(1982年)
キューを置いた8年間が過ぎて、
封印を解いて、前世紀末からまた
玉を撞き始めた。
物凄く腕が落ちていた。
キューを車に積んで、大阪、兵庫、
中国地区、四国と、仕事での統括
エリアに出張に行く度に、夜、地
方の玉屋に行った。
この上の画像の同学年の奴のような
カッコではなく、いつもスーツを着
ていたが。
撞球場巡りは、上記のうち中国
地区と四国は、ほぼ全ての店に
最低一度は行った。
一人撞きしていると、大抵は撞ける
人が声をかけてきて相撞きをして
くれる。
だが、賭け玉の誘いも非常に多かっ
た。
私は賭け玉はしない。撞球再開後
には。バクチがしたいのではなく、
玉撞きがしたいからだ。
対戦が終わると、初対面だった人
はどこでも訊いて来る。お店の人
も常連客も。
「普段はどちらで撞いてるので
すか?」と。
これは、全国的に共通しているよ
うだ。
九州への出張でも撞球剣を持って
行っていたが、初めての店で一人
撞きしているとプロも声をかけて
来て相撞きしましょうかと言う。
そして言う。
「普段はどちらで撞いてるので
すか?」
目黒だ、と言っても通じる訳ない
ので、いやぁ、ホームは無いです、
とぼやかして答えていた。
これは、撞球室という自分の部屋
と玉台を持っていた5年間の間で
あっても。
各地の撞球場巡りは、道場破りの
つもりはないのだが、一人撞きし
ていると、必ず撞ける人は声を
かけて来る。
そして、バクチ以外ならば、相撞
きをして親交を深める。
本当に玉撞きが好きな撞球人は
フランクだ。
相撞きの最中も、相手の玉をじっ
と観察して、盗める技術を見取り
稽古しようとしている。
腕を上げる事に貪欲だ。
そして、それは賭け玉で銭を稼ぐ
為ではない。
玉撞きをしている時、相手のプレー
から目を逸らしている人は、どんな
にお上手に玉撞きができても、人的
質性において、私はルーザーだと
思っている。
本気で上手くなろう、巧くなろうと
するならば、どんな状況であっても
目を逸らさずに直視して、本質を
見抜く努力をしないとならないと
感じている。
アスリートってそうではなかろう
か。
夜ではなく、朝や昼に撞くのは
結構清々しいよ。
というか、撞球は時を止めるので、
世間の時間関係なくずっと撞いて
いたくなる種目なんだけどね。
TADで撞く私。
まだ40代初めだった。
モッティ・ザンボッティで撞く。
40代半ば。
46才の時。

50代末期。自作キュー。
50代末期。自作キュー。
60代。自作キュー。
20代(笑
実は北山アッコは豹柄アネゴでは
なく、ハタチ過ぎの頃は清楚な
お嬢さんだった。売れない女優
の頃。その後、あいつはキャラ
を変えて世の中にアピールして
行く路線に変更した。
本当は身持ちの堅いいいとこの
お嬢様で、仲間内ではお嬢と呼ん
でいた。
自分に正直に生きている真っ直
ぐな女だ。いい奴だよ。
アッコにグーで殴られてバーカウ
ンターで鼻血ブーになった事あっ
たけど(笑