■ 側ヶ谷戸古墳群探訪
この所、3連休続きである。
働く身としては、嬉しいような、仕事が詰まるので迷惑なような、ちょっと微妙な所はあるのだが、趣味に時間を存分に割けるのは喜ばしい限りである。
去年・一昨年は10月末位迄、倅とクワガタ採りに明け暮れていた。しかし今年は8月にオオクワ採集という大成果を挙げた上に、大久保古墳群そばの雑木林の「ヌシ」と勝手に命名していた大型のヒラタクワガタ♂を2年越しで採集したりと既にかなり満足してしまっているので、例年以上に多いスズメバチを相手にしてまで採集を続けようという気にもなれない。と、なれば、古墳巡りに出かけるしかないだろう。

この連休に出かける古墳ポイントの候補は幾つかあった。
前々から行こう行こうと思いつつ、行きそびれていた保渡田古墳群。葺石&埴輪列までもが復元された八幡塚古墳や井出二子塚、薬師塚等、タマには古墳の残骸ではなく、問答無用な大型前方後円墳を見るのも良いものだ。
次に茨城の船塚山。太田天神山に次ぐ東国第2の規模を誇る巨大前方後円墳である。親戚宅のそばに所在しているのだが、こちらもこれまで行きそびれていた物件である。
ま、そこ迄遠出しなくても、最近入手した『房総の古墳を歩く』を参考に、学生時代に遊び倒した北総地域の古墳巡りをしてみるのも面白そうだ。
それになによりも、『大宮市史』や『埼玉の古墳』を始めとする各種文献類を結構読んだので、行ったことが無い割に新鮮味がなく、ついつい後回しになりがちだった側ヶ谷戸や土合等の旧入間川下流域の未訪問古墳群をこの機に巡っておくのも悪くない。
と、いうことで、今朝迄どこへ行こうか散々悩んだのであるが、当サイトのテーマ的には、やはり旧入間川流域を攻めておくべきだろうという結論に至り、既にある程度取り上げている植水古墳群と大久保古墳群の中間にあたる側ヶ谷戸古墳群を巡ってみることにした。

まずは探訪地図を用意する。サイトに掲載している奴だと縮尺が大き過ぎるので、もうちょっと細かい地図を用意して、そこに現存古墳を中心に巡るべき古墳の位置をプロットしていく。ま、分布図は散々見てきたので、大体どこに何があるかは把握しているのだが、どこからどういう順番で巡るべきかを策定する意味でも作っておいて損はない。
ただ、倅がどうしても自分の分が欲しい!と地図も読めないクセに煩いので、彼の分を作ったり何だりしていたら、時間が正午を回ってしまった。慌てて荷物をまとめて車に乗り込み、12:20にようやっと出発。

連休の中日であるためか、道路は割と空いており、いつも多少は渋滞に捕まることを覚悟しなければならない国道17号もスイスイであった。そんな車内に鳴り響いているのは、ドイツの老舗バンド・GRAVE DIGGERだ。

The Grave Digger / Grave Digger
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GRAVE DIGGER=「墓堀人」とは古墳巡りにはピッタリである。"The Grave Dancer" だとか"Grave In The Noman's Land"等、"Grave"の語がタイトルに含まれる曲も幾つかあり、この辺は"Grave"を「古墳」に脳内変換して聞くと楽しいし、十字軍だとかスコットランドの独立運動等の歴史テーマ物や、ドイツのバンドでは定番とも言える、ゲルマン神話をテーマとした曲が多く、歴史&神話好きな私のツボを捉えて離さない。曲調が一瞬「何のアニメの主題歌?」と聞きたくなるような、これぞジャーマンメタルというクサさを前面に押し出している点もグーだ。アニメ主題歌のごときクサメロ炸裂となれば、倅にも非常にウケが良いのは言うまでもない。彼は「ディガーちん」という愛称までつけて親しんでいる。
そんな私と倅が大好きな曲の一つが、GRAVE DIGGERの10作目のアルバムタイトル曲にして、彼等のバンド名を冠した快心の作、"The Grave Digger"である。

♪Six feet under I'm still alive(6フィート下の地中で俺はまだ生きている)
♪Six feet under I've found my paradise(6フィート下の地中で俺は楽園を見い出した)

古墳の石室内は被葬者が生きる死後の世界=黄泉国であり、そこでも生前同様かそれ以上の力を持つ首長として生きるよう、様々な武具や宝物等の威信材を副葬し、様々な壁画を描いたのだという説がある。これによるならば、正に被葬者は6フィート下(とは限らないが)の地中の空間で生き、そこに楽園を見い出しているのだろう。こうした考え方は洋の東西を問わないのかも知れない。
そんなフレーズから始まり、地中で生きる被葬者の心情をクサメロに乗せてアメ横の魚屋のごときダミ声で歌い上げつつ、サビに至った所で悲劇が被葬者を襲う。

♪He took my life, I've lost control(奴は俺の命を奪い、俺は自制を失った)
♪He killed my wife, he sold my soull(奴は妻を殺し、俺の魂を売った)
♪The grave is open, the digger smilesl(墓が開き、墓堀人が微笑む)
♪He takes me under, the deadly skies(奴は俺を死の空のもとへ連れ出した)

発掘や盗掘で墓室を暴かれ、楽園から再び現世へと連れ戻された古墳の被葬者の心境は案外こんな感じなのかも知れない。埴輪や壁画で幾重にも邪霊から守られ、副葬された威信財で死後も首長としての生を満喫していたのに、いきなりその世界を破壊されてしまうのだから、被葬者からしてみれば、殺されるようなものだろうし、現世の空は死の空に見えるのかも知れない。そして被葬者は叫ぶ!

「ざ ぐれえーえぇーえぃぶ でぃがっっっ!!!!!」

様々な理由をつけて古墳を暴く現世人は、まさに彼等の安寧を破壊する「墓堀人」であろう。
そんな風に曲を曲解しつつ熱唱している内に、鴨川縁の駐車場へと到着した。時計を見ると1時ちょっと過ぎ。日中としてはかなり良いペースで到着できた。
そして、車から降りた倅が叫んだ。

「あっ、地図忘れてきちゃった!」

おいおい...。

稲荷塚古墳

大宮西高校の正門を入った左手にあり、既知の古墳の中では分布域の北辺に位置している。径36とさいたま市内最大級の円墳で、樹上のスダジイの巨木が印象的な古墳である。この古墳の西側から円墳跡(側ヶ谷戸6号墳)が見つかっている。
茶臼塚古墳


稲荷塚古墳南方の台地と水田地帯の境界付近にある。現状は径30mの円墳とされるが、地籍図に記された土地割等から前方後円墳であった可能性が指摘されている。
井刈古墳跡

茶臼塚古墳西側の水田中から形象埴輪が出土しており、かつて前方後円墳と見られる古墳が存在したとされ、井刈古墳と呼ばれている。茶臼塚が前方後円墳だったとすると、2基の前方後円墳が並んで築かれていたのかも知れない。
茶臼塚南方の塚状の盛り上がり

台地端に若干塚状に膨れている箇所があった。既知の古墳以外にもかつては相当な数の古墳がこの地に築かれていたと考えられているが、こうした地形をみると、まだまだ人知れず眠っている古墳跡も多そうだ。
山王山古墳跡

茶臼塚東方の慈宝院墓地内にある。既に墳丘は失われており、石室材の一部が残るのみである。
上之稲荷古墳

山王山古墳のすぐ南にある。北と西、東側が削り取られており、カマボコを更に半分に切ったような形になっている。墳丘裾に「入居者募集中!」の幟が置かれ、訪れる者を6フィート下の世界へと誘っているようだ。
円阿弥古墳

現存する側ヶ谷戸古墳群の古墳の中で、唯一旧与野市域に所在する。東側が削られてしまっている。それ程背が高くない上に墳丘上に樹木が茂っていて見つけづらかった。旧与野市内からは他にこの古墳の西南の西浦から円墳跡が見つかっている。
台耕地稲荷塚古墳

径30mの円墳で切石積の石室が見つかっており、群中では最も新しい時代に築かれたものと考えられる。敷地内にはクヌギが植えられており、カブトムシやクワガタを採るためのトラップを仕掛けた跡が目立った。樹液が出ている木も幾つかあるので、そんなもん仕掛けなくても採れそうなものだが、用が済んだら片付けて欲しい。

台耕地稲荷塚古墳は円阿弥古墳から西にちょっと歩くと、墳丘自体は見えないものの、墳丘上に生えている木々が見えてくるのだが、倅はそれを見て「お父さん、あのクヌギが生えている所古墳じゃないかな?」と小1とは思えぬ古墳眼を発揮してズバリ当てたのに驚かされた。
私が好んで巡る古墳は住宅地内にちょっとした緑地として残っているケースが多い。
そんなものを一緒に探しながら方々歩いてきたので、いつの間にやらそんなスキルが身についてしまったのだろう。しかもそれが遠目にクヌギであると見抜いたのも、私とクワガタ採りであちこちの雑木林を踏査した賜物か...。

台耕地稲荷塚古墳を見学し終えた時点で午後2時40分。本当はこの後、大久保古墳群の白鍬支群が目と鼻の先なのでついでに巡りたかったのだが、倅が「公園で遊びたい」と煩いので、白鍬支群はまた今度ということにして、車を停めた「鴨川水辺の里公園」へ。そこで1時間ちょっとトンボやバッタを追いかけて楽しんだ後、帰宅した。

投稿者 Toyofusa : 2007年10月07日 23:08 Twitterにポスト Tumblrにポスト

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