慶長小判は鋳造期間が100年近くにわたるため、数多くの種類がある。
分類には、①おもて面の「光次」の書体②おもて面花押(傾向であって例外はある。)③裏面花押④小判師の名前⑤五三の桐、一両極印⑥ござ目(傾向であって、例外はある。)⑦小判のおもて面花押に対応する慶長二分判金、額一分金、慶長一分判金、額一分金打ち直し慶長一分金⑧小判の縦の長さ、おもて面「光次」極印の縦の長さの8つを見て判断することになる。
①おもて面の「光次」の書体・・・生物の進化のように少しづつ変化していくので、この微妙な変化の順に製造の順番を決めていく(ただし中期、後期小判にはこの考えはあまり役に立たない。後藤庄三郎光次が製造を統括していた前期小判についてのみ適用できる考えである。)
②おもて面花押(傾向であって例外はある。)・・・おもて面花押の傘の開く部分の長さが古いものほど短い傾向がある。また、古いものは傘の開く部分の右下が筒抜けていることが多い(新しいものにこの傾向はない)
③裏面花押・・・基本的に時代が進むにつれ花1型、花2型、花3型、花4型と変化していく。
④小判師の名前・・・当時は手前吹きと言われて近隣の小判師が吹屋職人の協力を得て、自宅で小判を製造したようである。そして後藤役所に持参し検査を受けた。合格すれば検極印を打たれたようである。
全国統一貨幣の製造で忙しく製造地近隣の小判師が雇われたのであり、まだ戦国の空気が残る時期であったこともあり距離的に離れている江戸座、京座、駿河座の小判師がわざわざ移動してまで他の座に行く必要はあまりなかったと考えられる。
よって小判師の名前は江戸座、京座、駿河座を区別するのに役立つ。実際、小判のおもて面「光次」「五三の桐」「一両」裏面「花押」を基準に前期江戸座、前期京座、前期駿河座に分類すると、小判師は3座でほぼ分かれている。
また江戸座、京座、駿河座のどこにも属さない小判師数名の打たれた前期慶長小判の存在が明らかになり、その製造場所を製造地不明(江戸座近傍)とした。
試鋳小判、前期小判は小判師に連続性がある。試鋳小判は関八州の領国貨幣として制作されたが、関ケ原の戦い(1600年)以後は、全国統一貨幣としての必要量ができるまで続けて前期小判として製造された。
前期小判の小判師が、中期小判の金座人になったと思われるが、名前の連続性があまりない。
よって前期小判製造後、しばらく小判は製造されなかったと思われる。汚損や摩耗、滅失で小判が足りなくなり、中期小判が製造されるようになった。よって中期から修復小判が製造されることになる。
中期小判と後期小判の金座人にはあまり名前の連続性がない。
よって中期小判製造後、しばらく小判は製造されなかったと思われる。ただ、明暦の大火で江戸復興のため多量の小判が必要になり、後期小判が製造されるようになった。
※上記のことは一分判金についてもあてはまる。
⑤五三の桐、一両極印・・・つぶれるまで使用されるため、異なるおもて面「光次」の小判に同じ五三の桐、一両極印打たれていたら、それらの小判は時代的に連続しているということがわかる。
また古い小判ほど、五三の桐の外枠の上辺と下辺の曲率が小さく、平べったい傾向がある(あくまで傾向であって、そうでない場合もある)
⑥ござ目・・・ござ目は5列に打たれている。武蔵墨書き小判は幅広U字槌目で打たれており、最も古い慶長小判は幅狭U字槌目で打たれている。古い慶長小判は交差非整然にV字タガネが打たれており、新しい慶長小判は非交差整然とV字タガネが打たれていることが多い(あくまで傾向であって例外がある。例えばV字慶長小判の最初期のものは製造技術の未熟さから非交差整然とV字タガネが打たれている)
・ゴザ目の5列が重なっており、非整然なタイプ(古い小判)