3.ロシア・ウクライナ戦争と新たな国際秩序
ロシア・ウクライナ戦争は、(1945年2月の)ヤルタ会談のシステムと(東西)冷戦の残滓を、完全に終結させた。そして世界は、新たな国際関係のパラダイムと秩序に向かって進み始めた。
(1991年に)ソ連が解体した後、ソ連が保持していた国連安保理常任理事国のポストと、軍事超大国としての地位は、ロシアが引き継いだ。ロシアは、国内政治・経済・社会・文化及びイデオロギーなどの方面で、非常に多くのソ連時代の遺産と影響力を継承した。そのためロシアの外交政策は、旧ソ連とロシア帝国時代の混合体となった。
プーチン政権の外交政策の核心であり主要な方向性は、まさに旧ソ連圏を(ロシアの)独占的な勢力範囲と認識し、ロシアが主導する形で各地域を一体化させ、ロシア帝国の機構制度を復活させることにある。そのため、ロシアは発言と心意が異なっており、食言を尽くしている。
(ロシアは)旧ソ連圏の国の独立、主権、及び領土の保全をいまだに真に承認したことがなく、頻繁にそれらの国々の領土と主権を侵犯している。そのことは、ユーラシア大陸の平和と安全、安定に対する最大の脅威となっている。
ロシア・ウクライナ戦争は、こうした状況を極めて大きく変化させることとなった。ウクライナは(1991年8月に)独立後、特に2000年から、西側派(親欧米派)と東側派(親ロ派)の勢力がほぼ均衡し、選挙を通じて交代で執政するようになった。
だが、2014年にロシアがクリミア半島を併合し、ウクライナ東部地方を占領した後、ウクライナ国内では反ロ感情が高まり、親ロ派勢力は委縮し始めた。大部分のウクライナ人は、西部地域だけでなく東部地域においても、EUとNATOへの加入を支持するようになった。
今回の戦争が勃発した後、ウクライナを巡る状況は、根本的な変化が起こった。ウクライナ国内の党派や地域、階層によらず、国民が一致団結して救国抗ロを目指すようになったのだ。
ロシア(の信頼)は、ウクライナで完全に失墜してしまったと言ってよい。同時に、ベラルーシを除く旧ソ連圏の国々は、CSTO(集団安全保障条約機構=旧ソ連圏の6ヵ国加盟)とEAEU(ユーラシア経済連合=旧ソ連圏の5カ国加盟)の加盟国を含めて、すべての国がロシア側につくことを拒絶している。
ロシアは敗戦後、過去の栄光の山河を取り戻すことや、帝国として復活する機会を、徹底的に喪失するだろう。(ウクライナ侵攻によって)ロシアは、かつてのロシア帝国や旧ソ連時代の国際的地位と影響力を再び得ようとした。既存の国際秩序を打破し、ユーラシア大陸と世界の地政学的な政治版図を塗り換えようとした。旧ソ連圏の国々を再び糾合し、連盟や帝国復活の追求に執着したのだ。
だがそれによって、アメリカ及び西側諸国との根本的な対立と衝突を起こしてしまった。それがロシアと、アメリカ及び西側諸国との関係の主要な矛盾点となり、障害物となってしまった。
こうした問題における双方の角逐と闘争の大部分は、米ソ冷戦時代の継続であり余韻である。同時にイデオロギー的な色彩も帯びていると言える。
今回の戦争を通じて、ロシアとアメリカ及び西側諸国との対峙と争奪戦は、ロシア側の完敗となって終わりを告げることになるだろう。換言すれば、ポスト冷戦時代、もしくは冷戦時代の延長が、最終的に終了することになるのだ。