三浦浄心(1565~1644)は「後藤庄三郎という人京よりくだり、おなじおひつじの年(1596年)より金のくらいを定め、
一両判を作り出し云々」と慶長見聞録に記載している。江戸座はこのころ作られたのであろう。
江戸座は4座(江戸座、京座、駿河座、臨座)で最も古い座である。武蔵墨書小判、慶長小判試鋳が作られた。
武蔵墨書小判と慶長小判試鋳の違いは、おもて面が墨書きか極印式かという大きな差があるので一目瞭然にわかる。
武蔵墨書小判は墨が流通過程で落ちてしまい不便であったので、墨が消され、上から極印を打たれて慶長小判試鋳に仕立て直された(長小判とも呼ばれる)
武蔵墨書小判は作られなくなり、慶長小判試鋳が変わって作られるようになった。製造技術が未熟で打刻が弱く、不鮮明なものが多い。
慶長小判試鋳、慶長二分判金、武蔵墨書小判は徳川家康が関八州の領国貨幣として後藤庄三郎光次に作らせたものであろう。よって関ケ原の戦い(1600年)以前の制作と思われる。
慶長小判試鋳は、江戸座で最初期に製造された。試作的段階であったので「光次」の書体に連続性はあまりない。
ただ、慶長二分判金との対応の有無、ゴザ目の打ち方、おもて面「光次」の書体、裏面花押の推移から古さの順はある程度わかる。
また、慶長小判前期江戸座とは①裏面花押②おもて面の花押という点で大きな違いがあるので比較しながら解説してゆきたい。
※2014年ころから大量に出た試鋳慶長小判、前期慶長小判、額一分金、前期慶長一分判金は無刻印のものばかりである。このことから、前期の時代は両替印を打つ習慣がなかったものと思われる。
よって、両替印が打たれ始めたのは中期慶長小判、中期慶長一分判金が製造された時代からである。
また、これらの中に領国貨幣である慶長二分判金、武蔵墨書小判は含まれていなかったので、関八州以外で秘蔵されたのであろう。秘蔵地まで流通しなかったと思われる。
領国貨幣であるが、全国統一貨幣と区別せず使えた慶長小判試鋳江戸座、それに対応する額一分金はこの中に含まれていた。秘蔵地まで流通したと思われる。
※慶長小判試鋳江戸座については慶長小判前期に比べて現存数が非常に少ない。これは①領国貨幣として作られたため、全国統一貨幣として制作された慶長小判前期に比べて数がそれほど作られなかったこと、②最古の慶長小判であったので、汚損や摩耗、切れ小判として滅失する機会が前期小判より多かったこと、の2点が原因しているのではないかと思われる。市場でもその希少性により、一般的な前期小判の数倍の値段が付くことが多い。
「与、藤、新、重、助、❀」ほかにもあるが現在対応する漢字がないので、それらについては紹介は控えておきたい。
・五三の桐が小さい。
・裏面花押の右の大きな袋は、平べったい感じで横長。
・おもて面に「武蔵」と記載してあるので、関八州の領国貨幣として作られたことは明白である。墨書きであるため流通に適さないことと、後藤庄三郎光次が必要量を墨書きするのは不可能であることから、早々に極印式に変更されたと思われる。
・通常あるはずの裏面花押の中央の小さな丸が無い。これは慶長小判試鋳江戸座タイプA、Bにもみられる特徴である。
このことからも慶長小判試鋳江戸座タイプA、Bが最古の慶長小判であることがわかる。
・幅の広いU字槌目で打たれている。
・画像の通りの違い。
・おもて面「光次」に対応する慶長二分判金あり。
・慶長小判試鋳江戸座タイプAは幅の狭いU型槌目で打たれている。
・試鋳の裏面花押のちょんまげの右端は跳ねていないが、前期のちょんまげの右端は跳ねている。
・試鋳の裏面花押の右の大きな袋は、平べったい感じで横長(この特徴は武蔵墨書小判からの影響)。前期のものは太った感じで横長ではない。
・通常あるはずの裏面花押の中央の小さな丸が無い(この特徴は武蔵墨書小判からの影響)。このことからも慶長小判試鋳江戸座タイプA、Bが最古の慶長小判であることがわかる。
・ゴザ目が幅の狭いU字槌目で打たれている。
・試鋳の「光」の第6画は第5画の真ん中から生えているが、前期の第6画は第5画の下方から生えている。
・おもて面「光次」に対応する額一分金、慶長二分判金あり。
・慶長小判試鋳江戸座タイプBは幅の狭いU型槌目で打たれたもの、V字で打たれたものがある。
・「光次」書体の似たものが2種類確認されている(つまり厳密には慶長小判試鋳江戸座タイプB1、B2、B3がある)
・試鋳の裏面花押のちょんまげは「つ」になっているが、前期のちょんまげの右端は跳ねている。
・試鋳の裏面花押の右の大きな袋は、平べったい感じで横長(この特徴は武蔵墨書小判からの影響)。前期のものは太った感じで横長ではない。
・通常あるはずの裏面花押の中央の小さな丸が無い(この特徴は武蔵墨書小判からの影響)。このことからも慶長小判試鋳江戸座タイプA、Bが最古の慶長小判であることがわかる。
・ゴザ目がV字で打たれている。
・試鋳の「光」の第6画は第5画の上方から生えているが、前期の第6画は第5画の下方から生えている。
・おもて面「光次」に対応する慶長二分判金あり。
・U字槌目打ちからV字タガネ打ちに変更したばかりであるので、ゴザ目打ち技術がまだ未熟(交差せず、整然)であるものも多い。交差、非整然に打たれたものもある。
・試鋳の裏面花押のちょんまげの右端は跳ねていないが、前期のちょんまげの右端は跳ねている。
・試鋳の裏面花押の右の大きな袋は、平べったい感じで横長(この特徴は武蔵墨書小判からの影響)。前期のものは太った感じで横長ではない。
・これ以後慶長二分判金は製造されなくなったと思われる。理由は非常に薄く引き伸ばされたため、簡単に切れ、汚損が生じて、流通に適さないと判断されたものと思われる。
・ゴザ目が幅の狭いU字槌目で打たれている。
・試鋳の「光」の第6画は第5画の上方から生えているが、前期の第6画は第5画の下方から生えている。
・おもて面「光次」に対応する慶長二分判金なし。
・V字タガネ打ちの製造技術がかなり向上(交差、非整然)している。
・「光次」書体の似たものが1種類確認されている(つまり厳密には慶長小判試鋳江戸座タイプD1、D2がある)
・試鋳の裏面花押のちょんまげの右端は跳ねていないが、前期のちょんまげの右端は跳ねている。
・試鋳の裏面花押の右の大きな袋は、平べったい感じで横長(この特徴は武蔵墨書小判からの影響)。前期のものは太った感じで横長ではない。