モモンガ、『漆黒の剣』、ンフィーレアがカルネ村に立ち入ると、余所者の気配に村人達は怪訝そうな顔をしていた。何せ辺境の村だ。余所者を見る目というのは厳しくもなる。しかしンフィーレアの顔を見るや、彼らは納得したように表情を緩めていた。こういう反応を見れる辺り、この村にとってンフィーレアはやはり馴染み深い存在のようだ。
しかしそんな村人達でも、
そんなカルネ村の様子を眺めながら、モモンガはようやく違和感に納得した。
(……ああ。そういえば俺、この姿をこの村の人間に見せたことなかったな)
余りにも誰も自分のことを触れてくれないので、正直忘れられてるかと彼は思ってしょんぼりしかけていた。
モモンガの漆黒の鎧は、カルネ村からエ・ランテルへ向かう道中に外装デザインを考えて編み出したものだ。悪魔の角や翼に対する隠蔽魔法は見せたことがあったが、そういえば鎧は誰にも見せたことがない。
(……ふむ)
モモンガは腕を組んだ。
私アルベドなんですけどぉ……と自白するのもなんだか躊躇われる。冒険者モモンとしてエ・ランテルで一稼ぎしてくるという旨は村に伝えてはいるものの、『漆黒の剣』の前でアルベドを名乗るのも呼ばれるのもやはり気まずい。この村の人間以外に自分が帝国偽装兵を討ったアルベドと認知されるのは得策ではないからだ。法国が今もアルベドの存在を睨んでいる可能性は少なくないし、モモン=アルベドと結びつくような情報はなるべく閉鎖しておきたい。
(カルネ村で先に鎧の姿を披露しておくべきだったか……?)
後で村長なりエンリなりにこっそり耳打ちして、自分のことをうっかり女神様だのアルベドだのと言わないように村人に周知してもらうのが最善手だろう。
──しかしそんな理知的な結論は、次の瞬間に立ち消えていく。視界の隅に、ネムを捉えたからだ。彼女は家屋の影に隠れるようにしてこちらを伺っていた。
(ふふ……)
ふつ、と湧き上がる悪戯心にモモンガは抗えない。彼と目があったネムは、小動物の様に家屋の影に引っ込んでいった。誰の目にも止まらないお誂え向きの場所にだ。モモンガは組んでいた腕を解くと、ネムのもとへ歩み寄った。
「そこの少女、立ち止まりなさい」
敢えて低くくぐもった声で、ネムを呼び止めた。さながら歌劇団の男役の様な声だ。
ネムはびく、と肩を跳ねさせて、恐る恐る振り返る。小さな娘からしたら漆黒の鎧は威圧的で怖い。そんな戦士がずんずんと自分に迫ってくるものだから、ネムは少し挙動不審に目を泳がせた。
ふふ、と兜の中でモモンガが笑む。
彼はネムの前で片膝を突いて目の高さを合わせた。
「初めましてお嬢さん」
「は、はじめまして……」
貫頭衣の裾をネムはぎゅっと握りしめていた。人見知りしない性格の彼女も、この時ばかりは緊張を得ていた。
「実は君がアルベドのことを知っていると聞いてね」
「ア、アルベド様……? あなたはアルベド様を知っているの……?」
「ふふ。彼女のことはよく知っているとも。アルベドのことは好きかい?」
「う、うん! 大好き! 優しくて、きれいで……すごくかっこいいんだよ!」
「……そうかい。なら、君に見せたいものがあるのだが」
「な、なに……?」
モモンガはにじり寄った。
当然、ネムは警戒の色を見せる。
モモンガは兜に手を掛け──
「……じゃーん!」
──そんな気の抜けた言葉と共に脱ぎ、顔を露にした。
「えっ……」
ネムは目をまんまるにして……固まった。
「……あ、あれ……?」
暫くの沈黙に、モモンガは少し焦った。
ネムが反応してくれない。
すべったか、もしくはネムに懐かれてるというのは彼の思い違いだったか……それとも自分のことなどとっくの昔に忘れてしまったのか。
……しかしそれはどれも該当しない。
「…………ぁ」
声と吐息の混じり合う音が、ネムの喉奥から漏れた。それは彼女の凍結された思考回路が再び動き出す起動音に他ならない。
怖いと思っていた物騒な人間が、アルベドだった。大好きな大好きな、アルベドだった。それは何の変哲もない辺境の農村で暮らすネムにとって、これ以上ないサプライズだった。
姉と自分と村を救ってくれたヒーロー。
自分を撫でてくれる、優しくて柔らかいとっても綺麗な女神様。
「……ネムさーん……? あの……ほら、私。アルベド……」
そんな女神は、自分のサプライズ登場がただ滑りしてる事態に滝汗を流している……ということをネムは知らない。
……そしてようやくネムの理解が追いついた頃、彼女はようやく大輪の向日葵を咲かせてモモンガの胸に飛び込んだ。
モモンガがこの後めちゃくちゃ安堵したのは言うまでもないだろう。
「なんだか外が騒がしいね」
エンリの家に招かれたンフィーレアが窓の方を眺めてそう零した。ちなみに二人の時間を設けられたのは『漆黒の剣』の計らいだ。ルクルットのしてやったぜと歯を光らせる顔が容易に思い浮かぶ。
「ネムの声みたいだけど、何かあったのかな」
エンリも不思議そうに小首を傾げている。
そんな彼女の目の端には涙の跡があった。お互いの近況を話すのに、カルネ村の惨劇を話すことは避けて通れない。両親を惨殺されたエンリは涙ながらに自分と、この村の現状をンフィーレアに話していた。みんな気丈に振舞っていること。子供達が我儘を言わなくなったこと。欠けた村人の仕事が嵩張っていること。村人達が進んで戦う術を身に着け始めていること。
……それから、カルネ村を救った謎の名もなき流浪戦士の話。
アルベドについての話はカルネ村から流出させるべきではない。それは村長とモモンガと話を擦り合わせた結果であり村の総意だ。エンリは名前や容姿についてある程度ぼやかしながら、ンフィーレアに事の顛末を話した。
ンフィーレアはまだその戦士がモモンガだということに結びつけれないでいた。
──卓上に見えた、下級治癒薬《マイナー・ヒーリング・ポーション》を見るまでは。
「エンリ! こ、こここ、これは!?」
ンフィーレアは喉が干上がる感覚を覚えながら、机に取りついた。
巧緻な意匠が行き渡った薬瓶の中に、赤い液体入っている。それが三本、並べられていた。
「ああこれ? 村を救っていただいた方からいただいたの。怪我をしたら飲みなさいって。ポーションらしいんだけど、すごく不思議な色をしているよね」
「み、み、見てもいいかい!?」
「ンフィー……いいけど、目が血走ってて怖いよ……」
ンフィーレアは震える手で、赤いポーションを手に取った。
中の液体がさらりと揺れて、独特な波紋を打っている。
(こ、これは……)
吐息さえ震えてしまう。
間違いない。
これこそ真なる癒しのポーション──神の血だと、ンフィーレアは直感した。王国でも随一と自負する自分や祖母のリイジーでも製造が敵うことがない、究極にして至高のポーション。リイジーをして御伽噺の代物と言われたものの現物が、今彼の手の中にある。
「ふわぁ……」
ごくりと、ンフィーレアの喉が鳴る。
分かるものが見れば、これ一本の為に戦争を起こしても納得できるほどのアイテムだ。
欲しい、と単純に思う。
喉から手が出るほどに欲しいと。
しかし彼の頭の中にはこれと金銭は結いてはいない。
あるのはどうすればこの神の血を生み出せるのかという貪欲ともいえる知識欲のみ。これを再現することこそ、錬金術の深淵を覗くことに等しいと、彼は異常な興奮を覚えた。
三本あるうちの一本をくすねることもできる。
エンリに強請り、一本譲ってもらうこともできる。リイジーなら或いは、エンリを傷つけてまで強奪しようとするかもしれない。
……だが、ンフィーレアはそんなことはしない。
そんなことはできない。
『こんなもの』の為に、愛する女性を守ってくれた人に対して不義理を働くなど、彼の良心が決して許さない。あるのは、途方もない感謝と敬愛と、畏敬のみだ。カルネ村を……否、エンリを救ってくれた戦士がモモンガだと結びついたンフィーレアはいてもたってもいられなくなった。
感謝を直接伝えたい。
その気持ちだけが、ンフィーレアの体を突き動かす。
「……ごめんエンリ、これちょっとだけ借りるね」
「ンフィー!?」
ンフィーレアはいてもたってもいられなくなり、エンリの家を飛び出した。
血相を変えて飛び出した彼に『漆黒の剣』が目を丸くした。
「モモンさんは!?」
「モモンさん?」
「さっきあっちで子供と遊んでましたよ」
「ありがとうございます!」
ペテルが指さした方へ走っていくと、モモンガがネムを肩車しているのが見えた。仲睦まじい姿は、まるで親子のようにさえ見える。
「モモンさん!」
声量を誤ったンフィーレアに、モモンガとネムは目を丸くした。
「どうしたのンフィー君……そんなに慌てて」
「あ、ああ。いやごめん大きな声出して……。ネムちゃんごめん、モモンさんとお話があるから少しだけ席を外してもらってもいいかな」
「えー……」
渋りそうなネムの気配を察知したモモンガが、優しく彼女を諭すと、ネムは渋々とその場を離れていった。名残惜しそうに手元を離れていく彼女に、モモンガの中の母性(父性?)が擽られる。
「……ンフィーレアさん、それでお話とは?」
大人しいンフィーレアが息を切らしてやってきたというのが、火急の用件だと察知させてくれる。一体何事だろうと身構えていると、ンフィーレアは肩で息をしながら、握っているものをモモンガに差し出した。
「このポーションをエンリに渡したのはモモンさんですよね?」
「え?」
見れば、ンフィーレアの手には確かにモモンガがエンリに渡した《マイナー・ヒーリング・ポーション》があった。モモンガはそれを受け取って、しげしげとそれを見つめ、そして視線をンフィーレアに返した。何故これをエンリに渡したのが自分だと知っている、という疑問が渦巻いた彼の気配を察知し、ンフィーレアは深く頭を下げた。
「この村を……エンリを救っていただき、本当にありがとうございました!」
「……エンリさんから聞いたのですか?」
アルベドとモモンが同一人物であることは伏せる様にと、村の人間には忠告してある。彼はエンリが友人のンフィーレアなら信頼できるからと口を割ったのかと思ったが、ぶんぶんと首を振られ、それは否定された。
「実は僕は、ある下心からモモンさんを指名依頼させてもらっていたんです」
「……下心?……もしかして、これですか」
赤いポーションを指さすモモンガに、ンフィーレアは罰が悪そうに頷いた。
「はい……先日うちの店にモモンさんが来られた時、赤いポーションがないことを不思議そうにしていましたよね。これは僕の知る限り、再現性のない至高のポーションなんです」
「なるほど?つまりこれの情報を得る為に私に近づいてきたと……そしてこれがエンリさんの家にあったから、私がこの村に介入したことも推理できたというわけですね」
「仰る通りです。この村を……いいえ、エンリを助けてくれた恩人に対してこそこそ嗅ぎまわる様な真似をして、本当に申し訳ありませんでした……!」
ンフィーレアはそう言って、再び頭を下げる。深く沈む頭は真摯という他なく、モモンガは目の前の少年の潔さに好印象を抱いた。自ら下心を告白し、愛する人を救ってくれた感謝の意に従って行動する彼はよく人間ができている。故に彼のこの行為は、モモンガの好感と信用を買った。
「何を謝る必要があるんですか」
「え?」
「コネクションや新技術を得る為に依頼を発注するのはごく自然のことではないでしょうか。逆にそうやって本心を打ち明けてくれた貴方に、私は感心しているくらいですよ」
「モモンさん……」
「逆に質問なのですが、ンフィーレアさんはこれが手に入ったらどうしようと思っていたのですか?」
「え!? どう、といってもその先は……単なる知識欲の一環だったので、どうしようみたいなことは考えていなかったです……」
本当に何にも考えていませんでしたといった態度に、モモンガは苦笑した。何というか、見ていて可愛げがある。そんな頑張る若者に手を貸してやろうと思い至ったのは、単純な老婆心からだった。
「欲しいのならそれは差し上げますよ」
「え!?!?」
「ただしそのポーションの出所や、私がこの村を救ったものだということを黙秘してくれれば、という注釈はつきますが」
「いいんですか、そんなことで……こ、こんな価値あるものを……」
「正直有り余っているうちの一本なので平気です。私の手持ちで腐っておくより、貴方に泣いて喜ばれるほうがそのポーションも嬉しいはずですよ」
「す、すごい……モモンさん……貴女は本当に……」
モモンという存在のスケールの違いに、ンフィーレアの体が震える。
黄金よりも価値の高いポーションが有り余っているから一つくれてやるという豪胆さ。村を救ったことを敢えて隠そうとするその謙虚さ。そしてそれらが自分にとっては些事でしかないという様な、桁外れたスケール感。
輝く様な容姿と、それに劣らぬ内面性。そしてそれだけでなく、比類なき力をも持ち合わせているという奇跡。
この人は間違いなく神話の中に生きる英雄に匹敵する存在だと、ンフィーレアは思わずにはいられない。
「何度も釘を刺しておきますが、そのポーション周りで絶対に私の名を出さないと約束してください。それから……タダというのもンフィーレアさんの具合が悪いと思うので、何かあれば私に協力していただくことをお約束してもらえますか」
「も、もちろん! もちろんです! モモンさんのお役に立つことができるとは思えませんが、何でも……何でもします!」
「……なら契約は成ったということで」
モモンガはそう言ってンフィーレアの手にポーションを落とした。
その姿は女王陛下と宝を下賜される家来のようにさえ見え、ンフィーレアは震える手でポーションを戴いた。彼とリイジーにとって何にも勝る至宝に、震えが止まるのは少しの時を擁した。
本当はもう少し書いていたんですが、当社比でかなり長くなったので小分けします。
一章がアベレージ三千字くらいだったんですが、最近1.5倍くらいボリューム増えてきて悩みどころです。