■ 代々木探訪
●Slayerrrrrrrrrrrrrrrrrrrr!!! バッグ

SLAYER謹製メッセンジャーバッグ

今年の夏、友人達とキャンプにでかけた際、アメリカ人の一団と隣り合わせた。
他に誰もいなかったので、一緒に夕飯を食べつつ、お国の話し等をあれこれ聞いたりしていたのだが、その時、アメリカ人の兄ちゃんが、息子の着ていたSLAYERシャツに目を止め、

すぅれぇいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
(Slayerrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr!!!)

と叫んだ。
両手のメロイックサイン(人差し指と小指を立てて残りの指を握るメタラー特有のサイン)付きで。

ビデオやDVDで向こうのライブ映像を見たりして知ってはいたけど、向こうのファンは本当に叫ぶのね。
それに対して、同じく叫んで切り返した息子もバッチリDVDの学習効果が上がっていて流石だ。
とりあえず、他のメンバーの冷ややかな視線に包まれつつ、彼と「Blood Line」を熱唱。キャンプ場は一瞬、プチメタルフェス会場と化したのであった。

そんなSLAYERのマーチャンダイズとして、メッセンジャーバッグがリリースされているのを先日知った。ちょこっとネットで検索をかけてみた所、1軒だけ在庫している店を発見したので早速発注。マチもそこそこ広く、地図やら撮影機材やらを詰め込んで持ち歩くには丁度良いサイズであった。
これ迄使っていたバッグは、学生の頃にサープラスショップか何かで購入した、60年位前の骨董品である。まあ、今迄特に壊れもせずに使えているのは立派であるが、流石にレンズを何本も持ち歩くとなると強度的に不安があるのも確かである(糸が劣化した所からビリっといきそう)。
その点SLAYERバッグは、見た目のダサさは否めないものの、クッションも効いているので撮影機材を持ち歩くには好都合である。今後はSLAYERバッグを古墳巡りに活用しようと思う次第である。

●「代々木」地名発祥の木
バッグを購入したこともあり、久々にSLAYERの未入手の日本版CDでも買おうかと思い立ち、新宿へ出かけることにした。SLAYERのCDは一通り押さえてあるのだが、殆ど日本版が出る前に輸入版を買ってしまっている。日本版には曲が追加されていたりと、オリジナルとは若干異なる編集になっている場合があり、ファンとしては一応こちらも一通りは押さえておきたい所である。
そこで、新宿へ行くのならついでに、ということで、代々木界隈の古墳を巡ってみた。
東京都遺跡地図やその他の文献に記された情報を総合すると、3〜4基の円墳が代々木地内に現存しているらしい。これは意外だ。

代々木の古墳は明治神宮&代々木公園とその周辺に分布している。
まずは新宿から山手線に乗り、原宿駅で下車。明治神宮境内の古墳を見学することにした。
原宿駅から大鳥居を潜り、明治神宮の南参道を北上する。
普段の古墳巡りだと、特に何もない住宅地内をカメラをぶら下げて徘徊することになるので、ちょっと気まずいものが無きにしもあらずなのだが、ここは東京屈指の観光スポット。右も左も前も後ろもカメラをブラ下げた外国人だらけだ。カメラをブラ下げているのがむしろ普通な世界である。
しかし、一昔前は、日本人観光客というと出っ歯にメガネにカメラというイメージで欧米人にはコケにされていたような気がするが、参道を歩いている欧米からの観光客を見てみると、出っ歯ではないだけで、連中も首からニコンとかキャノンの眼レフをブラ下げていたりする。今となっては世界的にカメラと言えばニコンかキャノンな訳で、彼等もこうした日本製カメラを使っている内に、だんだんと日本人気質になってきてしまったのだろうか?
まあ、いずれにせよ、世界が日本人の観光スタイルにようやっと追い付いてきたということで、これは歓迎すべきことなのだろうと思う。

さて、最初の古墳は、この南参道の途中、御苑東門そばにある。
この辺りは江戸時代、井伊家の下屋敷だった所で、その敷地内に一本の巨大な樅の木があったそうである。
江戸〜明治時代の頃に生えていた木は樹高40〜50mはあった大木だったそうだが、古くからこの場所では代々樅が枯れると植え直してというのを繰り返した来たそうで、これが「代々木」の地名由来となったという説がある。
かつての巨木は明治中頃に枯れてしまったそうで、その後戦後になってから新たな樅の木が植えられ、これは現存しているとのことである。伝承によれば、この樅が植えられている場所は古墳で、今でも地中には石棺が埋没しているとされているのだ。
代々木

これがいつの頃からか、枯れては代々植え直されてきた「代々木」の樅である。現在の樅は昭和27年に植えられたものだそうだ。伝承ではこの地中に石棺が埋没しているとされているが、現状は参道沿いに設けられた土塁の一部にしか見えず、全く古墳らしくない。
説明板

代々木の地名説話について簡単に述べられている。この明治神宮の森は大正時代に帝国領土各地から献上された樹木を植えることで造られたもので、それ以前はひたすら畑地や荒地が広がる荒野だったそうだ。そんな環境にあって、この樅の木は非常に目立ったようで、特に江戸時代に大木となっていたものは、西から江戸にやってくる旅人の良いランドマークとなっていたそうである。
周辺の様子

明治神宮の参道の両側は延々と土塁が築かれているのだが、現状ではその土塁上に樅が植えられているようにしか見えない。ただ、江戸〜明治時代にはこの地に樅の大木が生えていた訳で、もし伝承が本当ならば、この土塁の下に古墳が埋没しているのかも知れない。

●明治神宮古墳
「代々木」を後にし、南参道を更に北上すると左手に大鳥居が見えてくる。
東京都の遺跡地図によれば、この大鳥居の先、社殿に向けて右方向に参道が90度曲がるあたりの手前、御苑北門付近に、径10m、高さ2mの円墳が現存していることになっている。

明治神宮は過去に何度か参拝に訪れたことがあったのだが、これには全く気付かなかった。ま、こんな所に古墳があるとは思っていなかったから、参道脇の森の中をまじまじと眺めることもなかったので、注意して見れば、「こんな所に古墳がっ!」ということになるのかも知れない。
該当地付近

遺跡地図では確かにこの辺りにプロットされているのだが、先程の代々木同様、土塁が見えるだけで、その向こうの林中にも高さ2mの墳丘があるようには見えない。強いて挙げれば写真中央のやや大きな木が生えているあたりが怪しいか?
別角度から

角度を変えて御苑北門付近から眺めてみても、全く古墳らしいものは見えない。遺跡地図は確か1985年頃の都心部古墳分布調査に基づいていたと思うので、その後削平されてしまったのだろうか? それとも元々土塁に埋没しているのか?

●宝物殿裏古墳

元々石棺が埋没しているという伝承だけだった「代々木」はともかく、遺跡地図で現存マークがついていた明治神宮古墳の現状にすっかり拍子抜けである。もっともこの遺跡地図、意外とアテにならないことが多く、現存マークがついているのに影も形もないことも良くあるし、逆に消滅扱いでも結構残っていることもある。あと、実際の位置が地図上とズレていることもままある。なので、もしかすると、明治神宮古墳はもうちょっと別な場所にあるのかも知れない。
そう思って、参道の周囲を注視しつつ、境内を歩いてみたが、何カ所かマウンド状に見える箇所が無いでもないが、確信を持って「古墳だ!」と思えるようなものは結局見つからなかった。

そうこうしている内に宝物殿近くに到達。
遺跡地図によれば、この宝物殿の裏手にも消滅マークではあるが、円墳が所在していることになっている。
明治神宮宝物殿

消滅扱いとは言え、上述のように多少は墳丘が残っていることもあるのだが、残念ながら宝物殿裏手には関係者以外立ち入ることができないようだった。
宝物殿裏手遠景

宝物殿の裏手には首都高新宿線が通っており、もし墳丘が残っていれば、首都高からチラっと見ることは出来るのかも知れない。日中の渋滞の激しい頃が狙い目だが、良く観察するためには運転手を別に用意しないとならない。

●代々木四丁目都営住宅古墳

明治神宮を後にし、宝物殿北側の住宅地を通って代々木四丁目へ。
遺跡地図によれば、四丁目内には参宮橋駅そばに現存1基、刀剣博物館そばに消滅1基の計2基の円墳が所在していることになっている。
Google Earthの写真

事前にGoogle Earthで該当地付近を覗いてみると、刀剣博物館そばの方は完全に建物の下敷きになってしまっているようだが、参宮橋そばの現存マークの古墳は、確かに残っているようだった。遺跡地図によれば径8mの円墳とのことである。写真中央の部分が古墳のマウンドではないかと思われる。
該当地付近

期待に胸を膨らませ、参宮橋駅の先を曲がってみると、上の写真でマウンドが見えていた場所は真新しい公園になっていた。古墳はすっかり削平されたか、地表下に埋没してしまった模様。ちょっと来るのが遅かったようで、大変悔しい。
公園の様子

この松の根元が円形に加工されているので、一瞬「これか?」とも思ったが、Google Earthの写真と見比べてみると墳丘と思しき箇所の右下に見えている木立に該当するようだ。
公園周辺の石材

公園入口そばの空き地に石材が幾つか転がっていた。石室材のようにも思えるが、庭石として持ち込まれたものかも知れない。また、公園そばの住宅の石垣にも房州石のブロックに混じってこのような丸石が使われている箇所が見受けられた。

●代々木八幡神社古墳

明治神宮に続き、代々木四丁目も肩透かしを喰らい、すっかり意気消沈してしまったのだが、気を取り直して次のポイントである代々木八幡神社を目指す。
遺跡地図によれば、ここにも円墳が1基現存していることになっている。ただ、「円墳?」となっているので、墳形については他の可能性があるのかも知れない。
該当地遠景

遺跡地図では社殿の真後ろにプロットされているので、まずは神社境内の外から該当地を覗いてみる。すると確かに社殿の後ろにマウンド状の地形が見える。ここまで肩透かしを喰らい続けてきたので、思わず「あ〜、あったあった、あれだ、あれだ!」と呟いてしまった。
墳丘の様子1

神社外壁に沿って歩いてみると、墳丘状のマウンドは社殿背後から東側に伸びているようだった。境内から社殿東側にまわってみると、そこには相殿の出世稲荷と榛名神社が祀られていた。
墳丘の様子2

マウンドは東西に細長く、これが円墳だとすると、大分削られているのかも知れない。元々細長いのだとしたら、実は前方後円墳ということもあるのかも知れない。
墳丘の様子3

墳頂には出世稲荷と榛名山登山碑が祀られているので、現状は榛名塚ということになろう。墳頂の碑には「登山四十七度」と刻まれていた。古墳が富士塚や御岳塚、榛名塚等の山岳信仰の塚に転用されることは多く、これもそうした例の一つなのかも知れない。
墳頂の様子1

墳丘向かって左手の頂上には出世稲荷が祀られている。
墳頂の様子2

出世稲荷の右手には榛名登山碑が建てられており、榛名神社になっている。石碑の周囲には榛名山のものと思われる溶岩が配置されている。
墳頂からの眺め

境内平坦地からの比高は2m程度。見た目よりは高さがあるようだった。
墳丘左手の様子

出世稲荷の左手、社殿の真後ろ付近にも石碑と石材が配置された一角があった。やはりこのマウンドは東西に細長い印象で、社殿で円墳の西南部分が削られたようにも思えるし、小型の前方後円墳の成れの果てと思えないこともないが、これだけいじくられていて、これといった出土品が知られていないとなると、そもそも古墳なのか? という疑問も残る。

●代々木公園古墳群

代々木八幡神社でかろうじて古墳らしいマウンドを見学することができ、ようやっと古墳巡りらしくなってきたが、残念ながら現存するのは以上で終了。明治神宮古墳が残っていないとすると、現存するのは代々木八幡神社古墳だけとなってしまったのかも知れない。
代々木界隈では他に代々木公園内にも円墳マークが記されているが、これは残念ながら消滅マーク。もしかしたら多少は墳丘が残っていたりするのかも知れないと思い、原宿駅へ戻りがてら、代々木公園に寄ってみた。
該当地付近の様子

サイクリングコース付近に円墳が3基所在していたそうである。現状墳丘のようなものは見受けられず、完全に削平されたか、公園整備に伴って古墳跡が検出されたということなのかも知れない。

事前の予想に反して、代々木八幡神社以外には全く古墳の痕跡すら見ることが出来なかったが、都心にあって多くの緑が残る代々木の散策は中々に楽しいものであった。冷たい風が少々強かったが、そんな中食べた暖かい焼きソバとタコ焼きが旨かった。今回、本命のCDが手に入らなかったので、またCDを探しつつ、今度は代官山〜恵比寿方面を攻めてみようと思う。

投稿者 Toyofusa : 2007年11月23日 23:29 Twitterにポスト Tumblrにポスト

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