■ 八幡不知森探訪
今日は予てより千葉県内の客先を巡る予定になっていたのだが、午前中にどうしても都内に寄る用事が出来てしまった。江東区なので、まあ千葉へ行く途中みたいなものなのだが、いずれにしても千葉に入るのは午後になってしまう。早目にまわって早目に帰ってきたかったのだが仕方ない。
が、前向きに考えてみると江東区から市川は目と鼻の先。次の目的地である船橋へ向かう途中であり、丁度昼頃に通過する感じになるので、昨日触れた「八幡の薮知らず」を昼休みを利用して見学するには非常にタイムリーであるとも言える。これは今日行っとけという天啓ではないだろうか?

と、いう訳で、天の啓示を強引に感じつつ、江東区から荒川&中川を渡って江戸川区に入り、千葉街道(国道14号)を進み市川を目指す。
移動中はいつもiPodをカーステレオに接続して音楽を聞いているのだが、私は音楽と言えばメタルしか聞かない。従ってiPodに入っている曲の90%は主にドイツのバンドを中心とするメタルナンバーである。
GRAVE DIGGERやACCEPT、SLAYERの曲を聞きながら、江戸川区役所前を通過し、古墳時代の集落遺構が眠る小岩をかすめ、「ああ、このあたりが大嶋郷戸籍の甲和里なんだなあ」等とオボロゲに考えつつ、千葉街道が市川方面に右折するあたりでSLAYERの神曲(俺的に)"DISCIPLE"の出だしのリフが鳴り響いた!

ででーででんででん!
べんべんべべべん べんべんべべべん
べんべんべべべん べんべんべべべん
べべべ べべべ べべべ!

市川を目前にし、嫌が応にも気分が盛り上がる。
曲の方もキングさんとハンネマンさんの2本のギターが唸り、ポスタフのドラムが轟きまくって、前半の山場に至る。

「ごーっ へいっつぁっそぉー!」(God Hates us All!)
「ごーっ へいっつぁっそぉー!」(God Hates us All!)
「ぐおーっ へいっっつぁそおぉーーー!」(God Hates us All!)
「ぐぉおーっっ へいっっつぁっそおぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

「いぇー ひぃふぁっきんへぃつみいぃぃぃぃ!!!」(He Fackin' Hates Me!)

(どんな曲なのかは、http://jp.youtube.com/watch?v=8db-DRxVKJcでも見て下さい)

SLAYERのVo.アラヤさんの渾身シャウトを聞きつつ江戸川(太日川)を渡り、市川市内に突入。
左手には下総国府が所在した国府台の台地が見える。またここには何基かの前方後円墳が現存していることでも知られており、近々古墳巡りにトライしてみようと狙っているポイントである。
快調に飛ばすアラヤさんのシャウトにシビレながら、市川駅前を通過した所で"Disciple"終了。本八幡駅も近づいてきたので、そろそろ駐車場を探さねば...とか思っていると、カーステレオから不気味な声がっ!

「悪魔の森の奥深く...省略....」
「お前も蝋人形にしてやろうかっっ!!」

ヤバイ! デーモン閣下の「蝋人形の館'99」ではないか!!
入ったら二度と出られないとか、土偶人にされてしまうと評判の薮知らずを目前にして、「悪魔の森の奥深く...」とか「お前も蝋人形にしてやろうか!」とは何とタイムリー(笑)。危うく小便ちびってしまう所であった。
今は昼間で人も車もいっぱいいるから良いものの、もしこれが夜だったら、迷わずUターンしたと思う。

タイムリーな出来事の連続に、「今日はツイてるのかも?」と思い直し、蝋人形の館を聞きながら車を走らせると、本八幡駅入口交差点の前方に薮知らずと思われる森を発見。しかも交差点を渡ってスグの所に空いているコインパーキングも発見。本当に今日はツイているのかも知れない。
速攻で車を止め、薮知らずへと向かってみた。

千葉街道(国道14号)を船橋方面に東進すると、市川市役所の手前に「神社でもあるのかな?」といった感じで、こんもりとした森が見えてくる。これが「八幡不知森=薮知らず」である。
歩道橋から見下ろす

周囲には住宅が迫り、方形の森として残っているが、『江戸名所図会』でも千葉街道と用水路とで四角く区画されていたっぽいので、江戸時代には既にこういう感じになっていたのかも知れない。
西側の駐輪場から

『江戸名所図会』で用水路が流れていた部分は市営の駐輪場になっていた。
周囲と比べ、不知森の土地は若干小高くなっている。
北側歩道沿いにある鳥居と石祠

『平将門故績考』で将門の父、良将を祀った祠だとされた稲荷祠である。
不知森は今でも禁足地となっており、中に入ることはできず、この部分にかつて林中にあった石碑類が纏め置かれている。
稲荷祠の真後ろから林中を覗く

鬱蒼としていて良く分からないが、特に墳丘状に盛り上がっているようには見えず、また言い伝えられているような窪みも見当たらない。中央部分から西側にかけては基本的に平坦な土地になっているように見えた。
ところが東側に目をやってみると...

写真左側に向かうにつれ、土地が盛り上がっているのが分かるだろうか?
不知森東側

良く見えないかも知れないが、東側は円墳状に盛り上がっており、古墳跡のような雰囲気である。やはり不知森は古墳を崩した跡なのだろうか?
不知森内の地形観察結果を図にするとこんな感じになる。

祠のあるあたりから向かって左手(東側)に塚状の地形がある。
右手(西側)は今日見た限りでは概ね平坦な感じであった。
説明板に掲載されていた錦絵

水戸黄門が不知森に入った際の情景を描いたもののようだ。徳川光圀と言えば那須の侍塚古墳を発掘させたことで知られているが、やはりここも古墳と睨んで発掘しようとしたのだろうか?
この説明板で古墳説にも触れられていたが、市のイチオシは放生池跡説のようだ。

一通り不知森を見学してみた感想としては、こうした塚状の地形の場所で埴輪が過去に出たらしいとなると、やはり古墳時代後期の古墳なのではないかという気がした。
立地としても、近くに古い神社(葛飾八幡宮)があり、『江戸名所図会』を見る限り古くから集落が営まれた場所のようだ。多分、昔の海岸線の砂州か何かの微高地上に位置しているものと思われ、古墳があってもおかしくない場所のように思えた。
中に入って観察すれば、或は埴輪片や土器片等を見つけられるのかも知れないし、禁足地とは言え、余裕で越えられる程度の高さの玉垣で囲われているだけなので、一瞬その誘惑に駆られそうになったのだが、何しろ立ち入った人間は土偶人にされた上に、雷落とされて砕け散ってしまうという最恐ミステリースポットである。入ったら問答無用で埴輪片である。

えっ、「水戸黄門は土偶人にならずに生きて出てこられたんじゃないのか?」だって?

確かに黄門様が埴輪片になってしまったという史実はないので、本当に不知森に入ったのだとしたら、無事に出てこられたことになる。なので一見、必ずしも入ったら土偶人化してしまう訳ではないようにも思えるのだが、さにあらず。
伝承によれば、不知森内に突然現れた謎の老人と女(上の錦絵に描かれた人物)に、

「お前は貴人だから特別に許してやるが、入っちゃいけないって言ってる所に入ったらダメだろ?」

と物凄い正論をもって説教されたのだそうである。
つまり黄門様は身分が高い人だったから許された訳で、逆に言えば、そうでない人は許して貰えないということだ。入ったのが黄門様だけで本当に良かったと思う。うっかり八兵衛や風車の弥七、陽炎お銀あたりがお供をしていたら、今頃埴輪片である。黄門様クラスでギリギリ許されたとなると助さん&角さんクラスでも許してもらえないに違いない。
従って、身分からすると、うっかり八兵衛と大差ない私が入ったとして、説教だけで済む筈がない。「貴人」が「奇人」の誤記というか、黄門様の思い違いだったというのなら話しは別だが...。
それに、さっきまで聞いていたデーモン閣下の声で、

「お前も土偶人にしてやろうかぁっっっ!」

というフレーズが脳内で自動再生されはじめたので、それはヤメにした。
昼休みで市役所の人も大勢往来しているし。
ついでに近くにある葛飾八幡宮にも寄ってみたが、特に古墳らしい地形は見られなかった。

投稿者 Toyofusa : 2007年10月04日 20:44 Twitterにポスト Tumblrにポスト

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