今、世界が注目する映画『ドライブ・マイ・カー』。
撮影の大半は、広島県内で行われました。
平和公園や国際会議場など世界に誇る名建築や瀬戸内の風景といった、
美しい広島の今の魅力が映し出されています。
「原爆から復興した広島の姿に、妻を亡くした男性の再生を描いた物語が重なる」
と語る濱口竜介監督。
番組では、2020年の11月に広島で行われた撮影現場の取材が特別に許され、
その様子をカメラで記録していました。
映画制作の舞台裏に迫ります。
車が走り抜けるシーンが印象的だった、呉市・安芸灘大橋、
広島市内のホテルにあるバーや、平和公園など、県内のあらゆる場所で撮影が行われました。
2020年11月末、広島のエキストラおよそ500人が参加し、
東広島市内のホールで行われたのは、
国際演劇祭で上演される多言語劇の舞台のシーンです。
さまざまな言語を話す海外出身の俳優たちが舞台に立ちました。
映画のクライマックスとなる重要なシーンですが、
番組では、この現場の撮影を特別に許されました。
舞台裏を取材していると、濱口竜介監督の役者と向き合うある姿勢がみえてきました。
多くの場合、本番中、監督はモニターで役者の芝居を確認しますが、
濱口監督は、カメラの脇に立ち、役者の演技を間近で見つめていました。
濱口竜介監督
「俳優さんのことは大事に考えています。モニターを見た方が、映画としてのOK・NGは出しやすい。モニターを見るとカメラの先に人がいるという、当たり前のことがわからなくなる。できるだけ、(モニター)は見ない方がいいと思っている。」
撮影終了後、参加したエキストラに、濱口監督はこう語りかけました。
濱口竜介監督
「正直、私は一番いいところで見ていたんですけど、本当に素晴らしいと思いながら見ていました。一番いいところというのは語弊があって、一番いいところはカメラが占めています。それは最終的に映画館で見られると思います。ぜひ、映画館でこの場面、もう1回見直していただけたらと思っています。」
この日は、海外から参加した俳優の多くがクランクアップを迎える日でした。
言葉や文化の違いがある中で、濱口監督は、俳優たちと向き合ってきました。
台湾出身の俳優・ソニア・ユアンさんは、撮影スタッフに向けて挨拶をしました。
ソニア・ユアンさん
「とても大変な撮影でしたが、これまででもっとも幸せで、やりがいのあるものでした。プロフェッショナルなキャストや、浜口監督そしてすべてのスタッフのおかげです。私が今まで仕事をしたなかで、こんなにやりやすく、尊敬できるチームはありません。」
濱口竜介監督
「(俳優は)人からジャッジされる。自分の演じたことをカメラを通じて、世界中の人からジャッジされる。そのプレッシャーはカメラの前にいる人と、後ろにいる人とでは、全然違う。それでも立ってもらうなら、最大限ケアをしてあげないとなと。俳優がとてもリスクが高いことをしている認識をみんながもって、それを尊重することがもっと普通になったらいいと思う。」
物語の大部分は広島県内で撮影されていますが、もともとは韓国の釜山で行われる予定でした。
それが、新型コロナウイルスの影響で、断念。
急遽国内でロケ場所を探すことになり、広島が選ばれたのでした。
その舞台裏を知る、広島フィルム・コミッションの西﨑智子さんに話を聞きました。
西﨑さんは、『ドライブ・マイ・カー』のロケハンから撮影まで、サポートを行いました。
当初、濱口監督は、広島で撮影することをためらっていたと言います。
西﨑智子さん
「“広島を撮るのは自分にはまだ早い”、“ご自身が映画を作る上で、もう少し成長してからでないと”、とか、広島という場所に畏敬の念を持っていた。」
そんな監督の思いを変えた場所がありました。
主人公の専属ドライバー、お気に入りの場所として登場するゴミ焼却施設(広島市環境局中工場)。
原爆ドームと慰霊碑を結ぶ“平和の軸線”の延長線上に建ち、
瀬戸内海まで、遮らないように設計されています。
この建物に込められた思いが、濱口監督の心を突き動かしました。
西﨑智子さん
「建築家の谷口吉生さんがここを設計されているんですけど、平和の軸線をご自身が建てる建物で邪魔をしたくない、ブロックしたくないということで、海に抜けるような構造にしているという話を監督にしたら、ゴミ焼却工場にまで、平和の理念があるということが、すごく文化を感じられるので、国際演劇祭の開催場所に広島がふさわしいと。」
建築家の谷口吉生さんは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の
新館を手がけたことでも知られていますが、
平和公園を設計した丹下健三に師事していました。
原爆ドームと慰霊碑、原爆資料館の延長線上にあたる場所に
ごみ焼却施設を建築するにあたって、
師の“平和の軸線”を妨げることがないよう、
建物の通路に吹き抜けを設計し、瀬戸内海まで抜けるようにしました。
広島での撮影について、濱口監督はこう語っています。
濱口竜介監督
「歴史的な文脈がある街なので、そこで撮ることが怖いというか、その必然性が自分にあるのかなという気持ちがあったんですけど、ロケハンにきて、本当に素直にここで撮りたいという気持ちになったというか、不幸な歴史があるんですけど、ものすごく肯定的な力というか、それがあったからこそ、どうやってそれを繰り返さないかということを、すごく肯定的にとらえ返している印象を街全体から受けています。その力をもらって作ったような気がします。」
濱口監督が東京藝術大学の大学院生だった頃から、
その才能に注目していたという、広島市出身の美術監督・部谷京子さんに
お話を伺いました。
今回、部谷さんは、映画『ドライブ・マイ・カー』を何度も繰り返し見て、
改めて、その魅力をこう感じたといいます。
部谷京子さん
「1番は俳優さんたちがすごいなと思っていて、西島秀俊さんと三浦透子さんの2人の関係性が、どう進展していくかがとても気になって、それを縦軸にして、そこで関わってくる演劇祭の俳優さんや、元妻・霧島れいかさんとか、皆さんの絡み合いが、よく濱口監督が描かれる群像劇のようなテイストで、俳優さん同士の火花を発するような演技が本当にすごいなと思って見ていました。
2番目に感じたのは、今の広島がこんなふうに美しく描かれて、世界中にその景色が伝わっていることが本当にうれしくて。濱口監督は、あちこち見に行かれたと思いますね。これだけの画を切り取って映画にするためには、そこには見えないロケハンの時間が流れていると思います。広島県は本当に山あり谷あり川ありで、なおかつ、瀬戸内海に面していて、多島美を誇る、本当に島しょ部の素晴らしさというのは本当に映画の撮影場所として、今後、もっともっと注目されていくべきだと思います。」
撮影に同行した広島フィルム・コミッションの西﨑さんが、裏話を明かしてくれました。
演出家である主人公の指導で、俳優たちが、野外稽古を行うシーンが撮影されたのは、
広島市内の平和公園の一角でした。
西﨑智子さん
「このとき、女優さん2人の演技に、演劇の舞台で大切な何かが起こる、というシーンだったんです。それをクライマックスの舞台で起こすために、西島秀俊さんが演じる演出家が一生懸命、演出されているシーンなんですけど、美術スタッフが、『ここの落ち葉をもらっていいですか』というので、『どうぞ』と。袋に詰めて、最後、クライマックスの舞台に、それを敷き詰めていたんですね。みなさんが同じ方向を向いて、お仕事をされているなって、感激しながら見ていました。」
美術監督の部谷さんも、このエピソードについて、こう語っています。
部谷京子さん
「素晴らしいと思います。監督の広島に対する思いが、スタッフ全員に浸透していんだなと、本当に感動します。それがなんでもない葉っぱだったら、ただの葉っぱですが、広島の平和公園の落ち葉ということで、あの舞台そのものがとても素晴らしい意味をもつ。そこに魂を入れられるかどうかというのは、スタッフのちょっとした心遣いというか、監督の思いを受けてのことだと思いますが素晴らしいことで、それがどれだけ蓄積されるかが、作品の成果を占うようなことになると思います。」
「広島を撮ることは、怖いことでもある」と語っていた濱口監督。
広島出身でもあり、多くの映画監督との交流がある部谷さんは、
その言葉について、こう感じたといいます。
部谷京子さん
「知らない人間が知らないことに対して、それを描くということに対する恐怖みたいなものは映像作家であれば、通常誰でも感じることだと思うんですね。濱口さんも普通にそれをおっしゃったんだと思います。広島を描くには、かなりの勇気と覚悟がなければできないんです。広島に生まれ育った者ではない以上は、なのでそこの部分だと思います。」
部谷さんは、この映画で描かれた、大切な人を亡くした「喪失からの再生」の物語が、
かつて原爆の惨禍にあい、そこから再生して復興した町・広島で撮影されたことに
意味があると語ります。
部谷京子さん
「ほかのどこよりも、広島の再生・復興ということを考えると、(この映画の撮影に)適した町だったのではないかと思います。観客の皆さんにとっても、そのことがきっと、映像としてイメージとして残っていくと思うので、それがとてもありがたいことではないかと思います。そういう広島の残り方も、とてもありがたい話だと思います。
今回の映画は、広島という場所に対して、皆さんが持つイメージと違う側面を逆に多くの人に見せてくれたと思います。濱口監督が広島を知らない方だからこそ、描けた広島でもあるのかなと思います。皆さんがポジティブに生きているまちとして、そこを描いてくださったことがすごいことだと思います。」
アメリカのアカデミー賞で、日本初となる作品賞にノミネートされ、
ロケ地となった広島でも、ますます盛り上がりをみせています。
広島市内にある映画館では、『ドライブ・マイ・カー』のチケットを求めて長蛇の列が。
満席になるほどの盛況ぶりです。
新型コロナウイルスの影響で、客足が遠のいていた映画館。
以前と比べて、半分以下まで落ち込んだこともあったといいますが、
広島が舞台となった『ドライブ・マイ・カー』の快挙で
映画館にとっても、明るい話題となっています。
映画館支配人 蔵本健太郎さん
「映画館が満席になることは、このご時世、ないですから。本当に久しぶりですね。ドライブ・マイ・カーのヒットは、本当に劇場を救ってくださっていますね。助けてもらっています。」
アメリカでこの『ドライブ・マイ・カー』がこれだけ評価されている理由について
部谷さんは、こう考えます。
部谷京子さん
「濱口さんが持っていらっしゃる普遍性みたいなものが世界共通のものだったんだなとも思いますし、皆さん、この世界が、濱口ワールドが好きなんだとも思います。闇の部分を緻密に見せていくという心の変遷みたいなもの、人が生きるときの普遍的な考え方や生き様みたいなことを、そろそろ欲してきたのかな、そういう方も増えてきているのかなと思います。近年、海外での評価が高まっている監督なので、皆さんが待ち焦がれていた作品ではないかと思います。濱口さんの完全に代表作だと思うので、皆さんに愛されて納得の1本です。」
妻を亡くした、舞台俳優で演出家の主人公が、
演劇祭のため訪れた広島で、専属ドライバーの女性と出会い、
自身の悲しみを見つめ直すという、「喪失」からの「再生」を描いた物語。
2021年カンヌ国際映画祭で、日本映画初の脚本賞を受賞。
3月28日(日本時間)に受賞作品が発表される2022年米アカデミー賞では、
日本映画としては初となる「作品賞」を含め、4部門でノミネートされている。