フジテレビの金光修社長(67)の著書「あの頃、VANとキャロルとハイセイコーと…since1965」(03年)と「東京ビートポップス~音楽も街も人もワクワクしていたあの頃」(10年)が、扶桑社から電子書籍で復刊された。80年代から90年代にかけて「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」などを手掛けて、フジテレビに黄金時代をもたらした”伝説の編成マン”。昨年6月のフジテレビ社長就任以来、初めてスポーツ紙のインタビューに応えて、その思いを明かしてくれた。

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編成マン時代に、さまざまなヒット番組を手掛けた。その中でも、印象深い番組として92年に始まった「アジアバグース」と、94年の「Revolution No.8」を挙げる。

「アジアー」はアジアの国々を巻き込んだ”多国籍オーディション番組”。「Revolution No.8」は“インターネットの日本本格上陸”の1年前に放送したインターネット番組だった。

「今の作り手にも同じようなことを期待したいけど、環境が違うから、それを求めるのも無理だろうなと思う。あの頃は“何かのために”ではなかった。面白ければいい、かっこよければいい、誰か人がやってなけりゃいい。それが価値だと認める時代だったから。私も社長という立場になって、そういうことを価値として認めるって言いたいですよ。でも、みんながそれをやり出しちゃったら会社おかしくなっちゃうんですね。社長になる前の局長ぐらいだった時は、いろいろな提案に対して、基本的には全部やらせています。全部やれ、やれるように企画書を書けと。つぶされるのもあるけど、ほとんどがうまくいかない。やっぱり、環境が整ってないから、周りに応援してもらえないんだろうと思います」。

まだインターネットが普及してない時代に、インターネット番組をやった。

「何がこれから出てくるんだっていうことを、テレビマンは考えていかないといけない。新しいものには、何でも飛びついていった。それは、テレビが生まれてからずっとそうじゃないかな。だから、予感もするじゃないですか。これからは絶対インターネット社会になるっていう状況じゃなきゃ、やらないですよね。新しいだけじゃね。それは、常にありました。次に何がはやるかですね」

98年にCSで始めた「競馬予想TV」は、今も放送されている。

「この間、1000回記念で行ってきました(笑い)。競馬の番組って、競馬新聞のトラックマンが予想して、解説するっていうのがお決まりだったじゃないですか。それで、競馬ファンとしては納得できなかったわけですよ。彼らの主観的で客観性のない予想が。でも、世の中にはダビスタ(競走馬育成シミュレーションゲーム)もあったし、いろいろなところで、データとかパソコンで予想してる人がいるのを知っていたから。だから、そういう人間だけ集めて予想番組を作った。今は、他のチャンネルでもやってますけど、あの番組が走りです」。

(続く)【小谷野俊哉】

◆金光修(かねみつ・おさむ)1954年(昭29)10月28日、東京・石神井生まれ。1978年(昭53)早大第一文学部を卒業して、西武百貨店入社。83年フジテレビ入社。編成担当として「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」「カルトQ」「ワーズワースの庭で」「バナナチップスラブ」「ラスタとんねるず」などの番組を手掛ける。97年CS放送立ち上げのためジェイ・スカイ・ビー派遣され、98年に「スカイパーフェクTV!」を立ち上げる。99年BSフジに出向。12年執行役員。13年専務。13年フジ・メディア・ホールディングス(FMH)常務。15年FMH専務。19年FMH社長。21年フジテレビ社長を兼任。