「それではこれから森の中へ入っていきます。今日は皆さんがいるのでいつもより森の深部へいこうと思いますが、安全を最優先して行動するつもりです。皆さん準備はよろしいですね?」
ンフィーレアはそう言って各人の顔を見回した。
彼の背には、薬草採取用の大きな籠が背負われている。
『漆黒の剣』……それからモモンガは勿論だと言わんばかりに頷いた。
そう、ンフィーレアのエ・ランテルからカルネ村までの護衛は依頼内容の一端に過ぎない。むしろ本題はここからだ。モンスターの棲息するトブの大森林に足を踏み入れ、そこでしか自生していない薬草の採取が目的だ。
……とはいえある程度薬草がある場所はンフィーレアが知っているし、彼は冒険者を雇って何度も訪れたことがある為、そこまで気負う様な仕事でもない。高位冒険者でしか対応できないモンスターも中にはいるが、そこまでの深部まではいかない予定なので、出くわすこともそうないだろう。
「それでは出発であるな!」
一行を代表するように、ダインが意気揚々と言った。
「頼りにしていますよダインさん」
モモンガがそう言うと、ダインは力強いサムズアップでそれに応えた。
「勿論である!」
「なあモモンちゃん……俺も頼りにされたいなー、なんて思っているんだけど」
「勿論ルクルットさんも頼りにしていますよ。探知系をお任せする為に『漆黒の剣』に同行いただいているんですし」
「よっしゃ! モモンちゃんの頼りにしてる発言いただきました! つまり結婚を前提に──」
「お付き合いしません」
「たっはー! 恋の道は険しいものほどなんとやら!」
ルクルットは平常運転だ。
その後ろでペテルとニニャが額を抑えて溜息を吐いている。
そんな漫才的なやりとりもありつつ、一行は森へと足を踏み入れた。
──数刻の時が経った。
途中何度かゴブリンと出くわしたが、戦闘の結果がどうだったかというのは愚問だろう。薬草が群生している場所へは滞りなく到達し、採取の方も恙なく進行している。ンフィーレアの籠も既に八割強、薬草が入っている。彼曰く、今日は大漁らしい。敵の探知に優れているルクルットとニニャが周りを警戒し、ペテルとダインはンフィーレアの採取を手伝っている。最高戦力者のモモンガはいつでも戦闘に移行できるよう、待機の状態を取っていた。待機とは聞こえはいいが、つまり彼は敵がこなければやることがないプーということだ。
(……暇だな)
足場の悪い森の探索は普通疲れるものだろうが、アンデッドの特性が効いている為に一切疲労を感じていない。モモンガにはもしもの時の為に体を休めておいて欲しいというのが『漆黒の剣』の狙いだが、正直そんな気遣いは彼にとっては不要だ。
腕を組み、大木に背を預けて、モモンガは兜の中で欠伸を噛み殺している。
こんなとき、何か面白い事でも起こればよいのだが──
「誰だ!」
──願いは、意外とすぐに聞き届けられた。
ルクルットの鋭い声が、森を裂いた。
いつもの調子の良い声音ではない。予断を許さない硬さを帯びた声だった。
(モンスターか?)
モモンガもやや警戒した素振りを見せるが、その内心は呑気なものだった。
弓に矢を番るルクルットを見た『漆黒の剣』は先程までの温和な雰囲気を顰め、各々が武器を構えた。その一連の動作が、チームの目と耳であるルクルットへの信頼の厚さが窺える。
敵の気配。
モモンガは組んでいた腕を解き、グレートソードの柄に手を伸ばした。
「やべぇ。ここまで近づかれるまで気配を察知できなかった」
「僕の『
ルクルットとニニャが視線を交わらせる。
こちらを窺っている何者かは想像以上に近くにいるらしい。
互いに危険を予期し、彼らは全員に警戒を促した。二人の警戒網を突破できる強者とあれば、相当な難度のモンスターに違いない。
「……もしかして森の賢王ですか?」
モモンガは言いながら、グレートソードを緩く構えた。森の賢王とはこの周囲一帯を縄張りとする、数百年の時を生きる伝説の魔獣のことだ。白銀の毛皮と蛇の尾を持つと言われるが、見た者は誰も生きて帰ってこれないらしく、その見目の情報は定かではない。これはカルネ村にくる道中にモモンガが『漆黒の剣』から教わった知識だ。
ルクルットは顰めた声で、モモンガに返す。
「……いや、分からねぇ。分からねぇが、万が一そういう可能性もある。森の賢王は魔法も使えるって噂だぜ」
「そうですか……それは、楽しみですね」
伝説の魔獣をして楽しみだと言い張るモモンガの豪胆さに、ルクルットは小さくマジかよと零した。それは彼に限ったことではない。呆気に取られる『漆黒の剣』を尻目に、モモンガは期待に頬を緩ませた。ユグドラシルに存在しない魔獣なら是非とも拝んでみたいというのと、そんな大魔獣を撃退したとあらば冒険者組合でも高く評価されるだろうという思惑があるからだ。
腰を落とし、盾を構え、臨戦態勢を取るモモンガの隙のない威風にペテルは感嘆の息を漏らした。
「モモンさん……あなたは、なんという……」
「ペテルさん。万が一姿を現したのが森の賢王であったなら、ンフィーレアさんを連れて『漆黒の剣』全員で退却してください。森の賢王を相手取ることは厭わないですが、護衛対象を気にしながらの戦闘ではどうなるか分かりませんからね」
「……分かりました」
ペテルが他の面々に視線を配ると、彼らは承知したと言わんばかりに深く頷いた。悔しいが、自分達がモモンと一緒にいたとしても足手纏いになることが分かっているからだ。それにモモンなら森の賢王と対峙しても或いは……という信頼もある。
「モモンさん」
「なんでしょう、ンフィーレアさん」
「もし森の賢王が相手だった場合、殺すのは控えていただけますか?」
「……というと?」
「森の賢王がいなくなることで森のバランスが崩れた場合、カルネ村に危険が及ぶかもしれません。それはできる限り避けたいんです」
「……善処しましょう」
死闘の最中に相手の命を気遣う余裕など一切ない。ンフィーレアの提案に『漆黒の剣』は異を唱えようとしたが、モモンガの有無を言わさぬ気配に口を噤む。
モモンガはンフィーレアの提案を飲み込むと腰をグッと落とし、グレートソードを中段に構えた。睨むは未だ見ぬモンスターの気配。彼はよく通るソプラノの声を発した。
「そこで隠れている者! 姿を現しなさい!」
モモンガの声の後に、僅かに静寂の間が置かれる。
……反応はなし。ならばこちらから討ってでようかと、彼がペテルに目配せしようとしたそのとき──
「これは……」
──思いのほか小さな影が、彼らの前に現れた。
姿を現したのは、木の幹の様な肌をしている少女だった。頭部には深緑のしょくぶつのような髪が生えており、一見して一般的な人間とはかけ離れている姿をしている。彼女は恐る恐ると草葉の影から身を現すと、きょろりと目を動かしてモモンガ達を見回した。
「あのー……君達は、人間? だよね……?」
森妖精ドライアード。
彼女は小動物の様にびくびくとしながら、モモンガに声を掛けた。