秋篠宮の「肉声」によって明らかになった圭さんへの抜きがたい不信。きっかけは2018年春に生まれていた。問題になったのは、圭さんの収入でも金銭トラブルでもなかった。
異例の“肉声”が波紋を広げている。元毎日新聞編集委員でジャーナリストの江森敬治氏が、31年間にわたり親交を結んできた秋篠宮とのやりとりを綴った著書『秋篠宮』(小学館刊)だ。
江森氏が同書のための取材を始めたのは17年6月。折しも、秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんの婚約内定をNHKがスクープした翌月のことだ。江森氏はそこから22年1月まで、計37回にわたって秋篠宮を対面取材。そのため、同書での秋篠宮とのやりとりからは、混迷を極めた眞子さんの結婚問題について、その都度の秋篠宮の“本音”が滲む。
中でも関係者が注目しているのが、17年12月に圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルが報じられて以降の、圭さんに対する秋篠宮のお気持ちの移り変わりだ。
「秋篠宮さまは眞子さんの結婚後の昨年11月の誕生日会見で、圭さんを『娘の夫』、『夫の方(ほう)』と呼び、名前を一切口にされなかった。それだけ圭さんに拒絶反応を示しておられたわけですが、一方で、娘婿との間に“断絶”が生まれた決定的な理由について、明かされることはありませんでした」(宮内庁担当記者)
小誌は江森氏の著書や関係者への取材をもとに、当時、秋篠宮と圭さんの間で何があったのかを改めて検証した。そこから浮かび上がってきたのは、秋篠宮が圭さんに抱く不信感の“核心部分”だった。
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江森氏が17年6月に面会した際の秋篠宮は、娘の婚約内定を心から喜んでおられたという。圭さんは当時、奧野総合法律事務所でパラリーガルとして働いていた。年収が約300万円と報じられ、生活基盤を懸念する向きもあった。しかし秋篠宮は、一向に意に介さない様子で、江森氏にこう語られた。
「パラリーガルのままでもよいですよ」
「二人が身の丈にあった生活をすればよいのではないでしょうか」
この年の11月には、秋篠宮は誕生日会見で圭さんについて「非常に真面目な人だというのが第一印象」と明かすと同時に、こう述べられた。
「娘の立場もよく理解してくれている」
皇族という特殊な立場に置かれている眞子さんへの深い理解を認められた秋篠宮。圭さんの人柄への信頼に、一点の曇りもないことが窺える。
互いに25歳という若さも、秋篠宮にとって結婚の妨げとはならなかった。
「眞子さんは国際基督教大学(ICU)在学中の13年12月、22歳の時に圭さんからプロポーズを受けており、この年には秋篠宮さまご夫妻にも圭さんを紹介していました。ただ、早い時期から結婚を望んでいた眞子さんに、秋篠宮さまは『成年皇族として一定の役割を果たしてから』と伝えておられたそうです」(前出・記者)
眞子さんの“皇族としての役割”について、江森氏は著書の中で〈一定程度果たしたという理解が彼(編集部注・秋篠宮)にはあるようだ〉と書いている。秋篠宮にとって、愛娘の結婚に反対する理由は何一つなかったのだ。
〈娘から聞くので結構だ〉
そんな中、17年12月12日に発売された『週刊女性』が佳代さんの金銭トラブルを報道。佳代さんが元婚約者のX氏から、約400万円に上る金銭的援助を受けており、婚約解消後もそれを返済していないというものだった。これが引き金となり、翌年2月6日、眞子さんの結婚の延期が公表される。
江森氏の著書によって初めて明かされたのは、「結婚延期が眞子さんの提案で1月初旬には決まっていた」という事実だった。
「結婚延期について、これまでは『ご両親が、眞子さんが結婚を諦めるための冷却期間を設けたのでは』などと囁かれていた。しかし、あくまで結婚後の具体的な生活設計を描くための時間が必要だという理由から、眞子さんが延期を主導していたことが分かったのです」(皇室ジャーナリスト)
逆に言えば、この時点では秋篠宮はまだ、結婚問題に積極的に介入しようとはしておられなかった。それは、江森氏の次の記述からも明らかだ。
〈男性からは、金銭トラブルについて説明したいという申し出があったが、秋篠宮は娘から聞くので結構だと断っていた〉
江森氏はこれを、結婚延期の公表直後に聞いた話だと綴っている。
この間の経緯を知る秋篠宮家関係者も、こう証言する。
「確かに秋篠宮さまは金銭トラブル発覚当初、考えあぐねるようなご様子を見せておられました。秋篠宮さまは、本当に正しいことが分からない段階では、自分のご意見を仰ろうとはなさらない方です。加えて、憲法に『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立する』とあることからも、眞子さんの結婚に反対はできないと考えておられた」
しかし――。江森氏が4月に面会した際には、様相は一変していた。秋篠宮はつい最近、圭さんに対し、金銭トラブルの解決と国民への説明を求めたというのだ。江森氏はこう綴る。
〈秋篠宮が小室圭への不満について、自分から進んでしゃべったことはこれまでなかった。何かが彼の中で大きく変わったようだ〉
そしてこの日、秋篠宮は強い口調でこう述べられたという。
「今のままだと納采の儀は行えません」
金銭トラブルが発覚しても、一時は静観の構えを見せていた秋篠宮が、約2カ月の間で態度を豹変させ、「納采の儀は行えない」という、父親の立場で使い得る“最強のカード”を切られたのだ。秋篠宮を大きく変えたのは、一体何だったのか。
その謎を解く鍵の一つは、圭さんが21年4月に公表した28頁に及ぶ文書の中にあった。圭さんは金銭トラブル報道後の自身の行動について、こう説明していた。
〈私と母は、自分たちだけの判断で動くのではなく色々な方に相談したうえで対応を決めようと考えました。(中略)どの弁護士からも共通してアドバイスされたのは、反応すべきではなく何もしない方がよい、いずれにせよ話し合いで解決するのは困難だろうといったことでした〉
こうした助言が、自身や佳代さんの考えと重なったという圭さん。それでも報道が過熱するに従い、金銭トラブルの当事者であるX氏と話し合う必要性に迫られた。“28頁文書”ではそのときの方針が、こう説明されている。
〈自分たちの認識をみだりに公にするのはなるべく控えるべきだと考えました〉
圭さんは国民に説明するどころか“何もしないほうがよい”という意見に傾倒していたのだ。対して秋篠宮は、国民に疑念を持たれているなら、それを晴らすのが内親王の結婚相手として当然の責務だとお考えになったのだろう。双方の間には既に大きな溝が生まれていることが分かる。
それだけではない。じつは秋篠宮の心境に大きな影響を与えたと見られる決定的な出来事があったというのだ。別の秋篠宮家関係者が言う。
同じ文言を23回引用
「圭さんは金銭トラブル報道の後、秋篠宮さまと複数回にわたって会っています。その場に佳代さんが同席したこともありました。そうした席上で金銭トラブルについて説明するにあたり、X氏が『お金を返してもらう必要はない』と明言した“隠し録音”の存在を明かしたそうなのです」
“隠し録音”――。これは、X氏が佳代さんに婚約破棄を申し入れた12年9月13日のものだ。X氏が「(お金を)返してもらうつもりはなかった」と述べたとされるもので、圭さんにとっては最大の切り札であり、拠り所だった。前述の“28頁文書”でも〈私が録音をしておいた方がよいのではと考え咄嗟に録音したもの〉として音声の書き起こしが紹介されているほか、「返してもらうつもりはなかったんだ」という文言が23回にわたり引用されている。
じつはこの“隠し録音”を拠り所としていたのは、圭さんだけではなかった。
「眞子さんが、金銭トラブルが報じられてもなお圭さん側に立ち続けたのは、隠し録音の存在があったからです。眞子さんは金銭トラブルの報道直後に録音の存在を明かされており『お金を返す必要はない』と納得していたのです」(同前)
実際、眞子さんは信頼する知人に“隠し録音”の存在を打ち明けたこともあった。眞子さん自身、隠し録音の存在が、将来の夫が、“いわれなき批判”を浴びているという決定的な証拠になると考えていたのだ。
父娘でマダガスカルに旅行するなど“父親っ子”だった眞子さん。父親も隠し録音の存在を知れば、全てを理解してくれるはずだと期待していたのかもしれない。だが、その期待はあっけなく裏切られた。
「秋篠宮さまにとって“隠し録音”は、何の説得材料にもならなかったのです。むしろ秋篠宮さまが重視された“物証”は、別にありました」(同前)
秋篠宮の態度が豹変する前の、18年2月26日。この日発売された『週刊現代』が、佳代さんがX氏に送ったメールの内容を報じた。この中に、
〈当分の生活費をお借りしても良いでしょうか〉
〈とりあえず10万円程お願いできますか〉
という文言が含まれていたのだ。
「秋篠宮さまはこうした報道で“もし録音があったとしても、借金をお願いしているのは事実ではないか”という思いを強くなさったようです」(同前)
録音にある「返してもらうつもりはなかったんだ」という一言を錦の御旗として「お金を返す必要はない」という意思を固めた眞子さんと圭さん。だが、仮に法律論を戦わせてその主張が勝つことになったとしても、借金を申し出たのが事実である以上、それで国民の納得が得られるのか。“隠し録音”を振りかざすその態度は、皇族として生まれた女性と結婚するのに相応しいのか――。
秋篠宮と圭さんの“断絶”は、ここで決定的なものとなった。秋篠宮にとって問題の核心は、金銭トラブルそのものではなかった。法的な正当性の立証ではなく、皇室に連なる者として、国民の理解や納得を丁寧に得ようとする姿勢を求められていたのだ。
その後も、圭さんの姿勢が問われる事態は続いた。
「圭さんは『国民への説明』を果たさないまま、18年8月にNYに留学。まるで“海外逃亡”するかのような振る舞いに、秋篠宮さまの不信感は増すばかりでした」(同前)
母・佳代さんの警察への依頼
江森氏の著書では、この年のGW明けの秋篠宮との面会で、圭さんが「18年夏にも」海外留学しようとしている旨が明かされる。いかに突然の海外留学だったかが窺える。圭さんへの深まる不信は、次の記述にも顕著だ。
〈海外留学するのなら、婚約内定期間はさらに長引くだろう。秋篠宮は小室親子の警備費用のことも懸念しているようだった〉
婚約内定発表以降、圭さんの実家は警察が厳重にガードしていた。当然、原資は国民の税金だ。秋篠宮はそのことを気にかけておられたが、圭さんの反応は鈍かったという。
“国民の税金を使う”ことへの鈍感さは、佳代さんにも共通していた。
「佳代さんは金銭トラブルの渦中にあったとき、勤務先の老舗洋菓子店があるエリアの警察署に『メディアに狙われているから、警備をつけてほしい』と言ってきたそうです。当然、警察側は断っていました」(前出・記者)
秋篠宮にとって圭さんは、皇族としての眞子さんの立場を正しく理解してくれる男性のはずだった。しかし、“元皇族の夫”となり“将来の天皇の義兄”となるには、国民への向き合い方が、皇族のそれとはあまりにも異なっていた。にもかかわらず、眞子さんすらも圭さんの味方についてしまった。そうして、儀式も一時金もない、「皇室としては類例を見ない結婚」(秋篠宮)という結末を迎えるに至ったのだ。
「秋篠宮さまが望まれた『国民への説明』は“28頁文書”のような一方的な説明ではありません。きちんと会見で話をして、記者からの質疑にも答えるというものでした。しかし、その最後のチャンスだったはずの結婚会見でも、眞子さんと圭さんは質疑応答を拒否し、文書を読み上げるだけだった。“断絶”は最後まで埋まることがありませんでした」(前出・秋篠宮家関係者)
秋篠宮の“肉声”を機に見えてきた深層。遠い異国の地で暮らす二人に、父の嘆きはどう響くのか。
source : 週刊文春 2022年5月26日号





