■ 見沼区蓮沼大塚
本日は近場の「古墳かも知れない物件」を見て回った。
まず午前中は見沼区蓮沼の県道2号線脇にある「大塚」を見学。地元では「大塚山」と呼ばれているらしい。
第2産業道路を大和田交差点で右折し、県道2号線に入ると割とスグに、右手のセブンイレブンの裏手あたりに、一見してそれと分かるマウンドが見えてくる。

『新編武蔵風土記稿』には残念ながらこの塚についての記述はないのだが、この辺りの旧地名は「蓮沼」「猿ヶ谷戸」といったものであったようだ。前者は湿地、後者は台地に切れ込んだ谷間とどちらも「水」を連想させる地名であるが、それに反してこの塚のある辺りは台地の只中という立地である。西の見沼低地からも、東の綾瀬川沿岸の低地からもそこそこ距離があり、古墳の立地としては疑問を感じる部分もあるのだが、古墳時代の土器が出土しているらしく、古墳説が唱えられているようだ。

西から

「大塚」の名の通り、この界隈の古墳&塚としては、割と大き目なマウンドである。径25〜30m程度はあるかも知れない。背も高い方で、4mはありそうな感じであった。土合古墳群の東福寺古墳と同じか若干小さい程度であろうか。
マウンドの様子

残存状況は良好なようで、遠目にもきれいな円錐形のマウンドを見てとれた。近づいてみると、裾部は道路や住宅で一部削られている箇所もあったが、全体的には大きな破壊は受けていないようであった。マウンドから南側の畑地にかけて一面の雑木林となっていた。
北から

この大塚は、岩槻城の支城の物見台であるという伝承もあるようだが、台地の只中ということで城郭の立地としてもふさわしいとは思えない。仮にそうだとしても、塚の規模からして物見台として造られたものとも思えず、元からあった塚を流用したということではないかと思われる。
東から

かと言って、台地縁辺か自然堤防上という例が殆どであるこの界隈の古墳の立地からすると、古墳説もすんなりとは受け入れられない気がするが、土器が出ていて埴輪が出ていないとなると、7〜8世紀台の古墳なのだろうか?それとも中世の経塚か何かで、土器は築造の際に採土した場所に古墳時代の集落跡があったことに由来するのだろうか?
東側は墳丘裾に段がついていて、こちらから見ると2段築成の円墳のように見える。また、これだけの規模のマウンドなのに墳頂に神社や祠が乗っていないのは珍しい。

この大塚の東北約2kmの綾瀬川右岸の東宮下地区からは古墳跡と埴輪が検出されている。一方、西方約2kmの見沼の谷を挟んだ対岸の武蔵一宮氷川神社境内から大宮公園、土呂町にかけてはかつて円墳と見られる多くの古墳が存在したことが知られており、大塚がある台地を含め、周辺の台地上からも古墳時代の集落跡が見つかっているようだ。集落があったのならば、台地のド真ん中とは言え、古墳があっても不思議ではない訳のかも知れない。

ま、例え古墳ではないとしても、こんな大きな塚が残っているとは、県南もまだまだ捨てたものではないと思い直した次第である。

投稿者 Toyofusa : 2007年12月15日 23:17 Twitterにポスト Tumblrにポスト

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