Recent Posts

  • エイ、エイ、オー

    作りものだと重々承知はしているけれど、サムライドラマが、すっかり気に入ってしまった。 NHKの大河ドラマでいうと、古いほうは、ものものしく、益荒男ぶりが強調されていて、言葉を変えれば劇画調で、慟哭したり絶叫したりで、サムライドラマというよりは、なんだか日々辛い生活を送るサラリーマンの心象ドラマに見えてしまって、面白い面白くない以前に、見ていてくたびれるので、たいてい、50回のシリーズを、摘まみ食いして、5回くらいに縮めて観てしまうが、評判が悪かったらしい「平清盛」くらいからドラマの質が向上して、こっちは評判が悪いのかいいのか、さっぱり判らないが「麒麟がくる」「鎌倉殿の13人」は、 観ていても楽しくてたまらない。 史実と異なるとか、ネットを見ると、日本語ネット名物ニワカ博士たちが、 侃々諤々と議論しているが、こっちは、ひととおりの歴史事実くらいは知っているが、どうでもよくて、知らない人だったが坂東彌十郎の時政はイメージぴったりでいいなあ、とか、やっぱり佐藤B作は俳優として好きである、 佐藤浩市も大好き、とおもいながら、なんだかウキウキして観ている。 こういうことになると、普段は困り果てる、困惑する、としか言いようがない、日本語wikipediaも俄然便利で、トレッドミルで疾走しながら眼の前でおおみえを切っているドラマのなかの歴史上の人物をスマホでチェックして、ベルトを踏み外して、こけかけたりしてます。 なかでも気に入ったのは勝ち鬨の声で、 皆の者、勝ち鬨をあげようぞ、 えい、えい、おー を観ていると、ぐっとくる。 まともです。 他国の風習に目鯨を立てても仕方がないが、バンザイの習慣がどうしても好きになれない。 ずっとずっと昔、明解国語辞典と首っ引きでブログを書き始めたころ、バンザイは、好きになれない、大学合格発表のような、これから学問を始めようとするひとたちの場所で、胴上げをして、バンザイを唱えるのは蛮風なのではないか、と書いたら、えらい言われようで、ボロクソに罵られて、 受験の苦労がやっと報われた人間がささやかなお祝いをしているだけなのに、そんな難癖をつけるなんて許せない、という人がたくさん来て、ぶっくらこいたが、蛮風は蛮風で、あんな野蛮なものを弁護する人も野蛮人なのではないか、と、いまでも思っています 最近は、観ないので、もうやっていないのではないかとおもうが、不合格を知って、合格したひとびとが胴上げまでして勝ち誇る姿を見つめる高校生の気持を考えても、ああいうくだらない習慣がなくなったことには良いことしかない。 バンザイは、中国のワンソイ、韓国のマンセーから来たのだろうと察しはつくが、いったいいつ頃からエイエイオーに取って代わったのだろう、とおもって日本語ネットを見ると、1889年に青山練兵場で明治天皇に向かって初めの万歳三唱が行われたのだという。 近代の、現人神としての天皇崇拝と密接に結び付いた、なんちゃって伝統のひとつで、案外新しい軍国主義的習慣であるようです。 そーれでか!と、ポンッと膝を叩こうとして机の角っこに手をぶつけてしまうが、民主制選挙で当選した議員の選挙で万歳を唱えているのを観ると、 自動的に南京陥落でバンザイを唱える帝国陸軍兵士たちの写真と重なってしまうことには、あながち理由がないわけではないようです。 ときどき思うが、いくら日本の人が「我が国は民主主義の国で」と述べても、なああに言ってんだ、薄皮いちまい、ペロッと剥げば、あんたらいまでも戦争大好きの日本帝国臣民じゃん、と言われてしまうことには、折りに触れて報道される、日本語人が「バンザイ三唱」をする姿への嫌悪感が背景にはあるでしょう。 日本では、望ましい習慣であるらしいバンザイは、バンザイ突撃、バンザイアタック、狂人の群が発狂状態で、こちらに向かって大挙して 殺されに走ってくる、というイメージの言葉で、日本人の狂性を象徴する言葉であるせいもありそうです。 そこにいくと、「エイ、エイ、オー」には、日本の人の長い歴史が培った心情がこもっている、というのは考えすぎかもだけど、観ていて嫌な感じがしなくて、やった、ついに勝った、苦労したぜ、かーちゃん、まっすぐ家に帰るからね、という、中世のおっさんたちの声が聞こえてくるような気がする。 サムライドラマを見ていると、日本の来歴について、さまざまなことを考える。 「麒麟がくる」の主人公明智光秀は、周山城という、山並みに伏した蜘蛛のような、巨大な城塞をつくったひとだが、16世紀にはもう放棄されたらしい周山城は、ヘンテコリンな言い方だが、廃墟としては、そのまま残っていて、まだいいほうだが、ISISどころではない大規模な破壊を行った明治政府は、日本中の寺院や城をぶち壊してまわって、南方熊楠の懸命な抵抗運動にも関わらず、ほとんど日本の郷里の魂のありかだった鎮守の森さえ破壊しつくした。 いま振り返れば、薄っぺらとしかいいようがない「近代化」のためで、その暴力的な浅薄さのせいで、日本社会が失ったものは、おおきくて、そういう言い方をすれば、明治が伝統日本を断ち切って、標準語をつくって方言を嘲笑してまで、破壊し尽くして、いまに続く、日本の明治以降の国家的な情緒不安定は、どうやら、この建設を伴わなかった破壊にあるようです。 エイ、エイ、オーの鬨の声が、バンザイに変わって、日本は、歴史を持たない国になった。 西洋の絶対神の代わりに天皇を座らせて、国家成長のためにムダでしかないと判断した倫理を省いた、奇妙な形の「近代」国家として、城も鎮守も、そこに民族の文明が始まって以来住み付いていたはずの精霊も否定して、破壊して、自らの歴史を恥ずべきものとしてかなぐり捨ててしまった。 民族の品性というものは、要するに、その民族の歴史によって生まれるものなので、なんのことはない、日本の人は明治以来、品性をゴミ箱に突っ込んでしまったのだと思います。 その象徴が、他国人、特にアジアのひとたちにとっては、耳を塞ぎたくなる、戦争中の悪夢を呼び起こす「バンザイ」の蛮声で、 あの声が響き渡るかぎり、いくら民主的な平和国家のふりをしたって日本の本性が変わっていないことを私は忘れない、と述べた香港人ばーちゃんの言葉を思い出す。 わし部屋に立ち寄ったモニさんが、あきれてものも言えない、という顔で、 相変わらずサムライドラマをつけっぱなしにして、トレッドミルの上でナンバ歩きをしたりしている夫を見つめているが、おっとっとなオットー1世の夫は、こういうことばっかりやっていると、オットー2世が生じて、作男に格下げされちゃうかしら、と、やや恐れながら、 祝着、至極。重畳である。かたじけのうござる。 サムライ語が飛び交う日本語頭を起動して、バンザイからエイエイオーへ、 日本のもともとの素顔を見に行こうと考えてみるのでした。

  • ONKYO

    カイバー·パス·ロードは、オークランドでいちばん大きな繁華街、New Marketから西北に伸びて、評判のいいラーメン屋やイタリアレストランが並んでいるSymonds Stにぶつかって終わっている。 子供の頃、まだ、この世にこれほど酷い天気は無いと言いたくなる、イングランドの陰鬱な冬を逃れて南島のクライストチャーチにやってくるだけだったころも、オークランドには用事があったり様子が見たかったりで、やってきたが、カイバー·パス·ロードには赤いでっかい象さんが立っているタイレストランと大好きな電子部品屋があって、子供なりのオークランドの印象の中心になっていた。 ここにね。 ONKYOという会社があって、いまでもサインだけは残っているかもしれません。 おとなたちの話に耳を傾けていると、ONKYOは日本の文化性を伴う豊かさの象徴と受け止められていて、「トヨタやホンダだけの国じゃない」と述べていた農場主のおっちゃんの言葉を、いまでもおぼえている。 そのONKYOが破産手続きに入った、というニュースが出ていました https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220516/k10013628401000.html 驚きはしない。 ONKYOは、21世紀への変わり目だったか、ずいぶん昔にニュージーランドから撤退して、東京へ寄るたびに楽しみにしていて、行けば必ず訪問することにしていた有楽町ビックカメラのオーディオコーナーにもONKYOのラインアップは見る度に減っていた。 でも、到頭、という感慨があります。 日本の外に住む日本語の人が、みな気が付くことのひとつに、「日本メーカーの家電が店にない」ことがあるとおもう。 東芝も日立も、シャープもなくて、かろうじてパナソニックが生き残っている。 AV家電ではSONYが、いまでも目立った存在だけれども、あとはAudio Tecnicaのイアフォンやヘッドホンが、よく見ると、棚にかかっているくらいです。 いちど、冷蔵庫を買うときに、日本のメーカーは置いてないんだね、と何の気なしに訊いたことがある。 店員さんの反応は、ぶっくらこくような感情的なもので、ちょうどなにかタイミングだったのか、日本人は許せない、という調子だったので、 なにごとならむ、と聴いてみると、 「日本の製品は品質がいいので、他社の製品より価格が高くて当たり前なんです。置けば、眼が利くお客さんがいるから売れますよ」と日本の家電会社の人が述べたそうで、それにしても蔑むような口調が気になったので、 日本の人、態度悪かったの?と訊くと、傲慢で話にならない、という。 価格は同種の他社の二倍で、と言いかけてから、ニッと笑って、 品質はほんとはボロボロ、と教えてくれました。 店からみると、多分、価格が高すぎて仕入れようがない、ということだったようで、同じものをつくるのに、余計なコストが上積みされて、全体として競争力がない価格になる、という、最近の日本製品の、ほとんどあらゆるものと同じ傾向が気に入らない、というだけのようにも見えました。 なにも感情的になることはない。 それとも、よっぽど、その日本から市場調査に派遣されたとおぼしき社員の態度が尊大だったのか。 客からみると、コストよりも、最も気に入らないのはデザインの古さで、 製品思想も古いというか、わし家では必須ということになっている、 氷とフィルター付きの冷水が出る、ああいうのは、なんていうんだろう、 給水口?がドアについていなかったり、オンラインでサポートがソフトウエアを起動して冷蔵庫に自己診断させる機能が付いていないのでは、買い換えるだけの魅力がない。 そのときは、1ヶ月で壊れる、という大記録を達成することになるSAMSUNGの冷蔵庫を買って、帰ってきました。 海外から見た日本は、斜陽なんてものではなくて、あんまり日本になど普段は関心を持たない、ふつーの人にまで、どうしたらこんなに毎年毎年ダメになっていけるのか不思議だ、と言わせるくらいの凋落ぶりです。 家電でもクルマでも、日本に対するイメージは、共通していて、公約することが出来て、 「自己評価が理由もなく高いのに、現実に作るものの出来が悪い」 「口が達者なだけで、実際の仕事はマヌケなくらい酷い」 「これだけ落魄れても、日本人だけが優れているという思い込みを捨てない」 と並べていくと、だんだん、ひとつのイメージに集約されていって、人間性がよろしくないわしなどは、安倍晋三が個人として日本を象徴しているように思えて、ニヤニヤしてしまう。 能力がないのに、自分が優れているという前提を信じようとすれば、「アンダーコントロール」だと衒いもなくウソをつくしかないわけで、 日本語ツイッタでも、40代や50代の、いいとしこいた臆面もない嘘つきがゴロゴロしている。 あれで社会がうまくいけば、そっちのほうが不思議なので、本人は、下を向いて地道に良い仕事をしているひとたちは、… Read More ›

  • 人間と社会の意外な現実について

    事業報告書や賃貸料と修繕費や管理費のバランスの述べた表計算のシートを開くと、2022年、と書かれていて、 ひゃあ、もう、そんな年か、もうすぐ21世紀も四分の一ではないか、と考える。 十数年、冷菜凍死家から始まって、あんまりふざけて凍死家と呼ぶのも憚られるようになって、初めのころはバックグラウンドである数学を駆使したのが自慢で、ひとにこそ言わないものの、新しい世代の投資方法を編み出して上手く行ったと考えて、あの階級の人には珍しく富裕なかーちゃんととーちゃんたちよりも裕かになって、内心は鼻高々だったが、 振り返って考えて見ると、愚者の考え、休むに似たり、 ほんとうは英語世界を覆った不動産ブームに乗って、 住居賃貸から始まって、順序がたまたま合致して、どんどんオカネが降ってくるようになっただけのことで、なんのことはない、アホな成金おやじと変わらないんじゃない?と、この頃は思わなくもない。 もう少しおとなしい言い方をすれば、昔から、子供のときから、滅法、運が強くて、大ピンチに陥れば運が助けてくれた、と見栄を切りたいところだが、ほんとうに運がいいというのは、もっとずっと退屈なもので、 そもそもピンチが来ない。 臆病なのか、なんなのか、借金したことすらなくて、このあいだUKの投資家友達に酔っ払ってうっかり洩らしたら、吹き出されてしまって、 そのあとに、マジメな顔で「借金をしないことで、どのくらい逸失利益が出たか、判っているかい?」と言われた。 判っている。 判っているけれども、だから、本来オカネモウケは向いていない、と述べているではないか。 根がゲーマー族で、眼の前にゲームがあれば、無我夢中で参加して、 誰にも、思いも寄らなかった方法で勝ってしまう快感に取り憑かれて、 画面のクレジットの代わりに、ポートフォリオが膨らんでいったにしか過ぎない。 このブログなのかなんなのか、よく判らなくなっている一連の記事の始めは、主語は必ず「わっし」でした。 これだけは、日本語で書いてきてよかった、とおもうのは、日本語は高々日本語人が読むだけなので、英語人の日常の私にとっては、要するに誰も読めないのとおなじで、気楽に書いていて、おかげで、若い時の自分が、英語人格の面影が射している日本語で日常を述べていて、ノーテンキというか正露丸というか、 あれはもともと征露丸で、戦争にぶち負けたあとの1949年に、おっかないロシアの顔色をうかがった日本政府の、いつもの、有り難い余計なお世話の「ご指導」でロシアを征服した木クレオソート丸薬が、いつのまにか「正しいロシア」の薬に化けたのだそうだが、だいいちノーテンキと正露丸がどこに関連があるのか判らないが、ともかく、ちゃんと日本語のなかで生きていて、いまは閉鎖してしまったので他人は読めないが、自分では読めて、 元からプライベート扱いの記事を含めれば2000を数える記事のなかで、 日本語で考えて話す自分が生活している。 いろいろなことに手をだして、遊んでばかりいるうちに、38歳になって、 もうすぐ、 「時間です。お早くお願いします」 「荒地」のなかの、ドアを叩く売春宿のオカミの声では無いが欧州に帰るだろうが、 英語の生活とは関係がないはずの日本語わしも現実に引き摺られて、わっしはわしになり、ぼくと口走るようになって、もうすぐ「私」でもいいとおもっている。 「私」で文章を書くの、難しいけどね。 いっそ主語がない文章のほうが、ずっと楽です。 十年という単位の変化は、ものすごいもので、このブログを書き出したころのことをおもいだすと、まるで前世を思い出しているような気になる。 広尾山から青山の町並や、軽井沢と追分の森、鎌倉の切り通しの、両側から迫ってくる崖や、いまにも鎧甲冑に身を固めた武者がぬっと顔をだしそうな旧砦跡、油断していると、実際に、いまでも、ぬっと出てきて、腰を抜かしそうになるそうだが、どこにもそこにも幽霊が出る鎌倉の、浄明寺から切り通しを抜けて、大町を通って、材木座に出て、ジーンズの腰ポケットからフラスコを抜き出して、砂浜に腰をおろして夜光虫が縁取る青く光る波を見ていた。 ニューヨークの、昔はチェルシーマーケットの通りを隔て向こう側にあったご贔屓のカフェ「ヴァイニル」で、ゲイやドラグクイーンのウエイターと冗談を交わしながら、あれはゲイのひとびとは、どの通りなら安全で、リラックスして過ごせるか、ちゃんと知っているので、週末にでもなれば、ストレートのカップルよりもゲイが多くなる眼の前の道を、手をつないで楽しそうに散策しているカップルを眺めていた。 いま考えると、ウソのようだが、あのオレンジ色のコートを着た、抜けるように白い肌の、輝くばかりの金髪のチビちゃんが、なんだかぷんぷんして立っていたサンフランシスコのウエスティンのバーは、20年前のあのころはまだ、優美と洗練を人間の形にしたような女の人が待ち焦がれていた相手が、中年の女の人だと判ると、見るからに憎悪に満ちた眼が、花束を片手に抱き合うカップルを、ぐるりと囲んでいたものだった。 まして、町として住む人が真っ白だったころのロンドンは、観光客であってさえ、アジアの人が客として入ってくると、愛想良く、心地の良い声で応対して、でも子供の目でも見逃しようがないほど、鋭い嫌悪に満ちた眼で、ドアをでていく背中を見つめていたりしていた。 まだ「ぼくは、マレーシアでパイロットだったとき、日本軍の捕虜になったことがあるんだ。日本人だけは、口も利きたくない。絶対に許さない」と述べる、普段は温厚なじーちゃんたちが、そこにもここにも、たくさん生き延びていたころです。 そうやって30年前からの記憶をひっくり返して、とつおいつ、明滅する、おぼえていることを並べていると、世の中は、世界は、 たしかに良くなっていることに気が付いて驚く。 個人も社会も、30年もたてば、無論、まったく別物だが、 前に較べて、いまのほうが、遙かによくなっている別物で、 発見して、これはいったいどういうことだろう、と呆然としてしまう。 人間についての知識に照らせば、ほんとうは、有りえないのではないか。 人間も社会も、本質は20年や30年で変わるものではないのではないか。… Read More ›

  • 東の空が白むとき

    明るさが見えてきた、とおもう。 最近、なまってきたので、自分の身体を再建しなければと考えて、早起きして、遠くまで見える海や、靄にかすむ島の姿で、水平線の向こうから太陽がのぼってくるのを眺めて、早起きもいいかも、と考えたが、ここでは、そうではなくて、日本の将来のことです。 冗談やめてください。 あんた、12年も前に、最後に日本を訪問して、曖昧な記憶で日本社会を考えるから、そうなるんですよ、どん底ですぜ、日本。 経済もダメ教育もダメ、文化も古くさいサブカルで、女びとの権利はボロクソで、政治は元からダメ、 夜の底がどんどん深くなって、夜明けは遠くなるばかり。 まことに、ごもっともございます。(一礼) でもね、ぼくにはぼくの言葉で、日本が、深い水の底を蹴って、水面に向かって浮かびだしていることが判るんです。 勝手にそう見えてしまっているのだ、ということは当然、ありうる。 日本が両腕にいっぱい抱えている問題のうち、最も根本的なものは、日本の人には、どうやた認めることがひどく難しいのであるらしい、 「英語が判らない」という問題でしょう。 日本語に訳して判ったって、どうしようもないのよ、とか、構文なんて口走る人は言語の習得ということを頭っから誤解しているんです、とか、そういうことは、もう三桁に達しそうな数の記事で述べてきたので、ここではもう省きます。 学校英語の成績がいいということは、そのまま、謬った言語習得の道の泥沼にはまって、胸まで沈み、肩が隠れ、あら、到頭、あのひと、左の手首が泥沼から出てるだけになってしまった、という状態の症状にしかすぎないのを認められない人は、よっぽど頭がどうかしているか、学校英語の習得にエネルギーと時間を使いすぎているので、そういう極東の最果て時代の、古色蒼然としてハマープロダクション映画のミイラのようにボロくなった言語習得は、ゴミ箱に捨てて、他の、もっとうまく行っている、フィリピンでもいいし、どこでもいいんだけども、教室の代わりに、主にインターネットのなかで学ぶ英語習得に変えていったほうが良さそうです。 だって、日本のやり方は、60年かかって、このやり方では絶対ダメだと、国民を挙げて証明してみせたのでしょう? 日本の人がいかに英語がダメかは、世界的な常識になっていて、日本式アクセントでない英語を、ふつうに話す人をみると、中国の人かな?と自動的に考える。 あるいは最近では、特に若い人であると、韓国の人かも知れないな、と、独りごちる。 日本の人であることが判明すると、げげげ、ああ、びっくりした、という反応です。 いちども日本の人と判明する英語話者と会ったことは、ないんだけどね。 多分、直截にはカタカナのせいで、日本の人は、20年くらい英語社会に住んでいても、一発で日本語人だと判る。 判って悪いか、と怒る人がいそうで、別に悪くは、もちろんないんだけど、 不思議ではある。 もっと猜疑を深めると、なんだか母語っぽく話してるけど、ほんとうは外国語として話しているのかな?とおもう。 せっかく英語に習熟したのに、内部に英語人格が形成されていないのは、もったいないというか、残念な気がする。 日本語自分を、たいしてそれと意識せずに客観視する、折角のチャンスを無駄にしてしまっているからです。 英語談義は、ひとまず、置いておく。 外国語習得の方法なんてのは、例えば英語習得法を英語人に訊くくらいムダなことはないので、だって、本人は、どうして自分が英語を話しているのか、まったく判っていなくて、初めから身についているのだから、訊かれたって、もっともらしいことを、どんなふうにいえばいいか、知っているだけです。 留学や文化が異なる国への移住とおなじことで、早い話が、 留学も移住もしたことがなくて、英語はもとから母語の、この記事を書いている人などは、ついに話の成り行き上、容赦ないセールスパーソンである村上憲郎に、憲郎さんが書いた英語速習法の本を買わされたことがある。 えええー。自分だってニュージーランドに移住してんじゃん、と言われたことがあるが、連合王国からニュージーランドへの移動は、どっちかというと、口にするとクリケットバットでしばかれる可能性があるが、思い切って述べると、タイムマシンで過去に行くようなものであって、特に、わしガキのころなどは、2万キロも移動するのに、物理的移動という実感はなかった。 ある朝、眼がさめてみたら、ばーちゃんの時代に来ていた、という実感です。 まあ、いいや。 現代日本というボートの根本的な欠点は船窓が全部閉じて、ブラインドがかかっていることで、隣はなにをする人ぞ、と考えても、深まる秋にくしゃみをするくらいしかやることがない。 知ってますか?松尾芭蕉 ゴツゴツした骨太の人で、 再現された声を聴くと、太く、深い、 ああ、そうだったのか、と合点がいってしまう声の人です。 孔子が2メートルになんなんとする巨人であることを知って、ぬ、ぬわるほど、と膝を打って痛かったりするのと同じで、歴史上の人物の肉体的な条件を知って、得心がいくことは意外に多くある。 最近、日本語はサムライドラマばかり見ていて、はてはサムライの歩き方が伝染したりしているのは前にも書いたが、ネットで登場人物について調べたり、再確認したりしながら観る癖がついていて、調べていると、なにしろ歴史上の人物といえど、人間なので、人間にはつきものの不思議に満ちていて、美濃の蝮、斎藤道三の側室の深芳野が当時、天下一と謳われる絶世の美女だったのは知っていたが、今度あらためて記事を読むと、身長が188cmあったと書いてあります。 188cm。 モニさんも180cmを越える背丈なので、珍しくもない、と思うかも知れないが、当時の日本のひとは男で160cmないのが当たり前だったはず、つまり、身長差を現代に翻訳すると2mちょっと背丈がある女の人だったわけで、そこに「天下一の美人」という評判を付け加えると、神々しいばかりの姿で、いわば女神に憧れるように権力者たちは引き付けられたのだと判る。… Read More ›

  • もういちど日本へ

    自分でも、もういいかげん日本語はやめたらどうなんだろう、とおもう。 ほんとうにオカネがあったら、ボソボソと日本語を書いていたりするわけはない、と嫌がらせをいいにくる人は、むかしからたくさんいて、 どうも読んでいると、そういう人は、カネモチは160フィート船のアフト·デッキで、シャンパンを片手に身体をくねらせているスウィムスーツのデルモの皆さんと、きゃあきゃあと愉しい午後を過ごして、夜は、そのうちのひとり、もしくは、もっといけない人はふたりと、ムフフ、な生活をしているとおもっているらしい。 いるけどね、そういう人。 たいてい、オカネがあんまりない出発で、アフトデッキくねくねムフフを夢見て、狂ったように仕事をして、オカネが出来ると、一目散に160フィート船を買う。 しかし、まあ、当たり前だが、すぐ飽きます。 オカネを稼ぐには、あんまり知能はいらない。 アイデアひとつと、アイデアを実行に移す、知的能力とは、やや別の能力が必要なだけです。 それに対して、オカネを使うには、作るときとは別種の、高度に知的な能力がいる。 絵が判らなければ、いくら有名な画家の絵を蒐集しても、隠そうとしても顔に出てしまうらしい招待した客の軽蔑の影がある顔と対面することになる。 だからオカネを作る能力はあっても、うまく使えない人は、たくさんいて、ビンボなニュージーランドでの友だちでさえ、若くてスーパーマーケットの経営に成功して、不動産投資も始めて、きゃあきゃあムフフ路線に進んだが、カネモチボートが集まるので有名なMan o’War Bayで待ちあわせて、行ってみると、 さっそく冴えない顔で、ガメが言ったとおりだった、という。 なにが? と訊くと、ボートって、こんなにカネがかかるものだとは思わなかった、 最低でも年間ボートの価格の一割、ときみは言っていたけど、それはいくらなんでも誇張だろう、と思ったんだよ。 でも、現実はもっと酷かった。 1年に2億円以上、ただボートを持っているだけで消えていくのが判ると、なにしろ、この人は経営者なので、たまらない気持になるもののようでした。 でも、まあ、綺麗な女の人たちにチヤホヤされて、いいじゃないの、と述べると、一層、暗い顔になって、ああいう女はバカばかりだ、と、聴いていて吹き出しそうになることを言います。 もうボート、売るよ。 他の人には出来ない、一生に一度の経験が出来たから、それでいいことにする。 と、俄カネモチとは思えない、賢明なことを述べていた。 トニー·チン、という人がいる。 @TonyChinというアカウント名でtweetしている。 この人は、twitterブッシュに集まってくる鳥さんたちのなかでも出色に面白い人で、武具の専門家で、たしか前にはスタンフォード大学と、日本のどっかの大学で講じていたはずだが、それとは別に、英語、中国語、日本語が母語です。 この人や、こちらは昔からの友人の勲さん @IsaoKato 、マルタ島で生まれて、育って、いまは台湾が気に入って住んでいる人ですが、こちらも英語、中国語、日本語が母語並で、あといくつ言語が判るんだか知らないが、ともかく、 ふたりとも同じことを述べていて、言語によって人格が異なっている。 あんまり理屈ではなくて、実感でしょう。 言語習得の最もおおきな楽しみは、これで、特に特殊なことではなくて、 もうバラしても怒らないとおもうが、ロマネスク美術の研究で、日本にいて、日本語でやっているのに、すんごい内容の研究をする金沢百枝さん @momokanazawa さんも英語と日本語では人格が異なっていて、面白いことに英語でのやりとりのほうが、こちらから見ると「自然」な感じがする。 そういうことが楽しくて、言語遊びに耽っているが、しかし、もういいかげんにしたらどうなんだ、という気がする。 特に日本語は、なにしろ生活のなかではまったく使わない言語であるうえに、最後に日本を訪問したのが12年前で、言語どころか、どんな国だったか、ちゃんとおぼえていなくて、このあいだなどは「ああ、横浜中華街の『青葉』で豚の角煮が食いてえ」と考えてから、よく考えてみると、「青葉」があるのは台北だったのを思い出して、呆然としてしまった。 なんだか、現実なのか現実ではなかったのか、現(うつつ)か夢か、もう判然としなくなっていて、頼りないこと、このうえがない。 一方では、頭のなかに架けてある「日本」は、少しずつ色が褪せて、輪郭も怪しくなっているけれども、嫌な染みが消えて、愛おしいまでの、細い線で描かれた姿を見せている。 見ていて、どうもこれは、現実ではないな、美化されすぎなんじゃないの?とおもうが、自分が身に付けた、ほんの少ない数の言葉のなかでも、現実から乖離してしまっているからでしょう、というよりも拠って立つ現実が、記憶された取捨された日本の面影と入れ替わっているからでしょう、… Read More ›

  • 続ビンボ講座 その21 戦うビンボ女

    太平洋戦争の終わり、アメリカ軍の激しい爆撃で医科研以外の建物という建物を吹っ飛ばされた白金では、焼け爛れた木の枝に引っかかった腕や首、足を見上げながら坂をのぼっていくと、三光町の丘の上から海が見えた、という。 きみが住んでいる天現寺は、三光町のいわば隣で、木造アパートの一階の高速道路の橋桁に面した絶景をカーテンで隠して住んでいる。 以前のアメリカ出版社の日本支部という触れ込みだった勤め先では男の社員たちがシロガネーゼシロガネーゼときみを呼んで、ささくれだった気持にさせられたものだった。 「まったく、このおれの人生は」 と、きみは、女のひとり住まいの、21世紀だというのに、微かにドブの臭いがする湿気った部屋の片隅に膝を抱えて考えている。 どうして、こんなについてないんだ。 だいたい日本みたいな国で、女に生まれつくなんて、いったい、おれは前世でどんな悪いことをしたというのだろう。 大学の求人から始まって、転職ウエブサイトまで、女で雇ってもらえそうな会社は、なあんとなく傾向が定まっていて、文化的な香りがするが給料は安い、という例のあれです。 おれの専攻はギリシャ哲学だったので、編集者を志して、カラーの表紙にソクラテスの豚顔のアップが載っていて、扉表紙を開くと、ギリシャパーマのアポロンにそっくりさんのチン〇ンもろだしの筋肉美ヌードが三つ折りカラーグラビア写真で付いている、というような人気雑誌があればいいが、そうもいかないので、いちばんクソ男ばかりが給料が高くて威張ってなさそうなアメリカ資本の出版社に潜り込んだが、女ボスは、エール大学を出たのが自慢の、クソ女で、日本の私立大学を出たおれなんかはキャトルクラス扱いで、女の上司だからよさそうだとおもったおれが甘かったというか、男でないこととは別に、低劣な人格というものも別個に存在することを、おもいっきり知らされてしまった。 文字にすると、天現寺から青山に通勤する、颯爽とした出だしだったはずだが、実態はドブの臭いがするクソ部屋を出て、駅前で待ち構えていた大学のときからのストーカー男に気が付いて顔を引きつらせて、なけなしのカネでタクシーに乗って、青山の会社につくと、だって、こんな仕事量をどうやって一日でこなすんだよ、このタコ女!とおもうしかない膨大な資料整理を押しつけられて、這うような気持で、深夜、家に帰ることになっていた。 ある朝、眼が覚めたとき、こんな暮らしをしていると絶対死ぬな、と判ったので、おれは転職することにした。 今度は市ヶ谷の学術系出版社で、学術系出版社と学術出版では、おなじ出版社でも役割がまるで異なるが、うぶかったおれは、そんなことはまったく気が付かないまま、せっかく40万円あった月給を捨てて、20万円の学術系出版に、自分の将来のキャリアを信じて入社することにした 案外、よかった。 給料が半分になっても、そのころダンスクラブで知り合った日本にいる外国人向けの遊び場ガイド雑誌を出してる会社に勤めるアメリカ男と一緒に住むことにして、薄給もふたりあわせれば、なんとか食える額で、なによりも仕事で会う研究者を中心としたひとびとは、やっぱりガクがあって、膝をガクガクさせたりしながら、延々と蘊蓄を述べるが、蘊蓄の内容が、おれが三度の飯よりも好きなアリストテレスやプラトン、だいぶん外れていった担当でもダンテどまりだったので、仕事の打ち合わせのはずなのに、話から話へ飛んで、あっというまに5時間なんてこともよくあった。 なかでもアメリカの大学で日本文学を教えている女の作家は、すごい人で、ものを大事にしないおれには珍しく、そのときの原稿と、打ち合わせのノートは、そのひとのためだけの引き出しに、大事にとってあるんだよ。 幸福な日々は、5年も続いただろうか。 All good things must come to an end. すべてのよいことには終わりがある。 なにそれ、いま考えたの?と言われそうだが、この平凡な見てくれで、14世紀初頭の中世の諺なんだよ。 ある日、日本では有数の中世倫理学の研究者でもあった社長が、池袋のラブホテルで若い女の身体のうえで、いわゆる腹上死を遂げてしまって、大騒ぎのなかで、オカネをもらいそびれた、その高校生の女が、社長の家に電話した瞬間に起こった阿鼻叫喚の大騒ぎのあとで、新しい社長がやってきた。 本居宣長の本を出したいとかなんとかが、その会社にはもともとは「訓示」なんてなかったんだが、初めての訓示で、いやあああな予感がしたが、 当たっていて、社長になって次の日には、女の社員を全部一室に集めて、そもそも性別で分けて社員を集めるだけで胡乱(うろん)だが、言い出したことは、ほんとにそんなの合法なのかよ、と言いたくなるくらい胡乱で、 「今日から女の編集者は全員、営業にまわってもらいます」と言う。 へ? とおもって、いまのいま、耳から入って、頭のなかに反響した言葉を反芻してみたが、まごうかたなく、コダカラーの色彩よりはっきりと、 「今日から女の編集者は全員、営業にまわってもらいます」と言いやがった。 「ふざけんな、この豚、おれは、断る。自分のヘソかんで死ね」と口を開いたが、浮世では、仮の姿、おれは細面の、浮世絵美人のモデルになれそうな、なよい女の姿で、外見と世間の思い込みから来た必然で、女の言葉で話すことになっているので、 「わ、わたしは、いやです。申し訳ありませんが、お断りします。 わたしは編集の仕事がやりたくて、この会社に入ったんです。 お願いします」 と、情けないくらい哀れっぽい言葉が口を衝いて出た。 その晩、あの会社の社長から来たemailを公開したい衝動になんど駆られたか。 遠回しに、豚野郎のくせに、そういう修辞だけは上手で、… Read More ›

  • 続ビンボ講座 その20 燃えよ、田舎暮らし

        戦時中、軽井沢には様々な国籍の外国人たちがいた。 同盟国人のドイツ人が多かったが、公使館があったスイス人や、ドイツに降伏したフランス人、日本に帰化したアメリカ人やイギリス人もいたはずです。 1942年生まれのロバート·ホワイティングなどは、伝聞なのでしょう、「町ごと収容所だった」と、たしか書いていたが、 収容所だとしても「軽い幽閉」とでも言うべきもので、軽井沢のなかにいれば、憲兵隊も敵国人も、お互いに干渉しない不文律がある、不思議な空間だったようです。 戦後の研究で、スイス公使館の要請によって、アメリカ軍の空襲対象から除外されていたことも、いまでは、判っている。 案外な自由空間で、(いま見ると日本語ウィキペディアには戦後に疎開した、と書いてあるが、戦時中もすでに軽井沢の万平ホテルに続く道に面した家に住んでいたはずの)ポール·ジャクレーなども、お化粧をして、日本の女の人の歩き方をまねた、下駄履きの女ものの浴衣姿で、なよなよと歩いていて、地元の日本の人たちをギョッとさせたりしていたもののよーでした。 俄には信じがたく、ぶっくらこくことには、そういうウルトラにチャラい格好で、しなを作って歩いていて、憲兵隊にいちゃもんをつけられることもなかったらしい。 多国籍コスモスのゆるいコミュニティのなかは、意外に息がしやすい場所だったように見えるが、困ったのは食料で、戦時中の外国人ということで、 ほぼ全員ドビンボで、佐久平や御代田に伝手があればともかく、なにしろ、もともとは作物など、なんにも穫れない土地柄で、やむをえないのでキノコについて、みんなで情報を交換して、森に分け入って、食べられるものを採って飢えを凌いだという。 ちっこい、蔵書があんまりない軽井沢図書館で、むかし語りを読みながら考えたのは、「東京じゃキノコ狩は出来ないよね」ということで、そういうヘンテコリンな反応を示す人がいるから、本を書く人は油断できないが、 もしジャクレーたちが東京にいれば、多分、飢え死にしていたのではないかと考えました。 ビンボは都会に住んでいる人間にとってのほうが、つらい。 子供のとき、ニュージーランド南島の、カンタベリのド田舎に、かーちゃんが買った農場にいることも多くて、馬さんや鹿さんと一緒に、「やっぱり」と考えた、そこのきみ反省するように、テラスで踊りまくる仔牛さんなんかも一緒になって、楽しい夏を過ごしていた。 だんだん、近所のおっちゃん農場主たちと仲良くなってみると、当時のニュージーランドのこと、おっちゃんたちは、びっくりするほど貧乏で、 年収が、1万ドル、当時の円通貨レートでいえば、60万円、なんていう人もいた。 レタスをつくって、道端にならべて「この箱に2ドルいれてね」と記した箱を置いている。 近所で屋根を葺き替えると聞くと、手伝いに行って、なにがしかのオカネをもらう。 果樹園にリンゴを拾いにいったり、もう、ありとあらゆる端布仕事のあわせわざで、食うや食わずで生活している。 それで田舎のどんづまりで、暗ああああい人生を送っていたかというと、豈図らんや、四十歳や五十歳の、いいとしこいて、「あんた、いくつ?」なガキンチョぶりで、 休日でもなんでもないのに、いきなり鉛管工事や電気工事の仕事をさぼって、なかよしの4人で集まって、誰がが入手してきた「日本酒」のレシピで、裏庭で「サケ」をつくって、ところが、この「サケ」が60度ほどもアルコール分があるという代物で、4人のうち、3人は気絶して、サバイバーのひとりが必死に這って、電話にしがみついて救急車を呼んで、ようやく命を取り留めたりしていた。 ガキどもはガキどもで、崖の下に転落したクルマの車体やタイヤ、ハンドルの輪、部品が点々と転がっている崖っぷちの細い道を、最年長者の13歳リーダーが運転して、0.9車線の道をたどって丘の反対側に行く。 ここは、ぼくも好きで、賢くもクルマなんて当てにならないのを知っていたので馬ででかけたものだったが、隠れ里で、な、なんと地図に載っていないおおきな滝がある。 滝壷で、みんなで水遊びをしていれば、あっというまに夕闇が迫ってきます。 あるいは、河原や森のなかには、子供たちだけの秘密の温泉があって、 石を避け、地面を掘っていると、温泉があって、寝転がって、南半球特有の雄大な、煙るような天の川を眺めながら、みんなで子供なりに陶然とする。 もちろん子供たちだけでなくて、おとなたちも、遊びについてなら、やたら知恵が生まれて、高い橋の上で、下を見下ろして、つんおい長いゴムがあれば、飛び降りたら、びよおおおーん、びよよよおーんになって、めっちゃ面白いのではなかろうか、と考えたりする。 やってみると、これが、ものすごく面白い遊びで、結局この人、「バンジージャンプ」を考えたハケットは、事業化して、ボロ儲けで、たしか散財が過ぎて破産したときはパリで豪遊生活を送っていたはずです。 (これもついでに日本語wikipediaをバヌアツの伝統が発祥だとか、オックスフォードの学生が発明したのだとか、仔細らしく書いてあるが、へえ、そうなのかあ、お話としては聞いたことはあるが、おなじものと言えるかどうか、本旨と関係もないので、ニュージーランド人が信じている話のほうでとどめておくことにします) 大都会は経済発展のメカニズムのなかで出来上がるので、当然に、そこに生きている人のあいだに勝ち負けがあり、激しい競走が存在して、個人の懐ろ具合が経済に鋭敏に反応する。 それに較べると田舎は自分の知恵で、自分の生活を豊かにできるのは、日本でも、ほぼ自明に思える。 「夏の家」を持っていた軽井沢は、東京の飛び地のような町で、ほんとうの田舎としての軽井沢と、おフランスと同じ路線の感情で出来た、お軽井沢と、ふたつの重層で出来たように見えたが、周りの土地は純然たる田舎で、 ニュージランドで田舎遊びのコツを身に付けていたぼくとしては、落ち葉が覆って、タイヤの轍ひとつもない県道のまんなかに、やおらピクニックのマットを広げて、モニさんの歓心を買ったりしていた。 オークランドで、いまでも、人の眼から隠れたビーチに出かけるときも、おなじことをするが、ポットに紅茶やコーヒーを詰めて、サンドイッチをつくって、岩場や砂浜にでかけます。 自然の造形は、人間の感覚などは遙かに越えて巧みに出来た美しさなので、 冒頭にかかげてある画像は、カレカレの浜辺だが、自然もこれくらい美しくなると、おもしろいことに、神様がつくったCGのように、非現実と感じられる。 もう気が付いたと思いますが、あんまりビンボになってきたら「田舎に越してライフスタイルを変えてみる」という方法もあると思っています。 そのうえに、前回の記事で書いたように、細々とでもオンラインで海外に収入ソースがもてれば、もう最高の生活が保証されている。 長くなって、また悪い癖で、飽きてきたので、そそくさと書くと、… Read More ›

  • 続ビンボ講座 その19 円安なんだぜ

    「急激な円安」は日銀総裁や日本経済にとっては危機だが、個人にとっては、そうでもない。 アメリカドルやユーロ、日本円のようなメジャーカレンシーの国に住んでいると判らないが、ニューランドドルのようなマイナーカレンシーの国に住んでいると、通貨の上下は、どうかするとサーフィンをやってるようなもので、というべきか、ちっこいボートで海のうねりを乗り越えていくようなもので、いま対円の歴史でみると、55ー62円くらいで安定している時期は長いが、ニュージーランド人が全員忘れもしない、ヘレン・クラーク時代の39円から、最近の92円まで、すごい幅で上下する 金も非常に買いにくい国で、日本ならば田中貴金属の刻印があるインゴットは相場で、その場で買い取るという昔からの政府の暗黙のお墨付きがあるが、 ニュージーランドでは金貨もインゴットも、いざというときに買い手が値切ったり、買い取り自体を拒否したりすることが出来る。 株式は、吹けば飛ぶような株式市場で、おまけに国外の株を買うときは、実は借り株なので、国内株はいいとして、仲介の会社が倒産した場合、どうなるの?という疑問を持つ人は買いにくい。 いまのようにインフレーションが進むと、現金が目減りするので、長期預金を組んでいる人は、お尻がむずむずしてきて、中腰になるが、オカネの持って行き場がないので、結局は不動産に行き着くが、ニュージーランドの不動産市場は、いまのように暴騰する前から悪名高いマーケットで、ドイツ銀行のアナリストなどは、失礼にも、数字を見て笑い出してしまったくらいで、 なにしろ国富が極端に住宅市場に偏っている。 30代の夫婦が1億円を超えるホームローンを組むなんてのは、普通のことで、 たしか30年以上は法律で禁止されたはずだが、20年ローンで、夫の収入は全部ホームローン行きで、妻の収入で一家は食べている、というのがごく普通になってしまっている。 そういう国で対円でいえば39円になったりして、大パニックかというと、そうでもなくて、中央銀行が黙って公定利息をあげて、たしか39円だったのは数日で数ヶ月後には62円に戻っていたとおもいます。 第一、こういう極端な上下が起きる理由自体が、ジョージ・ソロスであったり、はては賭博好きの元首マハティールが率いるマレーシア政府であったり、通貨の流通量が少ないので、狙われて、投機の材料にされる。 メジャー通貨の円では起こりえないことで、「急で大幅な円安」といっても、せいぜい1日の幅は対ドル1円くらいのもので、ニュージーランドドルのように、ある朝起きてみたら通貨の価値が半分になっていた、というようなことはありえない。 いまの円安の怖さは、それが「長期の傾向」で、市場も「こりゃダメだな」というか、円が魅力のない市場の通貨であることを信認してしまったことのほうにあって、上下を繰り返しながら250円から80円まで登り詰めた道を、逆に、歩きもどってしまうだろうと、「市場全体が気が付いてしまった」ことのほうにあります。 130円は心理的な節目だが、他のさまざまなインデックスの節目でもあって、例えば、お隣の韓国とひとりあたりGDPが、ほぼ並んでしまう。 韓国を相手に勝った負けたと一喜一憂するアホな人は別にして、このことには重要な意味があって、そのレベルまで個々の日本人が貧しくなると、 定義が曖昧なことが手伝って、暫くは看板をあげておくのを許してもらえるとおもうが、欧州の極右政治家や日本の人が大好きな言葉「先進国」ではなくなってしまう。 英語では「第三世界の国」と呼ぶが、日本語では、どうなるだろう? 「後進国」はpolitically incorrectということになっているので「発展途上国」だろうか。 しかし誰が考えても発展の途上にあるわけではないので「衰退途上国」かしら? と呼び名にすら困るカテゴリーに入って、ニュージーランドのように、ひとりあたりのGDPが低いことに「ナマケモンが揃っている」という堂々たる、世界にあまねく認知された理由があればまだしも、日本の人のイメージは「24時間、戦えますか?」の勤勉モーレツなサラリーマンなので、働けど働けど、我が暮らし楽にならざり、バッカみたいに働いているのに、 賃金がまったくあがらずに、岩山のとりかかりがない斜面を、爪を立てながら、ずるずると滑落していくイメージしかない。 ほんとうは賃金を、もっと早くからあげておけばよかっただけの話で、主に「中国は低賃金で安い製品を売りまくって儲けている」というケーハクで不勉強な経営者たちの中国経済理解のせいで、とにかく賃金を抑えなければで、中国の都市部の賃金があがると、なんの反省もなく、ベトナムに工場を移動させる、という能なしぶりで、ほんとうの理由は、チビチビ投資をやって、事業投資は一挙に行うという定石に真っ向から逆らって投資効果がない投資の仕方をあたりまえだが、全部オカネのばらまきに終わってしまったり、市場を国内と国外に分けて「まず国内で成功してから世界へ」なんて、これもぶわっかたれとしかいいようがない無能な経営の見本のようなマーケット戦略の失敗で、人道に反するような低賃金を続けた結果、国内市場が人口減以上に、やせ細ってしまった。 長く読んできてくれているひとは、よく知っているように十年以上にわたって、「こんなことをやっていては2025年くらいには破滅的なことになる」と何度も何度も述べて、結果は、嬉しくもなんともない、書いた通りになって、おまけに予想屋みたいなことは嫌いなので時期を書いたりすることは滅多にないが、タイムスケールを示すために2008年ごろから、ずっと設定してきた「2025年」は、オチョーシモノの、大言壮語は得意だが現実処理能力はゼロという、およそ考え得る限り最悪の政権だった安倍政権のせいで、やや前倒しになって、2023年~2024年くらいになるもののようでした。 ビンボ人が、日本から出ないまま、どうやら将来もつづきそうな大きな傾向としての円安のなかで生きていくためには「円に別れを告げる」しかない。 日本に住みながら使うほうで円に別れを告げてしまうと飢え死にしてしまうので、収入源を知恵をしぼって国の外に求める、ということです。 幸い、COVIDの後押しで、例えば昨日はニュージーランドでも五指に入るソフトウエアデベロッパーが有給休暇のキャップを外してしまったことが話題になっていた。一年365日有給休暇をとっても、絶対に会社は文句を言わない。給料は払ってあげるかんね。   あるいは英語社会ならどこでも「地球上のどこに住んでもいい条件のポジション仲介業」が存在する。 いま、ちょっと見ると、案の定、ニュージーランドの新聞サイトにもバナー広告があります。 CFOs See a Clear Pathway to Growth Through Global Expansion… Read More ›

  • 汚れた言語に

    まだ日本語を、やっと書き出したころに「憎悪の王国日本」という記事を書いたことがある。 日本にやってきて観たままを書いたつもりだったが、当時は「はてな」という後で判ってみるとネットの憎悪の中心のようなコミュニティに、暢気にも、それと知らずに、「せっかく日本製のコミュニティモデルサイトがあるのだから」という理由で、ブログとして書いていたせいで、反応が大きかった。 反応が大きかった、というより、有り体に言えば、罵詈雑言、「日本が憎悪の国だなんて、書く方が憎悪の塊なわけだが」と、すさまじい怒号で、ぶっくらこいちまっただよ、というか、このとき初めて、日本の仮面の下の「素顔」に遭遇したのだと言ってもよい。 日本語社会は、悪意の濃度が他言語よりも高い社会で、悪意の濃度が比較的に低い社会から来ると、いきなり憎悪をぶつけられてびっくりするが、失礼に驚いて言い返しでもしようものなら、たいへんで、「このひと、わたしを侮辱するんです」と自分が属するコミュニティのなかを駆け回って、仲間を募って一斉攻撃にかかる。 コンテクストを追う、ということを全くしないのも日本語人の特徴で「いつもなかよくしている人」が、「この人、加害者です!」と指さすと、そりゃあ悪い奴だ、で、わっと群がって、言語上の集団暴行に及ぶ。 すっかり加害者にされてしまいます。 だんだん判ってきて、どうでもよくなってくると、呑み込まなくてもいいコツが呑み込めて、落ち着いて考えれば、相手にしなければいいだけのことだと判ってくる。 山の麓を歩いていたら、野犬の群れが猛然と吠えながら走り向かってくるときに、これに「敢然と立ち向かう」のは愚の骨頂で、自分がそのコミュニティに属しているのならともかく、ヨソモノなのだから、自分の家である英語に帰ればいいだけで、実際に、シカトして頭のなかのスイッチを切り替えて英語に戻ると、不思議なくらい、綺麗さっぱり、どうでもよくなることが判った。 距離をとって、ところどころ混じっている醜い顔が見えないところまで離れてみると、あな不思議、日本はやさしい相貌で、たおやかな社会の稜線を見せている。 当たり前だが、英語社会にも、やな奴も、愚か者も、イナカモンもいて、 ニュージーランドなどは世界のなかのド田舎なので、「身なりが立派で高いクルマに乗って良い名前の通りに住んでいる」のが立派な人間ということになっていて、さすがに30代も後半になってきた最近はやらないが、裸足で通りをスタスタ歩いていたりするので、「どうしてこんなアンタッチャブルが我々の高級住宅地を歩いているんだ」という目によく遭った。 オークランドにいくつか家を買ってみようと考えて、不動産屋のウインドウに出ている良さそうな家について訊ねるために一歩店内に入った途端に、 「うちは貸家は隣よ」と言われる。 超高級住宅専門の不動産屋に入ったときなどは、受付のおばちゃんは、汚い赤いゴジラがついたTシャツと、やや崩壊したショーツにフリップフロップの風体からして強盗だとおもったのか、真っ青になってガタガタ震え出す始末で、ことほどさように外見がすべてで、外見がホームレスのおっちゃんに「もう少し、どうにかしたほうがいいんじゃないのか」と意見されるくらい酷かった風来坊としては、苦難も多かった。 最近は、あんまり出歩かないし、出かけても、お互いに顔を知っている場所を訪問するだけなので、ネット上もおなじで、英語では不愉快な人間を見ない。 初めのころは、投資が職業といえど、人に会わなければならない用事がたくさんあったが、最近はもう、「完全に無為ならば自分の意思や邪念に煩わされず完全に正しい判断と思惟ができる」、老荘の理想、真人の域に達しているのではないか。 自分の宏壮と呼べなくもない家の裏庭を散歩して、マリーナにでかけて、うんとこしょ、とディンギーを引っ張り上げたり、給水して、マリーナ内のディーゼルスタンドで給油して、あるいは、クルマのガレージで、軽く80年は経っているジーチャンカーをオイル塗れになって直したり、要するに、いいとしこいてひきこもりなんじゃないの?な生活に明け暮れている。 英語ばっかりで暮らしていると飽きるので、あんまりたくさんはない、その言語で考えられる程度には身についた言語世界に遊びに行きます。 むかしなら、ダンテ・クラブ、なんちゃって、名前が付いた社交クラブまで出かけなければならなかったが、いまはインターネットがあるので、めんどくさいので言語別になっているコンピュータに、びょおおおん(←和音)と電源をいれて、日本語なら日本語を訪問する。 条件反射を示すのはパブロフの犬さんだけではなくて、そうすると、いかなる自然の神秘にやありけむ、こちらの頭も、びょおおおん、と日本語に切り替わって、対角50インチの隅から隅まで、見渡す限り日本語の海を逍遙することになる。 でもtwitterでは英語人もフォローしてるよね、と言われそうだが、あれは初心のころの、日本の人の悪意への対処法が判らなかったころに出来た友だちの人びとで、主にDMのやりとりに終始しているが、最近は器用にも日本語であたふたしている途中で、パチッと英語に切り替えるということも、脳が不調で失敗する場合もあるが、出来なくはないので、息抜きというか、友だちを息抜きにしては申し訳ないが、オアシス代わりになっている。 最近は日本語人友でも極めてすぐれた知性の人と会えて、普通に、英語なみに、静かに話ができるので、英語人を日本語ツイッタでフォローする必要もないが、友だちは必要でつくったり撤廃したりするものではないので、 そのまんまになっている、ということです。 ことのついでに述べておくと、あそこに並んでいるツイッタ友は、英語を書くのが仕事のひとたちで、地元の新聞に書いたり、ワークショップに加わって雑誌に発表したりしている人達だが、素晴らしい、美しい英語を書く人達で、日本の人が英語を書くときに参考にするのに最適だとおもう。 閑話休題 そうやって、ふらふらと言語世界を、ちわああーす、と呼ばわりながら歩いて、日本語を訪問すると、このごろは、あんまりこちらに向かって飛んではこないが、やはり悪意が多すぎるような気がする。 特に自分では高い学歴であるとおもっていたり、ひとよりも賢いと自己を評価しているひとたちが、なんだか張り切っちゃった日本語で、「政府を批判」したり「ジェンダー問題を語った」りするのはいいが、どうにも人が自分と異なる考えでいるのを我慢できない人もいて、 わざわざ見知らぬ他人のツイッタアカウントにやってきて、 「あんた、バカなんじゃないの?」のひとことですむ内容を、仔細らしく、もっともらしく、相手の感情がなるべき傷付くように懸命に工夫した言い回しで、言い残していく。 言われた方は、傍目にも、あきらかにムカムカして、自分の波だった感情を収めようとしているのが判るが、見ていると、まる一日かかることが多いようです。 いろいろな人が「そんなのネット上だけですよ」というが、なははは、そんなわけはないので、自分が「属している」と感じる社会のネガティブな側面を指摘されるのが嫌で、そう言ってみるのでしょう。 悪意というのはね、隠そうとしても、チラチラと覗いてしまうものなんです。 気楽に中傷するなり冷笑なりをやるほうは、時間の無駄は数分だが、言われたほうは気持を旧に復するのに一日、どうかすると数日かかる。 何日たっても気持が解決されなくて、弁護士に相談したりする。 その数日で書けたかもしれない物語や論文や、絵は、彫刻は、たいていの場合、永遠に姿をあらわすことなく、脳のなかの沈黙の闇に消えていきます。 傍からみていると、日本の沈滞の原因はこれで、西洋式の理屈を適用すれば、そんなバカな原因はなくて、人口が単調に減少してマーケットが縮小しつづけているのが原因ということになるが、その人口の減少にしても、悪意によって生きづらくなった社会が原因かも知れないでしょう? 日本の人は「自由社会」を勘違いしていて、誰でも、おもいついたことをなんでも言っていいとおもっている。 そりゃ、法律上は、もちろんそうですけど、人間は法律で生きているわけではないので、たいていの場合は、単に「おれはあんたを認めない」というだけの、失礼なことや、もっと深刻ならば、性差別、人種差別的なことを気楽に述べていいわけはない。 何度も引用する、中村伸郎の 除夜の鐘 おれのことならほっといて… Read More ›

  •   昼下がり、ボローニャ大学の中庭のベンチに腰掛けていると背中が向いている建物の二階から、悪魔の実在について議論している声が聞こえてくる。 静かな落ち着いた声ではなくて、やや興奮して、切迫して、言ってみれば、切羽詰まっている声です。 緊急の、焦眉の問題として悪魔の実在が述べられている。 幻聴だったんじゃない? 記憶が改変されているのかも? 現実の実体は、たかだか認識にしかすぎないことは、なんども書いた。 だから、どちらでもいい、ということにはならないが、 何度も甦ってくる記憶は、ベンチの傍のオリブの木が、現れたり、消失したりするくらいで、残りは同じことで、SONYショップの代わりにサムソンショップがあったり、小さなEVの郵便配達自動車が広場に群れていたり、 はては、大通りの、大学から遠くないところのジェラート屋まで、 雑多に「現実」として頭のなかに残っていることの、ひとつとして、 声高に述べられる悪魔の実在についての議論が残っている。 ボローニャなのだから、イタリア語だったはずなのだが、記憶のなかでは、スペイン語であったり、英語ですらあることもあって、これはいつものことだが、西欧語は西欧語のなかで横滑りしていて、ときどき、なにがどんなふうに語られたからは判っていても、それが何語だったか怪しくなることがある。 自分が話す方は何語だったか、たいてい憶えているので、不思議といえば不思議で、あるいは、話す事と聴くことは別の能力かと考えたり、 その言語がへたっぴなだけなんじゃないの? とおもったり。 もう人間も30代の後半になってくると、経験したすべての現実は断片化して、廃墟か遺跡のようにして、堆く積み上げられた、それぞれの瞬間が、崩れ落ちる一瞬に、鮮やかな形象と色彩を伴って甦ったり、遠くに、くぐもった影のように蠢いていて、もどかしくて、どうしても判然と思い出せなかったりする。 誰にでもあることのはずで、辿っていくと、現実だったのかどうか、もう判らなくなってしまっているものもある。 数学の言葉で世界を理解しようとしていたころは、机に向かって手を動かすやりかたで自分が生きている宇宙を解読しようとしていたが、ふり返ってみると、ほんとうに身についたのは旅による理解で、 ただ、ふらふらしているのが好きで、大陸西欧やメキシコやアメリカ合衆国や、オーストラリアやニュージーランド、遠くは日本まで、足をのばして、 ハワイのパスポートコントロールでは、「ひとりの人間が、こんなに旅をするわけはない」という訳の判らない理由で別室に送られたりしたが、 そのころは、滑稽なことに、実際には旅先で過ごしている時間に較べると短い期間の滞在でしかない「自分が生活している場所」でないところにいるのが快適で、根無し草でいることが安定した生活だと感じていた。 旅から旅。 ラスベガス郊外の赤茶けた岩。 プラヤ・デル・カルメンの焼けつくような太陽。 クエルナバカの木陰。 ダラスの、巨大なばかりで、館内をジョギングしている人以外は、誰もいないようなショッピングモール。 Llafrancの、延々とつづく、海辺の遊歩道 脈絡のない、スナップショットのような風景が積み上がって、何千キロも離れた場所が隣り合っていたり、隣り合っている場所が融合していたりする。 カタルーニャやガリシアの小さな町に、ほんの数週間もいて、観光を目的とするでもなく、テラスでのおんびりとヴィッチ・カタランとカバのサングリアで、おおいつくすような太陽の光の下で、眼下の町を眺めていると、 世界は、たくさんの宇宙で出来ているのが判ってくる。 そのひとつひとつの宇宙は、異なる言語で、てんでに異なる世界を認識している。 解りあえれば最も理想的だが、なにしろ人間の言語も感覚も、内を探究するのは案外と得意でも、隣の人と意思を疎通するというのは苦手なので、人間がお互いに理解しあうのは、世界が判ってくればくるほど、困難であることが自明に近くなって、ではどうすればいいかというと、「ほうっておけるだけ、ほっておく」のが最もいいようです。 日本語では、どういうことなのか、頻発する、相手が自分に向かって攻撃をしかけたり、甚だしきは共謀して中傷したりする場合には、戦うしかないだろうし、ほうっておけば、かさにかかる、ということもあるだろうが、 そういう異常な人間が起こす異様な事態でもなければ、 「他人のことは、ほっておく」 「判らない事は、ほっておく」 で、だいたい人間の短い人生は終わってしまう。 日本語ではいちど、日本語世界が与えてくれたことへの恩返しのつもりで、なにが日本のネット言語世界をおかしくしているか、元凶の集団がやっていることを匿名から実名をたぐり出すことを含めて、可視化しようとしてみたが、これは大変で、なにしろカラッポの議論で、詭弁と相手を陥れる技だけを磨いてネットを牛耳って来た人びとだったので、たいへんな時間の無駄で、おまけに日本語の世界で支えてくれた人達には 「ああいうことは、よくない。愚かな人間は、みんな観て判っていて、現実の世界で対処しているのだから、公開でやってみることに意味などない」と顔を顰められてしまった。… Read More ›