5A 2022/05/18版
第5回
「畏敬と畏怖—かぶきからイキへ 日本ヤンキー芸術を巡る論考」の目標とは
1 日本の美術・文化史の畏怖・畏敬の美意識を現在のメディア・イメージへの影響から逆算して論考する。
2 通説的なハイアート的批評やトピックスを辿るのではなく、作者不在・共同体いしきにより同時多発的に成立した俗性の芸術史を紐解く。
3 庶民による風流の芸術史の最盛期である江戸期の芸術を構造的に読み解き、作り手ではなく受容する側—庶民の感性や欲望に即した論考を試みる。
ならびに江戸期までに完成の域に達した日本的俗芸術—美意識がどのように、今日の日本の美意識や芸術、そして思考に通底するものかを考察する。
4 ヤンキー芸術という新たな概念をもちいて、日本的メディア芸術、エンターテイメント、祭礼、服装、流行を明治以降の現代までの事例を上記した中世と近代の畏怖・畏怖の芸術の事象と照らし合わせて、新たな芸術史として論考する。
5 ヤンキー的なるもの—純日本的な俗の芸術を芸能、美術、祭礼、風俗、宗教、などを含む俗の芸術・文化のもうひとつの日本美術歴史として論考する。
日本のメディア芸術の系譜を民俗学的視点から系統的に俯瞰する。
■初めに
前回、前々回と、たぶん、あまり興味がない日本史・日本の美術に関するお話に付き合って頂きました。そこだけ読んだ人は、なんでこれがメディア・アート、または情報芸術と関係するんじゃい、ワレィ〜とか、ヤンキーばりに怒ったんじゃないかと心配しています。要約といいつつ、テキスト長かったし…
今回もその続きではありますが、現代についての論考です。皆様の生きている今の年号と地続きの、平成。昭和の時代における、俗の芸術、庶民の美術についての論考です。
それは日本の俗芸術、マンガや、アニメや、ファッションや、音楽。そして暴走族、ギャル、JK、カワイイなど、ストリートカルチャーや、若者の流行などについての論考です。
ハイ・アート、トラディショナル・アートの対極にある、俗物、大衆、(中世の風流の系譜といえる)民間のはやりものに関する考察です。
それらを、ひっくるめてヤンキー文化・ヤンキー芸術と呼んでみます。
あの粗暴で、痛い人たち、ドキュンなヤンキーです。みなさんと違う人たち? いえ、あなたもヤンキー文化の一員なのです。
ここで論考する、日本的文化、日本の芸術に通底するのは、怖さや畏怖の念を味方に付けて、崇め、身体的振る舞いとして模倣し、意匠として身に付け、生活のすべてに再配置していく日本文化に通底しているヤンキー的なものです。
共生のためのシンボルとして、同時代生、同世代、同地域の共通的体験、理解の中核に通底するヤンキー的なものが、日本のアニメーションや、マンガや、ゲームなど、様々な日式エンターティメントに、どう機能しているか、溶け込んでいるのか、を検証します。
残念ながら、私なんかじゃとても全容を網羅して扱えません。
そして90分の講義で済ませられる話ではありません。だから概要とトピックスの紹介に終わるしかありません。
でも、筋道は通して説明したいので、最初に江戸から明治への移行の歴史—開国・近代化・西洋化について話します。本来は純日本的であったが、「アメリカナイズされた日本的なもの」になっていった過程についての説明です。
神社合祀(じんじゃごうし)、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や、その後の第二次世界大戦(日本帝国は大東亜戦争と呼びました)と、その敗戦後にやってきたもう一つの開国—民主化、アメリカ文化の受け入れと、閉ざされていた日本的文化の復興について最初に論考します。
和式(日式)芸術と文化と、西洋の融合は、いい言い方をすれば、ハイブリッド化であり、グローバル化ですが、悪く言えば、ぐしゃぐしゃになったと言えるのです。
勘違い、時勢変化、エラーによって出来た、現代の我々のcrazyな日本の芸術文化成立の要因が、そのような時代的影響、ながれにあるのではないかという考察から、講義を始めたいと思います。
※中国から来ている方は『東北往時之黒道風雲二十年』や『謝文東』の影響を受けた若者、最近話題の「鬼火少年」とかが、この日本のヤンキーと親和性をもちます。
アメリカに住んでいた方なら、「ホワイト・トラッシュ」や「ギャング・スタ」。ブリン・ブリンやヒップホップ系の文化。
ヨーロッパだと、イギリスのチャヴ(Chav)とか、「パイキー(Pikey)」、またはモッズやパンク。フランスの「リフラフ(Racaille)」、都市部にやたら多くいるイスラエルの「Arsim」の人たち。
いないと思いますがロシアに住まれていた方なら「コプニク(Gopnik)」の人たちに相当します。
これらは差別的なニュアンスを含む用語として、それぞれの国で使用されている言葉であることを充分承知した上で、あえて使用しておりますが、そのような人たちのこととかを思い起こしてみて下さい。
ここで扱う日本のヤンキーと類別されてしまうかわいげがあるものとは、比べようがないほど、ハードさがありますが、そんなものも、この論考には含まれているのです。
1 開国から敗戦へ アンチ西洋化思考—バンカラと武士道
1-A 廃仏毀釈と西洋化
〜民間の土着的宗教の否定
・王(皇)権復古と政治的統制による庶民文化の否定
・幻想の武士道を掲げ富国強兵政策を断行
~新国民意識高揚
鎖国が解かれ、明治期に入った日本は、国際化により、西洋文化を受け入れた。それまでの因習的文化や倣わし、慣習が大きく禁じられた。刀狩り、武士のちょんまげの禁止が有名だが、一般民衆に向けては、それまで乱立していた寺院等の施設や神仏が破壊され、神仏が合祀され、新しい宗教制度が強いられた。同様に、土着的風習や神事の多くがこの時期に廃止された。日本史として、学校で教えない神仏分離と廃仏毀釈である。
しかし、形を変え、変容しつつも、古代から中世・近代へと受け継がれてきた日本の文化ー民俗的文化と芸術が、皇国—神道を中心に据えた国家思想の中で、それまでとは違うものとして、読み替えられて受け継がれていった。
1-B バンカラと硬派 和洋折衷の不良青年の萌芽
~キメラ的新日本人の誕生とストーム
西洋化(ハイカラ化)されていく明治期の日本で、西洋文化への反発と、新しい若者の土壌から成立した猥雑な思想・運動が、硬派とバンカラであった。
バンカラ(蛮殻、蛮カラ)とは、ハイカラ(西洋風の身なりや生活様式:ハイカラさん)をもじった語である。明治期に、粗野や野蛮をハイカラに対するアンチテーゼとして創出されたもの。一般的には言動などが荒々しいさま、またあえてそのように振る舞う人をいう。(新しい若者、新しいかぶき者、明治のヤンキーだ。)
(軍服的な)学生服や学帽、マント、あるいは袴に学帽など、和洋折衷という、彼らのいでたちは、和服という文化がなくなってハイブリッド化が進んだというよりも、西洋からの借り物を寄せ集めで成立していると捉えるべきだろう。現代の日本と同じ矛盾がこの時代に萌芽した。
そのような独自アレンジを、本人たちは自分イケてると思った。
それがのちの不良文化、番長や変形学生服などの現代の学生カルチャー、美学へと多大な影響を及ぼす。
バンカラは同時期にストーム(嵐)と呼ばれた学生の暴力行為とも深く関連性をもつ。
現在でも品行のよい行為として継承される応援団などもこの時代のバンカラや硬派の流行を発端とする。
1-C 国家神道、国粋主義の振興 および軍国化における国家高揚
~美大の授業で簡単に説明するのは大変なので必要に応じて
調べて下さい。 日の丸&万歳です。 →URL
神国思想、大東亜戦争における神風特攻隊、鬼畜米兵といった戦意高揚に通底した帝国日本の歴史的蛮行に通底する国粋主義(ナショナリズム)には、武士道、神国・皇国という、ナチズムと比較される優性主義的な日本文明論が、強く広められていた。
ー敗戦(1945/08/15)ー
2 敗戦と日本的自意識の行方
〜日本精神の戦後 あるいは憂国的美意識のその後
敗戦とポツダム宣言、アメリカ軍による本土占領、軍事政府と軍閥の解体。および国民主権の民主主義の導入が押し寄せてきた。
連続講義の最初に書いた通り、日本には2度目の開国がある。一つ目はアメリカからやってきたペリーの黒船が発端となる開国であり、もう一つが第二次世界大戦敗戦後に訪れたアメリカによる占領と、その後のアメリカ文化と思想、および民主主義を移植された昭和の開国である。
この外的要因による転換は、民衆の文化にも大きな影響をもたらした。すなわち宗教や思想の自由、民衆による独自の文化発展である。明治期から押さえ込まれていた様々な文化・芸術活動が、新たにアメリカ的文化に影響を受けつつ、再びキメラ的交配が行われて、その後の日本の文化へと受け継がれていった。
すなわち今日の日本的(正確にはアメリカと新たに配合された)この国独自の文化・俗芸術(マンガやアニメや映画やゲームなど、日式メディア芸術を含む多面的なポップ・カルチャー)の萌芽が、この戦後の時代から始まった。
3 ヤンキー的庶民芸術の始まり 日本俗文化芸術の再生と萌芽
〜ストリート、アメリカ、夜と身体、アニメと漫画、etcへ
おらおらおらおらおらお〜
・特攻隊から愚連隊へ
戦後の混乱期を端として始まるのが、新しい時代の日本の任侠ものの歴史だ。特攻隊崩れで、愚連隊の筆頭となった万年東一氏や、安藤昇氏などの振興勢力の暴力組織の乱立。安藤氏の映画出演などという芸能界への進出。およびエースのジョー宍戸錠氏、番長シリーズの梅宮達雄氏、任侠映画の第一人者高倉健氏へと繋がる日活、東映、東宝によるギャングスタ、やくざ映画の制作である。(その辺の話は割愛します。)
3-A 日米安保 ~父性の喪失 若者の苛立ちと暴力化
六〇年代頃に日本に起きたのが、日米安保闘争など、戦後を終えて新たな自主性を獲得した日本の混乱であった。
大きな変化がこの時代に起きた。冷戦、核の時代の東西対立(社会主義vs資本主義)である。日本では、アメリカの傘下に置かれ、内包された状況に対する不安や苛立ち、若者のアイデンティティーの喪失感が時代の空気となっていった。
戦前まで存続されていた家長制度と、父親の権威性 それまで信じられていた大人、日本的家制度を成立させていた父性の威厳が失われたのも要因のひとつと思われる。
教育のヒエラルキー区分けや、地域、経済的格差の違いがあったとしても、多くの若者たちの間で、社会への苛立ちと疑念、さらには反発がこの時代に生まれた。
・学生紛争と非行行為
一般的に学生紛争といわれる、この時代の若者たちがおこした大学、高校のロックアウトなどは、対アメリカ、対政府、対教育制度など、資本主義や体勢への批判と反発を内包していた。
若者たちによる紛争や抵抗活動で、デモが繰り返された。火炎瓶が飛び交い、大学が焼かれ、造反有理などといったスローガンを掲げた暴動が繰り返されていた。(高校大学の闘争時代!)
社会不安、核戦争への不安、朝鮮戦争、中東戦争、ベトナム戦争など、アメリカVS旧ソ連邦(現ロシア)を主要国とした世界レベルでの緊張感や、社会の変化によって、若者たちの苛立ちが、暴力的な行為となって表れた時代だった。彼らの主義主張は異なっていても、動機は同じようなものだった。
3-B ストリート・カルチャーとアメリカ移植の若者文化
・昭和のユース・カルチャー
そのような社会状況の中で、新たに成立していった日本の若者文化は独特のものだった。
まずなにより、いわゆるユース・カルチャーとしての、不良の文化が成立した。(新しい風潮=不良的という社会批判もあった。)
それらの若者のカウンターカルチャーは、ストリート・カルチャーとして類別される都市的文化、およびサブカルチャーであった。
若者文化には、それぞれのファッションと音楽が不可欠な要素であった。
いくつかをあげてみる。
銀座みゆき通りに集まったみゆき族、(この人たちのファッションがのちの日本のアイビーやプレッピーに結びつく)
石原進太郎氏の小説『太陽の季節』とその映画化で主役を演じた石原裕次郎、南田洋子に憧れて葉山や湘南に集まった太陽族、
爆音でバイクを駆るカミナリ族(のちの暴走族)、
新宿を中心とするフーテン(ヒッピー)などが、その一例である。
あとの時代になると、
より広域に多くの人数で構成された暴走族(70年代)、原宿の歩行者天国で踊る竹の子族やローラー(ともに80年代)などが登場する。
いずれも共通するのは、西洋のカウンター・カルチャーから移植されて成立していたこと。アメリカ的音楽、ロックン・ロールやディスコ・サウンドなどの音楽との深い結びつきであった。
・JAZZと米軍基地 ~ロック
このようなアメリカ的な文化が、日本に根付いていったのは、アメリカの影響であることは当然だが、さらに沖縄や立川や福生など、各地に点在するアメリカの軍事基地の影響が大きい。
ジャニーズのアイドル芸能文化を成立させたジャニー喜多川氏や、ドリフターズやクレイジー・キャッツなど、基地の中で演奏をおこなっていた日本のミュージシャンたちの功績といえよう。
国内でありながらアメリカである基地内のライブハウスなどで演奏活動を行っていた彼らは、JAZZを基軸としたアメリカのポップ・ミュージックの有り様を目の辺りにして学び、国内にもたらした。
誤解を覚悟で書くと、国内にある基地という、入れ子構造のアメリカ文化の影響により、他のアジア圏の国々以上の、性急なアメリカ文化の洗礼が日本に浴びせられた。
・アメリカ式バンカラ文化! ~烏帽子とリーゼント
前回の授業でちょっとだけ触れた、GIカットと呼ばれる米兵のヘアースタイルや、リーゼントが、50年代から早々に日本に根付いていったのも、そのような基地文化、および進駐軍の影響が大きいと思われる。(戦前の国民服のデザインに烏帽子を取り入れるほど、この国は髪形や頭部の表象にこだわる性質をもっていた)
3−C 夜と郊外の青春群像 ~都市と郊外の若者文化、夜の群像
60年代以降から始まる文化の特性として挙げられるのが「夜の発明」だ。ラジオの深夜放送、店舗の夜間営業が推し進められ、さらに街灯が整備されて、夜が明るくなった。
行く当てのない若者たちが集う24時間営業のコンビニエンス・ストアなどの終日営業が、夜の生活を成立させた。
90年代くらいから始まる近郊都市の乱立ー郊外の成立も重要な要素のひとつであった。バイパスが整備され、ベットタウンと呼ばれる郊外の街が日本中にできた。そしてクルマ中心の生活を前提とした、ロードサイド店舗が乱立した。国道沿いが大型のチェーン店舗で埋め尽くされて、同じような風景が日本中到る所に表れて、郊外という特異な地域が成立した。
3-D 戦後経済発展のピークとしてのバブルとその後の不景気
〜終熄感と平成のどうどうめぐり
元気がいいのはギャルとかJKと呼ばれた人々だけ。その産業を含めて消費に翻弄するオタクに向けて作られた消費型コンテンツの創造に翻弄したのがバブル以降の日本であった。
・ストリートとカルチャー そして音楽とポップ・アイコン
60年代以降に登場する暴走族は、なにより道路が整備され、若者がバイクを買えなければ成立しない。要するに豊かさの先におきたムーブメントであった。
ここで紹介したいくつかのユースカルチャーは、どれもがストリートで成立した都市の若者文化であるが、暴走族も同じく街道・国道の路上の文化なのだ。(若者文化とは路上の文化というべきもの!)
それら全ての若者の文化はアメリカ的音楽やファッションと切り離せない。(矢沢栄吉、松田聖子、中森明菜。浜崎と侯田、smap、AKB、エグザイル… etc)
平成の時代になると渋谷系とか、オタクとか、ギャルとか、JKとか、ガングロのJKとか、おねい系とか、アニオタとか、以前の若者文化が場所に根ざしていたのが、「族」から「系」になった。
渋谷にいなくても渋谷系だ。渋谷系は国内どこでも誕生した。それは渋谷系という趣向性が成立して、渋谷系という商品が流通したためである。
アムラーなんていうエーベックス系のムーブメント、クラブに行かないクラブ系のグルーブとかも同じ様なものだろう。
この時代になると、以前と同じようにヤンキーや俗文化を論じるのは難しくなったが、それでもファッションと音楽を必ず必要とするのがユースカルチャーだ。
池袋を中心に認知された一時期のチーム、チーマーや、HIPHOPに傾倒する人たちもいた。その亜流、あるいはグラフティーやストリートダンスなど、分裂したカルチャーとして成立してものも沢山あったが、それぞれが深く音楽の趣向あるいはアイドル(イコン)と深い結びつきがあった。
これらの人々すべてをヤンキーという言葉で括られるものではないのも、みなさんは充分にご理解されていると思う。
ここで使用しているヤンキーという言葉はより広義的であることを再度確認しておきたい。
・アメリカ的文化の影響を受けた若者のムーブメント
・ハイアート、ハイカルチャーではなく、俗的な民芸運動のようなもの
・自然発生しつつ、ニッチな産業としてデザインやコンテンツ、エンターテイメントを牽引する力をもった人たち。
…といったのが、ここで述べたヤンキー的なものであったと、ここで一度まとめておきたい。
4 日式カルチャーの総体としてのヤンキー
・ヤンキー文化を再考する
ここまで概説的に日本の歴史とユースカルチャーにおけるヤンキー的なもの=俗芸術の支持体であるついて取り上げてきた。
つぎに、日本の文化におけるヤンキー的風習や祭礼など、簡単に言えば、普段私たちが気にもとまないでやっている祝祭や慣習、または倫理感と思想に通底するヤンキー的文化について論考していく。
「この国は気合いで動いている」「気合いだ!気合い!」そして外的人々への「おもてなし」よりも、内輪(うちわ)を尊び、上司・部下・同期、または同級生・先輩・後輩というクラスターで所属する社会を量り、同族と地縁で結ばれた「絆」をなにより重要と考える。この村社会的国のヤンキー・パトリシズムについて検証してみたい。
当論考がヤンキーというのを広く捉えすぎているは事実である。
アメリカナイズによって新しく成立した昭和以降の日本俗文化、さらに怖い仏像を祀った密教や、カブクからはじまった歌舞伎など、畏敬と畏怖の思考に裏付けされた、純日本的な美意識と文化の庶民による継承。さらに江戸期に確立される「いき」の美意識と思考、そららが、現代の文脈で蘇生・再生されているというふうに、かなり広範囲に捉えている。
それは、現在一般的に使用されている「ヤンキー」という俗語の拡大解釈である。
しかし、「新日本人」とか「日本の純民俗芸術などと新しい属性として命名するよりも、本質的にはアメリカ的文化を無自覚に吸収した、現在の日本の文化を、無自覚ながら、もっとも的確に表している仮称を作らなければならないとすれば、ヤンキーと呼ぶ方が、より日本の文化と親和性が伺える。
ヤンキー的という方が、現在の日本文化を適切に表しているように思えるのだ。
旧来の「畏怖と畏敬」を信仰心のように心の深いところに抱え込み社会的に共有しつつ、成立した(江戸の)俗の文化(俗の芸術)や、江戸の「イキ」や「憂き世思考」に、アメリカ型の新しい価値感や美意識が移植された「新しい日本の文化」=そのようなものの総称として「ヤンキー的」というのが、もっとも適切であると考える。
・ヤンキーの誕生とその類型 〜ヤンキー史を再考
ところで、本来ヤンキーとは、どういう人たちを指す言葉だったのか、それをきちんと説明しておかねかればならない。
本来ヤンキーとはアメリカ人、それも北部の人々(北軍)をさす言葉であった。
それが、なぜだか、日本国内において、不良行為的な志向を持つ少年少女を指す俗語になった。また、それらの少年少女に特有のファッション傾向や消費傾向などライフスタイル全般を含めたものを指す。
口伝えで広まった言葉のため、語源とは関係なく曖昧な定義のまま使用されることが多く、「非行少年」「不良」「チンピラ」「不良集団」などを指すものとして広範な意味で使用されている。
70年代に大阪アメリカ村で「なになにヤンケ〜」と河内言葉を話すにぃちゃん、ヤンケいいがその発端だという俗説も散見される。
もうすでに50年以上もつかわれている言葉なので、かなりの遍歴をもつ。
簡単にはバンカラ→つっぱり(非行少年)までが、旧ヤンキーとよぶべきもの。
さらにヒップホップ系や、ギャル男、オラオラ系、卍(まんじ)、ソフト・ヤンキー(難波)などと細分化して語られているのが、その後のヤンキーだという。(博報堂、電通あたりの、このような論考に私は超否定的立場であると表明したいが…)
いずれにせよ、70年代に始まったというヤンキーカルチャー、およびその名称としてのヤンキーが定着したのは80年代中盤頃である。
思い返してみると、ようは日本経済のもっとも華やかな時代—アメリカの資産を日本が買いまくっていたような時代にヤンキーもまたピークを迎えていた。
それまでの暗い夜がなくなり、村落の発展系として成立した地域社会—市町村が華やかな成長を遂げていった時代であった。
同時に、それまで信じられていた倫理感、価値感が大きく覆されていった時代であった。行き場がなくなった若者たちが、路頭に迷うのではなく、路上に集って、若者の文化が創られた。(→新しい族が成立したのだ)
この時代のほんの20年程前には、中卒の人はごく当たり前にいた。そういう人たちを「金の卵」と呼んでいたように、高度成長を遂げる日本社会、おもに都市部には雇用があふれていた。昭和の中頃であれば社会の存在価値を信じていれば生きられるような時代に若者たちは生きていた。
しかし、そのような社会体制が崩壊、あるいはひっくり返されたのが、70年代から80年代であった。それがヤンキーという人たちが現れた時代である。
別のいいかたをすれば、彼ら—純日本人的な人々がヤンキーと呼ばれ、類別されるような時代になったというべきか。ヤンキーはのちにDQNなどといった軽称(スラング)が与えられるようになった。
クラシカルなヤンキーの文化は、地域・地縁で結びついた若者文化であったが、これが平成の不景気と地域文化の解体によって解体が進んだ。さらに90年代のバブル崩壊以降になって激変した。
2000年代以降になると、新しいムーブメントが都市部と都市部郊外で見受けられるようになった。
ニューウェーブ・スタイルのヤンキーの登場である。すなわち地域や絆をもたない都市型のヤンキー集団 (カラーギャング、チーマー)さらにハングレなんて人たちが登場した。
従来のロック、またはダンスミュージックよりも、ヒップホップやラップがもてはやされ始めた時代の若者たちの動向であった。
ファッション・ヤンキー、B系などの登場も、この時代以降から見受けられるようになった。
お兄系、ホスト系、ビジュアル系など、芸能とエンターテイメントの変容とともに、ヤンキーと呼ばれていた文化に、大きな異変が起きた。通俗的に認知されているヤンキーといわれるものも多面的なものへと変化したのだ。
5 レトロ・ヤンキー 日本の美意識を引き継ぐ者達
本来のヤンキー(と称される人々)が嗜好するものを挙げて、それらが奇抜で不可思議で、悪趣味なようでありながら、実は日本的なものである点について論考してみる。
これまで検証してきた日本の「俗の文化、俗の芸術」、江戸の「イキ」の思考が関与した芸術と比較してみてほしい。
・ファッションと表象の特性
〜特攻服(日本軍の神風特攻攻撃)を模していると言われるが、しかし、白いのは、死に装束、ハラキリ、自害するサムライの装いを模倣している。:バイクでぶつかるわけではなく、死も覚悟してスピードと無謀な運転を行う心意気を表す。皇軍と自称した旧日本軍が作り出したハラキリ切腹の白装束的伝説、神道イメージ、武士道精神の再演。
〜着崩しや細い眉などのメイク、および寅一などのガテン衣装:歌舞伎や浮世絵が伝える江戸のイキ、中世の悪党や、近代のいなせな奴(労働階級)の文化を継承。
〜色彩/紫、金色、赤、白、などの「ド派手」な配色、ラメなどのデコ:中世の風流、祭り装束などに見るカラーリング、江戸期の歌舞伎者等との類似点が散見される(2000年代以降、それが一般庶民にも拡散されている。
※余談となるが、アメリカで体勢があった白人、アングロ・サクソン系よりもラテン系、およびアジア人が増えたことで、従来とは異なるファッションや美意識の変化が欧米でもおきているのは、現在のインスタグラム、インフルエンサーの動向などで知ることができる。
〜盛り 過剰さ :中世の風流笠、あるいは京都祇園祭の山車と同じく、その基本的特性は盛りと過剰さの美意識にある。(悪趣味と嫌うなかれ)。
〜雑誌AGEHAに掲載された「伝説の髪形「昇天ペガサスMIX盛り」に見る非日常という日常の狂気。ドラッグクイーンの過剰さがそこら中の露席として転がる日本の日常。
〜ボンタン(パンツ)、腰履き、長ランの学生服、長すぎるスカート、
※短すぎるスカートは、そのままセーラー・ムーンに再配置された。
〜表象文化 グラフィティー以前のタギング、漢字大好き。
:タギングやグラフィティーよりも古くからある暴走族の形跡。よろしくと夜露死苦とつづる純日本的な漢字の美意識。
:歌謡曲や、Jポップ、昨今の自己応援的歌唱曲に散見されるポエム的な特性も、同様に非常に日本的な文字や言葉へのこだわりだといえるだろう。
・集団意識ー地縁と地域
~青年団、消防団、自警団、同窓生
〜地域密着、地域貢献 (徒歩族)
〜祭
同じ町でも1中か2中か隣町はよそものというナショナリズム予備軍的な縄張り意識(縄張りズム)が強い。同市、同県(県人会)、同人誌って名称も、よくわからないけど、通例化している。
※批判するのは簡単だが、会社をうちの会社と呼び、他社にサン付け、同期・先輩に後輩、うちわの飲み会なんていう言葉を日常的に使う日本人。
武士道、同藩、忠義、といった武士道精神がいまも生きていると捉えることもできなくはないが、もっと簡単にいうなら、地縁、村意識というしかない。
:旅行など一切行かない。ここが世界の中心で、他に行く必要など思いつかない。
:お祭り大好き。地域の祭りに誇りを持ち、疑問などいっさい考えない。
〜「絆」が最優先。
みんなが一つになったとかサッカーの応援でいうけど、みんなってだれだ?
※「ボルト」「ワンピース」「プリキュア」など、多くのアニメの決まり文句は「仲間のために!」「みんなといっしょうなら頑張れる!」とか、「友達に酷い目に遭わせるなんて、ゼッタイ許さない!」であるけれど、これはとてもヤンキー的ではないだろうか?地域地縁主義(縄張りズム)と同じ臭いがする。
・過剰と演出の日常
〜作り物感、デコ感、もり感
:コスプレの身体(アムラー、ギャル、太陽族など)
:2次元 模倣と盛りの文化 アニメと日本
※前述(前回)の歌舞伎の舞台とは、二次元の模倣、マンガや人形を人が演じる、あるいは動く浮世絵のような舞台であった。拡大解釈、誇大誇張演出も、同様の作り物感、盛りの作用といえよう。
・勘違いと幻想の創造性
・イキ—伊達の身体性
〜何も入らなく使い物にならないカバン(図)なら、持たない方がいいというのは野暮。2020年台という、すべてを無駄なものとして断捨離の美徳で切り捨てたあげく、なにもすがるもの、依り代がなくなり、途方に暮れている我々世代の悪しき感性の思考がなせる戯言か。
〜先に挙げた、「過剰な盛り」にも、このような伊達の美意識が通底している。
〜前回「近代ー江戸」で紹介した街奴、旗本奴が、どれほど暑くても「どてら」、真冬で寒くてもカスリ着物一枚というのは、氷点下で生足ミニスカにも類似する。無駄であって、不条理なほどカワイイ、かっこいいという美意識でしょうか。必要がないのに持つ無駄に長い刀やキセルなんていうのも同様ですが、江戸のイキやイナセが、このような形で純日本的な人々であるヤンキーに受け継がれている。
・音楽は詩がほぼすべて。
基本が自画自賛的自分賛歌だが、同時に自虐的というか、自己中心主義が蹈襲されている。
軍歌や演歌、日本歌謡にもそのような特性が散見される。
「パプリカ」だろうが、SMAPだろうが、実は同様。ロックのリズムにのせて「共に生きていこうぜ」が連呼される。
矢沢、銀蠅、貴志団、浜崎あゆみ、同時性と同じ願望を抱いていると言った思いの確認と承認をえる歌詞が繰り返し歌われてヒット。
AKBなんかもほぼ同じ。「僕らは〜」「わたしたちは〜」である。この複数形は、彼らであり、彼女たちであり、そしてあなたを含める。
・クルマとバイク 暴走族
バイクという機械により拡張化された身体を歴史上最初に体現化したのは、暴走族とよばれる人たちだ。
なぜ群れをなして走るのかというと、怖いからである。社会も警察も怖いけど、死ぬのも怖い。怖さを克服するためにも、怖さに立ち向かう自分を肯定して、認証して貰うためにも仲間は必要。
チーム同士の抗争にしろ、祝祭的娯楽性をもつ。暴走を行為と呼ぶのは社会、すなわち迷惑を被る側で有る。やる方にしてみれば遊戯性をはらむ動機付けが強い。
遊戯性とはゲームとか遊びでありながら、祝祭的性質、模倣と、演技的役割など、かなり幅広い快楽を誘発する仕組みを内包する。
すなわち、いくつもの要素が交錯するほどの模倣、競争の構造化、さらに死が背中合わせにあるスピードに酔いしれるイリンクル(目眩)といったロジェ・カイヨアが論じる「遊び」の要素の、ほぼすべてが暴走の構造に横たわっている。
※土足厳禁(どきん)の車内はファーがひかれ、あたかも自宅のような作りこみがされた。そのようなヤンキー的移動空間を商品化したのが、日本のミニバンと括られるワンボックスカーであった。
よくよく考えてみると、ミニバンとは移動する部屋、つまりは移動型の家族のためのひきこもり空間という要素を多分にもつクルマである。
飛躍的に考えて見ると、地元、友達、うちわ、仲間という範囲で成立するヤンキー的世界とは、ひきこもりの人を亮雅しているという言い方もできるのではないか。従来通りの日本の村落の地縁の集団性の、間違った存続であるという拡大解釈も可能なのではないか。
・マンガとアニメのブギウギ・ヒーロ—
日本のコンテンツで活躍するのはヤンキーの神々は、助六と同じ、不良のピサロヒーローたちばかり。
ジャンプなどJ系エンタメと呼ぶべきコンテンツは、全て基本が「がんばるヤンキー根性もの」という性質をもっているといっていい。
絆、仲間、努力、血縁(父と子)敵討ち、ゼッタイ許さない、ゼッタイ負けない。ゼッタイ離さない。全集中。じっチャンの名にかけて。負ける気がしねぇ。みんなが一つになった… というロジックで成功する不良の物語が基本である。
彼らが不良に見えないのは、成敗するべき対象、その敵が、より邪悪で、非人道的の限りを尽くす「鬼」として描かれるからだ。鬼を成敗する桃太郎としてのヒーローは仲間のキジや猿や犬とともに酷いことをしてもだいたい許される。(鬼については前々回触れたとおりである。)
ここの挙げている1類(図:漫画誌の表紙)と映画「今日から俺は」はいわゆるヤンキーものと称されたマンガと、そのアニメ化、映画化の作品である。わかりやすい、ヤンキーぽい作品群。
それに加えて2類(図:YouTUBEリンクの6作)は、ヤンキーではないが、前記したヤンキー的なコンテンツの構造で捉えてみると、1類以上にヤンキー的な作品といえなくもない。
「ナルト」に関していうと、むかし地域でブイブイ言わせていた、父母、さらにその先代の活躍を子供たちが受け継ぐ話。「伝説」大好きなヤンキー思考がストーリーの到る所に散見される。
最近はやりの「鬼滅の刃」は、桃太郎そのもののストーリーが、血縁の才能、学ラン着て刃物振り回すバンカラ集団、至れり尽くせりのヤンキーパラダイスと言っても過言ではない。
前回の講義で触れた「白波五人男」と戦隊ものの関連性も、この項目における重要な案件である。
ロボットものなんかも、ヤンキーものと捉えられる要素が多いのだが、ここでは、これ以上の類題の紹介と説明は控える。
6 祭と絆
祭礼、祝祭、風流
なにもないところに、ぽつりとお地蔵さんがある。あるいは「ほこら」がある。ぽつねんとしている。普段は閑散としていて、まるで放置されているかのように寂れている。しかし祭りとなると、付近の住人たちが、あつまり秘め伝えてきた祭礼の技で、しめやかにあでやかに神々を飾り付け、それぞれの祭礼の術でもてなす。
日本の祭りにはミニマルさがうかがわれる。すなわち急に祝祭的なインスタレーションやパフォーマンスが、しめやかに、ときには雄々しく執り行われるが、その緩急の差がすさまじい。
大漁旗しかり、なにもない大海原に、派手な祝祭的な旗をたなびかせ、船団が曳航する風景は、はなはだ奇抜で異様な光景である。
中世に勃発した庶民の芸術ー風流の芸能は、その名をとどめぬまま、江戸期の俗文か全体へと継承された。
すなわち言葉がうしなわれ、風流と言えば自然を思う美的感性だと、囚われ方が変わってしまった。意味合いがひっくり返ってしまうほど、その概念は、族の美意識、文化の全域を網羅し、亮雅したといっていいのかもしれない。
そうでありながら日本古来の風流は、今日の我々の祭礼すべてに、その痕跡をのこす。
祭ー祭礼だけではない。花見にしろ、紅葉狩りにしろ、宴よりも、その準備を行うことが重要である。
祝祭への対応は、クリスマスや、バレンタインや、正月や、お盆や、ひな祭りや、たんごの節句や、七夕など、ありとあらゆるイベントそのものよりも、その準備期間の方に趣がある。
日本の祝祭、そして祭礼の当日に、すべてをきれいさっぱり無に帰すかのように、使い果たし、消費する。風流はそのようにして日本の文化や風習に、しっかりと残っている。
その派手で艶やかな井祭礼の飾り付けや、各種の飾り付けや、ならわしは、仏教というよりアジアの影響を強くうかがわせる。
すなわちバラモン教を抱えこんだインド、ヒンドゥの影響を色濃く伺わせる。
そのような祭りを盛り上げ、受け継いでいるのは、地域に根ざしているヤンキー的な地縁の人たちである。
丸亀婆娑羅祭、京都葵祭、祇園祭、どれもヤンキーなどと括られると怒られるにちがいない。
しかしここで使うヤンキーというのが、アメリカナイズされて、海外の影響を受けながら、無意識にそれに反発しながら、独自の日本的文化や美学を伝承している人々を指す、賞賛の言葉であると、あらためて書いておこう。
7 終章 幻想 日本のオラオラ芸術史
1 日本の歴史的無意識思考のプリコラージュ的創造と表層
あるいは古層の逆側にある日本的芸術に関する考察
ヤンキーは純日本人文化の正当な継承を行う人たちであるが、ほんのちょっと間違えてしまっただけだ。彼らは純度が高すぎるだけで、ほぼすべての人が同じヤンキー的な要素をもっているが、無自覚である。彼らヤンキー及び、日本のヤンキー的な動向や趣向を見ると、日本の文化・芸術の本質的な素養や、実質的な伝承の様相理解出来る。
これまで三回に渡り論考してきたヤンキー的なる日本の美術の根底には、畏怖、畏敬の怖い物への憧れと同時に、江戸時代の憂き世思想やイキの美学が同化し、社会全体がこれを共有し、容認する構造によって成立している。
それは現在も社会全体、アニメやマンガなどのコンテンツに通底する。
ヤンキー芸術—日本式俗美術の特徴
ヤンキー芸術と総評するこの独特のアートは以下にあげる特徴をもつものと捉えられる。
●祝祭的狂乱のための装置
祇園祭や御柱、神楽に見られる神をもてなし、楽しませる芸能と祭礼の継承。日本的因習の解放する装置として機能する無礼講的な非日常の祝祭。
●歌舞伎的神話創造
見得を切る、デフォルメされたメイクと衣装はアニメ、マンガへ接続される。(「見立て」と「うがち」)
●祝祭的日常を重要視する
~花見、七夕など祝祭的宴が日常化したギャル、カワイイなどの日常的劇場文化。(無自覚な「いき」の展開)
●若者の生命力と巧妙なエロティズムの肯定
~お稚児芸能、女郎歌舞伎を継承する少女歌劇やAKBなどの芸能文化。(初もの、少女性、処女性、を尊ぶ。 おちご文化)
●畏形のデコラティブ
~風流・かぶき者、数奇もの・婆娑羅の系譜として残る過激な盛り、ブリンブリン、威嚇するデザイン、背光、怒髪天、見栄など。
●畏怖・畏敬の憧憬が作り出す意匠文化
~任侠、サムライ道(武士道でなく)的ニヒリズムに傾倒する理想とする「大人への模倣」、オラオラ おにい系、おねい系、 ※模倣 コスプレなど。
~ 神道・皇軍に通じる日本的国家・民族的社会主義(ナチズムにも等しい)が創造する忍者や、特攻隊やハラキリなどガンダムのデザインなどにみる日本的独自性。
●模倣と猿まねの両方で揺れる感覚
~自虐的笑いの構造の中に落とし込みながら成立する「マジ」的なの美意識。(摸倣、笑い、自虐的であるとしながら「マジ」という真意が潜む)
●20世紀アメリカの消費文化と、アジア・インドのバラモン教の神話特性など外的影響
~リーゼントと「ちょんまげ」の関連性や、武家の鬼退治をひな形として成立する英雄譚、ビラン表象など。
※これらの独特の要素が社会的に容認され、共鳴しあい、構造化されることで成立する日本の(広義的)ヤンキー文化とその美学について論考してきたのが、この「ヤンキー芸術論」である。
そのキーワードは畏怖と畏敬であり、「いき」や「憂き世」であり、根底には、仏教と神道(アニミズム)的な宗教的感性が通底している。
■まとめ
ギャンブルとしてのパチンコは確かにヤンキー的なもの。しかしその実はキャラクタービジネスで成立している。それは確実にオタク的なものに他ならない。
おたく的なものと、ヤンキー的なものが、決定的にかけ離れて、対立項にあるとはいえない。
多くの場合趣向性とは、無自覚のまま獲得される欲望にこそ、もっとも深くその人物の趣味や趣向性を決定付けているといえる。それは特定の人物に限らず、特定の集団、時代性、さらには国民性としても同様で集合的趣向性に、その国の文化や思想が宿るといってよい。
先に挙げた歌舞伎がマンガやアニメに深く浸透していて、浮世絵や黄表紙的欲望(主体的フェテッシュ)が、萌え絵や、カワイイという言葉で括られるイラストや、キャラクター、マンガやアニメで、繰り返し蘇生されているこの国独特の文化や芸術、より詳しく言うと、この国の本質的な文化として蹈襲されつづけている俗の文化には、すべてヤンキー的と呼ぶべきものが深くしみこんでいる。
近世のかぶき者がそうであるように、ヤンキー(不良文化)もまた、当初の狭いトライブを越えて、広く全文化と芸術における美意識として一般化されている。
ヤンキーという言葉をこの授業で使うに辺り、あなた方、そして私もがヤンキーであると説明した。
少なくとも、日本文化に通底するヤンキー的な文化と美意識、さらに現代に生きる我々の生活や趣向性や、芸術や娯楽の多くに、すなわち「日本の国民性や、文化や、個人の美意識」にヤンキー的なものが、潜んでいるという事例を、この三週で、繰り返し論考してきた。
たとえば「盛る」「盛り上がる」「萌え」「萌える」「燃える」「炎上する」「騰げる」「揚がる」等々という、我々が、どこかでアドレナリンや、脇汗をだしてしまいそうな事態の、ほぼ全てが、どこか、粗暴で、豪奢で、荒ぶる人物や事態、さらに、そのようなものに向けられた、社会的態度、精神性を考えてみても、やはり、どこかヤンキー的な態度とか、感覚で、我々はものごとを見ている。
さらに、江戸の美意識・美学・方法としてあげた「見立て」や、「うがち」がそうであるように、現代であっても、我々の文化は、なにかを摸倣し、繰り返すか、ずれたものくらいがもてはやされる。
どこか「シリアス」であるものよりも、ふざけているか、未完成さが残っているもの、未熟なもの、あるいはパロディー、それも自虐的なものが、この国では愛される。アイドルや、タレントや、アニメや、マンガ、さらには未熟な女性であるとか、カワイイとか、フラジャイルなものが支持される。
そのようなものが支持されるのを、西洋的な文化と並べて、未熟で、不適切であるというのは余りにも簡単すぎる。むしろ、そのような「ゆるい」温床から、日本時特の文化や芸術が、誕生してきたのである。
もっと、深くこのテーマについて語りたいが、ここまでとする。
—
古層論(丸山真男)の逆側、表面にあるのが日本のヤンキー的文化である。
この若くて柔らかく柔軟な表皮的文化は、つねに同じ細胞として蘇生され、いつの時代であっても、日本のすべてを覆い尽くしている。
・レポート提出と質問に関して(内容、〆切、提出先)
今回配信分(5/18)の授業の、小レポートの提出をお願いします。
150文字以上で感想、質問、ご意見を書いて下さい。これで出席とします。
簡単な文章で構いません。
提出期限は、当講義公開日から6日後(5/22)日曜日の24時までとします。
いつものルールです。
必ず、あなたの学籍情報を提出ファイルの冒頭に書いてください。
次回講義は「砂漠論」5/25と、後編を6/01を配信予定です。
その後再び日本の俗芸術としてのポップカルチャーを配信する予定です。(もう少しテキストの分量を減らします。)
暑苦しいなぁ… 体躯会系とは、スポーツでなく思想だと思います。
神風特攻隊
第二次大戦中の米国戦時情報局による日本研究をもとに執筆され、後の日本人論の源流となった不朽の書。日本人の行動や文化の分析からその背後にある独特な思考や気質を解明、日本人特有の複雑な性格と特徴を鮮やかに浮き彫りにする。“菊の優美と刀の殺伐”に象徴される日本文化の型を探り当て、その本質を批判的かつ深く洞察した、第一級の日本人論。(アマゾン「BOOK」データベースより)
連合国軍最高司令官、国連軍司令官マッカーサーと昭和天皇
立川にあった米軍基地
前回の授業で紹介した烏帽子とリーゼントへの関連性の考察の追記
鎌倉から室町前半にかけては被り物がないのを恥とする習慣が生まれた。しかし戦国時代以降、逆に日常は髷を露出し被り物を着けないのが普通となった。
昭和15年(1940年)に制定された国民服(甲号)の帽子のデザインは、烏帽子をイメージしたものであるとされている。
1989年(平成元年)に、三菱地所が約2200億円で買収したニューヨークのロックフェラー・センター。
世界一になるほどの経済発展が進み景気がよかった平成初期の日本とその後、見る術もないほど経済が疲弊し、その後に生まれた若い人たちが、景気がよいとか、まともな価格で経済が廻っている状況など経験したことがない状況が、すでに30年近く続いている。
昭和が63年、平成が30年で、合計で93年が経過。その前の明治が44年で大正が14年だ。江戸時代の終わりから152年、昭和のヤンキーが萌芽した70年代初頭からだと50年以上が経過している。
ここまで、江戸から明治の帝国化、昭和の敗戦とその後のアメリカナイズで、どのような変化が起きたのか。それらがユースカルチャーにどのような影響を与えてきたのかを、かいつまんで、断片的に紹介した。
昭和のヤンキーと平成のヤンキーを徹底的に比較してみた
電通総研が流して風説化した「マイルドヤンキー」のくだsりまでは、参考になる…
RUN DMC - Walk This Way (Video) ft. Aerosmith
B系 つよめでオラオラな人たち B系(ビーけい)は、ファッション様式の一つであり、そのファッションをする日本の若者も指す。主にアフリカ系アメリカ人の間で着用されるスポーツ・カジュアル服をモチーフにしたもの。ヒップホップ、R&Bのプロモーションビデオの影響を受けたひとたち。
助六
雑誌AGEHAに掲載された伝説の髪形「昇天ペガサスMIX盛り」、『盛り髪セットサロンバイブル SAKURA・MOOK38』
クルマのカスタムメイド、竹槍やデコは無用の長物。機能は度外視。
毎年話題になる北九州市の成人式に登場するど派手なデコ衣装。カスタムメイド衣装のご用命は「みやび」までどうぞ!
ちなみに東京ではバレイ衣装のチャコットがそういうサービスを提供。
よくよく考えて見るとヤンキー的世界観と指向性なしには楽しめないマンガばかり。
ゴレンジャーシリーズは歌舞伎の白浪五人男がルーツであること。魔法少女が姿を偽る泥棒ピサロものの亜流であることは前回の授業で触れたとおりである。
また、これらの作品の多くには、変身や決め技など、見栄を切るシーンが散見される。
ヒンドゥーとバラモン教の神像、アメリカ神殿入り口
丸山真男の古層論
ざっくり説明すると「日本の文化や思想には、古代から、一切かわらない古層がある」「表面部分だけが、くりかえし変わり続けていくが、古層の部分は一切かわらない」という論。
たとえば、カタカナという言葉を使うことで、外界から入ってきた言葉を、日本語ではないものとして認識できるように外側に隔離しながら使う。名称や、行為自体は変わるが、その根本となる思想や、目的は変えない。あるいは、変わらないようにするために施された、様々な仕組みが、社会の到る所に仕掛けられている。
国に免許制度で認められる学芸員は、国立の施設における正式名称として使われるが、私立の施設ではキューレーターと呼ぶなど、差別化されている。意識的であるかどうかは別として、ともかく同一ではない。 ヘア・アーチストであっても美容師免許が必要なのは、その一例としてあげられるが、
古くから変わらないものが、内部に置かれ、これを壊さないように、文化・社会が機能するようにできている。
そこで考えられるのが2つ。
まず、古層にある、かわらない日本的なもの、それ自体がヤンキー的な文化なのか。
あるいは、常にいれかわり、流行として、差し替えられていく、古層の逆側というべき、表層の部分が、ヤンキー的なのかである。
後者であるなら、つねに柔らかい薄皮のように、抜け落ちて、ふたたび再生されるものが、かわらずヤンキー的であるということになるだろうが、そうであれば、丸山がいう古層よりも、もっと本質的で、重要なのが、この表層(表皮)に宿りつづける表象(イメージ)の方に、日本的というべき文化の本質があるということになるのかもしれない。
編集後記:昭和の時代のヤンキーものがなぜか人気である。思うに、これらは、すでにサムライや忍者がいた江戸時代を描く時代劇に近いようなものなのかもしれない。