英語の発話における単語間の音のつながり、特に語末子音+語頭母音のつながりについて、日本では用語に混乱が見られる。英語教育の世界(の一部)で、これを「リエゾン(liaison)」と呼ぶことが行われている。実はこれは日本ローカルの用法であり、英語文献でこの言い方を使っているものはほとんどない。僕がこの言い方を初めて聞いたのは高校時代、NHKラジオの「英語会話」で東後勝明先生が言っていた例だと記憶しているが、もちろん東後先生のオリジナルではなく、それ以前から使われていたのだろう。
リエゾンはフランス語の音声現象で、母音で終わる語に母音で始まる語が続いた時に間に子音が挿入されるというものである。例を挙げると、mes [me] + amis [ami] → mes amis [mezami] 「私の友達」のようなパターンである。
一方、元々語末に子音がある単語に母音で始まる単語が続いたときは、「アンシェヌマン(enchaînement)」が起こり、語末の子音が後続音節(つまり後の単語の最初の音節)に所属を変える(sept [set] + amis [ami] → [se ta mi])。音節の所属が変わるからこそ、この現象に名前がついている。なお、リエゾンでも挿入された子音は後の音節に属する。
英語にもフランス語のリエゾンに相当する現象はある。標準的な英音など「母音の後のr」を発音しない(non-rhotic)変種で起こる linking r と intrusive r がこれに相当する。
number /ˈnʌmbə/ + eight /ˈeɪt/ → number eight /ˈnʌmbərˈeɪt/ (linking r) law /ˈlɔː/ + and /ənd/ + order /ˈɔːdə/ → law and order /ˈlɔːrəndˈɔːdə/ (intrusive r)
改めて説明する必要はないかも知れないが、linking r ではつづり字にrがあり、intrusive rではrがない。しかし音声現象としては同じもので、書きことばを学ぶ前には(あるいは学んだ後でも)、発音だけから letter 母音と comma 母音、あるいは force 母音と thought 母音を区別することができないために、一律に /r/ が挿入されるのである。いずれにせよ、語末母音+語頭母音で起こる現象であり、ただの子音+母音の連結をリエゾンと呼ぶことはない。Collins, Mees & Carley (2019) Practical English Phonetics and Phonology は、英語文献で英語に関して liaison という用語を使っている数少ない本だが、あくまでも、linking r と intrusive r に限って使っている。
なお、僕の限られた経験だが、日本で英語母語話者のナレーターを使ってレコーディングをしたとき、単語間を同化させて(/t/ + /j/ → /tʃ/ など)発音して欲しい時に「リエゾンしてください」とスタジオのエンジニアが(英語で)言うのを聞いたことがある。それでナレーターは特に疑問を呈することなしに求める発音をしてくれたので、「リエゾン」は、日本在住の英語母語話者ナレーターの世界でも一定程度浸透している言い方のようだ。同化させて欲しい場合の話なので、これはこれで、語末子音と語頭母音の連結という、日本の英語教育界でのローカル用法ともずれている。もしかしたら、使われているうちに意味の拡大が起きたのかも知れない。
英語では単語間で分節音がつながることがあまりにも当たり前なため、単語間の音連続は同化が起こる場合を除いてはあまり注目されず用語が十分整備されなかったという面はあるかもしれない。一方、日本の英語学習者は書かれた単語の間のスペースに惑わされて一語一語切りながら発音しがちなため、英語を教えるときには、つなげて発音することを明示的に指導したい。それにはそのための用語が欲しいという必要に迫られてフランス語から用語を借りてきたということなのかも知れない。
なお、英語の語末子音+語頭母音の連続を、むしろフランス語のアンシェヌマンに相当するとする言説も存在する。Wikipediaのリエゾンの項には、現状(2022年5月27日)、英音の linking r と intrusive r がリエゾンに相当すると説明した後に、「一方、アメリカ英語では、単語末の r を発音するため、類似の現象はアンシェヌマンに相当する」という記述が入っている。しかし、これも誤りである。英語の語末子音+語頭母音の連続は、フランス語のリエゾンともアンシェヌマンとも違う。
上記のように、アンシェヌマンでは語末子音が次の語の最初の母音の音節に移ってしまう。しかし英語では、あくまでも語末子音は語末(つまり前の音節)にとどまり、語境界を越えて音節の所属が変わることはない。たとえば ˈtake ˈoff のような語連続を考えてみよう。仮に take の語末の /k/ がアンシェヌマンにより off の冒頭音節に移ったとすると、/k/ は第1アクセントを持つ音節の冒頭にあることになり、帯気音となるはずである。しかし実際には、この環境で /t/ は帯気音にならず、これは /k/ が前の音節にとどまっていることを示唆する。
あるいは、ˈstraight ˈout(率直に)という語連続では、米音で straight の末尾の /t/ がたたき音となることが多い。もしも out の方に所属を移しているのなら、やはり帯気音になるはずだが、ならないのである。/t/ のたたき音化は母音間の /t/ が音節の末尾にある場合に起こると一般化して記述されている。単語の中では、これは後続が弱母音の場合(butter /ˈbʌtɚ/ など)であり、後が強母音の場合(imitate /ˈɪməˌteɪt/ など)には /t/ は後の音節に所属し、たたき音化は起こらない。しかし /t/ の後に語境界があると、後続が強母音であっても /t/ は語末音節にとどまり、これはたたき音化が起こる条件を満たすのである。
つまり、英語において語境界は音韻的に意味がある。そのためアメリカ構造主義言語学の時代には internal open juncture(内部開放連接) という用語が提唱された。その用語体系では、語境界で分節音をつなげずに切れ目を入れると external open juncture(外部開放連接)、単語内での分節音のつながりは close juncture(閉鎖連接) と呼ばれる。
この用語体系は、単語の中と外を close/open、発音上の切れ目の有無を external/internal で表しているのがとても分かりにくい。何故逆にして単語の中と外を internal/external、切れ目の有無を open/close にしなかったのか理解に苦しむ。
それが理由というわけではないだろうが、現在の音韻論では「連接(juncture)」が語られることはなくなっており、音韻論の文献の索引にもエントリーはない。これは、音声を全て音素の一次元的な連鎖として扱っていた時代に、様々な音声現象・音韻過程を説明するために、それ自体には発音の実体のない「音素」として考案されたものであり、現在は音声をnon-linearな階層構造で考えるのが当たり前になったことで、不要になったのである。
英語の語末子音+語頭母音をつなげて発音する現象に何か名前をつけるのなら、恐らくは「リンキング(linking)」が最も適当だろう。これを表す専門用語は存在しないので、一般語的な表現の方がむしろ適切である。和訳して「連結」と言ってもいいが、恐らくは横文字の方が英語教育の世界では好まれるのではないかと思う。
但し、一つ難点がある。non-rhotic方言の linking r の存在である。この現象では、単語は確かにつながって(linkして)いるものの、音は子音+母音のlinkではないのに、このような言い方になっているのである。つまり、linking r は、その名称にもかかわらず「リンキング」ではない、と言わなければならない。歴史的に存在したが現在は脱落しつづり字にだけ残っているrが発音されているという意味では、このrは「復活」しているのだから、たとえば revived rとでも呼ぶ方が名が体を表すし、それこそ「rリエゾン」とでも言ってもらえばいいのかもしれないが、このように普及している言い方を変えるのはまず不可能である。そのあたりの用語の重なりには目をつぶってもらうしかないのかもしれない。(米音を扱う限りは、linking/intrusive r は存在しないので問題はない。)