手前に置いてあるのが、カフェがテーマの2019年「haru_mi」秋号。
私は2020年夏号の特集で使う写真を選んでいるところです。
『haru_mi』を作る上で大切なのは、
栗原はるみさんの考え方を理解すること
『haru_mi』は年に4回、春(3月)、夏(6月)、秋(9月)、冬(12月)に刊行している季刊誌で、3人の編集部員で作っています。栗原はるみさんのパーソナルマガジンという特殊な媒体ですが、打ち合わせから撮影までの流れは他の雑誌と同様で、料理特集から読者のお便り紹介まで、さまざまな企画を展開しています。
生活情報誌とはいえ、栗原さんお一人を取材相手とするお仕事なので、きちんと信頼していただけるように、人間関係には特別に心配りが必要だと思っています。過去の著書からもレシピを参考に料理を作ってみたり、自分が担当ではない日でも撮影に同行して栗原さんといろいろなお話をしたり。栗原さんと信頼関係を築きながら、口調からニュアンス、考え方を理解することが、企画を考えたり、取材文を書いたりするときに役立ちます。『haru_mi』ではどんな企画も、栗原さんが納得しなければ形にはなりません。それをどのように実現していくか、内容を詰めていくのは大変でもあり、楽しいです。
2019年の『haru_mi』秋vol.53は、最近では一番思い入れのある一冊です。「もしもharu_miのカフェがあったら…」というテーマで、ランチメニューやビュッフェなどたくさんのシチュエーションを考えました。撮影をしているのはスタジオではなく先生のご自宅なので、セットの搬入と搬出がとても大変でした。実際に読者の方が自宅でカフェを開くことはなかなかないと思いますが、お花の飾り方ひとつでもアイデアが散りばめられていて、ビジュアルも楽しい本になっています。結果的に本当にたくさんの読者に喜んでもらえました。
子どもが生まれてからとくに意識するようになったのは、
スケジュール管理
以前はファッション誌や「ESSE」など月刊誌の編集をしていたこともあります。月刊誌は3号分を並行して進行させるので夜遅くまで働くことも多く、今と比べると忙しかったのですが、時間の使い方に制限はありませんでした。季刊誌の『haru_mi』は月刊誌と比べるとじっくりと仕事に向き合えて、2人の子育てをしている今の私の生活にすごく合っています。ただし保育園のお迎えのために17時半には会社を出なくてはいけないので、仕事の段取りは意識しています。先々のスケジュールを把握し、その日やらなくてはいけない事を整理、周りの人に今どういう状況かきちんと報告しておくこと。子どもの具合が突然悪くなるときなど不測の事態はどうしようもないので、普段から時間や期限を守り、職場や外部スタッフとの信頼関係も、大切にするよう意識しています。
広告部での経験が、編集者としての意識を変えた
今まで『haru_mi』のほか、OL向けファッション誌、ティーン向けファッション誌、そして広告という部署を経験してきました。広告部では通販コスメなどのタイアップ記事を担当していたのですが、広告部員はクライアントから意外とシビアなことを言われるんです。そういうことも編集の仕事をしているだけでは分からなかったので、広告を取る大変さを実感する経験でした。
扶桑社の前に編集プロダクションで働いていたのですが、そのときは広告部や販売部の人と接する機会がなかったので、扶桑社に来て初めて、会社という組織のなかで働くことを意識するようになり、広告1本で雑誌何冊分もの金額になることを知って、どうしたら広告を出してもらえるのか編集も一緒に頭を使って臨機応変に工夫したり協力したりして、クライアントのニーズに応える必要があることも学びました。
希望通りの配属先ではなくても、楽しみは見つかる
大学生の頃、「週刊SPA!」を読んでいたので、もともと扶桑社には興味がありました。新卒採用では残念ながらご縁がなく、編集プロダクションに就職しました。それからしばらく経って転職を考えていた頃、OL 向けの女性ファッション誌を起ち上げるということで扶桑社が人材募集をしていたので、2回目の採用試験を受けました。女性誌編集者の面接にも関わらず、面接では「SPA!」の企画を提案するほど行きたいと思っていたのですが、結局行くことはできず、当時は悩むこともありました。でも、もともと雑誌が好きだったので、いつしか作るものにこだわらなくても、楽しみは見つけられると思うようになりました。今は『haru_mi』を担当して約10年になります。とても楽しく仕事ができています。
- profile
haru_mi編集部橋本 妙子
- 2001年中途入社→LUCi編集部(廃刊)→Junnie編集部(廃刊)→ESSE編集部→haru_mi編集部→広告部→haru_mi編集部
- (2020年4月現在の情報です)