読めない・書けない子供たち/それをビジネスにする悪人
学習障害やディスレクシアを揶揄しようという意図で書いたものではありません。あまりにもだらしない学習の結果、キチンと書けない・読めない子供が激増している現状を鑑みてのものです。
読めない・書けない子供を怒ると非難される?
「当塾の基本的な考え」にも書きましたが、少し前にディスレクシアと見まがうばかりの字を書く子供たちのことを書いたブログ「象形文字を書く生徒たち/字が汚いからではない」「判読不能な文字を書く生徒たち/公立中学1年生では半数近くを占める」をツィートにリンクさせたところ、特定の方に絡まれてプチ炎上騒ぎになりました。私は「ツイッターは拡散性がある分5ちゃんねるより酷い」と実感して、塾紹介の投稿だけを残して削除して、ツイッターから撤退しました。
この方たち曰く、「オマエはディスレクシアの子供に酷い扱いをする悪人だ! ロクな知識もなく塾などする資格はない!」です。でもブログを読んでいただけばお分かりになるように、私が書いたのは、
①中学受験をする子供が大部分を占める阪神間では、小学校は彼らの休息場になり、中学受験しない子供ではこの休息場の安楽な学習環境がデフォルトになっている。だから、漢字をおぼえる気もないので、視覚的にぼんやりおぼえているマークを書くことになる。「この部首で、こうなって・・」などとは考えて勉強していいない。マークとして漢字を書くのだから、部首間に整合性のない象形文字のような漢字になる。これがディスレクシアと見まがう字を書く子供たちの意味である。
②もちろん、こういういい加減極まりない学習が全教科で行われる。計算の規則はおぼえない、社会や英語の暗記なんか論外。全てに理屈も学ぶことはなく、曖昧にボヤっと象形文字のように虚ろにおぼえている。優秀な生徒の多くが中学受験で抜けた公立中学ではこういう子供の比率が多くなって、絶対評価で通知簿が甘くなっていることも相乗して、ディスレクシアかと思えるような字を書く子供に通知簿3がつく。
③親はこの壊滅的な状況を認知せずに、「通知簿3だから、塾で勉強方法さえ教えてもらえればどうにかなる。」と安易に塾に放り込んで、即席に結果をを求める。
ということで、読めない・書けない生徒が公立中学では激増している状況で、親は自分たちの時代の通知簿3と今の通知簿3が同じだと思って危機感がありません。別に私だけが感じていることではありません。東京都の板橋区ではあまりの酷さに対策を始めています。
学習障害ではない
彼らが学習障害と違うと断定できるところは、お尻に火が付けば自ら簡単に改善するからです。
こういう学習をしていてダメダメなのは分かっていても親と揉めたくない学校の教師は、通知簿に3をつけて、三者面談でも「頑張りましょうね~」程度のことしか言いません。それで親子とも安心しているのですが、3年の冬休み前の3者面談なんかで、唐突に「その志望校はムリっす。」と言われます。教師は親と揉める面倒な期間を最短にしたかっただけなんです。塾の講師もほとんど同じような感じです。
そこで、しぶしぶ志望校を下げて冬休みに過去問を解いてみても合格点に届かない。ここで初めて「ヤバい・・」と気づいた子供は、それまで2年半以上「でけへん」「おぼえられへん」と言ってきたことを1ヵ月少しでモノにして、合格点を取ります・・中堅私立高校なんてみんなこの程度だから、そういう合格点になっているんです。「中学3年の冬休みまで本気を出さない子供たちの将来」
これが学習障害ですか? ディスレクシアですか? 私はダラシないだけだと思います。だって、小学校6年生で三角形の面積も求められない子供が半分近くいるんですよ。中学受験せずに公立中学に行く生徒の多くです。彼らが中3の冬に危機感を感じれば立派に相似の入試問題解いて中堅私立に受かるんですから。
この先生、間違える理由わからないんすか?小学校では左辺をタテにした図を用いて「タテxヨコ」って習うから3X5÷2にするに決まってるやん。「直角を挟んでという理屈」を理解していて、「アッ、少し捻ってある。」なんて考える公立の生徒は優秀なんですよ。自分が子供の頃はここまで酷くなかったという感想も、親が今の通知簿3と昔の3の違いが分かっていないのと同じです。
こういう子供に「個性を伸ばそう」「怒っても解決しない」と言う奴らは、子供の将来にどう責任を持つねん?
私には、こういう生徒は、ただの怠け者だと写ります。だって、こんなことをしておいて、3流大学に行って学歴頼りで就職しようと思ってるんでしょ? 就職で「そのレベルの低い学歴はキミの個性だから」「仕事はいい加減にやって間違えても、大丈夫だよ。」「面倒くさい仕事はしなくていいよ。」なんて言ってくれる会社あります? そんな上司います?
私は今の二十歳代で4割が非正規雇用になっている現状は、賃金を抑える目的のためだけではなく、正社員として雇用できる若者が減ってきているためでもあると、子供たちを教えていて実感しています。公立校の下半分は底の抜けたバケツのような状態で、教えても指導しても矯正は無理です。「ランク下げた高校の合格点も取れない。行く高校がない。」という現実を見るまで矯正はできません。「公立中学の下半分の落ちこぼれ感が加速している/落ちこぼれた生徒の見分け方」
だから、こういう子供たちは「そんな大学行くことになったらダメやから頑張り!」は通用しないです。非正規になって、やっと現実と自分の愚かさを知るんですが、その時は手遅れなんです。だから、私はその手遅れになって欲しくないから、厳しくすることも必要だと言っているだけなんです。
こういう子供に手を焼いている親に、「大丈夫ですよ~」「個性をのばしましょう~」って言って取り入って親の気休めを商売道具にして、将来のない子供を育てるビジネスにしている奴らは最低です。「そんなダラケるヤツは許さない。塾に来る以上、進路に必要な学習はしてもらう。逃げも甘えもない。逃げたいのなら、しょうもない大学に行って非正規を覚悟しますと私に言ってからそれに見合ったいい加減な学習をしろ。」という私と、どちらがマシですか?
勉強が不得意で嫌いだと言うのなら、看護士の資格を取るとか、料理の修業をするとか、自分で自分に責任を持って違う道を選べばいいんです。私はそれを「勉強ができないヤツは塾の講師として蔑む。」なんて一切ありません。立派だと思います。精一杯応援します。私が子供に望むのは、「高校生にもなったら、自分の将来に責任を持って勉強するなり、他の道を探すなり、将来を覚悟して遊び惚けるなりしたらいい。」ということだけです。
ただただ、親と子供に甘く都合の良いことだけを言って顧客を囲おうとする奴らなど、最低だと思っているだけです。
SDGs、世界にひとつだけの花的なことを書いてある教育ビジネスは避けた方がいい
20年間子供を見てきましたが、ロクなことにはならないです。今の甘やかされている子供をさらに甘やかし、非正規雇用予備軍・社会で生きていけない子供を作るだけです。「女子生徒はよく見るべき/グローバル化は女性の貧困を生む」「転落する日本人女性/30年前のフィリピンや韓国になっている」というような状況は、特に芦屋などに住んでいたら、お分かりになっていないのです。私は子供に、「大阪の環状線に乗るか、三田の郊外に行くかして『普通の生活』を見てきた方がいい。このままでは、今芦屋で享受している生活をキミは将来はできない。」とよく言います。
褒めて育てて成功するのは、勉強でもスポーツでも音楽でも、大人が口を出すとかえって邪魔になる上位1~2%の特別優秀な子供だけです。そんな子供など、実際に勉強させたり、スポーツをさせたり、ピアノを弾かせたら、すぐに明瞭に見分けがつきます。だって、将棋の藤井君みたいに「これは別格だ」とすぐに分かりますから。
それと、「友達が塾に行って頑張っている。自分も頑張りたいから塾に行かせて欲しい。」と言って、親が放っておいても勝手に宿題を終わらせて中学受験塾の最上位コースにいる子供だけです。自分で必要な苦労を背負い込み、覚悟して努力して、その覚悟にふさわしい成績を残せる。国立大学に進み、優秀なサラリーマンになるはずです。因みに、私はビジネス・パーソンという間の抜けた言い方は大嫌いです。
親が尻を叩かなといけない子供、親が塾を探して放り込まないといけない子供など、野放しにすればロクなことにはならない。昔はそれでも良かったんですが、今は学校や塾に子供の矯正機能はまったくないです。そんな矯正をすれば、一部の親から強烈なクレームが入ります。この程度のことを書いただけでツイッターで炎上するんですよ。やるわけないじゃん。
だから、親がよほどしっかりとして「SDGs、世界にひとつだけの花? 子供を商売の道具にして食い潰すな!」と分かってないと話になりません。
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