373話 異変
「ピー助!!」
ペイスが、龍の飼育小屋に息せき切って飛び込んだ。
荒い息も整えることなく、我が子のように可愛いがっているペットの様子を確認する。
「きゅぃきゅぅ」
大龍の子供は、ペイスを見るとその傍に駆け寄ろうとした。
しかし、出来なかった。足がもつれる様な感じで、転んでしまったのだ。
明らかに見て取れる、衰弱の様子。もう一度動かそうとしたピー助の身体は、どうにももたつく感じで縺れ、べたりと地面に転んだ。
飛ぼうとしたのだろう。羽を広げようとする。しかし、これも出来ない。
羽の骨がどうにも広がらず、突っ張ったように左右不揃いで中途半端に開いている。素人目で見ても、まともな状態とは言えない。左右アンバランスで如何にも不健康そうな様子。
鳴き声も、いつもと違う。
弱弱しく、それでいてペイスに救いを求める様な甘えた声である。
助けて、苦しい、と叫んでいるようで、見ている方がつらくなる。
「ピー助、一体どうしたんですか」
ペイスは、龍の傍にしゃがみ、そっとその体を抱えて持ち上げる。
かなり身体は大きくなっていて持ち上げるのも難しい大きさなのだが、ペイスはしっかりと持ち上げた。
頼りにするペイスに抱えられたからだろうか。
弱弱しく鳴いていたピー助は、更に顔をペイスに擦り付け、甘えだす。
甘え方もいつもと違っていて、こすりつける様な動きをする。
いつもならば、ぐいぐいと押し付けるように甘えていた。普段感じていた力強い圧力が無い分、一層の衰弱を感じさせる。
「病気……ですかね?」
「分かりませんね。大龍の育て方なんて教わってきませんでしたから」
「そりゃそうでしょう」
ペイスの言葉に合の手を入れたのは、大龍の飼育係をしている若者。
当番制で持ち回りだが、今日に限って大龍が体調を崩したのだから、災難な話である。
大龍は、頑丈な生き物だ。
子供であるにもかかわらず、その鱗は大抵の衝撃をはじく。その上、力も強い。普通の鉄で作った檻ならば、仮に丸太の様な鉄格子にしようとひん曲げて出てきてしまう。大の大人の何人分のパワーがあるのか、計り知れない。
頑丈であり、力も強く、空も飛ぶ。
怪我ということはあまり考えられない。そう簡単に龍を傷つけられないからこそ、ペイスはわざわざ大龍の体内から攻撃する羽目になったのだから。
「病気というなら、僕が治してあげますからね」
大龍はきゅいきゅいとペイスに甘え続けている。
龍の背を撫でながら、ペイスは魔法を発動した。【治癒】の魔法である。
本家はペイス達の居る神王国から見てお隣の、聖国。そこに聖女として崇められる魔法使いが使っていたもの。
ペイスが【転写】を使って自分のものにした魔法であり、モルテールン家でも大変に重宝してきた魔法でもある。
この魔法の実績は、言うに及ばない。
ウィルスについてであったり、免疫についてであったり。現代的な医療知識を多少なりとも持っているペイスが使えば、本家本元の聖女の使う【治癒】よりも、遥かに効果が高い。
コピーがオリジナルを凌駕しているのだ。
今まで、どんな病気も怪我も、この魔法で治してきた。
しかし、効果は表れなかった。
「効かない?」
「そんなはずは……」
ペイスは、何度も、何度も魔法を掛ける。
高い魔力量に物を言わせ、贅沢なほどに何十回と掛けてみた。
「魔法も効かないなんて」
だがしかし、効果が見られない。その全てが効果を示さず徒労に終わる。
いや、効果がないどころか、ピー助の苦しそうな様子はより悪化したようにさえ見えた。
そもそも、この【治癒】の魔法は、医学的な知識があればあるほど効果が高い。
逆に言えば、知識がなければ効果が低いということ。
今、ペイスは大龍の病気について、全く知らないことを悔いている。
そもそも、龍の生態について、ペイスは殆ど何も知らないに等しい。
文献の一つも探しておけばよかったと後悔すること頻りだ。
「龍は魔法が効かないってことでしょうか?」
「その可能性は有りますね」
龍の鱗は、魔力を蓄える貴金属そのもの。
魔法を阻害する空間を作るのに軽金や龍金を使って囲うように、ピー助の鱗が魔法を阻害している可能性は十分考えられた。
ならば【治癒】の魔法も、ピー助の体表で弾かれている可能性はある。
そうなってくると、魔法で治療すること自体が殆ど不可能という結論になってしまう。
今までさほどでもないと感じていたが、使えない状況となって初めて実感する魔法の万能性。そして、有効な魔法が存在しないことへの無力感。
「鱗を全部、一旦剥がすとか……」
「そんな真似出来ませんよ」
「ですよね」
龍の鱗が魔法による治療を妨げているのなら、剥がしてしまえばいいのか。
幾ら何でもそんな残酷な仕打ちは出来ないと、ペイスは首を振る。
そもそも、鱗を剥がせば魔法で治療が出来るという確証も無い。その状態で、確実にピー助が痛がるであろう行為をすることを、良しとは言えないだろう。仮に、ピー助が痛がって暴れでもしたら、ペイス一人で抑えられるか甚だ疑問である。
それでなくとも、幾つもの屋敷を破壊してきた前科持ちがピー助だ。モルテールン家で飼えているのは、豊富な龍素材と龍金によって自然の魔力を自動的に蓄え、ピー助の餌に出来ている点が一点。そして、ピー助がペイスに対して非常に懐いているというのがもう一点。
ここで、ピー助とペイスの信頼関係に罅を入れてしまいそうな行為は、今は良くても後々に響く。
どう考えても悪手であろう。
「体の中に入れませんか?」
「ピー助の大きさで? 僕をミートボールにしないと無理でしょう」
「手だけならなんとか突っ込めませんか?」
「僕の手が食べられたらどうするんです」
苦しんでいるピー助。
幾ら懐いているとはいえ、少しでも暴れられればアウトだ。
懐いているからと言って、ワニの口の中に入りたい飼育員が居るだろうか。ライオンの口の中に手を入れたい厩務員が居るだろうか。
魔力の豊富なペイス。ピー助にとっては、さぞ美味しく感じることだろう。弱っている現状、ペイスの腕であると気づかず、ただ本能的な反射でもぐもぐとされてしまう危険性がある。
仮に必要ならばやっても良いが、それは体の中から治療ができると確信出来てからであろう。
「きちんと言い聞かせれば大丈夫だったりしませんか?」
「なら、最初に自分で試してみますか?」
「……いえ。他の手を考えましょう」
かつて、大龍に対して魔法が使えた事例が一つだけある。
他ならぬペイスが、龍の口から体内に入って行ったことだ。
部下の指摘は、それを示唆するものだ。
以前に神王国で暴れた巨大ドラゴンは、ペイスが体内から魔法を使って倒した。
なるほど、これに倣えば、体の中からならば魔法が利きそうである。
しかし、ピー助の体躯は犬ほどの大きさ。ペイスが抱きかかえられる程度の大きさ。このままペイスが中に入るなど出来そうにもない。
柴犬の成犬程度には育っているとはいえ、この大きさの大龍に対して口から入ろうと思えば、ペイスが小さくなる必要がある。残念ながらそんな魔法は存在しない。
それに、そもそも口の中に手を突っ込まれていい気分になる動物は居ないだろう。
ピー助が不快に感じる、或いは痛みや苦しみを感じてしまったら、先の鱗剥がしと同じでピー助がペイス達を嫌ってしまうかもしれない。
そうなっては、ピー助が人間に懐くことは二度と無いだろう。結果として大龍という将来確実に人間の脅威となる存在が、人間を嫌うという最悪の結果を生む。
大龍の育成失敗となれば、その責任はモルテールン家にとってかなり手痛いものになる。
「一体、どうすれば」
ペイスは、効かない魔法をそれでもと繰り返しながら、すさまじい速度で思考を走らせる。
ピー助の病気について、何かしら手掛かりはないか。そもそも何故体調不良になったのか。龍の体内構造であれば、ペイスは散々中から調べたではないか。特殊な構造はしていなかったはずだ。
「聖国なら、史料が残っているかも?」
「なんだか、物騒な顔つきになってますよ」
件の聖国であれば、古い文献の一つや二つは有るのではないか。神王国よりも古くから存在する国家であり、当時から文献保護には熱心であった宗教国家。大龍について記述の残る資料も有りそうである。
もしそうだとすれば、交渉を持ちかけてみるか。
断られたらどうする?
決まっている。力づくでも手に入れなければならない。ピー助の為に。
聖戦だ。可愛いピー助を助けるために、聖国へ宣戦布告してでも資料を探さねばならない。
「きゅぴぴぃ!!」
ペイスが親馬鹿を発動し、相当に物騒な思考に流れていたタイミング。
ひと際、大きく甲高い声でひと鳴きした子供龍。
「ピー助!!」
体を、ブルブルと震えさせだした。
寒いのかも知れない。ペイスがぐっと力を入れてピー助を抱きしめた時。
ふっと違和感が生まれた。
力を入れ続けていたところに、“力が流されている”ような感じ。
袋に入れたクリームが、力を入れた時にぬるっと押し出されるような、ペイスにとって馴染みのある感覚。
「きゅい!!」
そこにあったのは、元気に走り回る騒動メーカー二世と、“脱皮”した皮であった。