新庄徳洲会病院

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掲載日付:2022.04.22

Vol.245 同調圧力という名の強制力

 快晴の休日に桜満開の霞城公園を訪れた際に、見かけた数百人中の99%以上がマスクを着用していました。「マスク着用のお願い」の看板もあるので当然かもしれませんが、山形市民は真面目すぎる気がします。今の季節には、花粉症以外の人が屋外でマクスをつける必要はほとんどないと思います。2年前には欧米の厳しい検査体制を見習えという声が大きかったのに、今はマスクなしの生活をしている欧米を真似ようという意見はほとんどありません。

 ある作家が日本人の国民性を、「動き出すのは遅いが、いったん動き出すと止まらない」と評していました。これまで自粛と人流抑制と感染の囲い込みのために多くの試みがなされてきました。少し有効なものはあったかもしれませんが、結局今回の感染症は人智の及ばないものだったような気がします。あるノーベル賞受賞者は「人類はこれまでウイルスとの戦いに勝利してきたのだから、今回も勝利できる」と発言していましたが、今回も共存するしかなかったのではないでしょうか。無症状者が90%以上の上海で、ゼロコロナを目指して信じられないような厳しいロックダウンをしている国は例外としても、ウイルスとの戦争に勝利することやゼロコロナを目指すことが無意味であることに、多くの人は同意するようになったのではないでしょうか。

 声高に叫んでいた専門家やメディアは、これまで講じてきた対策の利益と不利益を比較して、今後はどうすべきなのかを議論すべきです。利益がないものはもちろん、あったとしても不利益のほうが上回りそうなものは、とりあえず止めてみてはどうでしょうか。手始めとして最適なのは、子供や若者が感染予防のために運動中のマスクを禁止することです。ところが先日山梨県知事は記者会見で、感染拡大を防ぐために運動中もマスクを着用するように要請していました。オミクロン変異した新型コロナは、重症化率や死亡率は季節性インフルエンザと同等と考えてよいレベルになりました。しかも、若年者にとっては明らかにインフルエンザ以下の被害しか出ていません。このような状況で運動中の子供にマスクを強いるのは、正気の沙汰とは思えません。文部省でさえ運動時には酸素欠乏になる危険性があるので着用すべきでないと指導しています。次には、すべての国民に対して原則として屋外でマスクを着用する必要がないことを告知すべきです。さらには、空気感染を国も認めたのだから、換気を妨害するアクリル板やビニールカーテンも害に勝る益はないでしょう。アルコール消毒でさえ、医療従事者以外は必要性は低いと思います。

 我が国の政策はほとんど命令ではなく要請で、欧米の民主主義国と比べても法的な強制力はありません。その代わりに、同調圧力という名の武器によって、国民の行動をコントロールしてきました。本来は各自が考えて、マスクは着けるべき時につければよいのですが、同調圧力に弱い国民性が邪魔をするのであれば、首相や分科会の会長が「このようなとき以外はつけなくてもよいです」と言うしかなさそうです。ところが政治家は次の選挙が、首相は内閣支持率が一番気になるので、それを損なう可能性があることは決断できないようです。「沈没船のジョーク」にも我々の国民性は取り上げられています。沈没しかかった豪華客船で、乗客の数だけ脱出ボートがないときに、船長が各国の人に海に飛び込ませるために放った言葉で国民性を表すジョークです。それによると、アメリカ人には「飛び込めばヒーローになれますよ」、イタリア人には「海で美女が泳いでいますよ」、イギリス人には「紳士はこういう時に海に飛び込むものです」、ドイツ人には「規則ですので海に飛び込んでください」、そして我らが日本人には「みんなもう飛び込みましたよ」、というものです。


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