佐渡座は1621年に作られた。
その経緯は、佐渡奉行鎮目惟明より、筋金を江戸に送り、佐渡で行用する小判を取り寄せることは不安心であるから、庄三郎手代を佐渡に呼び小判を鋳造することを幕府へ伺い出た。
結果、同年7月庄三郎手代の後藤庄兵衛、山崎三郎左衛門が佐渡へ渡り相川で小判を鋳造することになった。。。というものである。
よって佐渡座で小判が作られたのは明白ではあるが、佐渡で使う分を作ることが目的であるならば、数は少なかったものと思われる。
佐渡座の小判を特定するのは無理だと思われる。
佐渡座の小判の「金座人極印」「棟梁極印」は、江戸座、京座と違うものであると思われる。
古銭界では、「佐」の「金座人極印」が付いた小判が佐渡座であるという意見もあるが、江戸座小判と区別する要素がない。
また「佐」の「金座人極印」が付いた小判は修復小判が多く、佐渡座で修復小判を作っていたとは考えにくい。
よってこれらは江戸座と理解するのが良いのではないかと思う。
結局のところ「金座人極印」「棟梁極印」が、江戸座、京座と違い、「五三の桐」「おもて面、裏面花押」「一両」極印で
明確な差がみられるものが発見されない限り、佐渡座小判を確定するのは難しいのではないかと思われる。
(ⅱ)のパターンの慶長小判を探したが発見できなかった。なので、(ⅰ)のパターンで慶長小判佐渡座は存在するが、慶長小判江戸座と区別はできないと個人的には評価している。
ただ、あくまで、私が探した範囲(中期、後期慶長小判江戸座合計130枚程度)での評価であるので、(ⅱ)のパターンは今後発見されるかもしれない。