KYTという言葉があります。これは危険予知訓練(Kiken Yoti Training)の頭字語・イニシャリズムです。ローマ字と英語の頭文字を組み合わせたなんだかハイソな言葉ですね。昭和感が少し残っている気もしますが、何よりも分かりやすさが大切だということを教えてくれる素敵な言葉です。
略さないほうが意味が伝わりやすいのでは?という疑問を持ってはいけません。多くの現場ですでにKYTという言葉で定着してしまっているため今更変えるのは大変なのです。人によっては「よーし、KYTトレーニングやるぞー」という風に覚えてしまっています。危険予知トレーニングトレーニングです。訓練の訓練とは一体・・・
KYTは製造・土木・建築・交通・医療など労働災害が想定される職場において、労働災害を防止するため起こり得る危険を予知する能力を鍛える訓練を意味します。
"予知"訓練とはありますが、別に予知能力を持つエスパーを育成する訓練ではありません。危険を事前に察知して災害発生を防ぎましょうという訓練であり、簡単に言ってしまえば自動車教習所で必ず教えている「かもしれない運転」のようなものです。
訓練のやり方は業界や状況によって異なりますが基本的な流れは同じです。どこにどんな危険がありそれが起きるとどうなってしまうかを皆で集まって考えて、それが発生しないように注意して作業する、又は絶対起きないように対策を取ります。
実際の作業現場で実地的に行うこともあれば写真やイラストを用いて卓上で行うこともあります。個人的には実際の作業直前に行うKYTのほうが現実的かつ効果的で好みです。卓上実習も無駄ではないのですが、やはり実際に作業する場所で危険を探す方が明確かつ確実な安全に資するでしょう。
KYTをやるのは簡単
KYTは言ってしまえば皆で集まって危険なところを探して注意したり対策を取る”だけ”です。そのため、難しい数式や複雑なグラフは使いませんし大がかりな費用も掛からないお手軽な安全対策であり、気軽にできるのだからとりあえずやっておこうくらいの感覚になっている職場もあるかと思います。
ある意味その発想は間違いではありません。KYTの主目的は危険に対する感受性の育成と安全を重視する組織風土作りだと言えます。KYTは"予知"する能力を鍛える訓練であり、実際の危険を除去することは副次的効果です。そのためとりあえずやっておこう精神は問題なく、むしろ積極的にどんどんやるべきです。
そもそも現場でのKYTでポコポコ危険が見つかるようであればそれは予知訓練なんかやっている場合ではありません。そんな暇があったら直ちにお金を掛けて安全対策を取るべきです。予知するまでもないのですから。
しかしながらただやればいいとまで組織風土が劣化してしまうと効果が出にくくなるため注意が必要です。特に簡単だからといって若手に教育をせずにKYTをやらせると残念な結果になります。
やるのは簡単ですがしっかりと効果を出すのはちょっとだけ難しい、それがKYTです。
見えない事象の方が危ない
金属切削では切粉が飛ぶので裸眼での作業が危ないことは誰が見ても一目瞭然であり、切粉が目に入らないよう保護メガネが必須です。重量物を吊った天井クレーンが人の上を通ることは大変危険なことなんて誰にだって分かります。そういった目に見える危険はどんな初心者でも見つけることができます。
KYTをやる際、そのような目に見える危険につい気を取られてしまうため注意が必要です。確かにそういった危険を回避することも重要なのですが、本当に怖いのは目に見えない危険だからです。
例えば電気。とても身近で誰もが毎日気軽に使っているものですが、人は100mA程度で死にます。10mAですらケガをします。義務教育でオームの法則を習った時に出てきたA(アンペア)は誰もが知っている単位ですが、1にも満たない僅かなアンペアが流れるだけでとても危険なのです。電気は目に見えず危険を予知するのは難しいのですが、だからこそ感電を避けるため目を皿のようにして危険個所を予知しなければいけません。
例えば圧力。特に空圧はとても危険です。日本でも数年置きにエアコンプレッサーでの死亡事故が起きているように、ただの空気と侮ってはいけません。圧力の高い空気はギュウギュウに圧縮されており、それが解放されると一瞬で数十倍に膨れ上がるのです。もはや爆弾と同じです。圧力や気体は目に見えませんが、少なくともMPaレベルの空圧を扱う時は爆弾を扱っているのと同じ気持ちになるべきです。
例えば酸素。これは目に見えない危険の最たるものです。自然酸素濃度は20.9%ですが、薬品やガス、燃焼によって酸素濃度がちょっと低くなるだけで人は簡単に危険に陥ります。18%が安全範囲の最下限、15%くらいで体に支障が現れ始めて、10%以下で行動の自由を失います。6%以下では数回呼吸するだけで意識を失い、救助が無ければそのまま死んでしまいます。酸欠事故は件数こそ少ないものの、死亡率は50%を超える大変危険な事故です。この発生は絶対に予防しなければいけません。
こういった見えない危険を見つけるには事前の知識が必要なため、KYTをやる時は必ずベテランや専門家を配置する必要があります。やり方が簡単だからといってまだ知識の浅い若手だけでやらせてはいけません。見える危険は見えるので簡単なのですが、見えない危険は知らないと見つけられないのですから。
KYTはただ漫然とやるものではなくOJTの一環と捉えましょう。ベテランが若手に教育するちょうど良い機会と時間なのです。
余談
新年度、春は技術職の若手が新しい試験を覚えたりラインの新人が生産工程を学ぶ季節です。この時期には中堅やベテランは神経質なくらい若者の一挙手一投足を見張ってあげましょう。おっさんがキョロキョロと眺めてきてあまつさえ作業に口を出してくるのは若者からしたらうっとおしいのは間違いないのですが、まだ知識の浅い若者は時たま驚くような危険行為をしてしまいがちです。怪我を未然に防げるのであれば邪魔くさいおっさんと思われるほうが何倍もマシでしょう?
ちなみに私が新人の頃に先輩に付けられたあだ名は「クラッシャー」「歩くKYT」です。「あいつを眺めてるだけでKYTができる」と言わしめた男です。一度の怪我も無く技術屋人生を歩めているのは先輩方の監視と教育のおかげであり、なんともありがたいことです。