« 大久保塚本薬師堂・八幡社 | 記録帳TOP | 高稲荷キーホルダー »
2007年10月20日 東京都の古墳
« 大久保塚本薬師堂・八幡社 | 記録帳TOP | 高稲荷キーホルダー »
最近、『古事記』『日本書紀』『続日本紀』『風土記』等の奈良時代の史書や地誌を読み返している。当たり前のことではあるが、随所に古墳に関する記述があり、中には現存する古墳についての記事もあったりするので読んでいて中々楽しい。ただ、前方後円墳を盛んに築造していた頃の古墳関係の記事となると、当時既に相当記憶が薄れていたのか、半ば伝説のような形になっていたりして、埴輪の出現時期等、考古学上の知見と必ずしも一致しない部分も多々ある。 一方、これらの文献が編纂された8世紀前半は、まだ畿内でも地方でもかろうじて「古墳」と呼べる高塚式の墳墓を築造していた時代である。考古学者の森浩一氏が提唱する、所謂「終末期古墳」の更に終末にあたる時代であり、前方後円墳の話題に比べると、例えば646年の薄葬令における墳丘や石室サイズの規定等、現実味のある記事が多くなってくる。 「終末期古墳」というと、前方後円墳が造られなくなり、代わりに、八角墳、上八角下方墳、上円下方墳等、幾何学的な形状の墳形が登場してくるのが特徴である。ま、普通の円墳も相変わらずポコポコと造られてはいる。私が住む埼玉県南には7世紀台の終末期の円墳が多く、先日見てきた大宮の側ヶ谷戸古墳群の東側の群等は、凝灰岩の切石積の横穴式石室を有するまさにこの時期の古墳なのであるが、やはり「終末期古墳」と言えば、多角形墳や上円下方墳といった斬新な形状の古墳であろう。 円墳は割と沢山見てきたので、今度はこうした斬新な形状の古墳をじっくり見てみたいと思い立った。 上円下方墳と言えば、以前妻の実家に遊びに行った際に何回か足を運んだ熊谷の宮塚古墳や、川越の天王山古墳がある。また、川越へ行く途上には、最近八角墳の可能性が指摘されている、朝霞の八塚古墳があったりするのだが、本日は比較的近い距離に上円下方墳と八角墳が残り、1300年の時を越え、今でも築造され続けている上円下方墳もある東京都西部・多摩地区へ足を伸ばしてみることにした。 カメラと地図を整えて、午前10時半に車に乗り込み、首都高→中央道と進み、まずは「新しい」上円下方墳群が眠る八王子へと向かう。 |
多摩御陵、武蔵御陵を参拝してみてとにかく感じたのは、天皇陵の威厳である。 まあ、警備の警察官がいたり、墳丘に草木が生えておらず、しっかりと管理されているせいもあるのかも知れないが、とにかくその辺の古墳を見学するのとはちょっと違った印象である。 正直な所、古墳を見て回っている時に、それが古代の貴人の墓だと知っていても、今現在神社になっていたりしても、余り威厳を感じたり、畏敬の念が沸き起こってはこないので、墳丘を見上げてこうした感覚に囚われるとは、ちょっと意外な経験であった。古墳時代の人達もこうした畏敬の念をもって墳丘を見上げていたのだろうか? 当時の人の感覚の本当の所はさすがに分からないが、なんとなく古代人の感覚を追体験できたような気がした次第である。 そして、草木に覆われていない墳丘は、山野に埋もれている古墳の築造当時の姿を想起させた。古墳というとどうしても草木に覆われた小山の印象があるが、築造当時はこの御陵のような美しい葺石に覆われた姿だった筈である。古墳のビジュアル面における葺石の役割を再認識すると共に、葺石を持たない場合が多い埼玉の前方後円墳は、当時においてちょっとショボい存在だったんじゃないか? という気がしてきた。 多摩/武蔵御陵を後にして、今度は1300年前の上円下方墳・武蔵府中熊野神社古墳に向かう。 甲州街道を新宿方面に進むと、左手の道路際に熊野神社の社殿と「熊野神社古墳」の看板がデカデカと見えてくるので分かり易い。 |
墳丘が余り良く見えなかったせいもあるかと思うが、この説明板が一番印象に残った。墳丘の図解も斜め上から見たCGを使うあたりが垢抜けているし、全体的に見易くセンスも良いと思う。埼玉の古墳案内板もこれ位凝ってみてもいいんじゃないかと思う。それに何よりも「武蔵府中熊野神社古墳」のフォントと、斜めに入った「国史跡!」の文字に、この古墳にかける担当者の意気込みが感じられて面白い。 熊野神社古墳は一般公開されてから、付近の高倉古墳群や御嶽塚古墳群と併せて、じっくりと見学してみたい。 熊野神社古墳は八王子から新宿方面に甲州街道を走ると、甲州街道と川崎街道との交差点の左手前に所在するのだが、この川崎街道を右折すると、今の所、都内唯一の八角形墳とされる稲荷塚古墳の近くに出られる。 関東では最近、埼玉、群馬、茨城でも続々と八角形墳が検出されており、関心が集まっている。 埼玉では前述の朝霞の八塚古墳の他、熊谷の籠原駅近くで見つかった籠原裏古墳群でも2基の八角形墳と思しき古墳跡が検出されているが、この稲荷塚古墳程残りが良いものはない。 |
投稿者 Toyofusa : 2007年10月20日 22:35
このエントリーのトラックバックURL:
http://paralleli.life.coocan.jp/kofunblog/mt-tb.cgi/41