大山
おおやま
山形県西部,鶴岡市北西部の旧町域。加茂台地 (→加茂 ) の東麓にある。 1890年町制施行。 1955年西郷村と合体。 1963年鶴岡市に編入。かつて高館山東麓の太平山に尾浦城 (大山城) と呼ばれる堅固な山城があった城下町で,天正年間は武藤氏が居城したが,のち鶴岡城主酒井備中守が分知され,次いで江戸幕府領となり代官所が置かれた。良質な水と庄内平野の米,三瀬の杉樽により元禄の頃より酒の醸造が始まり,寛政 10 (1798) 年に初めて製品が江戸に送られた。明治期には1万~3万石の酒が生産された。現在も銘酒の産地として知られる。城址は大山公園となり,サクラの名所。馬町にある椙尾神社 (すぎのおじんじゃ) の犬まつり (6月5日) は有名。
大山
おおやま
神奈川県西部,丹沢山地の南東端にある山。厚木,伊勢原,奏野の3市にまたがる。標高 1252m。新第三紀の御坂層から成り,壮年期のピラミッド型の山容が相模平野から目立つ。山頂に霧がかかりやすく,雨の前ぶれともなるので,雨降 (あふり) 山ともいわれ,古くから雨ごいの信仰を集めた。山頂には阿夫利神社の奥院,中腹に下社と大山寺があり,春夏には講中の登山者が多い。門前町の大山には宿坊を兼ねる御師の家や,飲食店,みやげ物店が並び,8月 27~29日の例大祭には白衣の登山者が目立つ。山頂からの展望は雄大で,富士山,箱根山,伊豆諸島,関東平野などを一望できる。山麓から下社までケーブルカーがある。丹沢大山国定公園に属する。
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おお‐やま おほ‥【大山】
[1] 〘名〙
① 大きな山。また、山の美称。
※
万葉(8C後)一二・三一五三「み雪ふる越の大山
(おほやま)行きすぎていづれの日にか我が里を見む」
② 万一の幸運をあてにした大がかりな計画。
[2] 神奈川県中央部、丹沢山地の南東端にある山。
古来修験
(しゅげん)道場として知られ、阿夫利神社、大山寺
(たいさんじ)がある。阿夫利神社の
祭神は雨ごいの神とされ、「
大山参り」は今も行なわれる。標高一二五三メートル。雨降
(あふり)山。阿夫利山。
だい‐せん【大山】
※三教指帰(797頃)下「不レ削二大山一、入二於小芥一」
[2] 鳥取県西部にある
火山。
成層火山の
陥没カルデラを鐘状火山が埋めた
複式火山。中国地方の最高峰。中央部の円頂丘群に主峰の剣ケ峰(標高一七二九メートル)があり、日本海側に裾野をひく。中腹に大山寺、大神山神社がある信仰の山。大山隠岐国立公園の一中心。
伯耆(ほうき)富士。
出雲富士。大神岳
(おおかみのたけ)。
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出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報
おお‐やま【大山】[地名]
神奈川県中部にある山。標高1252メートル。古来、修験道場として知られ、頂上に雨ごいの神の阿夫利神社、中腹には大山寺がある。雨降山。阿夫利山。
だい‐せん【大山】
鳥取県西部の火山。中国地方の最高峰で、標高1729メートル。古来山岳信仰で栄え、大山寺がある。伯耆富士。
おお‐やま〔おほ‐〕【大山】
1 大きな山。
2 思いきった賭けや勝負。また、山師の大計画。「大山を当てる」「大山が外れる」
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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おおやま【大山】
神奈川県中央部にある山。標高1246m。丹沢山地の南東端にあたり,南・東両斜面は断層崖をなす。ほとんど全山が丹沢大山国定公園に含まれる。山頂に石尊様と通称される式内社阿夫利(あふり)神社の奥宮,中腹に下社がまつられ,山麓の大山川沿いに講中登拝の宿坊街にはじまる門前町が発達する。古来信仰登山で知られ,箱根,高尾,御岳(みたけ)(武州御岳),三峰(みつみね)の諸山とともに関東西部修験道の中心地であった。
だいせん【大山】
鳥取県西部の火山。標高1729mの剣ヶ峰(けんがみね)は中国地方の最高峰(主峰弥山(みせん)は1711m)。日本海に近くそびえ,山容はきわめて雄大で伯耆(ほうき)富士の名がある。第四紀更新世中期に始まる新旧2期の火山活動によって形成された複式火山。旧期大山の活動は大量の角セン石安山岩質凝灰角レキ岩の噴出に始まり,輝石安山岩質溶岩の流出が続いて,直径三十数kmの大型の成層火山を形成した。その時できたすそ野は長い年月の間に放射状谷に深く刻まれながらも,北および東斜面に広く残っている。
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世界大百科事典内の大山の言及
【伊勢原[市]】より
…人口9万8123(1995)。関東の農民の信仰を集めた大山(おおやま)参詣の宿場として早くから知られた。江戸から発した大山街道(矢倉沢街道)はここから分かれて坂路となり,大山山頂(1252m)に達する。…
【山帰り】より
…振付藤間大助。相模の雨降(あふり)山大山(おおやま)石尊大権現(阿夫利神社)へ参詣(さんけい)した江戸の勇みの男の帰途を描いたもので,木太刀や梵天(ぼんてん),わら細工のらっぱ等の小道具を使う。威勢のよい江戸の職人気質を見せ,新内節の《蘭蝶(らんちよう)》をはめこんだクドキ(口説)がある。…
【山開き】より
…この不入の禁を解いて,その年に初めて登山を許すのが山開きで,近世にはこの日に信者や講中の人々が山に登って御来光を仰ぐ行事が盛んになった。江戸では,大山(おおやま)に初山と称して6月に登る慣行があったし,富士山の山開きの旧6月1日には,町の富士塚に参詣・登拝する習俗があった。また,修験の山である月山や大峰山では,山開きに堂を開く戸開(とあけ)式が行われ,ともに旧4月8日であった。…
【良弁】より
…今日伝わる良弁僧正像は,1019年(寛仁3)11月16日に有慶が良弁忌を創行するのに際して作られたといわれ,持物の木造如意は奈良時代の製作にかかり,生前所持のものと伝えている。東大寺【堀池 春峰】
[伝承]
良弁は相州大山(おおやま)を開いたといわれ,その説話は大山縁起として江戸期の大山信仰とともに流布し,また《東海道名所図会》などによって広く世に知られるようになったとみられる。良弁は幼時に金色の鷲にさらわれ,両親は山々を探索したが行方不明となった。…
【大山寺】より
…鳥取県西伯郡大山町にある天台宗の寺。山号は角磐山。…
【鳥取[県]】より
…山地は杉,ヒノキなどの林業地として利用され,扇ノ山,氷ノ山,三国山などにはブナの自然林が残されている。 県西部の大山(だいせん)は伯耆富士とも呼ばれ,中国地方随一の標高を誇る二重式火山で,直径30kmを超す雄大なすそ野を有している。山頂部は顕著な浸食作用によってやせ尾根となり,西日本には珍しいアルプス的な地形を示している。…
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