今回は慶長小判試鋳江戸座の次期である慶長小判金前期江戸座の時代分類について解説したい。
徳川家康が関ケ原の戦いに勝利した翌年の1601年ころから制作されたと思われる。
領国貨幣から全国統一貨幣にするにあたり、裏面花押を花2型に、おもて面「光次」を離光次型に変更した。
「五三の桐」が大きくなり、「裏面花押」も太った感じになり、「光次」極印も大型化した。製造技術も上がり、打刻がかなり明瞭に深く打たれるようになる。
※前期額一分金打ち直し品慶長一分判金、前期慶長一分判金の「一」と玉はつながっていない(以後離れ星と呼ぶ)
「❀、助、新、与、藤、清、重、圭」ほかにもあるが現在対応する漢字がないので、それらについては紹介は控えておきたい。
・慶長小判試鋳江戸座タイプEと慶長小判前期江戸座タイプBの中間的書体。
・「光」の第六画と「次」の第三画が離れている。一般的に離光次と呼ばれている。
・「藤」という江戸座の小判師の極印が打たれているので江戸座。
・後述のタイプCとタイプDは連続している。よってBCDかCDBである。離光次の離れ度合いがDタイプより大きいので、Dタイプより古い小判。つまり、BCDという順になる。
・「光」の第六画と「次」の第三画が離れている。一般的に離光次と呼ばれている。
・通常ゴザ目は5列配列であるのだが、この「光次」書体を打たれた小判のみ2列(もしくは3列)配列である。
・「藤」という江戸座の小判師の極印が打たれているので江戸座。
・「光」の第六画と「次」の第三画が離れている。一般的に離光次と呼ばれている。
・「光」の第六画と「次」の第三画が離れていないが、額一分金の面積が小さいため、離すことが難しかったと思われる。
書体的にはCタイプであると判断。同じ書体で微妙に離れているものも存在する。
・「光」の第六画と「次」の第三画が離れている。ただ、離れ方がCタイプより小さくなっている
・Cタイプと同じ五三の桐極印を使っているので、Cタイプの次だとわかる。
※おもて面「光次」が慶長小判前期江戸座タイプDで裏面花押が一見花1-1型のようになっているものもある。この場合はおもて面「光次」を基準にして時代区分するべきであるので、ここに含まれる。つまり花1-1型ではない。
・「光」の第六画と「次」の第三画が繋がっている。
・画像のEタイプと同じ五三の桐極印を使っているDタイプの現存が確認されているので、Dタイプの次。
・対応する額一分金と額一分金打ち直し慶長一分判金がある。偽造対策としての打ち直しであるので、この次の時代から額一分金は作られなくなったと思われる。
※小判師坂倉九郎次が1761年より後の時代に記した「吾職秘鑑」によれば「小判出来の後分判出来たるよし初出来たる分判ハ表に
極印打裏に光次とのミ極印有けるに似せ分判多く出来るゆへ桐と判とを極印に打そへ今のことくになりたるよし也」とある。
これによれば、額一分金は偽造対策で慶長一分金に打ち直され、以後慶長一分判金が新規に作られるようになったようである。
・おもて面の左上の星の数は4つ星、右上の星の数は5つ星。
・「光」の第六画と「次」の第三画が繋がっている。
・前期江戸座の小判師「与」であるので江戸座に決定。
・慶長小判前期江戸座タイプF-1は花2型である。慶長小判前期江戸座タイプGには花3型しかないのでタイプGよりタイプF-1が古い。
・慶長小判前期駿河座タイプA-1との関係から、この小判は1607年ころ製造されたと思われる(前期駿河座参照)
※おもて面「光次」が慶長小判前期江戸座タイプF-1で裏面花押が一見花1-2型のようになっているものもある。この場合はおもて面「光次」を基準にして時代区分するべきであるので、ここに含まれる。つまり花1-2型ではない。
・おもて面の左上の星の数は4つ星、右上の星の数は5つ星。
・「光」の第六画と「次」の第三画が繋がっている。
・慶長小判前期江戸座タイプF-1とおもて面「光次」が同じなので江戸座。
・慶長小判前期江戸座タイプF-2は花3型である。
・おもて面の左上の星の数は4つ星、右上の星の数は5つ星。
・「光」の第六画と「次」の第三画が繋がっている。
・「❀」「藤」という江戸座の小判師の極印が同種の小判に打たれているので江戸座。
・おもて面の左上の星の数は4つ星、右上の星の数は5つ星。