夕雲先生は「相打ち」に流儀の本質がある事を
説かれております。
相打ちにすべき理由とは何か?
より分かりやすい法話を出すと、
”有財餓鬼と無財餓鬼”
の話になります。
兵法における有財餓鬼とは、
すでに持っている財産(特に命、地位、名誉など)を
死ぬ、負ける事で失う事を恐れる心。
無財餓鬼とは、
まだ手にしていない”勝ち”と言う財産を
何としても手に入れたい欲望です。
平たく言えば、
”自分の命を至上に思い、お相手の命を軽んずる心”
(自己を向上に思い見誤り、他人を目八分に見落す)
の事です。
自身を公平の場に立たせることが出来た時に
自然の勝ちが生まれます。
その勝ちも大勝ではなく、紙一重の勝ちが出来た時に
夕雲先生(一雲先生)の言う義の心を理解できます。
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