青汁王子として世間に知られている三崎優太氏が、YouTube等で執拗に誹謗中傷され、Google側がそれに対応しなかったことで心が折れて自殺未遂を引き起こしている。今、私たちは三崎優太氏が言う「殺人プラットフォーム」と共に生きていることを理解する必要がある。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
誹謗中傷は消えないというのが現実であると認識せよ
青汁王子として世間に知られている三崎優太氏が、YouTube等で執拗に誹謗中傷され、Google側がそれに対応しなかったことで心が折れて自殺未遂を引き起こしている。直前まで、Twitterにはこのような投稿がなされていた。
『YouTubeは殺人プラットフォームですか? 事実無根のことを毎日投稿され、150本近くの誹謗中傷を容認しています。警察が動いているのに広告をつけ、誹謗中傷による収益を与えています。150本以上の誹謗中傷をされたら、一般の人は自殺してもおかしくないです。本当にどうかと思います』
2年ほど前、プロレスラーであり芸能人であった木村花さんが誹謗中傷に心を病んで亡くなったことで政治も動き、発信者の特定を容易にするための制度改正もされた。
しかし、誹謗中傷が渦巻く状況はそれほど改善されておらず、そんな中での三崎優太氏の自殺未遂だった。
誹謗中傷は許しがたいことである。他人に対して「お前なんか生きている価値はない、死ね」とか言っている人間や、その人の事実ではないことをさも真実であるかのように流布するような人間を処罰しやすくするのは非常に理に適っている。
しかし考えなければならないのは、いくら法規制を強化したところで法の抜け穴などいくらでもあるし、法で規制したら誹謗中傷をする人間が悔い改めるかと言えばまったくそうではないということだ。
今回の三崎優太氏の自殺未遂でも分かるように、誹謗中傷をする人間は法がどのように変わっても誹謗中傷するのである。
そもそも誹謗中傷はインターネットが登場する以前からずっとリアルに存在していたものであり、人間の心の根ざしたものなのだから根絶することはできない。今後も、いくらでも湧いて出てくる。
法務省が報告した「インターネットを利用した人権侵犯事件の推移」を見ると、誹謗中傷は減るどころかどんどん増えているということが分かる。
インターネットで誹謗中傷が渦巻く場としてはTwitterもしばしば問題になっている。
同社は今までも何度も何度も誹謗中傷の「溜まり場」になっているとして批判されて、その都度システムや規約を変えて対処してきた。しかし、結果は芳しくない。
発信者の特定を容易にしようが何だろうが、誹謗中傷は消えないという現実を私たちは受け入れざるを得ないのが現実の姿だ。
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インターネットは「言葉の暴力地帯」である
すでにインターネットは罵詈雑言が渦巻く荒廃した暴力地帯となっており、その傾向はますます拍車がかかっている。SNSなどは「憎悪の増幅装置」であると断言するITジャーナリストもいるくらいだ。
もともとインターネットのシステムは、言葉の暴力を誘発しやすい素地がある。
2010年頃からは実名性であれば無益な誹謗中傷は減るのではないかというアイデアがなされて、それがFacebookのようなSNSで実現化していった。しかし、それで誹謗中傷はインターネットの世界から減ったのか。
もちろん、減るわけがない。
Twitterのような匿名の空間は相変わらず残っているし、実名ベースのFacebookの中でも意見の対立があると、やがて激しい言い合いとなって言葉の暴力が必ず生まれている。YouTubeでも誹謗中傷が渦巻いている。
三崎優太氏はこれを「殺人プラットフォーム」と言っているが、ほぼすべてのSNSは殺人プラットフォームとなるのだ。現実の世界で暴力と憎悪が満ち溢れているのであれば、それはどのような形であってもSNSに反映していくからだ。
子供のいじめもSNSに持ち込まれていて、「ネットいじめ」という形で定着している。SNSが「言葉の暴力地帯」であることは、子供たちこそが身近に感じている。今はもう、ありとあらゆる人がこの殺人プラットフォームとは無縁ではない。
今後もさらにSNSが社会の深部に定着し、人々は24時間365日、SNSに依存するだろう。そうすると、誹謗中傷・罵詈雑言は今後も強烈なまでに拡大していくのは避けられない。
憎しみや怒りや残酷な感情が芽生えたとき、手元にスマートフォンがある。どこにても気軽に何かを書き込むことができる。だから、標的に向けて憎悪を表現する人間が増える。
そして、誹謗中傷・罵詈雑言は時代を積み重ねるほど、書く方も読む方も一種の慣れが生じて、よりエスカレートしていく。そして、SNSは三崎優太氏が言う「殺人プラットフォーム」となっていくのである。
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事態はどんどん最悪に向かって突き進んでいく
人間は誰もが暗くマイナスの感情を持っている。だから、SNSというインフラが用意されて、そこに数十億人もの人間が乗っかっているのであれば、壮絶なる誹謗中傷の場になるのは、当然の帰結だったのだ。
それは決して沈静化しない。SNSの世界では、言葉の暴力が永久に記録されてそこに残る。だから、事態はどんどん最悪に向かって突き進んでいく。
殺人プラットフォームと化したSNSの誹謗中傷が原因で自殺している人たちは、決して著名人だけではない。普通の人も当然、巻き込まれていく。激烈な中傷に耐えかね、言葉の嵐に身をすくませ、標的にされた人は疲れ果てて死を選ぶ。
自殺だけが問題なのではない。そこに至らなくても、ショックを受け、心の底から傷つき、精神的な問題を抱える人たちの方が多いだろう。
SNSは、こうした状況を増長させている。SNSは「健全な意見の増幅器」としての役割を果たすが、悪意も増幅するのだ。
何とか事態を打開しようと、いくつかのSNSは問題のあるユーザーのアカウントを次々と閉鎖しているのだが、どんなに閉鎖してもすぐに新しいアカウントが作れるのだから、何の意味もない。ただのイタチごっこである。
そもそもSNSだけでなく、掲示板でも、コメントでも、動画配信でも、ありとあらゆる「投稿の場」は殺人プラットフォームとなる。Yahoo!のコメントも、記事の内容によってはしばしば問題投稿で閉鎖されている。
知らなければならないのは、牧歌的で誹謗も中傷も罵倒もないSNSが生まれることは100%ないということだ。リアルの世界でも人間関係の対立やもつれや決裂があるのだから、SNSでもそれが持ち込まれて当然なのである。
むしろ、最悪の事態になるまで悪化していくと思わなければならない。目を背けたくなる一歩手前まで状況は悪化していくことになる。
規制など意味はない。規制をすり抜けて、どんどん巧妙になって言葉の暴力と憎悪は浸透していく。それが激しい勢いで個人に向かっていき、その人が破壊されるまで続く。
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言葉で相手を追い込む殺人ゲーム
今後も、三崎優太氏のように自殺未遂にまで追い込まれる人、あるいは木村花さんのように自殺にまで追い込まれる著名人が必ず出てくるだろう。また、普通に生きていた人たちもまた同じ目に遭うだろう。
それでも人々は、SNSの利便性と言論の自由のために、言葉の暴力の横行を受け入れる。そして、激しい言葉の応酬と、誹謗中傷の矢が飛び交う殺人プラットフォームの中で生きていく。
殺人プラットフォームと化したSNSの中で起こるのは「言葉で相手を追い込む殺人ゲーム」なのだ。相手を極限まで追い込んで、相手を殺すと勝ちになるゲームだ。
何度も言うが、法の整備を強化しても防げない。悪意はいくらでも法をすり抜ける。規制にひっかかるギリギリのところで執拗な嫌がらせをすることもできれば、最初から法などモノともしないで誹謗中傷を行う人間もいる。
集団で特定の個人を追い込んで排除していく動きもあって、こうした動きは「キャンセル・カルチャー(排除文化)」とも言われるようになった。
三崎優太氏もそうだったが、プラットフォーム側に対処を求めても、訴えても、救済を求めても、事態はすぐに動かないので、その間に被害者は精神的にズタズタになっている可能性が高い。
誹謗中傷のターゲットになったら、執拗に、粘着的にそれは続けられるのである。それは「言葉で相手を追い込む殺人ゲーム」なのだから、ターゲットが衰弱し、究極的には死ぬまで続いていく。
残酷だ。しかし、それが私たちの生み出した「ハイテクの未来」である。私たちはこの殺人プラットフォームが存在する社会で、幸せを見つける必要がある。
こんな世界で、幸せというものがあればの話だが……。