志村けんと音楽の密接な関係 ハードロックからソウルフリークになったきっかけとは?

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 加藤&志村の2人による「ヒゲダンスコーナー」がスタートしたのは79年10月から。翌80年2月にシングル「ヒゲのテーマ」が発売され、セールスは70万枚を突破。インストゥルメンタルの曲としては異例のチャート入りを果たした。この曲にはちょっとした裏話がある。ここからは、再び「笑芸人」VOL.1の文章を引用しよう。

「『ヒゲのテーマ』は志村が作曲したのだが、実はディスコシーンでヒットしていたテディー・ペンダグラスの『DoMe』を引用(サンプリング)していたことが発覚。志村自身によれば『知らず知らずのうちに似てしまった』そうだが、以前からボーヤ仲間のすわしんじと夜な夜なディスコへ繰り出し、音に合わせて『東村山音頭』の振り付けを踊っていたという志村ならではのエピソードも残っている。この『DoMe』の権利を持っていたレコード会社は問題にするどころか、この曲を『ヒゲのテーマ』の原曲として日本盤化。しかし同様にはヒットしなかった」

 これだけ音楽の素地があるならばミュージシャンを志してもよさそうだが、その道はよぎらなかったのだろうか?

「それはなかったですね。でも、音楽はやってたんですけどね。高校の頃、コント55号へ行こうか、ドリフターズに行こうか迷ったんです。付き人やるときにね。で、コント55号は動きは好きなんだけど、音がない……それが決め手になってドリフターズに付いたんですよ」

 ちなみに、志村も日本の音楽を聴かないわけではない。


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