津田塾探訪

津田塾探訪 #3 - 星野あい記念図書館

松の木陰にひっそりとたたずむ図書館

 小平の地で日々勉学にいそしむ津田塾生。課題への取り組みや自主学習に集中するために多くの学生が利用するのが、キャンパスの西側、本館ハーツホン・ホールの隣に位置する「星野あい記念図書館」です。

 

完成までの道のり

 1931年に津田塾大学の前身である女子英学塾が麹町区五番町から現在の小平に移転した際、キャンパスの西側に図書館を建設する計画はありましたが、本館3階の図書室を利用するにとどまっていました。大学への昇格と創立50周年を前にし、図書館建設のための資金募集が始まったのは1948年のことです。卒業生からの募金やバザーの売り上げなどで集まった資金333万円近くが、50周年記念式典にて贈呈されました。
 しかしその後、貨幣価値の変動など日本経済の混乱にあおられ建築のための予算は跳ね上がります。図書館建設後援会と星野あい学長のもと、更に1500万円の資金調達が目指されました。それに加え二次募金、私立学校振興会からの借り入れで、集まった建設資金は総額3200万円に上ります。多くの人々の協力と賛同が津田塾の図書館建設を支えたのです。
 その後、1953年に着工、竣工は1954年6月。設計者は丹下健三です。1980年には北側に積層式・3階建5層の旧書庫が、更に2000年には、5階に分散教育システムリサーチセンターを置いた新書庫と北閲覧室が増築され、同時に、1954年に竣工した丹下設計の建物2階に津田梅子資料室と展示スペースが整備されました。2008年3月には、分散教育システムリサーチセンターが書庫および閲覧室として改修され、現在に至っています。

建設当時の空っぽの図書館。(津田塾大学デジタルアーカイブより)

創立50周年式典の様子。(津田塾大学デジタルアーカイブより)

二代目塾長・星野あい~受け継がれた情熱

星野あい(津田塾大学デジタルアーカイブより)

   図書館設立の資金調達に尽力したのが、図書館の名前にもなっている、星野あい初代学長(二代目塾長)です。1884年に横浜に生まれた星野あいは、横浜フェリス女学院を経て女子英学塾に編入し、梅子のもとで学びました。彼女は「先生はあいまいなこと、ぐずぐずしたことが嫌いな性でしたので、英作文でも抽象的な論議だけではだめで、具体的な描き方が必要でした」と、当時の梅子の厳しい授業を語っています。
 卒業後は梅子の指示で、静岡英和女学校にて教鞭をとったのち2度の留学も経験しました。2度目の留学から帰ってきた星野に梅子は、余命短い自分の後継者として彼女に女子英学塾を任せたいという思いをつづった手紙を渡したそうです。「あまり規模を大きくしないこと、あくまでも堅実にやってゆくこと、万事よろしく頼む」——梅子が2度にわたり星野を留学させたのも、自分の後継者として彼女を育てるためだったのかもしれません。1929年、梅子の逝去をもって、星野は初代学長(二代目塾長)に就任しました。「女子英学塾を『真の大学』に」という梅子の願いは、こうして星野学長に受け継がれました。

入口に掲げられるプレート。

  梅子の意志を継いだ星野学長は、理科学科の開設、大学への昇格など、女子英学塾が「真の大学」をめざし津田塾大学へと成長していく過程に尽力されました。そのひとつが図書館建設のための募金活動です。
  当時60代も半ばを過ぎていたにもかかわらず、東京近郊だけではなく関西、名古屋にまで学長自ら足を運び、訪問した商社や事業所の数は三百数十余にも上るといいます。まさに「募金行脚」でした。後に著書『小伝』のなかで、「週3回、ときには4回、小平の林の奥から都心に出かけ、1日5、6からときには10に及ぶ商社を訪問してまいりました」と、当時のことを語り、その苦労を「雲をつかむような塩梅」と表しています。
  このような星野学長への感謝と敬意を表し、図書館は1973年「星野あい記念図書館」と名付けられたのでした。

ガラス張りの正面。

 古き良き雰囲気の漂うハーツホン・ホールとは対照的に、その外観は総ガラス張りで明るく近代的。1954年の完成時、初めてこの図書館を目にした卒業生は「津田もモダンになりましたね」とつぶやいたといいます。



 

開放感あふれる南閲覧室。

  入口を入ったすぐ横に、南閲覧室が広がります。さんさんと陽射しが差し込むガラス張りの作りに加え、2階は吹き抜けになっており、開放的な空間です。学生の利用も多く、自然光を浴びながら教科書を広げています。

 
 

津田梅子資料室

梅子の軌跡に思いを馳せて。

 津田梅子資料室は階段を上がった2階に位置しています。津田梅子をはじめとする本学の関係者の資料や写真を保存・展示しています。2000年に現在の場所に移り、学内のあちこちに保存されていた資料がここに集められました。
 さらに、現在展示コーナーでは「海を渡る 津田梅子の誕生」と題して、誕生から女性として日本で初めて留学し帰国するまでの梅子を紹介しています。留学時の使節団の写真や、6歳でアメリカに旅立った当時の梅子が着用していた着物など、本学所蔵の貴重な資料が展示されています。こちらの企画は津田梅子生誕150周年を記念して2015年9月30日まで開催されていますので、この機会にぜひお立ち寄りください。

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広い机で勉強。

 南閲覧室をさらに奥に進むと、北閲覧室に行きあたります。府中街道側の壁はガラス張りになっていますが、図書館を囲う木々が目に優しく車通りも気になりません。こちらにも南閲覧室と同様の長机があるほか、コンセント付きの個人学習スペースもあり、ノートパソコンを持ち込んで集中して学習することもできます。

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本の海

 1階から5階は開架式の書庫です。人文・社会科学系が中心的ではありますが、和書、洋書ともに幅広い分野の本を揃えています。図書数約400,000冊、雑誌は3,500タイトル以上、新聞は30タイトル以上を所蔵しており、大学の規模は大きくはありませんが、図書館の充実ぶりは、多くの先生方が感心していらっしゃるほどです。

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 1階の閲覧室ほどの広さはありませんが、5階にも閲覧・学習スペースがあります。実はここ、図書館利用案内には載っていない、穴場スポット。1階の机が学生でいっぱいのときでもこちらは比較的空いているので、ゆったりと勉強に取り組むことができます。まだ足を踏み入れていない学生のみなさんにおすすめです。

知る人ぞ知る、図書館の最奥。

TAC図書館

 本学はTama Academic Consortium(通称TAC)に加盟しています。TACは多摩地区の6つの大学(国際基督教大学国立音楽大学東京外国語大学東京経済大学武蔵野美術大学津田塾大学)が加盟する大学協力機構で、単位互換制度などを通して、学生のより幅広い学びや交流を推進しています。そのシステムのひとつが「TAC図書館」、つまり図書館の相互利用です。6つの大学の蔵書数を合計すると、その数は340万冊以上。TAC所属大学の学生や専任教職員なら、これらの本を自由に借りることができるのです。
 加盟大学の図書館に直接行き、学生証か教職員証を提示して利用登録をすればすぐに利用が可能です。また、他大学へ直接出かけなくとも、所属大学を通して図書の取り寄せ・返却をすることもできます。各大学の図書館のデータベースも利用できるので、蔵書の検索も簡単です。
 大学によって蔵書の内容は様々なので、津田塾にはない本に出会うのにもってこいなシステムです。在学生の方はぜひ使用してみましょう。詳しくは、学内においてある「TAC図書館ガイドブック」またはTAC図書館部会ホームページ(http://www-lib.icu.ac.jp/TAC/index.html)をご確認ください。



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第二次世界大戦時、星野あい学長は、「戦いがはげしくなればなるほど、忘れられ、無視されてゆく文化のともしびをたとえ細々とでも保ち続けるのが、実戦に参加しないで、学ぶことをゆるされている者に残された大事なつとめである」と説き、戦時下でも学生と学生の学ぶ環境を守り続けました。そんな星野学長の名と信念を受け継ぐ、星野あい記念図書館。学長の名のもとに、今日も学生の学びを支えてくれています。

参考文献
津田塾大学創立90周年記念事業出版委員会編『津田梅子と塾の90年』(津田塾大学、1990年)
津田塾大学編『津田塾六十年史』(津田塾大学、1960年)
飯野正子、亀田帛子、高橋裕子編『津田梅子を支えた人々』(有斐閣、2000年)
津田塾大学創立100周年記念誌出版委員会『未知への勇気 受け継がれる津田スピリット』(津田塾同窓会、2000年)
Tama Academic Consortium『TAC図書館ガイドブック』
Tama Academic Consortium『Tama Academic Consortium GUIDE 2015』
津田塾大学図書館『図書館利用案内』 
 
写真出典
津田塾大学デジタルアーカイブ http://lib.tsuda.ac.jp/DigitalArchive/