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2022年5月21日 3:00

デフリンピックで涙「爪痕が残るくらい拳を握りしめた」 日本選手団出場辞退で選手たちは?

デフリンピックで涙「爪痕が残るくらい拳を握りしめた」 日本選手団出場辞退で選手たちは?
ブラジルで開催された聴覚に障害のある選手の“オリンピック”「デフリンピック」で突如、日本選手団の出場辞退が発表されました。ショックを隠せない選手たちの思いとは。

    ◇

「デフリンピック」は新型コロナの影響で延期となり5年ぶりの開催となりました。

大会11日目。閉会まであと4日を残したところで、突然、全日本ろうあ連盟から日本選手団の全競技・全試合の出場辞退の発表があったのです。

その理由は、新型コロナ。

日本選手団149人中11人の感染が確認されたためで、全日本ろうあ連盟は「感染源は各競技会場にある可能性が高いと判断し、日本選手団の命と安全を最優先に考えた」としています。

しかし、感染者が確認されていない競技でも“連帯責任”のような形で出場辞退となったことから、選手らからは、「納得のいかない」「説明不足」といった声もあります。

2大会連続の金メダルが期待されていた陸上男子4×100mリレー。試合の出場辞退が発表されたのは、予選が行われる2日前。

陸上は屋外でおこなわれる競技であることなどから、日本デフ陸上競技協会は、連盟に対し選手らが出場出来るよう試合の当日、競技場に移動しなければならない時間ギリギリまで交渉しましたが、最終的に全試合の辞退となりました。

最終決定から2日後の夜、この決定について、リレー選手らに話を聞きました。

◆佐々木琢磨選手(28)
全日本ろうあ連盟の本部の辞退する判断に対して納得できません。今回の判断はやり過ぎだと思います。もう少し説明をして欲しかったです。スタートラインにさえたてなかったことに関しては、出場するはずだった試合結果をみて、(出場した選手は)楽しそうだなと思いました。その場にいない、そのもどかしさ、モヤモヤがあります。

この経験はこれから、次のデフリンピックに向けてよい糧になると私は信じています。今大会に掲げた目標を、そのまま2025年大会へと持ち続けたい。これからも頑張っていきたいです。

◆山田真樹選手(24)
最初は、「まさか?嘘でしょ?」と思いました。でも、最終報告の時は、ずっと拳を握りしめながら話を聞いていました。怒りや悲しみなどの思いが巡って爪痕が残るくらい拳を握りしめていました。最終的に「出場できない」と聞かされた時、力が入らなくなって心の糸もプツンと切れました。

本当に悔しいし、悲しい。今までお世話になった人たちに恩返しをしたかったです。デフリンピックは、自分のパフォーマンスを示す場所であり、恩返しの場所だと私は思っています。それがどちらもできない、何もしていない、何もやっていない状態で、帰ってくるようなものです。今も心のどこかに穴がぽかんと空いてしまっていた状態です。

◆坂田翔悟選手(22)
中止の決定と報告があった時に、「私は何のために、ブラジルに来たのだろう」と思いました。「リレーでメダルを取ってやるんだ」と強い気持ちがあったからです。目標を失ってしまい、「次は何を目標にすればいいのか」、「この気持ちをどう立て直したらいいのか」、「どう切り替えればいいのか」、落ち着いて先輩方と話してきました。

それがあったから、今は新たな目標が、たくさんできました。これからは、目標を達成するため、新たな一歩を踏み出せるかなと思います。

◆山本剛士選手(20)
正直に言うと、自分は怒りと悔しさがあふれていましたね。せっかくブラジルに来たのに、陸上競技がまだ4日も残っているのに、全競技棄権というのは想像もつかなかったし驚きを隠せませんでした。

(渡航費は個人負担で)ブラジルまでの個人が払う約50万円は高いお金です。自分はまだ大学生なのでアルバイトで稼いだお金とか、地元や大学の激励会があってお金をもらっていたんですけど、リレーがやれなかったというのは、「なんで?」というか悔しい気持ちがあります。

◆北谷宏人選手(20)
先輩方にメダルを渡すつもりでいたので、(試合が)なくなったと聞いて、いろんな人を思い出しました。

(試合を辞退してから)いろいろ考えることがあって、結局試合に出ることは出来なかったんですけど、今まで合宿や一緒に過ごした時間は、デフリンピックのためにブラジルで過ごした2週間は自分にとって本当に大きな経験になりました。自分にとって良い経験になったと思います。

◆高田裕士選手(37)
ブラジルまで行って、自分の試合がなくなることは、想像しなかったので、「辞退」という報告を受けて、何も考えられませんでした。(頭が)真っ白の状態。何を言っているのか分からなかったです。5年間頑張ってきたことを発揮する場所がなくなってしまいました。気持ちを落ち着かせることは、とても難しかったです。

日本にいる息子から、こんなメールがきました。
息子「お父さん、本当に出られないの?」
高田選手「そうだよ。本当に出られなくなったんだよ。残念だけど、これまでいろんな人のサポートを受けて、とてもありがたい気持ちが大きいよ。」
と伝えました。

試合がなくなったのは残念だけど、それも人生かなと思います。仲間や家族、いろんな人と一緒に過ごした時間はなくなりません。それは自分の人生の宝物だと思います。

他の国の陸上仲間からメールで「日本がいないのは残念」、「日本がいないデフリンピックは、デフリンピックじゃない」と言われました。また、「もし日本が出ていれば、他の国のメダルは減ると思うけど、日本がいないのは残念」とも言っていただけ、スポーツマンシップを感じました。他の国の選手との絆、デフアスリートとしての絆、今回辞退したことで、より強くなったと感じました。

私は、今年38歳になるので、「次の大会を目指す」、「頑張る」とは簡単には言えません。けれど、1年、1年、頑張って、もし2025年大会に選ばれるのであれば、今回の悔しい思いを払拭したいと思います。今の気持ちは、残念だけど、「ありがとう」という気持ちの方が大きいです。

◆佐藤將光監督
選手もスタッフも連盟に最後まで出場交渉を続けましたが、決定を変えられませんでした。スタートラインにも立てなかった選手の気持ちを考えるとすごく切ないのが本当の気持ちです。それは、やはり私の責任であると思います。選手には1つも非はありません。

無事帰国した選手らをどうかみなさま、あたたかく迎え入れていただければ幸いです。今回のことを乗り越えて、陸上競技チームはさらに強くなっていくと信じています。全員が一からまた頑張りたいと思います。

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日本テレビは、全日本ろうあ連盟へ、今回の決定に至るまでの詳しい経緯などについて取材を申し込みましたが、20日時点で、回答は得られていません。
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