仕事で松戸方面へ出かけた帰路、昼休みを利用して立石8丁目の古墳跡をパパッと見て回ってきた。
今日は千葉へ行く予定はなかったので、手元に資料が全く無く、ウロ覚えの記憶を頼りに跡地の見当をつけたため、立石様以外はちょっと自信がない。
◯立石様(葛飾区立石8-37-17)
立石の地名の由来となった奇岩。
古来より信仰の対象となっており、古墳の石室材とも附近を通っていた古代東海道の道標、はたまた先史時代のメンヒルではないかと考えられてきた。
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立石祠
住宅街の一角の小さな公園の只中に小さな鳥居と玉垣に囲まれて鎮座ましましている。 |
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これが立石様。
現状は僅かに地表に露頭している程度であるが、江戸時代に描かれた図を見ると往時はもっと地表に突き出ていた。参拝者が触りまくったために削れたのか、埋没したのかは不明。
石質は柴又八幡神社古墳の石室や埼玉古墳群の将軍山古墳の石室、スサノヲ神社の瑞光石と同じ房州石であり、かねてより古墳の石室材ではないかと言われてきた。 |
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説明板。
少々古い物なので触れられていないが、近年の調査で公園敷地内から埴輪片(人物&円筒)が出土しており、古墳の石室材である可能性が高まった。もしかするとこの公園自体が古墳跡地なのかも知れない。
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◯南蔵院裏古墳(葛飾区立石8-40-25)
明治時代に塚を崩した際、埴輪片が採集されていることから古墳であることは確実視されていたものの、その後削平されて永らく位置が不明となっていた古墳。
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南蔵院
立石様の東南に位置している。
この寺の裏手の方に古墳が存在していた。
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南蔵院西側の通りを南から
確かこの通りの拡張に伴う発掘調査で周堀の一部と埴輪片が検出されたのだと記憶しているが、ちょっと自信がない。
ちなみに立石様はこの通りの左側の路地をちょっと入った所にある。
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◯熊野神社古墳(葛飾区立石8-44-31)
立石様や南蔵院裏古墳のある所から都道を挟んだ北側に位置する神社。
調査により敷地内から径12m程の円墳跡が検出されている。
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熊野神社
石剣を御神体とする神社。
鳥居博士は『上代の東京とその周囲』の中で御神体は縄文時代の石棒ではないかと推察している。
類似の神社として荒川区尾久の石神社、草加市の神明神社等が知られているが、東京低地では非常に珍しい。
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熊野神社社殿
敷地内から古墳跡が出たとなると、この社殿も古墳上に建てられている可能性はないのだろうか?
古墳と見れば必ず上に何か宗教施設を建てたがる日本人が、古墳を無視して神社を建てる筈はないと思うのだが...。 |
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古墳跡は神社敷地の南側で検出されたらしい。そこで180度回転して南側を見てみると...
天神社と書かれた鳥居の横に塚があった!
一瞬古墳の残骸かとも思ったが、確か墳丘は既に削平されていたらしいので、これは古墳とは関係なさそうだ。 |
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更に南側には石材の山が...。
これも一瞬石室材か?と思ったが、何か神社の施設に使われていた石材を纏めて置いているだけのようだ。
ただ、古墳跡はこのあたりにあったらしい。
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投稿者 Toyofusa : 2007年10月02日 19:23
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