詩歌文学館賞の志垣澄幸さん 「老いの日常は現代歌人の重要素材」

佐藤修史
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 【宮崎】歌集「鳥語(ちょうご)降る」(本阿弥書店)が、今年の詩歌文学館賞(短歌部門)に選ばれた歌人の志垣澄幸さん(88)。28日に岩手県で表彰される。宮崎市在住。「日常生活にこそドラマがある」という視点を貫いてきた。米寿を迎え、「老い」をテーマに新境地を開く。

 「結社にも入っていない地方の一歌人。この年齢で賞をもらうなど考えもしなかった。私の受賞が、地方で頑張る歌人の励みになるならうれしい」

 1934(昭和9)年、台湾生まれ。戦後、母の故郷・西都市妻に移住した。宮崎大学を卒業して教員に。斎藤茂吉の「写生論」に心を動かされ、20代から日常を描く短歌を作り始めた。当時盛んだった前衛短歌の影響を受けつつも、身近な自然、人、街を見つめ、「観念」でなく「写生」に徹した。

 小林高、宮崎大宮高で教壇に立つ傍ら、宮崎市の歌人伊藤一彦さん、浜田康敬さんらと76年に「南の会」を結成。作家論や合評をたたかわせた。同人誌「梁(りょう)」を発行し、宮崎発の現代短歌を模索し続けている。

 これまでに発表した短歌は5千首を超す。「鳥語降る」は14作目の歌集だ。誰もが目にしながら見逃しがちな風景を独自の視点で切り取っている。

 老年の歌も少なくない。

 生者死者ともに笑ひて並びゐる国語科教員の昭和の写真

 往き来するたれかの祖父がいくたびもANAの到着時刻を見上ぐ

 保証期限切れたる臓器下げながら長い堤防の道を歩める

 「私たちは今、すごく長い『老いの日常』を生きている。平均寿命が短かった近代の歌人が経験できなかった時間。これこそ現代歌人の重要な素材だ」

 この歌集にはもう一つ、テーマがある。戦争だ。

 白飯(ぎんしゃり)を食ひたけれども食へざりし戦後知る人も少なくなりぬ

 平和あればつづきに戦争(いくさ)のあることをゆめ忘るなよ木々芽ぶく春

 特攻機見送るやうに鷺(さぎ)の群れ消えてゆくまで立ちてあふげり

 「若いころは未来を夢見たが、齢(よわい)を重ねると自分の原点を探りたくなる。私の少年期は戦争の時代だった」

 生まれ育った台湾の思い出は、灯火管制と空襲警報であり、防空壕(ごう)への退避だった。敵機の爆音がゴロゴロと響き、空襲で壕の内壁がズズズッと崩れる――恐怖に身を縮めながらも、陸軍士官学校予科練にあこがれる軍国少年だった。

 いま、ロシアのウクライナ侵攻に思う。「核大国が脅すと、外交は機能しない。私たちは戦争と戦争の間にいるだけかもしれない。微力だろうが、私は反戦の思いを詠み続ける」

 鳥語降る樹を見上げゐる朝の道悲哀の声はみぢんもあらず

 歌集の題になった歌は、頭上でさえずるスズメたちに「悲哀の声はない」と詠む。すがすがしい朝の印象だが、「鳥たちは明るいけれど私は……と考えるとどうでしょう」。そう言って小さく笑った。(佐藤修史)