昭和44年(1969年)の県営裾花ダムの完成式。

ダムは戸隠連峰から犀川へ注ぐ裾花川に整備されましたが、ダムが建設された場所にはかつて橋が架かる美しい渓谷や、稲作に和紙作りも盛んだった集落がありました。
ふるさとの情景が実に半世紀の時を経て、カラー映像でよみがえります。

洪水調節や上水道、発電のため、最大1500万立方メートルの水を蓄えられる長野市の県営裾花(すそばな)ダム。


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長野市のアマチュア映像作家=小林武司(こばやし・たけし)さんがダムに沈む直前の姿をカラー映像で撮影していました。
「ダムができて、水がたまる1、2年前だね、裾花渓谷のきれいなところだからやっぱり知っている人は懐かしいだろうね」
冒頭映る、建設中の裾花ダム。
映像は、ダムが完成する1年半前、1967年秋に撮影されました。


脚本と出演は、のちの戸隠地質化石館(当時の名称)の館長代理で、発掘のためこの道を何度も通った故・中川政幸(なかがわ・まさゆき)さん。
この地への、惜別の思いを描いています。
「(今はダムに沈んでいるところ?)今は水の下になっているからね」
上に見える橋は、裾花大橋(すそばなおおはし)。

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いまはダム湖にかかっています。
フィルムに映る滝は、水の中に沈みました。
ここは昭和初期、「日本百景(にほんひゃっけい)」に選ばれた「裾花渓谷(すそばなけいこく)」の、ハイライトの一つでもありました。
長野市の「戸隠地質化石博物館」には、裾花渓谷のガイドブックや絵葉書が保存されています。
(戸隠地質化石博物館・田辺智隆さん)
「大半がダムに沈んでしまったところですね、すごく渓谷が深く、今はダムができて沈んでしまったんですが、川が侵食している洞窟があったり、かたい岩が不思議な形で残っていたりするような変わった岩が見られた」
映像は絵葉書にあった渓谷や洞窟も、捉えています。

(田辺さん)
「カラーで見たのはあの作品が初めてなので、もう50年も前の映像ですからね、貴重な映像だと思います」
さらに上流へ向かうと、木の橋と田んぼが見えてきます。
旧戸隠村の「下楡木(しもにれぎ)」地区です。
(小林さん)
「ここが最終地点になるわけですね、ここもみな水没していますから…」

かつてここにはおよそ30世帯が暮らし、稲作や畑作のほか、和紙づくりも盛んでした。
しかしダム建設のため、作品が撮影されたころは、すでに民家は取り壊され…。
一部が水没したいまは、当時の面影はありません。
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(小林さん)
「一番きれいなところではなかったかな、今はもう家がないけれど、茅葺の家がたっていたからね」
今年1月、小林さんの自宅に「ぜひ映像が見たい」という電話がありました。
かつて下楡木に暮らしていた80代の女性でした。
きっかけは、去年12月に地元であった上映会を伝える新聞記事。
女性が公民館に問い合わせ、小林さんはDVDにして贈りました。
(小林さん)
「喜んでもらえば、作ったかいがあるというか、それだけ懐かしがってくれる人が1人でもいればね」
その女性に、電話で話を聞くことができました。
「下楡木って出ていたから、橋を見たときに思い出してね」

女性は、故郷を離れる15歳ごろまで、下楡木で過ごしました。
「壊れかかったあれはね、七夕さんの竹につけたのをあそこから流すんですよ、村の人がみんなで、すごくきれいだったですよ、川は、底が見えるくらいに、一番深いところは2メートルくらいあったけど、小学校から中学校に行けばみんなそこは潜れたね、潜って遊んでいた」
映像でよみがえる「ふるさとの記憶」。
「そのDVDを毎日のように見ながら、小さなころを思い出します、ありがとうございました」
(小林さん)
「古くなればなるほど価値は出てくる、今は茅葺の屋根は見たくても見られない、自分の人生の中で、こういうことをやってきたという一つの足跡として残れば」

過去の記憶と、人々の思いを、後世につないでいます。