渡邊淳司
みなさん、こんばんは。これから、ウェルビーイングの未来はどうつくるか。ウェルビーイングの設計論、人がよりよく生きるための情報技術。刊行記念シンポジウム。渡邊淳司、ドミニク・チェン、緒方壽人さんの3名で進めてみたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
こちらにありますのが「ウェルビーイングの設計論」、もうお買い求めいただいたでしょうか?ぜひ、ここの場で買っていただけたらと思いますけれども。「ウェルビーイングの設計論、人がよりよく生きるための情報技術」という、元々の原題が「Positive Computing:Technology for Wellbeing and Human Potential」という、ラファエル・カルヴォさんというシドニー大学のHuman Interfaceを研究されている教授と、ドリアン・ピーターズさんというデザイナーの方が書いた本があります。その監訳をしたのが、渡邊とドミニクになります。今回は、特にこの本の中で主題となっている「テクノロジーは本当に人を幸せにするのか?」ということについてこの3人で話して行けたらと思います。ちょっとシンポジウムの初めということで、簡単にこの本が何を言っているかを、5行ぐらいで説明します(笑)。読みますね。
コンピューターが利用始めされた頃、10年、20年、30年前ですかね。生産性と効率性がひたすら追い求められたが、そのような追及は徐々に過去のものとなりつつある。時代遅れということですよね。私たちは新たな時代へ突入しようとしており、テクノロジーが個人のウェルビーイングと共に、社会全体の利益にも貢献することが求められて行く。つまり技術というものが、効率性だけじゃなくて、人の心にどうやって訴えかけるのか。そういうことについてもう少し考えて行きましょう、ということが書いてあります。それを日本の中にどうやって入れて行くかということで、今回このような本の翻訳を行いました。
今回この2人、渡邊、ドミニクに加えて、今日は緒方壽人さんにお越しいただいております。
緒方
はい。
渡邊淳司
元々は東大工学部から、岐阜県の県立国際情報科学芸術アカデミー、IAMASと言われますが、そちらを卒業されてから、LEADING EDGE DESIGNを経てON THE FLY Inc.、そして2012年よりTakramに参加されております。そして、ハードウェア、ソフトウェアを問わず、デザインエンジニアリングを通して領域横断的に活躍をされているデザインエンジニアということになります。
では、この3人で進めて行きたいと思いますけれども、あと残り2人、私とドミニクさんの方を簡単に自己紹介をさせてください。私は、NTTの研究所におります。主に、今までこの本以外に2つの本の著作に関わっております。1つは「いきるためのメディア」と言いまして、こちらはドミニクさんとかファブラボの田中浩也さんとか、そのような方々と一緒に書いた本です。「情報技術が自分というものをどういうふうに映し出すか」、そういうことをテーマに書いた本です。
もう1冊がこちら、「情報を生み出す触覚の知性」というもので、特に触る感覚、触覚についての内容について書いてあります。こんないろいろ言ってもなんなんですけども、私は感覚の研究をしてます。認知科学の研究者ですというのを、簡単に1つデモをお見せして自己紹介に代えたいと思うんですけども。ここを暗くしてもらっていいですか?
ここに2本の棒があります。この前で目をキョロキョロっとしてみてください。
参加者
見えた。
渡邊淳司
なんか見えますか?
参加者
見えました。
参加者
クマさん?
渡邊淳司
クマさん。なんて言ってるのかな?こっち。
参加者
カエルとか?
渡邊淳司
カエルとか。これっていうのは、1本の棒なんですけれども、その前で目をキョロキョロさせると、2次元の絵が出るというものです。普通、よくこんな振ると絵が出るおもちゃがありますよね。その逆の原理なんですけれども、棒が止まっていて、その前で目を動かすと2次元の絵が見えますというものです。これというものは、自分の目の動きというものをもう一度感じる装置ということも言えます。自分の目が動いた時だけ見える装置。光が見えるというものです。こんなことをやったりとか。
もう1個あります。もう1個は、触覚の研究をやっています。特にこちら、触文化と書いてありますけど、食べる文化じゃなくて触る文化。絵は見る文化で、音楽は聴く文化。「触る文化ってなんだろう?」ということで、触覚についていろんなコンテンツを作ったりしています。あとは、同人誌を作ったりしているんですけども、こんなやつですね。ちょっとこれよろしかったら、会が終わりましたらみなさんに1部ずつお渡しできると思います。よろしければ回してください。
そんなことをやったりとか、あと最近は「心臓ピクニック」という名前の触覚に関するワークショップをやっています。これ、ちょっと変な名前ですけれども、これは昔2014年に六本木の「21_21 DESIGN SIGHT」という所で始めたワークショップです。こちらに「心臓ピクニックセット」と言うものがあります。聴診器と白い箱がここにあります。ここで僕が、この聴診器を胸に付けます。
参加者
持ちましょうか。
渡邊淳司
いい所で持っていただけました。そうすると、僕の心臓がここにドクドクして。はじめまして。
参加者
ドキドキする(笑)。
渡邊淳司
ドキドキしますね(笑)。渡邊と言いますが。初めて会った人に、名前を交換する前に心臓を交換する。緒方さんもちょっとじゃあ見つめ合って。あんま気持ちいい絵じゃないですね。
緒方
すいません(笑)。
渡邊淳司
でもこれって、実は自分が生きているということを手の上の触感として感じるというワークショップです。例えば子どもたちとかが猫とかを殺してしまうとか、命の大事さとか、そういうものをこういう触感を通じて人とかいろんなことを、心臓、この場合命を手の上の振動として実感するということをするワークショップだったりします。
例えばですけれども、お腹に赤ちゃんがいる方とかは、お腹に当てると違った振動が手の上に現れるとか、そういうふうにここにあるもの、命みたいなものを手の上で感じる、実感するみたいなことをやってきました。こういうことをやっていると、触れるということは人の心に直接働き掛けるとか、共感だったりとか思いやりだったりとか、そういうものとすごい深く関連する感覚なんだなと思いました。
そんな動機がありまして、これも先ほどのテクノロジーですけれども、そういうものを使ってより人の心に語りかける、そして人がよりよく生きるためには、情報技術はどういうふうに使うべきなんだろうか、ということを考えるように至りました。というのが、今回この監訳に携わった自分のモチベーションです。というわけで、次はドミニクさんから、自己紹介をお願いします。
ドミニク
続きまして、ドミニク・チェンと申します。よろしくお願いします。私は渡邊さんとは実はもう10年来以上の仲で、同じ大学の大学院に同じ時にいて、僕はもうちょっとインターネット寄りの活動をずっとして来たんですけども、元々はクリエイティブ・コモンズというインターネット上の著作権をもっと柔軟にするというNPOを13年やってます。インターネットのNPOの活動をしている中で、自分自身でネット系の企業を2008年に創業しました。実は来月から早稲田大学という所で教鞭をとるということになるので、もう三足目のわらじなんですけども、こういう形で情報技術に関わっています。
私が主にこういう情報技術と人間の心の関係について、最初にすごく影響が大きいなと思ったのが、自分の会社でちょっとポップな感じの匿名の掲示板を作りまして、これはもう10年ぐらい前なんですけども、こういう形で匿名で最近ちょっとへこんだことを書くと、他の人も匿名で励ましのことばを送ってくれる。それに対して、「ありがとう」っていうクリックした回数ですね。「ありがとう」のポイントを送れるんですけど、これで「ありがとう」を送ると、自分の後悔の念が成仏して、昇天して行ってしまうと。
実はあんまり考えずにこれを1週間ぐらいで作ったんですよね。そしたら、結構いろんな人がウワーッと集まって来て、日々使ってくださった。最大時だと、非会員の方も含めると、100万単位ぐらいのユーザーさんが使ってくれた。最初ネガティブな心がここに投稿されて、それを他の人が励ますことによって消化されて、うまく消えるとその人はすごくハッピーになっているんだろうなと。
その傍ら、やっぱりこういう場の中でも、例えばへこみを投稿したんだけれども、誰にも気づかれずに流れて行ってしまう人というのも、確率論的にどうしても発生するわけですよね。そういったものに対してデザインの力を使うとか、もしくはコンピューターのロジックでそういうリアクションがないものというのを自動的にうまく救い上げて、それを例えばトップ画面に持って来てあげるとか、そういう人間ができることと機械ができること、両方ハイブリッドにしてあげることで、より多くの人がこの中で人情溢れるコミュニケーションにうまく辿り着けるということをやっていました。
これですごくいろんな評価をいただいたんですけども、「怖くない2ちゃんねる」というふうに言われたんですね。2ちゃんねるってやっぱりその、すごいおもしろい文化なんですけども、特定のルールというのがすごくあって、そのルールに従えないと結構排除されがちなんですよね。でも「この場というのは包摂的にどんな悩みでも受け入れる場所なので怖くない」、ということを言われて、そういう考え方があるのかと。だから結構人の心というものが、Webを通しても、結構その人の心と人の心というものが触れ合うということが、良くも悪くもできるんだなという気付きを得ました。これ自体は、実はPCでずっとやって来たサービスなんですけども、ちょっと先日10年目ぐらいを迎えて終了してしまったんですが、今ちょっとまた別のこういうサービスを作ってます。
これはスマホの匿名コミュニティなんですけども、好きなことを本音で語り合うために、匿名性を使っているコミュニティなんですね。匿名なんだけどもポジティブなコメントが集まるという、そういう特性を持っています。この場だと、例えばTwitterとかでよく炎上したりとか、FacebookとかでもFacebook疲れみたいなことで語られるじゃないですか。有名な話で、他の人の幸せそうな状態ばっかりをずっとFacebookで見ていると、ちょっと鬱っぽくなっちゃったり、そういう状況というのがあるといった時に、なんか現実の社会関係をネットに持って行くことで、結構みんな疲れてるんじゃないかなと思っていて。
だから、そういう現実の、例えば社会関係とかから自由な場所として、そういうコミュニケーションの空間を作ってあげることで、もう本当に自分の好きなことっていうことで包括してコミュニケーションができるんじゃないかなと思っていました。ちょっと自慢なんですけど、昨年App Storeさんの今年のベストアプリの1つに選んでいただいたりもしています。
この中のコミュニケーションを見ていると、やっぱり本当に普段得られない共感をいろんな人がしていて、自分はこういう時間が極上の時間だよということを語り合ったりとか。ジブリの中である掃除シーンが好き過ぎるということについてだけ語り合うとかですね。あとは、本当に日常的に他愛がなくて、あんまりわざわざ口にすることがないような話題とかでもすごい盛り上がっていて。今の状態だと、2千人以上の人がこのトピックで語ったりしていて、すごいおもしろいんですよね。あとは、みんななんとなく知っているけど、あんまり話さなかったこととして、例えば靴下半分だけ脱いでプラプラする良さについて結構(笑)。
渡邊淳司
それ俺だ。
ドミニク
やってます?(笑)結構普段は「あんまりわざわざそれを人に言わなくてもいいじゃん。みたいなことばも、この中ではすごくポジティブに語られたりしていて。素数が好き過ぎる人たちとか、本当に自分の誕生日が素数であることをすごく自慢し合ってるんですよね。世の中広いなと思うんですけど。
こういう所をやっぱり作っている中で、結局今のFacebookとかTwitterとか、いろんな主流のSNSというものが、なんか構造的に疲れを起こしてるんじゃないかと。どんどん人をもっと刺激的な情報に引き連れて行くことで、すごいおもしろいものは生まれて来るんだけども、ドーパミン系っていうふうに僕は呼んでいるんですけど、すごく刺激の強いものだけでやっぱり人間って生きて行けないので、そこのバランスというのを問い直す時代に入って来ているんじゃないのかなということを、こういうサービスを作ったり、自分で本を書いたりして、考えて来ました。
渡邊淳司
ちなみに、ドーパミン系の逆はなんですか?
ドミニク
セロトニン系と呼んでて、これもすごい適当な話で申し訳ないんですけど。
渡邊淳司
さっきの心臓のは?
ドミニク
セロトニン系ですね。先ほど一瞬淳司さんの本が出てたんですけども、「触覚の知性」ですよね。その本を僕は改めて読んで、すごく惚れ込んで。惚れ込んでってもう10年以上知り合いなんですけど(笑)。いいなと思っていた矢先に、淳司さんから連絡いただいて、「ウェルビーイングというものをまた研究してみないか。」というお誘いを数年前にいただいて、そこからいろいろ議論を交わして来て、今回一緒にこの本を監訳することになったというところで、ここまで来ましたという話です。この話しちゃいました。
ちょうど先週、この2人ともう1人、心臓ボックス作っている大阪大学の先生という方と一緒に、こういうルートで1週間弾丸ツアーでですね。
渡邊淳司
太平洋を行ったり来たりってね。
ドミニク
そうですね。太平洋を行ったり来たりするという。結構しんどくて、太平洋(笑)。東京から15時間、実は仁川を経由してサンフランシスコ行って、1泊して翌日シドニーに行くという鬼のような旅行だったんですけども。
何をしに行ったかと言うと、サンフランシスコで実は呼吸をトラックするデバイスを作っているSpireという企業があって、そこを視察しに行って、あとシドニーはこの本を書かれたカルヴォ先生たちの研究室を訪問すると。その他の研究室というのも訪問して来たんですけども。この写真はサンフランシスコのSpireのオフィスで、結構雑然としてるんですけども。
渡邊淳司
ここにあんのがそう?これ。
ドミニク
これは、この社内でお昼になると15分間瞑想するんですよね。そのためのチーンっていう道具ですね。この隣に、瞑想の本とか実は置いてあるんですけども。
Spireってこういう小石みたいな形のデバイスで、すごくよくできていて、僕も今実は装着してるんですけども、こういうこのぐらいの小ささですね。ここの部分に加圧センサーが、圧力センサーが付いていて、お腹のへこみとか出っ張りを見て、呼吸を記録してくれる。そういうシステムになってるんですね。それをこういう、リアルタイムのグラフにしてくれたりすると。これの、僕はただの1ユーザーだったんですけど、すごくよくできているなと思っていて、どういう思想で作っているのかということをインタビューしに行って、ちょっと普通の記念写真なんですけど(笑)。
この人が共同創業者のニーマさんという方で、元々スタンフォードでカーミング・テック・ラボラトリーと言って、日本語で訳すと、心を落ち着かせるテクノロジーの研究所と、それの主任研究員なんですね。スタンフォードって実は高度経済学とか、そういう認知心理で人の行動をどう変えるかというような研究がすごい進んでいる所でして、そこ出身なんです。彼はそこを巣立って、こういうデバイスを作って、人々のウェルビーイングを高めようとしている。
結構2、3時間議論を交わして来たんです。西洋的なウェルビーイングの発想以外にも、ちょっと我々も別の名前を今考えてるところなんですが、まだ発掘されていないもうちょっと東洋的と言うか、西洋医学に対する東洋医学みたいな感じで、そういう考え方があるんじゃないかという話だったり。
渡邊淳司
さっきのちょっと英語が、ここがそれにあたりますよね?
ドミニク
そうですね。
渡邊淳司
Individualist。
ドミニク
Individualistっていうのが、個人主義が発展している地域の文化だと。それに対して、この本の中でも少しその差異は書かれているんですけども、Collectivistといって集団主義とか集産主義と呼ばれています。
例えばそのポジティブ心理学といったものは、実は左側の地域だとすごい効果が高いのが分かってるんだけど、右側の地域だと左側と比べて、実は効果が薄いということも指摘されてるんですね。なので、「日本はどっちなんだ?」という話はあるんですけども、広くアジアと考えた時に、こっち寄りだろうと、集団主義的寄りだろうという話があります。その中で、もうちょっと自分だけじゃなくて、例えば自分が属している集団であるとか、その場であるとか、との繋がりというものが、もっと自分のウェルビーイングに影響しているんじゃないかみたいな、そういう話をして来ました。
実はそういう情報技術が人間を過度に影響し過ぎているんじゃないかって話は、いろんな本とかでも書かれていて、これはフックドという接続しちゃってるという題名の本の中なんですけども、例えばGoogleとかFacebookとかっていう情報技術というのは、いかに中毒性を生むかというふうに設計されているんですよね。そうなってくると、なんでか知らないけどずっとFacebookを見ちゃうとか、Twitter見ちゃうとか、そういうふうに作られているんだけど、果たしてこういう作り方をしていいものなんだろうかという話が、向こうでもようやく議論の俎上に上がって来ている。
渡邊淳司
なんかアテンションっていうキーワード出ましたよね?
ドミニク
はい。
渡邊淳司
人のアテンションは、マーケティングに繋がるということばを言っていて、「結局、人が何をいつ見るかみたいなことを制御する、そういうこと自体が実はお金に繋がっているんだ。」みたいなことを言っていて、「それだけじゃなくてバリューを作るんだ。」ということを彼が言っていたのはすごい印象的でしたね。
ドミニク
はい。という話をした直後にオーストラリアに飛びまして、まず最初にこのBrain and Mind Centerといういろんな領域の人たち、コンピューターサイエンティストもいれば、心理学者もいるというような所に行って来ました。いろんな活動がされているんですけども、これは例えばスポーツを楽しむ若者たちが、心の問題についても話し合えるオンライン掲示板みたいなものがあって、その中の発話を機械的に解析して、本当に緊急的に介助が必要な場合は、アラートがプロの心理学者の所に飛んで来るとかそういうシステムを作ったり。もしくは地方の、オーストラリアのまだインターネットが届いていないような地域にもちゃんとインターネットを飛ばして、そういう介助ができるようにするとかですね。
オーストラリアは、政府が国民のメンタルヘルスが向上することにかなり力を入れていて、世界でもトップレベルだそうなんです。それに追従するように、イギリスであるとかカナダという国も国家予算を上げて、一般市民の精神衛生をいかに上げることができるかということにすごい腐心している。
写真のこの人がカルヴォ先生で、この本を書かれた著者の1人ですね。残りの人たちはみんな、心理学者であるとか精神科医とか、もしくは博士課程の学生とかが集まっています。肝心のポジティブ・コンピューティング・ラボという所は、その近くにあって、その研究室でこういうものを大事にしているという話があった。特にこの「Autonomy」って左側に書いてあると思いますけども、これが結構会話の中でも再三反復的に出て来ることばで。
渡邊淳司
自律性。
ドミニク
自律性ですね。だから、例えば技術を提供するんだけれども、それがユーザーを過度に誘導しないかと、ユーザーが自律的に何か判断することを、ちゃんと補助してあげられているかということを考えて設計したり、それをちゃんと評価してあげるというようなこともかなり力を入れていると。
渡邊淳司
律する方ですね。立つんじゃなくて。自ら律するっていう。
ドミニク
そうですね。自律神経の自律の方ですね。こういうバーチャルリアリティのデバイスを作って、そういうことをやろうとしてみたりとか、ということをいろいろやっている研究室でした。なんか不足とか大丈夫ですか?
緒方
これ何?
渡邊淳司
これなんだ?
ドミニク
これは、覚えてません(笑)こういう漕ぐやつで、いろんな都市のストリートビューをナビゲートするみたいなやつだったんですけど。これがポジティブ心理学的にどういうものなのかって、実はちょっとあんまりよく分からない写真でした(笑)。
この他に、ちょっと写真がないんであれなんですが、医者の卵が患者と向き合う様をビデオで撮って、その医者の卵が患者の自律性を奪い過ぎてないかということを、画像認識技術を使って判定するという、「Autonomy Support System」という力を入れているものがあって、それはすごいめちゃくちゃおもしろいなと思いましたね。
渡邊淳司
これ結構シリアスな話題が多くて、実は自殺しそうな人のテキストから、例えばTwitterのテキストから、「この人は今危ない」みたいなことをその場で判断して、そのアラートが、あれは誰に行くのかな?介助者?その地域の。
ドミニク
そうですね。心理カウンセラーとかですね。
渡邊淳司
だから僕らは躊躇してしまうような領域に、心理学者とお医者さんががっちりタッグを組んでやってるっていうのが、すごい印象的でしたね。
ドミニク
だから、先ほどの心臓ボックスも我々見せて来たんですけど、実は自閉症の子どもの治療をやっている先生がいて、もしかしたらそういう治療のために使えるかもしれないというお話がありました。
渡邊淳司
なんか僕がフワフワっとした、「命って大事じゃん。」とか話してたら、「自閉症の治療がいいんじゃないか。」と。
ドミニク
結構心臓ボックスなんかは、あんまり「こういう用途で使いましょう。」という設計を淳司さんたちはしていないんだけれども、だからそこの対比がちょっと興味深かった。
渡邊淳司
心をもう本当に治療の対象としてすごいはっきりと見ている感じがすごいしましたね。
ドミニク
ちょっとこれはおまけ的なんですけど、クリエイティブ・ロボティクス・ラボと言って、ロボットを使って、例えばこういう、これはちょっとアート作品っぽいんですけども、ギリシャ神話のヒロインとヒーローが車椅子上の、実はこれ自律的に走行する車椅子で、それが空間の中を自由にさまよって、お互いが衝突とかする時にメッセージが吐かれるみたいな、そういうこと。
渡邊淳司
テキストが出て来るんですよね。これ印刷されてここから。
ドミニク
それがポトンと落ちるという、ちょっとインスタレーション的なものがあったり。
渡邊淳司
見てる方からすると、結構自律的に見えるんですよね。
ドミニク
そうですね。
渡邊淳司
自分で判断して、ぶつかって、なんかしゃべってるみたいな感じになったりとか。
ドミニク
ソーシャル・ロボティクスとかそんなことばもあって。例えばこういう人形、これはキャスパーという名前でしたっけね。これは意図的に無表情なふうに作られているのが、自閉症の子どもがコミュニケーションを学習するために、あまり過剰な意味を与えると自閉症の子どもには良くないという発想の元、こういうふうに作られているロボットがいたりとかしてます。
ちょっと他にもワーッと写真はあるんですけど、特にアメリカについては先ほどのSpireの件もあるんですけれども、人々のウェルビーイングを追跡したりそこに介入するっていう、理論的構築はすごい進んでいて、シリコンバレーの投機マネーとかで、実際に実走してこういうデバイスが作られて来ているという、そういうフェーズに入ってるんじゃないかなと。
これもぱっと見すごいシンプルなんですけども、結構すごいことをやっていて、普通には、そうそう簡単にはコピーできないテクノロジーだったりします。ちなみに日本でも、アップルストアさんで1万2千円ぐらいで売ってますので。
渡邊淳司
まあまあ高いですね(笑)。
ドミニク
まあまあ高いです。
緒方
生産の途中がすごい?アルゴリズムがすごい?
ドミニク
両方優秀ですね。本当はそこまでリアルタイムに取れてないはずなんだけど、リアルタイム補正みたいなことをやっていて、あたかもものすごく精度高く同期しているように見えるので、信頼感が生まれるんですよね。
翻ってこの本が書かれたバックグラウンドであるオーストラリアは、本当に国家規模でメンタルヘルス向上という感じで、医療の観点とHuman Computer Interfaceというものが、すごく一緒に研究されてるんだなというところを感じて、日本でもやらねば(笑)というような感じで帰って来ました。
すいません。長くなってしまいましたが。今日は緒方さんにちょっとこの本を読んでいただいて、実際ものを作る緒方さんからしてみて、これはこういうふうに使えるんじゃないかとか、自分がやって来た活動の中で、実はこういうことを考えてたみたいな、そういうフィードバックをいただけたらなと思ってお誘いしました。
緒方
こんばんは。緒方です。僕はTakramという所で仕事をしています。今六本木の21_21DESIGN SIGHTという所で、アスリート展という展覧会をやっています。これの展覧会のディレクターを、為末大さんと僕とスゲシュンイチさんの3人でやっています。渡邊さんにも作家として参加をしていただいたりしているんですけど、ちょっとだけですね。これ何か分からないグラフィックだと思うんですけど、会場に行くとこれが大画面で操作できる形でいろんな視点から見ることができるんです。これ棒高跳びのモーションだったり。これがハードルですね。為末さんのデータではないんですけど、ハードルを越えて行く人の動きを可視化したものです。次は最初の部屋に入ると、壁の4面がプロジェクションで、世界記録の、例えばこれは100メートルのボルトンの記録を、実際の人の実寸大で実際のスピードで体感することができるという作品になっています。これ本当にめちゃくちゃ速い(笑)。
渡邊淳司
これ本当に人間なのかっていうぐらい。
緒方
速いですね。
ドミニク
ちょっと本当にビビりますね。
緒方
マラソンのやつでも結構きついぐらい(笑)。
渡邊淳司
僕らの全力疾走ですよ。
緒方
2時間続ける感じですよね。こんな感じの作品なんですね。いろいろあります。後半は体験型で、ちょっとその今回のテーマに関わるようなメンタル。アスリートって、体を鍛えてるばっかりじゃなくて、もうトップアスリートの世界になると、結局筋肉とかの話じゃなくて、体をどうコントロールするかとか、自分の心をどうコントロールするかという領域になって来るんですね。それって結構、普通の人にも関わる話だったりします。そういうものを分解して1つ1つ体験して行くような展示になっています。なので、ぜひお越しいただければと思います。
こんなこともやっているんですが、Takramの紹介もちょっとだけすると、デザイン・イノベーション・ファームというふうに自分たちのことを言っているんです。僕自身もさっき、デザインエンジニアというふうに紹介していただいたんですけども、元々は東大の工学部の出身で、それからデザインにはまってという形で、なんらかの形で領域横断的な活動をしている人たちが集まっているというふうな特徴です。
何かしらその領域を超えた挑戦というのをサポートしますというのを、会社のステートメントみたいな形で最近言っています。テクノロジーとクリエイティブの両方をやれる人が、デザインエンジニア。最近はちょっとビジネス的なことをやれる人が入って来て、ビジネスとテクノロジーとか、ビジネスとクリエイティブってやったりを、ハイブリッドでこなせるような人たちが集まっているという形です。
ちょっとWebとか見ると、こういうアート展示とかインスタレーションみたいなのが結構多かったりするんですけど。普段の仕事としては、トヨタさんのコンセプトカーみたいな未来の商品企画を具体的にしながら、ゼロから作って行くような話とか、アプリのUIの設計みたいな話とか、ブランディングですね。最近は日経新聞社さんとかのブランディングをやっていたり、NHKの子ども番組をアートディレクションしていたり、空港のブランディングとか、森岡書店という銀座にある1種類しか本が置いてないという本屋さんなんですけど、そういうののプログラミングをやっていたり、月面走行機から和菓子までという、間が分からない(笑)。こっちは今auのCMとかでも流れていますけども、HAKUTOという日本のチームが参加している、Googleの月面レースがあるんですけど、それに参加してるローバーですね。この月面に飛ばすローバーのデザインをやったりしています。
こっちはとらやさんと一緒に、未来の和菓子。これちょっとウェルビーイング的かもしれない(笑)。とらやさんから「未来の和菓子を作ってください。」というようなお題で、和菓子って季節を楽しむというものがあると思うんですけど、なんかもう少し現代的な解釈として、これ1日の時間の流れを感じるような和菓子があってもいいんじゃないかということで、こっちから朝起きて、段々夜寝るまで、1つずつ食べて行くというような形になっていて、朝だったらちょっと眼覚めが良くなるようなものとか、途中だとちょっと頭をシャキッとするようなものだったりとか、最後はちょっと眠りに誘うようなカモミールが入ってるとか、そういう機能性を持って1日の時間の流れを感じるような和菓子みたいな。
ドミニク
和菓子そのものだけじゃなくて、和菓子を食べる習慣までも、体験をもデザインしてるということですよね。おもしろいですね。
緒方
という感じで、いろんなことをやっています。
ドミニク
ご紹介は以上。ありがとう(笑)。
緒方
自分の作品、もうその話。
ドミニク
そうですね。
緒方
本読んだり、ちょっと事前にお話を伺ったりする中で、今さっきもまた出て来たんですけど、Autonomy、自律性とか自分でやっている感じみたいなのは、自分の作品を作る時にすごく意識しているなと思っていて。これは前にアスリート展と同じ21_21でやっていた「デザインあ展」という展覧会で作った作品なんですけど、ディスプレイに何も映ってなくて、虫眼鏡みたいのをかざすと、虫眼鏡はフィルム貼ってあるだけなんですけど、それを通したところで、元のディスプレイに映ってるはずの絵が映るという作品なんです。
テーマとしては「音めがね」という作品で、音が最初に流れて来て、その音が何か分からないわけですけど、虫眼鏡を覗いていくと、それが本当はこういう楽器で鳴らしているとか。実はドラムだと思ってたら、辞書をバンバンってやってる音だったり、お皿にこうやってコーヒー豆をぶちまけてたりとか、測りを動かしてたりとか、ハサミのチョキチョキの音とか、そういうものでできているということが段々分かって来るという。
渡邊淳司
自分で発見して行くって感じですか?
緒方
そうですね。それをどう体験としてデザインするかというところが肝です。それは結構毎回悩ましいところで、100点満点というのはあんまりなかなかないんですけど。これで言うと、壁にディスプレイが掛かってるわけですけど、その下にまず虫眼鏡が掛けてある。特に何もその説明がないんですね。ないんだけど、真っ白いディスプレイがあって、その下に虫眼鏡が掛かってると、「これで見るのかな?」ってなぜか思うわけですよね。
それがなんか「虫眼鏡を取って覗いてみて下さい。」と言われると、なんかちょっとだけその驚きが減るような気がしてて、言われた通りにやったからできている感じが、それを発見したという感じの喜びがちょっと減るので、そういうインストラクションをなるべくしないようにしてると思いますね。
渡邊淳司
これは同じ?
緒方
これはまた別の作品なんですけど、これも壁の前に立って、なんの説明もないんですけど、手を動かしていると、その手の先から桜の花びらが散るという作品です。こういうのも説明されて、美術館によっては分からないで通り過ぎる人がいるから、「前に立って手を動かしてみたら桜が見えるよ。」って書きたがる(笑)。
ドミニク
キャプションを書きたがる(笑)
緒方
キャプションを書きたがるんですけど、そしたらせっかく何も知らず「なんだろう?」って思って手をかざした時に、そこから桜の花びらが出て来るという驚きとか、なんかそれがなくなってしまうんで、そこをすごく大事に。とは言え、本当にみんなが通り過ぎても良くないんで、誘導するそういう工夫とかすごく必要。
ドミニク
絶妙な誘導ってことですね。
緒方
そういうのがすごく大事な、コントロールするポイントになってるなというふうに思いますね。
ドミニク
すごいおもしろいですね。あまり説明的じゃない体験をさせたいという動機というか、モチベーションみたいなものは、どういうところから来るんですかね?
緒方
別のワークショップで、1、2年前だったと思うんですけど、「2千何十年の世界みたいなのを考えてください。」って言って宿題を出されて、テキストをちょっと書いて行ったんです。その時に人工知能だとかビックデータとかいうようなまさにテクノロジーが発達して行くと、人間よりも賢いものができてきて、いわゆるシンギュラリティみたいな話があるとおもうんですけど、その時にもう因果とか「分かった」みたいなことが別に必要なくなってくるみたいなことがあるじゃないですか。ただ、とは言え、分かった喜びってあるんじゃないかなという。
ドミニク
発見するということにも通じる「分かった」という感じですよね。
緒方
自分から何かこれに気付いたとか、ということの喜びみたいなのはなくならないんじゃないかなという希望というか(笑)。そういうのが、僕が作っているものの根源にはあるのかなと思っていて、ただそれは本当にみんながそうするべきか、みんなが分かる喜びとか気付く喜びみたいなことが必要なのかちょっと分からないんですけど。それがなくならないと信じて、それを生み出せるものを作りたいなと思っているという感じですかね。
それで言うと1個だけ忘れていました。今、トヨタ・グローバル・ドットコムのサイトを見ると、Respect Natureというキャンペーンをやってまして、これはちょうど昨日始まったコンテンツで、トヨタがハイブリッドカー1千万台達成しましたというキャンペーンなんですけど。それはいいんだけど、どっちかと言うと大きいメッセージとしては、それだけ環境に貢献して来たということもあり、Respect Natureというのがキャンペーンの大きいテーマになっていて、そのためのコンテンツをいろいろ一緒に考えて来たんですね。
その中で、Small Planetというものを作って。これはコンセプトとしては、身の回りの自然というか、道端のグリーンとかそういうものを、普通は見下ろしていると思うんですけど、そういうものの中に入って、植物の視点とか植物の時間の感覚とかっていうので見てみる。これもその辺にある植物なんですけど、密林に入ったような。これを360度グルグル回してみたりとか。これをちょうど今週末、お台場のトヨタのショールームでやっていて、これは撮影に使ったやつと再現して。どうなっているかというと、実際にグリーンの中に道を作って、そこの中をミニチュアのプリウスを走らせる、カメラを走らせて撮影するということをやっていて、すごい大変だったんです(笑)。これも見れます。お台場で。
これもなんかその根底にあるのは、これを1回見ることで、身の回りにあるその辺の植物もちょっと違って見えてくるという、そういうことにならないかなと思ってて。桜のさっきのとかも、根底としては桜が散るのがきれいだなということを、実際の桜を見た時にもまた改めて思う、咲き誇っているものばっかりじゃなくて、散っているところがすごいきれいなんだということに気付いて、そういうふうに見るとか、そういう作品を体験することで日常がちょっと視点が変わるみたいなところが、すごく大事にしてるところかなというふうに思います。
ドミニク
なんか淳司さんが。
渡邊淳司
ちょっと立ち止まってみませんか?一応、「ウェルビーイングの未来はどうつくるか」に立ち戻りたいです。一個一個の各論ってすごいおもしろいし、僕も体験してみたいなということがすごい多いです。「ウェルビーイング」言っとりますが、一体それはなんなのかということに立ち戻って考えてみたいなと思います。この本にも書いてはあるんですけども、ウェルビーイングって大きく3つあると言われています。
1つ目が医学的なウェルビーイング。心や体が機能的に不全でないこと。健康手段とか質問表とか、先ほどのオーストラリアで取り組んでるものの多くが、この医学的なウェルビーイング。メンタルヘルスだったりとか、そういうものを指しています。
2番目が、快楽主義的ウェルビーイングと書いてありますけども、どっちかって言うと一般的に幸福とかハッピーとか言うと、これを指されることが多いです。今自分が気持ちいいとか、いい感じとか、そういう一時的な感情をウェルビーイングという時、この2番目の快楽主義的なウェルビーイングです。なので、いろんなものを触ったりして、「気持ちいい。」とかそういうことを「今、どう感じますか?」とかアンケートしたりとか、興味あるものには瞳孔がパァーッと開いたりとか、鼓動が速くなったりとか、そういうことで測ることができます。こっちはどっちかって心の感情の問題みたいなふうに言われることが多いです。
3番目に、持続的なウェルビーイングっていうことが書かれています。ちょっと難しいというか、あれなんですけども。人間が心身の潜在能力を発揮して、意義を感じて生き生きとした状態。まだよく分からないところが多いですよね。英語だとFlourishingって「何かが開花する」、つまりある環境の中で、今一瞬僕が「気持ちいい」とか「気持ち悪い」ということだけじゃなくて、それぞれの人が自分の能力を発揮して、魅力的に活躍する、生きて行くという状態を指しています。
ただこれは複雑で捉えどころがなくて、皆さんなんとなくそういうの分かるんだけれども、それについてどう言っていいかよく分からないというものです。「構成概念」と言うんですが、例えば天気って、「いい天気ってどんな感じですか?」って言われて、正しく僕らは定義できますか?湿度は30パーセントですか?それで気温は何度ですか?定量化しだすとなかなか難しいんですね。あと景気とか、「景気がいいのって何?どんな感じ?」って言われても、なんとなく「こんな感じなんだけど。」というふうに、僕らはなんとなく分かっているけども、具体化して行くと複雑な要素がたくさん出て来ます。
なので、特に医学、感情じゃなくて、持続的と言った時に、とても捉えどころのないもので、逆に技術が今まで相手にして来なかった分野だったりします。それをもう少しより具体的に、よりいろんなことばを使って考えて行こうというのがこの中に書いてあったりするんですね。これは、この中に出て来るキーワードみたいなものを、ちょっとこれは僕がある種勝手に関係付けを作ったものです。
例えば、僕らというのは、何かに動機づけられて、モチベーションって書いてありますけど、モチベーションがあって何か行動します。そんな時に、自律的であること、先ほど出て来たAutonomyですね、それがあると、より自分は自分でやっている感じがする、ルーツした感じがする、生き生きと何かができる。更に、ここに感情ってありますけれども、その時に自分が、もちろん良い気分であることには、自分が生き生きとするためには必須であると。あとよく、最近マインドフルネスとか瞑想とか、そういうことが流行ってるというふうに言われたりしますけど、それはなんなのかと言うと、現在の物事に対して、どういうふうなやり方で相対するかということの1つのやり方だと僕は思います。
例えばマインドフルネスと言うのは、目の前で起こることを意識で判断せずにそれぞれ感じて行くという1つのやり方ですし、あと没頭とかフローって聞いたことありますか?エクストリームスポーツと呼ばれる、すごい危険な競技をする人が、知らず知らず、自分の意識がほとんどない中で、すごいパフォーマンスを示す、その状態をフローと言ったりします。
ちょっとフローとマインドフルネスというのは違うもんだったりするんですけども、両方ともある種のバランスだったりして、それらを行ったり来たりしながらやって行く事で、その人がうまく現実に対して対処できるとか、あとは更にそれを自分で振り返るとか。自分がどういうふうに感じていたかとか、あとは自己への慈しみってあります。なんか失敗しちゃった時に、何度も何度もグダグダ考えてしまうというのは、自分に対して許せてないんですね。マインドフルな状態で自分を感じられていない。
そういう状況があったりするので、そういう自分の慈しみを持つことで、また次のモチベーションになりますよ、みたいなループがあったりします。あとは外部の人、周りの人に対して、思いやりとかそういうものを持つことで意義を感じたりとか、他者から評価される準備ですよとか。複雑な概念だったら、それがどういうふうに構成されているかというのを一度スケッチしてみる。そういうことが、ウェルビーイングをどう作るかの第一歩なんじゃないかなと僕は思いました。
この本を訳すことをたくさんの訳者の方と一緒にやった中で、やっぱりこういうことが僕のボキャブラリーになったのがとても良かったなと思っています。いろんなことが、こういうことばで説明できたりするんですね。心臓ピクニックには自律性がありますし、人と交換することで関係性、僕が渡した箱を相手が優しく扱ってくれることで自尊心が満たされて行くとかっていうふうに、ことば、ボキャブラリーを持つっていうことが、こういうことを考えて行く第一歩かなと僕は思っています。
ドミニク
オーストラリアで、社会的にメンタルヘルスのことを話したり議論するのは、普通のことになっているんですよね。それは結構日本から行くと驚きの感覚があって、例えば日本だと心理的な自分の状態について人に話すということが少しはばかられたり、「ちょっと自分、今落ち込んでるんだよね。」ぐらいはいいんですけど、例えばうつ病について話したりするということが、結構場が凍りつくと言うか、「ちょっと精神クリニック行ってるんだ。」みたいな話って、なかなか気軽にできないじゃないですか。もちろんオーストラリアとかでも、みんな気軽にそういう話してるかっていうのは分からないですけども、社会の中でそういうことを議論するっていうのは、例えば「ちょっと足の骨折っちゃってさ。」みたいなレベルで、「ちょっとあの人、今心の風邪をひいていて。」みたいな感じで、心的な、内的な状態についてちゃんと話し合えるボキャブラリーっていうのがちゃんと出て来るってのはすごい大事だなと思いましたね。
渡邊淳司
あと風邪っていうことばが日本は、僕は逆にあんまり良くないと思っていて、それって原因不明のところがあって。
ドミニク
風邪って原因不明ですよね。
渡邊淳司
風邪って分かんないじゃないですか。なんでか分からないけど調子悪いっていうことばはをちょっと言い換えて、なんか周りから「関係性が良くないんです。」とか、「あまりにも周りの上司が厳しくて自尊感情が。」みたいなところ。別にそうやって全部言う必要ないんですけど。
ドミニク
もうちょっと砕けた用語がいいですね(笑)。
緒方
僕、自尊感情がヤバくて(笑)。
渡邊淳司
うまいことばで言ってください(笑)。
ドミニク
一般化して来るとかね。
渡邊淳司
だから、こういうボキャブラリーを持つことで、僕らが今まで見えなかったものを構造化できるということが、とても僕はこれは良かったなと思ってたんです。
ドミニク
だから、先ほどの緒方さんが紹介してくださった桜のやつとか、音めがねのものとかは、結構ユーザーの自律性を大事にしているという話として議論ができるし、そこでシステム評価とかがある程度客観的にというか、同じボキャブラリーでできるっていう。
渡邊淳司
だから、ここに情報技術がどう関わって来るかという話ができるんですね。例えばあと、トヨタの話で言うと、コンパッション、思いやりというのは結局相手の視点に立つことという言い方もできます。つまり、バーチャルリアリティーの視点で、相手側の視点に立って、本当に周りを見てみるとどうなのか。自分が小っちゃくなって見える。例えばアメリカとかだと多様性、つまり私、白人の人が黒人の立場に本当に立ってみて、バーチャルリアリティーシステムを体験してみる。ある意味、全然知らないことばで話し掛けられて、バスでいきなり降ろされて、「立て。」とか言われたり。そういう状況を実際に体験するということで、そこのコンパッション、思いやりの部分がどんどん自分事ととして変わって行く。技術はそういうふうに使うことができるわけですね。
あと一般的な話だと、SNS疲れとかこの関係性の問題ですとか、周りの人からあまりにも評価して欲しいから、どんどんこの関係性に対して強い結びつきで生まれちゃったとか。ありますよね?
緒方
幸福感みたいなウェルってこういう状態は本当に難しいなと。結局その人にとってのゼロポイントがなんなのかということで、それよりいい状態とか悪い状態というのができて来ると思うんですけど、それがやっぱりすごいくSNSとかでみんないい状態しか、ウェルな状態しか上げないわけじゃないですか。そういうのを見て、自分の状態よりも自分の期待値とか、なんかゼロポイントが上がってしまって、自分がすごくダメに感じるとか、焦るとか、そういうことも起きるのかなという気はします。
渡邊淳司
それぞれの人の中で、この関係性ってやっぱりあると思うんですよね。
ドミニク
そうなんですよね。だから、相対的にこの話ができるようにしなくちゃいけないっていうのが、多分このウェルビーイング論の課題であって、つまり万人に「万人にとってのゼロポイントこうです。」って言った瞬間、それはちょっと非科学的だし、ちょっと幸福論の押し付けみたいなものになってしまうって危険性はすごくあるんですよね。だから、そこは正気を保ちつつ(笑)。宗教にならずに、ちゃんとやって行くと。例えばそう言うことを語るパーソナリー・インフォマティクスという用語があって、個人亭な情報学と言いますか、僕にとってのウェルビーイングと淳司さんにとってのウェルビーイングってのはゼロポイントは全然違う所にあると。そのことを認識した上で、お互いコミュニケーションを交わすっていう、それが大事なんだよねってことですよね。
渡邊淳司
これ、僕が勝手に書いた、勝手と言うよりはドミニクさんとの議論の中で書いたものなんですけど、なんかちょっとここに書いてある本の中の話というよりは、そこから僕が「どうしたら、誰ものためのウェルビーイングであって、自分自身が何かを発見するためのウェルビーイングになるのかしら?」と思いながら3ステップ書いてみましたという話で、これは科学的に証明は全くされていません。
緒方
めっちゃ連写されてます(笑)。
ドミニク
大丈夫。
渡邊淳司
ただの僕のブログだと思ってください(笑)。今、最初の話って、これさっきのボキャブラリーの話ですよね。そのことばを持って関係付けをしゃべれますよという話。2番目、さっきドミニクさんが言いましたけど、パーソナルインフォマティクス。自分にとって、これがどういうふうに連なっているかということを振り返ってみよう、ということをするわけですね。
ある心理学者が「ウェルビーイングには5個の要素が必要です。」って言ってたんです。その5個の要素というのは、PERMAと呼ばれていました。マーティン・セリグマンというアメリカの心理学会の会長だった人はポジティブ・サイコロジーを提唱した人なんですけれども、それには5個のことが必要ですよと言っています。それはPERMAという略語になっていて、Positive Emotion、肯定的な感情ですとか、Engagement、何かに集中することが重要ですよとか、あと良好な人間関係、Relationshipを持つことですとか、Meaning,、他者、公ってありますけど、誰かのために自分はなっている、貢献できているという気持ちを持てること。更に、自分は何かをしてるぞという、自分の効力感みたいなもの。この5個が、人間をウェルビーイングに保つために必要な要素ですと言っている人がいました。
先ほど僕、たくさんの要素を出しましたけども、人によってやっぱり言ってることはもちろん多少違ったりします。ただ、この辺のものはいろんな人が、例えばPositive Emotionは絶対みんな入れたいとか、そういうふうに実際の研究の中からいくつかピックアップしながら、重要なものを自分の中で見つけて行くというのはありかなと思っています。
それで、僕は何をしたかと言うと、その日々のログを取ってみたんですよ。ある日、例えばですけども、1時間ごとに僕は一体何をしてたかなみたいなことをやってみる。9月のこの日には10時頃には、EってEngagementですね。なんかすごい集中してたんだなということがあったりとか、夜中P、なんかいいことあったらしいとか。2時、3時、なんだこれ?誰かと会ったのかなとか。あとはなんか役に立っている気がするとか。この週のここら辺まで来て気付いたんですけども、僕にはAがない。つまり、何かをやり切ってないっていうことがよく分かったって(笑)。日々、なんか忙しさにかまけて何かをやり切らずに、人と打ち合わせしたり飲み会しかしてなかったという(笑)。
ただ、そういうことに振り返ると、逆に自分がどういう状況だったのかということを考えるきっかけになるわけですね。これは5個にしか分類してませんけども。ということで、今度はAを増やしてみようというふうに、今度は自分でルールを新しく作ってみると。必ず1個、1時間はAをやってみようみたいなことをやったりするとかというのはあります。
更に、PERMAってなんかPERMAってなんか難しいというか、多少概念的なことがいっぱい入って来るんで、もうちょっと分かりやすいことばでやってみようということがあります。オノマトペってご存知ですかね?「さらさら」、「ざらざら」とか、擬音語、擬態語って呼ばれるんですけども、それって「ドキドキ」とか「ぐへー」とか、なんか「ぐへー」は擬音語かな(笑)。まあいいや。なんか自分の心の状態を反映したことばであったりもします。僕は朝から、8時に満員電車に揺られると「ぎゅうぎゅう」ですよね。なんかすごい「ぎゅう」ってネガティブな感じがしますね。更に、10時に仕事でミスして「しょぼしょぼ」って書いてある。昼ご飯は「ガツガツ」食べて、3時になるとギュイーンなりましたとか。これは何をやったかを日記にするのではなく、自分の気持ちだけを日記にするんですね。
そういうのを、僕じゃなくて他の人にもやってもらったんですよ。この人結構「のろのろ」、「ぐったり」とか「うだうだ」、「すっきり」、「のろのろ」、「ぐったり」、「のろのろ」って、大丈夫かな?この人(笑)。ただ「大丈夫かな?」と言いつつも、この後話を聞いたんですけども、この人にとって「のろのろってネガティブじゃないんです。」って言うんですね。「私はのろのろしないとすっきりできないんだ。」とか、そういうことをやっぱり言ってくれたんですね。つまり、これはそのままウェルビーイングではないんですけども、自分の中で心の状態というものを1回振り返る、パーソナル・エゴマティクスを、ある種オノマトペというすごい原初的なことでやってるんですね。更に、「ここを振り返ってみるとどう?」って言うと、「なんかのろのろいっぱい出て来るけど、私にとっては重要。」みたいなことが逆に発見できると。そういう自分にとってのルールみたいなものを発見することもできるのかなと思ってます。
あとこれは、心理学でよく使われる表なんですけど、右側が快で左側が不快、上が緊張、下がリラックスみたいな表があって、そこに全部のオノマトペをパッパッパッて、どういうふうに自分がこうやって変わって行ったかみたいなことを線で引いたりすると、1日の気分がどう変わったというのを振り返られる。ある日、だから朝は緊張して心地良い状態だったからクルーってなって、最後こっちになりましたとか。そういう自分の中での生活のサイクルみたいなものを、ウェルビーイング的なことばで振り返ってみるとか、よく食事のログ取ったりとかあると思うんですけども、そういうことを少しだけ自分の側に向けてみるとか。そういうのはあるんじゃないかなと思っております。そういうことがあるので、さっきこの3つ目として自分でルールを作るというのができるといいよねと。それを持続的にできるようになったらいいな、ということがあったりします。というのが、僕の勝手な行動指針だったりするんですけども。
ちょっと先ほどから、自律性の話がよく出て来るので、そこだけもう少しだけ語りたいなと思ってるんですけども。自律性って、自分で決めたかどうかという話ですけども、特にこの話なんですね。先ほどの心臓ボックスを手に持ちます。これはどういうことかと言うと、自分の胸に聴診器を当てると、こいつが震え出すと。これは今、あなたの心臓がどういう状態かというのを数字じゃ言わないんですよね。なんか取り敢えず震えている奴がいると、「おー。」とかって思ったりするわけですけど、それ以上でもなんでもなくて。ただそこに、「実はこれ、僕の心臓が今とても緊張しているらしい。」みたいなことを段々意味を発見して行く。そういう過程がここにはあって、それを人と交換して行く。段々速くなったり遅くなったり。そんなことがあったりします。
同じことを、心臓の鼓動を測って情報提示するということを別のやり方ですると、こんなやり方もできますよねっていう。「今、あなたの心拍数は81です。なんか少し不満そうですね。じゃあ、今甘い物を食べれば?」みたいな情報提示のやり方もあるわけですよね。そうするとこの人は、「言われたから、なんかお菓子食うか。」みたいな感じで食べだすんですよ。さっきの未来のお菓子とかはどうなのか分からないですけど。これって本当に、「人にとってウェルビーイングってなんですか?」っていう質問が今度出て来ますよね。
ドミニク
さっきちょっと言ってた話と繋がるんですけど、さっきの緒方さんの作品の中の問題意識と通底していると思うんですけども、「あなたの心拍は今91だから、深呼吸しなさい。」って言われるのと、自分で心臓ボックス握って、「なんか今、すごい心臓がこんなに速くなっているな。」って身体的に気が付いて、それでリラックスするような深呼吸をしてみるって、やっぱりその行動への経路が全然違うわけですよね。だから、緒方さんの用語で言うと、発見するというか、自分で気付いてその行動を促されるという、それはミクロなレベルでも、その人の自律性には重要で。この本の中でも、僕も淳司さんもすごい重要だなと思っているのが、機械の自律性じゃなくて、人間の自律性を増やす方向に機械がチューニングされて行かないといけない。例えばそのアップローチも僕ずっと付けてるんですけども、アップローチも心拍を見せてくれるんですよ。緊張している時って、僕心拍75とか80ぐらいまで上がるんですけど、それ数字で見せられると、僕余計に緊張する(笑)。「わー、めっちゃ緊張している。自分。」みたいな、「80か。やばいな。」みたいな。
渡邊淳司
ちなみに、嘘情報だったらどうなるんですか?
ドミニク
嘘情報?
渡邊淳司
100とか出て来たら。
ドミニク
僕、結構暗示に掛かりやすいんで、騙されて心拍上がると思うんですよ。更に上がる。
渡邊淳司
それってよく考えると、アップルはたくさんの人の健康を操作できるという言い方にもなりますね。
ドミニク
本当にそうなんですよ。そういうことを別に、「やってやる。」とか言うつもりはないんですけども、気持ち悪いじゃないですか。その関係性として非対称なんですけど。おもしろいんですけど、この心臓ボックスをあるすごい偉い先生の前でプレゼンする場があって、その時に僕の心拍はまさに80ぐらいまで跳ね上がってたんですね。その時に心臓ボックスを自分で試してみたら、左手でアップローチで自分の心拍を見て、右手で心臓ボックスを見てたら、10ぐらい下がって行ったんですよ(笑)。これはまだ科学的にサンプルを取ってない話なので、みんなそうなるという話じゃないんですけども、意味合いを発見するその経路が違うというだけで、全然違う作用が生まれるんだなと。
渡邊淳司
例えば、今のやつを自分で当てるんじゃなくて、同じ心拍数の僕のものを持ってたら、本当に落ち着いたと思いますか?あの時に。
ドミニク
いや、ちょっと分かんないですね。それは。
渡邊淳司
なので、結局意味付けって結構重要になってきますよね。これは僕の心拍なんだということがあるから、それに対してフィードバックが掛かって、こういうふうに下がって行ったりとか、そういうことが起きたりする。
緒方
だから、ちゃんと自分のものだと思っててさえいれば、別にフェイクでもいいかもしれないですね。
ドミニク
悲しいかな、そうかも。僕の場合はね(笑)。
緒方
でも、アスリート展でもちょっと参加してもらっている、国立リハビリセンターの研究者の方がいて、リハビリの話をよく聞いていて。最近のリハビリってやっぱりその、従来のリハビリってすごい限界までめいいっぱいやって、すごく辛くて、それを苦労して、努力して、みたいな感じなんです。けど、その先生がやっているリハビリは、どちらかと言うとそういうアプローチに近くて、できる状態を体験させるということを聞いたんですね。できている状態が認知できて、体験できると、実際にちょっとずつできるようになって来るという順番で、それにちょっと近いなと思って。
ドミニク
アフォーダンスという理論がありますよね。よくプロダクトデザインと参照されるんですけど。その環境の中に、情報の種みたいなのがたくさんあるわけですよね。それを、その環境の中にいる生命体が、人間でも動物でもいいんですけど、まさに発見して行くんですよね。例えば、これは角が危ないなと思って、頭をぶつけたら痛いだろうなと思って、ここを改善するとか。この棚の中、自分入れそうだなとか、そういうことを言語を介さずに。例えば光の情報だったら環境を通しての情報処理の中で、そういう意味を探索して近くするという、その直接知覚論と言うふうに訳されている話があるんですけども。
まさにリハビリにそういう姿勢がいいという話が通底している気がする。つまり僕たちって、今話したり息したり、歩いたり、手を動かしたりしているわけですけども、常に練習していると思うんですよ。それは多分、死ぬまでずっと練習し続けていて、だからある意味、常態的にリハビリをしているんじゃないかという(笑)。
緒方
してる。死ぬまで。
ドミニク
そのリハビリを阻害するものこそが、人間の自律性を阻害するものに他ならないんじゃないかなと思っていて。つまり過度に「こうしなさい。ああしなさい。」って言えば言うほど人間って、どんどん動きがカクカクして来るんですね。為末さんが以前、全然別の場所で話されている時にすごい面白かったのが、今回のアスリート展でもそういう展示があるんですけども、スポーツアスリートとはオノマトペをまさに使えて、体の動きのイメージをつかむと。だから、為末さんもおっしゃってたのが、陸上の走りの度に、「はい、次右足動かして。太もももっと跳ね上げて。」とか細かく言えば言うほど、どんどん走りが遅くなっていってしまう。だけど、「右足パーン、左足ドーン。」ってふうにやると、結構パフォーマンスが伸びるみたいな話があって。
緒方
もう1個、アナロジー・ラーニングと言う名称の作品があって、その擬態語、いわゆるオノマトペでやるというのと、アナロジーって例え話ですね。為末さんが言ってたハードルの場合は、ハードルの上に火の輪があって、それをくぐるように跳べみたいに言われたっていう話がありましたけど、なんかそういう火の輪くぐりはやったことないと思うんですけど、見たことあって、例え話の場合にも自分がやったり見たりした経験があることを言わないとダメで。為末さんには海外とかでもいろんな依頼が出ているんですが、海外だったら「障子を引くように。」というのは通じないとか、そういう文化的なこともあるし、子どもには分かるけど大人には分かんないとか。ただそれもやっぱり、1回体験していることだと...
ドミニク
分かりやすい?
緒方
分かりやすい。できるっていう。キャリブレーションが掛かったり、心が。
渡邊淳司
オノマトペは分かんないですよ。海外の人は。結構分かんないんですよ。
ドミニク
分かんないですよね。それ。
渡邊淳司
「ざらざら」って言ってもオノマトペ通じなかったりするんですけど、「ジグザグ」は通じるとか、ものによっては「ジグザグ」ってなんかこう体の動きで行けるものは、オノマトペがまあまあ通じるんですよ。だけど、「ざらざら」って言われた時に、感覚と音の関係と離れているやつになると「ざらざら」とか「さらさら」って言っても分かんなくなったりとか。
結局、さっき心臓の話が出ましたけども、フェイクができるって、逆にそれって共感するために必要なことなんですよ。同じ体を持っているから、相手のことが想像できるんですね。結局、ネズミに同じ心拍持って、すごい速いんですけど、ネズミが緊張してるかどうか分からないんですよ。やっぱり自分の心臓がこのくらいだから、それよりもすごい速いということは、もしかして科学的に緊張してるかもしれないとか、そういう想像力が働くんですよね。なので、そういうフェイクができるけど、それが元になってこそ人との間が共感できるとか、思いやりが生じるとか。だから、逆にそこに技術を介在させるんだったら、よっぽど透明性がないといけないとか。
ドミニク
そうなんですよね。だから、例えば食べ物の世界、食べ物の製品の世界でトレーサビリティってあるじゃないですか。その野菜とかは、どの国のどの場所から運ばれて来てとか、あとはその経路で使われているトラックとか船とかがどれだけ環境負荷を与えているかとか。フェアトレードとかでもフードトレーサビリティみたいのをしてると思うんですけども、そういうデータ版と言うか、情報のトレースアビリティみたいなもの。
だから、僕が例えば僕の子どもに僕の心音を聞かせたいと思った時に、僕はそれを記録することもできるし、時間がない時にはちょっと父親っぽい心音を生成するソフトウェアを起動して、それを子どもに与えたら子どもは騙されてしまうかもしれないけども。
渡邊淳司
それガッカリしません?
ドミニク
すげぇガッカリしますよね。多分、裏切られたと思うわけですよね。心臓ボックスも、例えば今回オーストラリアに行って、ロボティクス系の人に見せたら、「これって、人工的にこの心音作れるよね?」みたいなことを言われるんですけど、なんかそういうことを言われると結構「分かってねぇな。」って思うんですよね(笑)。なんかその「分かってねぇな。」っていうか、人間が人間とちゃんと技術を通しても向き合ってる、介在し合ってるという本当の価値って、自分はこだわる派なんですよね。それってなんなんだろうなっていう。
渡邊淳司
触覚って結局それがなんだかってあんまり分かんないんですよね。だからそれに対して、意味付けをしてあげる過程がやっぱり必要で、心臓ボックスだったら聴診器を胸に付けるという行為がすごい重要で。結局単純な触覚の関係と意味付けというのがあって、初めてそこにリアリティが生まれるわけです。
緒方
自分が付けてるけどフェイクってやつも分かんない?
渡邊淳司
そしたらもう分かんないと思いますよ。正直。
緒方
それはモダリティが慣れてないというか、単純にその触覚がよりその深い所に働き掛けるからフィードバックが掛かる、落ち着くということになったのかもしれないんですけど。単純に慣れていないので、すごく信じやすいというか(笑)。というところもあるのかな。数字よりもリアリティがあると言うか、本当っぽいと言うか。
ドミニク
新しいみたいな。
緒方
なんかそういうのもあるのかなと思いましたね。なんか「すごい回りくどいことをしてるな。」っていう感じはしたんですよ(笑)。ちょっと事前に話をした時も思ったんですけど、人間って無意識にいろんなことを、それこそアフォーダンス的なこともそうなんですけど、分かってるわけですよね。いちいち言語化してないけど、感じていることがあって、自覚してない。
単純にそれに従っていれば良い部分もすごく実はあるかもしれないんですけど、やっぱりすごく情報が溢れていたりすることもあって。だからそれよりも周りから来る情報に振り回されるようなところがある気がして、だからそれを乗り越えるために、1回更に自分の情報を外在化させて、それに勝るぐらいの情報としてもう1回取り入れるみたいなことを、それに従うみたいなことを。
ドミニク
何やってるんですかね。
緒方
そう(笑)。だからエネルギーのこういう表示を見て、納得して食べるみたいなことをわざわざやってるというか(笑)。
ドミニク
添加物はないのかとかね。
渡邊淳司
ちょっとなんでこんなものを出したかというと、今さっきトレーサビリティの話が出たじゃないですか。結局、僕らはこういうものを見て、「なるほど。これを食べると糖分、脂質が多いから太るんじゃないか。」とかそういうことに対して意識が向くと。実は無意識的に「なんかこれってやばそう。」とか思ってるかもしれないんですけど、それをもう1回ここで確認しているわけですよね。そうすると、「僕らはこういう状態だからこれを買おう」という行動が、これに対しての「賛成します。」というか、「これは自分にとってオッケーですよ。」というのが買うという行為になるわけですけど、そういうものがさっき出て来たウェルビーイングの成分表示みたいなものを技術に対して作るというのは、1個ありなんじゃないかなと思ったんですね。例えばゲームでもいいです。ゲームがとても没頭を促します、と。ただ、あんまりいい気分にはなりませんと。ただ、自己への気付きとか、人への意義は感じられるゲームですとか、そういう作り手の意図みたいなもの。
さっきのトレーサビリティみたいなものですけども、そういうものを技術とかにもたらすと、なんかもしかしたらもう少しユーザー側もそれに対してアグリーするみたいなことを、買うという行為でやる。つまりは投票行為みたいなものだとちょっと思ってて、物を買うということは。そういうことが、もう少し使う側の意識にも上らないかなと思ったりしています。
ドミニク
先ほど緒方さんが作品を見せてくれた時に話していた、日常の視点が少し変わるとかって、少し本質的な話だなと思っていて。結局これっていいものなのかどうかということを、自分で評価するためのボキャブラリーがないという話をさっき淳司さんはしてた。ボキャブラリーがないというのはどういうことかと言うと、解像度が低いという言い方を僕はするんですけども、なんかいいかもしれないし悪いかもしれないので、一かゼロじゃないですか。
でも、ボキャブラリーを持っていると、先ほどのPERMAで言ったら、5つの尺度で別々に評価できると。Aは高いけど、Pは低いみたいなね。だからそうすると5次元で評価ができるので、その解像が関わっていると。どれだけ細かくそれが正確に自分に作用するのかということが、ちゃんと見える状態になるということなのかなと思っていて。
緒方
成分表示にするには、ちょっと意味を含み過ぎているというか(笑)。なんかちょっと厳しいかなと思っちゃう気がしましたけど。だから、これに納得するようになるには、何が必要なんだろうなって考えていたんですけど(笑)。
ドミニク
そろそろJSTの話をした方がいいんじゃないですか?これを出すんだったら(笑)。
渡邊淳司
ちょっとだけもう1個言いたいことがというのは、これなんのために無理矢理こんな面倒臭いことをしてるのっていうのは、緒方さん思ったかもしれないんですけど。僕は、ウェルビーイングって意識にはないと思っているんですね。意識にはないってどういうことかと言うと、僕らが気付かないところでいろんなものをたくさん感じているわけですよね。その意識に上らない部分みたいなものを、1回意識化するということが大事なのかなと思っております。
実はなんか最初うだうだ3つぐらい上げたことって、僕は最も身近な他人としての無意識、身体とうまく付き合って行くことが、僕はウェルビーイングだと実は思ってるんですね。それを意識化することでさっきのことばを使っているだけで、すごい複雑なことを無意識君、もしくは身体はやっているわけですね。それを僕ら意識が、どうやってそれに対してうまく付き合うかみたいな方法を、手に心臓持ったりとか、オノマトペで書き出してみたりとか、こんなことをやりながら付き合っているような気がしていて。
ここで、ちょうどアスリート展の自分が出している展示を紹介したいというところもあったんですけど(笑)。いや、それがですね、名前が「無意識という最も身近な他人との対話」というものなんですけども。実はちょっと今話したアナロジーと言うか、関連していることで、僕らの体というのはたくさんのセンサーとか筋肉が動いていますと。ただそれは、意識に上らない所ですごい制御されていて、例えば、キーボード打つのにもたくさんの制御をしているわけですよね。それは、意識はほとんど気付かない。それを「見えるようにしてみよう。」と言ったのが、これなんですけども。
すごい細かいことはいいんですが。何をしているかと言うと、指を曲げるとオレンジの点がここに現れて、伸ばすと赤の点が現れて、何かに触ると青い点が現れて、どこか指の位置を決めると緑になるみたいな感じです。それを実際にキーボードを打っている時とかの様子を出すと、こんな感じでベロベロっとなんかいろんな光のパターンが現れる。つまり無意識はいろんなパターンを、意識せずに作っていると。これが、たくさんの処理が起きていますよということなんですね。
ただこれは、ほとんど意識に上りません。たくさんのことが起きているけど、我々はあんまり気付かない。そこには、気持ちいいことも気持ち悪いことも感じているし、実はすごい生き生きとした状態かもしれないし、すごい落ち込んでいるかもしれない。そういうことが全部起きているんですけども、それを意識に1回上らせてあげるということができたらいいなっていう。これは運動だけですけども、全体的にやっていることっていうのが、そういうことなんじゃないかなと思っていますという話でした。
それで、さっきこれを中田さんに見せたんですよ。内覧会に中田英寿さんが現れまして。その時に言われたのが、「え?これって練習じゃない?」って言われたんですね。つまり、自分の動きとかを練習する、つまり「意識化するって練習なんだ。」って言われたんですね。
緒方
まさに為末さんも同じことを言っていて、アスリートがやっていることというのは、そういう走るとか跳ぶとかっていう、誰でもできはできますよね。それを、1回意識化というのをする。要するに、ダンサーとかも多分そうだと思うんですけど、自分の思い通りに、完全にミリ単位で体が動く。そのために1回筋肉をどう動かすとかということもすごく一度意識化してトレーニングするんですけど、トレーニングを繰り返すことで、それがもう1回無意識にできる。
渡邊淳司
本番は絶対考えないって言ってましたね。その時は。
緒方
それぐらい練習を重ねて、初めてそういう意識化したものをもう1回無意識に。本番というのは、更にその無意識化したものが、意識せざるを得ない状況に置かれるわけですね。プレッシャーとか、1回しかないということとか。その状況でまたその無意識を保てるかみたいなことがあるんですけど。多分、まさにそれ。
渡邊淳司
そうです。だからある意味これ、ウェルビーイングの練習をしなきゃいけないという意味かもしれないっていう、ちょっと強引なまとめもあるかもしれないですけど。ただ、結局そういうふうに自分の気付かない所で起きていることに対して、ちょっと意識を向けてやって、それで新しいルールを作ってあげるというループを作ることが重要なことなんじゃないかなと思っております。というのと、あと僕のちょっと好きなことばがありますが、「Finite and Infinite Games」ということばがあって、James Carseという神学者の人が言っているやつで、「有限なゲームは境界の中でゲームをします」。世の中には2つしかゲームがなくて、1つはルールの中でゲームをするものです。例えばサッカーもそうですし、目的は勝つ、そのゴールもそうですと。一方で、無限のゲームをする人は、境界と共にゲームをしますと。つまり、境界を自分で変えて行きながら時間を進めて行くと。「生きて行くってそういうことですよね。」みたいなことが言われていると。
つまり、自分にとっての普段気付かないような無意識君に対して、それを気付いたりしながら、もう1回ルール作りをしながら、どんどん自分の境界みたいなものを変えて行くことが、生きて行くことなのかしら、みたいなことを。これと、さっきの無意識の話とウェルビーイングは、なんか僕の中では結びついているんですよね。
あれも紹介しないといけないですね。
緒方
今、9時45分。
渡邊淳司
はい。すいません。すいません。ちょっとこの辺お願いしていいですか?(笑)
ドミニク
はい(笑)。実は、この本の翻訳をやっている間に、昨年の11月にJST、文科省の中の科学技術振興機構さんの「人と情報のエコシステム」という新しい研究領域が立ち上がりまして、これは人と情報がまさに馴染み合うということを、そろそろ本気で日本もやらねばなるまいということで、プロジェクトの採択を行っていたところ、我々はこの本を翻訳しながら、実はもうちょっと違うそのウェルビーイングのアプローチがあるんじゃないかって、まさに今ここでして来た話があるんですね。それを日本から定義して行かないとおかしいんじゃないかということを実は考えまして、それでちょっと挑発的なタイトルではあるんですけども、「日本的ウェルビーイングを促進する情報技術のためのガイドラインの設計と普及」ということを、今後3年間やりなさいということを言われました。
非常におもしろいチームメンバーでやっていまして、この技術を作りながら、どうやってまさに意識から無意識にウェルビーイングを染み込ませて行くようなものの作り方をガイドライン化できるかということをやるチームは左側で。僕と淳司さんと、大阪大学のアンドウさんと、平等院のカミイ住職という仏教の専門家でございます。右側が、そこで出て来た技術だったり考え方というのを、コミュニティの中でワークショップなどを通して3年間、ITの非専門家の方たちも交えてそれをどう評価するかという、作られたものを評価するという。その観点からも、そのガイドラインというのを作って行って、実走と評価というもののガイドラインというのをグルグル回して、「日本だったらもっとこっちの方がリアルだよね。」とか、「ちょっとこのポジティブ・サイコロジーって、ちょっと意識に寄り過ぎているよね。」とか、そういったものをもうどんどん出し合って行きながら、さっきの成分表よりももうちょっと自然なものを作って行きたいなということを、実は考えております。
一応、右側をもうちょっと説明しますと、港区の芝に「芝の家」と言う目的のない地域コミュニティのスペースがありまして、誰でも特に目的がなくてもそこにふらっと立ち寄れるという素晴らしいスペースがもう8年以上そこで運営をされていて、実は明日もそこでワークショップを行ったりするんですけども。
緒方
狙ってそういう機能の話を。
ドミニク
社会のアジール的な感じですかね。
緒方
別に用がなくても。
ドミニク
結構その無目的というのは、さっきのInfinite Gameの話と交互すると思っていて、あまりにも、例えばウェルビーイングの話も気を付けないと、すごく目的化してないんですよね。「ウェルビーイングを高めないとダメなんだ!」って言った瞬間、非ウェルビーイング的だし、転じかねないので。そういった疑問をどんどん僕ら消化して行こうかなと。それをちゃんと既存の法制度の観点からもちゃんと議論しようということで、そのイケガヤさんとミズノさんという法律の専門家にも入っていただいております。あとヤスダノボルさんという、非常にITの造詣の深い能楽師の先生も入っていただいています。
だから日本型という冠が付いていますけど、これをさっきの無意識型と呼ぶのか、ちょっと3年間やってみてどうなるかというところなんですけれども。ちょっと今後いろんな場でこの活動をやって行きたいと思うので、ぜひこれからもご注目いただければと思います。という感じで大丈夫ですか?(笑)
緒方さんにちょっと総評というか、「ここ大丈夫なの?」とかでもいいですし、「この部分頑張って。」とかっていう応援でもいいですけども。
緒方
今日話をしながら、ちょっと最終的にはやっぱそこの無意識っていうところがすごい大きなキーポイントになるのかなと思っていて、それをいわゆるアスリート的なトレーニング的な感じで、1回意識化するなり記憶するなりすることで、最終的にはそれはなくてもいい状態になるのかもしれない、リハビリ的な考えでいうと。ということもあるし、もう1つ無意識のままそういうことをせずにいられる状況とか環境を、外に作るみたいなアプローチもあるのかなと思ったんですね。
ドミニク
それはどういうイメージですか?
緒方
それは為末さんの話なんですけど、ダイエットをするのに一番いい方法は冷蔵庫を持たないとか、コンビニから遠い所に住むとかいう話をしていて、それって別に成分表を見て買うか買わないか決める以前に、「どうも面倒臭いよね。」ってなるっていうことを、そういう状況を、シチュエーションを作ることで、達成しているみたいなところがあるのかなと思ってて。
ドミニク
環境を変えてしまうというやり方ですよね?
緒方
そうですね。だから、そういうアプローチもあるのかなと思ったりしたんですけど。
渡邊淳司
むしろ建築をやられている方とかそういう方とかも、なんかすごい関係することかなと思います。
ドミニク
本当そうなんですよね。ありとあらゆるクリエイティブが介在する領域って、コミュニケーションじゃないですか。つまりある意図を誰かに伝えようという時に、そこにはもう既に自律性への配慮であるとか、もしくは自律性を操作し合うとか、いろんなウェルビーイングに関わる要素が実は入り込んでいるんですよね。だから、この話というのは、考えようと思ったら結構すごく広いところで考えられると思っていて。ただ、それを全部やっていると、多分3年じゃ終わらないので、我々はその情報技術というところにフォーカスをして、それでもかなり広いんですけどね。このスマホのアプリだって情報技術ですし、webサイトだってそうだし、webのバナー広告だってそうだし、それに心臓ボックスのようなデバイスというものもそうだし。
だから、その情報技術というのは、今ちょっと情報過多であったり、意味を過多に生成し過ぎているという話というのは、かなり一般的にはなって来ているので、そこを皮切りにと言うか、足掛かりにして、まさにもうちょっと無意識を受容できるような情報環境というものをどう作れるのかという話をして行くつもりなんですけど。
何か質問とかありました?
参加者
この日本的ウェルビーイングを考えるメンバーについてなんですけど、心理学者はなんでいないのかなって。つまり、心理学って元々やはりアメリカ生まれのものなので、それを日本に応用して行く時にいろいろ議論があると思うんですけど、ここで敢えて外されているという理由をちょっと知りたいなと思いました。
渡邊淳司
敢えて外しているという意図はあまり実はない部分もありますし、認知科学的なという、あと実はこれ我々だけではなくて、違うグループもいくつか同時にある大きいチームという。このグループがあと3つか4つぐらいあって、そちらにはお医者さんだったりとか心理学者の方もいらっしゃるので、その間で一緒にやって行くような形にはなると言っています。
参加者
分かりました。ありがとうございます。
ドミニク
今の淳司さんが言ったことに付け加えなんですけども、やっぱりおっしゃったようにすごく西洋的な定義で人間の心っていうのを扱うっていった時に、例えば日本の古典文学とか伝統芸能の中での人間像の描写の仕方というのをいろいろ紐解いていくと、全然近代人と違うような描写というのがすごく散見できるんですね。能楽師のヤスダ先生とかカミイ住職のお話の中にもそういうものがすごく含まれているんですが、それが近代の科学の議論の俎上に上がっていないというのも、もうちょっとなんとかできるんじゃないかということも、実は考えていたりもします。
参加者
ありがとうございました。
参加者
すごいまとまっていない質問なんですけど、テクノロジーとか情報とか言われると、善行物みたいなイメージがすごいあって、このウェルビーイングって、今の話を聞くとAutonomyとか補助的なデバイス、自分の視点を新しい視点を与えたりとか、世界を別の眼差しで見れるよみたいのが主だったんですけど、この話を聞く前は、例えばアートはどんなに頑張っても自然の美しさを超えられないとか言われるんですけど、テクノロジーではネイチャーを普通に生きている人間の生活を超えられる何か幸せがあるのか、それとも現代社会のいろんな問題があるから、できないものを補助的にテクノロジーで補ってあげようとか、情報とかで補ってあげようというものなのか、ゴールとしては結局、自然回帰と都市とか、技術とかあった時に、どういう感覚を持っているのかなっていうのをすごい、ちょっとすごいまとまってないんですけど。
ドミニク
いえいえ。すごい重要な質問ですよね。例えば、ヤスダさんともよく僕は話すんですけれども、こうやってことばを使ってるじゃないですか。自然言語って。これ自体が実は人工技術なんですよね。生命の観点から言うとね。だから、そうやって考えると、よくヤスダさんとも最近話すのは、人類が最初に直面したシンギュラリティというのは、自然言語の獲得だったんじゃないかっていう話をしていて。それはどういう意味かと言うと、自然言語を獲得することによって、まさに意識っていう僕たちがいま呼びならしているものをインストールしてしまったんですよね。でも、そのことによっていろんな恩恵はあった。つまり、未来と過去というのを時制を区別して、計画することができて、過去を振り返ることができると。それと同時に、非常に厄介な副作用を手に入れてしまって、それは何かって、未来に対する不安と過去に対する後悔というの。それをうまく付き合って来て、人間は変わって来たと考えると、今僕たちはスマホだとかAIとかで意識が変わるって言ってるんですけど、それは間違いなく変わってると思っていて。人間ってすごいおもしろい生き物で、自分が作ったものにめちゃくちゃ影響されてどんどん変わって行ってるんですよね(笑)。
それは最初の方で緒方さんもチラッと言ってたと思うんですけども。だから、今の僕たちの価値観が、30年後には逆に「なんて古臭いんだ。あいつらは。」って思われる可能性が全然あるんですよね。でもなんかそういうものを通り越して、その機械とか情報技術というものが、人間のAutonomyを本当に深い所までえぐれて来ちゃっているというところの議論というのが、欧米は結構活発なんですよね。それに対抗して、例えばテスラモーターのイーロンマスクさんみたいな超大富豪が、「10億円出すから、AIの人類に対するリスクを研究してくれ。」って助成金を出したりとかしてるんですよね。
でも、そこで出て来るソリューションというのは、今日ここで話したような、もっと無意識に価値というものを染み込ませた方が、自然なんじゃないかという感覚って、僕は西洋と東洋の両方の教育を受けて来たんですけども、非常に東洋的な発想だと思うんですね。僕は結構それが好きで、そっちのがリアリティがあると思ってるんですよね。だから、全てを意識化して言語化して定義してやるという方法以外にもあるんじゃないかということを考えています。
参加者
ありがとうございます。
渡邊淳司
関連してナイーブな質問をすると、「技術と自然ってそんなに違うものですかね?」っていう質問もできますと。人と人の社会とまたちょっと違うところで、それなりなシステムとして、広まったり、絶滅したり、そういうことが起きていると。その中で人間というものをうまく使って種を蒔かせたりとか、蒔かせたりという言い方をするのは、自然側の1つのシステムから考えると人間は環境ってなるし、技術というものももしかしたら、技術はあるい種人間が作っているように見えますけど、もしかしたらいろんな技術があって、それを人間を使って新しい技術がどんどん生まれて行くような一種の体系だというふうな捉え方もできますと。そういう見方をすると、技術とか自然を僕らが制御するんじゃなくて、どう一緒に付き合って行くかっていう視点になるんじゃないかなと僕は思います。
緒方
僕も同じような感じで思って、やっぱり今無意識にそれこそ受け入れているものも、その生まれた当時にものすごい技術だったはずで、言語もそうだし、アートのようなPerspectiveとかっていう、できた時はすごいイリュージョン。写真もそうだし。だからそういうものは、今振り返るともう分かんないですよね。その時の、その当時の人たちの違和感とか分からないので、今そういうふうに違和感を感じているものも、この先それはもう自然の一部みたい感じに感じられるかもしれないし、そこはそんなに分けて考えなくてもいいのかなという気はします。
あとアートっていうことばが出たので、アートがこのウェルビーイングとどう関係するのかなというのはちょっと気になっていて。あんまり書かれていないというか、テクノロジーが軸になっているからだと思うんですけど。アートってやっぱりその逆に人を不安にさせたりとか、そういう作用もあるじゃないですか。だからそことか、あとちょうどこの本と同時ぐらいに出たクボタ先生の「遥かなる他者のためのデザイン」ですね。
渡邊淳司
クボタアキヒロ先生ですね。
ドミニク
多摩美の。
緒方
とかは、もう脱人間みたいな、ポストヒューマンみたいなことを言い出して(笑)。これはある意味、ヒューマンセンターだと思うんすけど、なんかそういうのをすごく対照的にはおもしろいなと。ちょうど同時に両方を読んでいたので、おもしろいなと思ったり。それはちょっと全然答えはないんですけど。
ドミニク
そうですね。この間も別の場所でものすごくおいしい、凝った懐石料理も僕は好きですけど、マクドナルドのポテトフライもすごい好きなんですよね。だから、ポストヒューマンになりたいというドキドキ感も好きだし、でも今のこの自分の2017年現在のローテクな身体というのもすごい好きなんですよね(笑)。
どっちだけかということじゃなくて、多分ハイブリッドしながらしか進んで行けないし、変わって行けないのかとは思うので。自然回帰っていったところも、1千年前の人からしてみたら、僕の言っている自然なんて人工的過ぎるかもしれないわけですよね。それはだから千年後に対しても、逆の視点で同じことが言えるっていう。だから、そういう意味で、例えば千年後にも通用するこのウェルビーイングのガイドラインというのを作れたら、僕たち最強だなと思うわけですけど(笑)。それは一体なんなんだろうっていうことはすごく議論に値するんじゃないかなと思います。
渡邊淳司
そろそろ時間ですかね。今日は「ウェルビーイングの未来をどうつくるか」ということで、ここで答えが出るような話ではないんですけれども、今後とも皆さまとご一緒に技術とウェルビーイング、その関係を考えて行けたらなと思っています。今日は最後にどうもありがとうございました。
ドミニク
ありがとうございます。緒方さん、ありがとうございました。
渡邊淳司
ありがとうございます。