストの分類でしたが、ネパールのカースト制度は最終的に人間を5つの身分に分類し、さらに各身分内でも序列が細分化されます。例えば、下に示す階級序列1位のタガタリ内の序列はバラモンが1位、クシャトリが2位とうように序列があり、さらに、バラモン内でもまた序列が存在します。
カースト制度序列1位:タガタリ(神聖な紐を帯びる者)
ヴァルナをバラモン、クシャトリとする者。
ヒンドゥー教の司祭になれるのはバラモンだけとされています。彼らは元来、神聖な位置に就く者であったため、飲酒をしてはならないカーストですが、実際には飲酒をしている者もいます。
カースト制度序列2位:マトワリ(奴隷化不可)
(苗字)マガール、グルン、ライ、リンブーなど
カースト制度序列3位:マトワリ(奴隷化可)
(苗字)タマンなど
序列2位と3位はマトワリと呼ばれ、飲酒を許されていました。ヴァルナをヴァイシャとし、ネパールで最も庶民的な生活をしている人々で、人種はモンゴロイドやそれに近い者でした。彼らは元々アーリア系に属していなかったのですが、新たに中間層に組み込まれました。既にあったカースト制度の中に新たに組み込まれるにも関わらず、奴隷より上の中間層に入ったのは高位カーストは同じアーリヤ系にいた低位カーストに対する差別心が相当強かったと考えられます。
カースト制度序列4位:パニナチャルネ(不浄とされるが触れてもいい)
水は共有できないが、ボディタッチは可能
序列第4以下は不浄カーストとされ、同じ水を共有することは許されていませんでした。序列4位に関しては不浄とされていますが触れることは許されていました。ヴァルナをシュードラとする者達です。同じ井戸を使用することも不可能で、使用した場合にはリンチされていたそうです。労働力ではなく実際には奴隷のような扱いを受けることもありました。また法を学ぶこと聞くことも禁じられていました。
カースト制度序列5位:パニナチャルネ(不浄とされていて触れてもならない)
水の共有もボディタッチも不可
序列5位は不可触民(ダリット)と呼ばれ上記した4つのヴァルナにも入らないアウトカーストとされていました。不浄とされて触れることも許されていませんでした。鉄工・皮革産業・音楽職人・洗濯職人・土器職人・織物職人・清掃員などがその身分に落とされていました。
彼らには以下に記すように過酷な環境にさらされていました。
◆平民として認められず、平等な権利が認められていない。
◆ヒンドゥー教徒でありながら多くの地域でヒンドゥー教寺院に入ることを許されていなかった。
◆不可触民とされ、もし触れた場合、上位は行水して身を清めなければならない。もし家に不可触民が入れば座った場所を水で清めなければならない。
◆異ヴァルナの婚姻は基本的に禁止され、下位カーストが上位カーストと女性と姦通すると厳しい処罰を受ける。にも関わらず、上位カースト男性が不浄としている売春カースト女子の女性に触れることはあった。
◆高位と同じ所にいたり歩いたりしてはならない。その場合、低位が咎められるか、高位が自ら距離をおいて行水しに行き身を清め直した。
◆ダリット女性はレイプのターゲットになることも多かった。
ネパールのカースト最下層ダリット不可触民
ネパールの序列5位であるダリット(不可触民)は人として十分な扱いを受けていませんでした。彼らを助けるものはいないまま、何世紀にもわたって差別や暴力に晒されていました。
ダリットというのは差別語ではなくそうした差別された人々を差別的に呼ばないために総称した言葉です。現在は不可触民とされた人々は法のもとに保護されています。一時金の支給や、医療費免除など様々な優遇策が取られています。現在、首都カトマンズでダリットを差別する文化はほとんどなくなりました。しかし発展の進んでいない地方では未だに差別意識の根強い地域が残っています。こういった差別解消の為、学校では子供たちに新しい教育が施され、世代が若くなりに連れて差別意識が希薄になっています。自分の階級を知らない子供たちも増えていますし、自分のカースト以外知らない若者も増えています。しかし、多民族国家であるネパールで生きる上では各民族の言語や文化の違いを知り、成長するとともにある程度カーストについて知ることは必然的ではあります。
2011年ダリット民族人口は360万人という調査結果になりました。しかい、実際はそれよりも多いと考えられています。ネパールの人口が約3000万人ですから360万人というのは非常に大きな数字です。ダリット差別の撲滅は今もなお大きな課題となっています。
ネパールのカースト制度の歴史
カースト制度がいつネパールに入ってきたのか正確なところは分かっていません。隣接するネパールにインドアーリア系の集団が早い時期に入ってきたことは予測できます。5世紀にはアーリア系のリッチャヴィ朝がネパールにありました。その頃にはカースト制度はアーリア人の文化と同時に徐々に広がり、政治的な思惑からも導入が進み、その後、独自の形態に発展していたと考えられています。信仰とセットになったカースト制度は人々の心の奥底深く根を張り続けることになります。
ネパールのカースト制度は少なくとも三つあった
19世紀頃までにネパールには独自のカースト制度を持つ大きなグループが三つ存在していました。ネパールの北半分の山地、南半分の平原、カトマンズ盆地の3つの地域にそれぞれ異なるカースト制度がありました。
1ネパールのカースト制度:山地のアーリヤグループ
2ネパールのカースト制度:平地のアーリヤグループ
3ネパールのカースト制度:カトマンズ盆地に栄えたネワール族グループ
実は、非ヒンドゥーのモンゴロイド諸部族は本来、カースト制度に従属していませんでした。まだ国家という概念が希薄で地域の独自性が強くカースト制度を持たないアーリア、非ヒンドゥー、モンゴロイドなどが各地域ごとに並立していました。有力な勢力であったマガールやライなどは18世紀後半にネパール王国が出来る以前は独自の王国を持っていました。彼らは19世紀にネパール王国が統制を強める中で弱体化していたと考えられています。極東のライ族などは今もってカースト制度に従属した覚えはないと主張しておりこのことをネパール政府も認識しているといいます。またスードラとされる階級もその身分は地域によって異なり、ある地域ではスードラとされるカーストが、他の地域では非スードラであることもわかりました。同じカーストが地域次第では異なる扱いを受けることがあったのです。
ネパールに存在した省カースト制度の統合
1854年ネパール王国は前述した3つのメジャーなカースト制度を一つに束ねて最終的なものとなりました。一番有力だった山地のアーリヤグループの社会的な伝統や習慣がネパールを統治する法の土台となりカースト制度も彼らパルバテ・ヒンドゥーのカースト制度を母体にして平原グループのカースト制度とカトマンズ盆地のカースト制度を取り込む形になりました。さらにカースト制度を持たず、属していなかったモンゴロイド諸民族も公式にカースト制度に取り組まれました。
カースト制度をはじめ、ネパールの諸々の法が再整理され1854年ネパール王国が公布した新国家法典に明記されました。この法典は今で言う憲法のようなものでネパールではムルキー・アインと呼ばれています。カースト制度自体はそれ以前から既にネパールにありましたが、ムルキー・アインの中で上述した新たなカースト制度も正式的に明記されました。
関連記事