コミュニケーション経営の先駆者が
“考える社員”を育てる秘訣を語る
「表彰状! あなたはこのあいだ、彼女にフラれてしまったにも関わらず、どうにかこうにか営業成績5位に食い込めました。どんよりと落ち込んで出社して仲間たちに心配されていましたが、よく頑張りました。実際の営業能力は社内でもトップクラスなので、5位という結果に満足せず、また早く彼女を忘れられるよう仕事に打ち込んでください!」――もうね、本人も社内も大ウケですよ(笑)。 逆にそのほうが本人もやる気になれる。
こんなことを書くと、スチャラカな社長だと思われるかも知れませんが、社員は社長に聖人君子なんて求めていませんからね。聖人君子の社長で3年連続でボーナスカットされる会社と、私みたいな社長でも給料が上がる会社と、社員はどちらを歓迎しますか? これは社長でなくとも、上司一般について同じですよね。ようは、教育する側には工夫が必要だし、教育というものは、上から見下してするものではないということです。
――社員教育の中にも常にユーモアを取り込むのが小山流。その流儀に反発する社員はおらず、むしろ歓迎されている。その理由は「褒めること」なのだという。社員を育てていくうえで大事な「褒め」のテクニックの真髄はどこにあるのか。
サンクスカードという独自のツール
褒めるときには具体的に何が良かったかを褒めていくことを私は大事にしています。それをどうやって形にするか? そこにも武蔵野はこだわっていますね。当社には「サンクスカード」というものがあるんです。これは、会社として、または上司として、社員に感謝の意を表すためのカードです。たとえば「今回のキャンペーンで、お客様から○○の面でおほめの言葉がありました。ありがとう」「新人が落ちこでいるときに食事に連れて行ってくれてありがとう」などです。すると彼らは「こんな小さいことも社長や上司は知っていてくれるのか!」と嬉しくなるわけです。ありがちなのが、大きな案件を成約したときだけ手放しでほめるというパターン。これはいけません。小さなことを褒めて、自信や喜びを重ねさせてあげることが大事なんです。
もちろん褒め方も重要です。サンクスカードは必ず手書き。メールだとアドレスだけ変えてあげたら他の人にも送れるでしょ? それが分かった瞬間に天国から地獄に落ちちゃいますよ、彼らは。手で書くと同じことが書けないんです。手で書いているときはその人のことしか思っていませんから、必ずその人寄りの内容になっていくもの。つまりね、手間をかけないと心は通じないということなんですよ。すべて楽をしようとするところからコミュニケーションが希薄になる。だから当社ではサンクスカードは月間必ず20枚描くように、上長にはノルマを課しています。19枚だと1枚足らないから、これまた罰金。心になくても何かを探して書かなくてはいけない。でもね、形から入っていけばやがて気持ちも追い付いてくるものですし、上長にしてみても意外な気づきがあったりするものなんですよ。
ちなみにもうひとつ、巧妙なテクニックをこっそり教えましょうか。私はね、対象の部下が家庭を持っていたら、サンクスカードを必ずその人の家に出すんです。するとね、それを奥さんや子どもが見るわけです。「うちのお父ちゃん、がんばってるな!」とね。家庭ではヒーローですよ。そしたらまた頑張ろうと思えるでしょう? 逆も然り。始末書を重ねて賞与が半分になってしまった社員がいたとする。そのときは「親展」扱いで、当の社員に励ましのハガキを送るんです、もちろん自宅に。「賞与が半分になっちゃったけど心配するな。奥さんには黙っといてやるから」とね(笑)。 「親展だけどハガキだから奥さんに見られちゃうじゃないか」って? 親展は見ちゃいけないの(笑)。 その先に怒られようが絞られようが、それは社員の家の問題。逆に、そうでなくちゃ困るじゃない、奥さんとしてもね(笑)。 だからちゃんと奥さんの誕生日や結婚記念日にもハガキを出します。「うちのお父ちゃんは会社と社長に愛されているんだな」とフォローするわけです。
――家族ぐるみで付き合う企業風土は、今の日本にはなかなか見られなくなってしまった。小山氏は、武蔵野に残るコミュニケーションを大切にした企業風土に家族は欠かせない存在だという。そのうえで、社員がさらにモチベーションを高められる方法があると言うのだが・・・・・・
賞罰を明確に伝えれば不満はおこらない
サンクスカードもそうですけど、つまりコミュニケーションというのは、賞罰をはっきりさせて、明確に伝えるということなんですよ。罰だけの会社は息苦しいし、賞だけあって罰がなくても、逆に不満が高まるのではないでしょうか。
方針が明確になると、評価が公平になります。当社では、場合によっては新入社員のほうが課長より賞与が多かったりするんです。結果がすべてというドライな言い方はしませんが、「公平」というのはチャンスが平等に与えられ、かつ成績によって相応の差をつけてあげることなんです。しっかりやってもやらなくても成績や結果で差がつかなかったり、それ以外のところで差がつくのは、単なる不公平以外の何ものでもない。賞罰がはっきりして自分の失態や悪い状況が明るみになることは本人にとっては不幸かもしれません。でも不幸が明確にならないと、本当の意味での明るさは持てないと思うんですよ。
私がこうした方法論を導き出せたのは、自分の経験からに他なりません。口で言うだけでは通じない。私はそのことが分かってから、「会社には“伝える”のではなく“伝わる”という文化が生まれるのだ」と理解するようになっていきました。経営理念や社訓は、書き出して会社の壁に貼りだせばすぐにできてしまう。でも、それはただ貼り出しただけで文化と呼ぶにはほど遠い。文化というのは、会社や社長が考えていることを社員が実行して初めて文化になりえるのだと私は考えています。