韓国伝統音楽に関わり、奄美・沖縄の民謡に親しんできた私が疑問に思うことがあります。韓国の伝統音楽には三拍子が多く、二拍子、四拍子も一拍を三つに分けて打つ、いわゆる三分拍なので、演奏の仕方によっては皆三拍子に聞こえてしまうくらいなのに、なぜ日本には三拍子の民謡がないのか?

昔、サムノリの創始者・ド氏が文化講演に来たとき、興味深い話をしました。「日本の伝統音楽に三拍子はないことはないのだが、ただ気づかずにいるのだ。」ちゅう話でした。え?日本の民謡にも三拍子が?? 寝耳に水の説に驚き、それ以来ずっと気になって、三拍子にアンテナを張るごとなりました^^。

三拍子ではないけど、三連符で演奏される民謡が北と南にあります。

           道節(奄美) 川本栄昇
どこかで聞いたような感じがするかも知れません。津軽三味線と似ちょりますね。

三連符は三連符を一拍と数えるので、二拍子系統になり、三拍子ではありません。どこかに三拍子はないものかと探しよるうちに、隣県熊本の五木の子守唄」が三拍子かも知れんことに気が付きました。


これは三拍子ですね。日本民謡中の例外ちゅうてもいいと思います。弱拍で始まるので変則的ですが、主要な部分は三拍子です。以前のブログに書いたことがありますので、もう一度引用してみましょう。
五木の子守唄
    2             3             1                 2              3               1            2         
   
    
どー
   ま
盆ぎり
ぼー
 んぎり 
盆から
さー
   きゃ
おらん
どー
     
    ぼ
3             1                2                3          

調べるうちに秀吉の朝鮮侵略、文禄慶長戦争で連行してきた朝鮮人と関連付ける説があることが分かりました。「おどま勧進々」ちゅう歌詞がありますが、 これを韓人 とし、三拍子もそれに由来すると考えるものです。

熊本城の西南直下に 「蔚山町」があります。ほぼ韓国語の発音通りに「うるさん」と読まれることから分かるように、加藤清正を始め日本軍が蔚山城に籠城したとき連行してきた朝鮮の民衆を住まわせた所でした。
  蔚山町電停の辺り
イメージ 1確かに魅力的な説ではあるのですが、数十キロ離れた五木村とどうつながるのかハッキリしませんし、勧進は「くゎんじん」なので発音が違うなど、この説には難点があります。
 五木の子守歌にはよく知られた歌謡曲調のものの他に、村々で唄いつがれてきた正調とされるものがあります。


イメージ 2正調とされるものも村内の場所によって違いがあるらしいのですが、共通するのは自由に音が伸び縮みするリズムのない唄ちゅう点です。一口に「五木の子守唄」ちゅうても地域や時代によって多様やったことが分かります。

それでは私たちの知る「五木の子守唄」の起源はどこにあるのでしょうか?
今から80数年前に人吉の田辺ちゅう小学校教師が調査をし、五線譜に採譜したのですが、それによると五木村では二拍子で、隣接する人吉で三拍子やったそうです。二拍子で唄われるものを聞いてください。


いかがですか?三拍子で唄われる山口淑子さんのものと、そんなに違う感じには聞こえませんね。三拍子そのものが変則的な三拍子ですし、、。
人によって間の取り方は違いますが、二拍子系の唄は「おどま」の三拍を先に打ち、「盆切り」の「ぼん」を第一拍と数えると、六拍のまとまりになることが分かります。

― 
から
きゃ
らん

もっと詳しく見ると、その六拍は 二拍 + 四拍の 構造になっちょるのです。
その二拍を単位として一つに数えれば、六拍は三拍になってしまいます。

イメージ 3

歌詞の構造が六拍を基本とした関係で五木村では二拍子、南隣の人吉では三拍子で唄われてきたわけです。

人吉は盆地ですが、球磨川によって天草の海と結ばれちょります。
実はこの天草こそが、本土と奄美・沖縄の音楽をつなぐ要石なのです。奄美、沖縄はおろか遠く八重山まで伝わった六調はその証明です。
人吉には川を遡って天草の音楽文化が伝わったと推察します。

では、なぜ日本本土の南端に近い天草に多様な音楽、リズムがあるのか、それがどうして三拍子に結びつくのか、
次回は奄美・沖縄の民謡を探りながら、考えてみましょう。