証言者バラエティ アンタウォッチマン![字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

証言者バラエティ アンタウォッチマン![字]

“今、見たい実力派芸人”を取り上げ、彼らの時代を目撃した証人(=ウォッチマン)たちの証言から、“面白さの秘密”を分析していく“証言者バラエティ”!

◇出演者
【MC】アンタッチャブル、サンドウィッチマン
◇おしらせ
☆番組HP
 https://www.tv-asahi.co.jp/antawatchman/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
バラエティ – お笑い・コメディ
福祉 – 文字(字幕)

テキストマイニング結果

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キーワード出現数ベスト20

  1. JUNK
  2. ラジオ
  3. 柴田
  4. オールナイトニッポン
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  10. ナイナイ
  11. バナナマン
  12. 伊集院
  13. 当時
  14. 番組
  15. 富澤
  16. オールナイト
  17. サンドウィッチマン
  18. 最初
  19. 証言
  20. 太田

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

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〈今 芸人ラジオが熱い!〉

〈いつでも
好きなラジオ番組が聴ける

radikoの登場で…〉

〈専門雑誌や
イベントが開催されるなど

芸人ラジオの盛り上がりから
目が離せない今

そもそも なぜ
芸人ラジオが誕生したのかを

深掘り〉

爆笑さんの証言
いただいちゃって。

〈そこで明らかになった

ラジオの2大巨頭

ニッポン放送の繁栄と

TBSラジオの逆襲〉

〈更に

(柴田)伊集院さん!
(伊達)伊集院さん。 やった!

よろしく。

テレビでしゃべるの
なんか すごい ドキドキする…。

普通は なんか テレビの事を
ラジオでしゃべるみたいなのは

ありますけどね。
(柴田)うんうんうん。

〈二十歳の頃から
ラジオに携わり

現在もバリバリの
伊集院さんを

証言者として
お招き〉

〈すると…〉

へえー!
だから もう それが面白くて。

ずっと…。

〈それでは スタート!〉

〈そもそも

「ラジオといえば
この音楽だもんね」

「もう… そうですね」

〈昭和の時代に始まった
この番組は

鶴光さんや お笑いビッグ3などの
テレビスターが

パーソナリティーを務めた〉

タモさん やってたね。
面白かったのよ。

(柴田)ああ そうですか。

〈そんな 昭和から始まる

『オールナイトニッポン』のDNAを

今も引き継ぐ芸人ラジオ それが…〉

「ナイナイさん
『オールナイト』ね やってますね」

〈94年に始まった
こちらの番組は

ナイナイが芸歴3年目の時に
スタート〉

「3年目で もう やってるんだ。
すごいな」

「ええー
すげえな」

伊集院さん…。

怖い?
なんか 他の

評判のいい人のラジオを聴いて

絶対 俺 その…
感化されちゃうっていうか

何か考えちゃうから むしろ…。

へえー! そうなんだ。

ナイナイのすごいのは

始まった時 2部で始まったって
いってるけど

周りの人間からしてみると

もう すぐに
1部にいくんだろうなっていう。

とりあえず 練習させてあげたい
っていう感じの…。

要するに その時代のトップの
めちゃめちゃきてる人が

『オールナイトニッポン』
始めた感じ…。

むしろ 今 考えると…。

異常なスケジュールの中…。

あの年月 しかも ずっと…
なんていうの?

ラジオのスターのまま…。

ちょっと…。
ああ 尋常じゃない…。

へえー!
へえー!

〈そんな ナイナイの
『オールナイト』が

長年続いている理由を探るべく

今回は特別に
関係者に話を聞く事ができた〉

「『オールナイト』の関係者?」

(スタッフ)お願いします。
(小西)よろしくお願いします。

〈番組開始から29年

常にナイナイのそばで

番組を作ってきた作家 小西マサテル〉

ラジオにおいては。

多分…。

俺 2年やっても
上がれなかった… 本当に。

3カ月で上がるなんて
あり得ないんですね。

すごい スピード出世。
はあ…。

会議とか…。

若手作家かみたいな。

(スタッフ)当時は もちろん
めちゃくちゃ忙しいですよね?

ほとんど
寝なかったんじゃないですか

平日は。

22とか21とか… はい。

その なんていうんですかね…。

多分 結構ね

クールな計算みたいなのも
あると思うんですけど。

〈そして ナイナイの
『オールナイト』で

今なお続く こだわりがあると
関係者が証言してくれた〉

「こだわり?」
「誰?」

(スタッフ)よろしくお願いします。
(冨山)お願いします。

〈証言してくれたのは

それは…。

構成が選んだハガキやメールを
ポッて読むタイプは

例えば 「えっと 何々県の…
これ なんて読むんだ?」

「何々さんね」。
途中まで読んだところで

あれ? これ ちょっと
トーン違うわってなって

あれ? これ 笑えないじゃん
これ 笑えないじゃんっていう…。

でも…。

あの感じのね 長渕さんのやつの
仕上がり具合っつったらね。

すごいでしょ?
下読みをちゃんとして

あと 矢部君の反応や構成の反応も
見ながらっていう。

スターが あれをやるのは
すごい大変だから。

しっかり やってますね
じゃあ ナイナイさん。

〈そんな長く愛される

老舗の『オールナイトニッポン』に
負けじと

他局で
新たな芸人ラジオ枠が誕生〉

〈それが…〉

〈TBSラジオ 『JUNK』〉

「お世話になってます」
「ねえ」

〈2002年にスタートした
こちらの枠は

月曜から金曜までの
メインパーソナリティーを

全て芸人だけで構成〉

さまぁ~ずさんもね。
(柴田)さまぁ~ずさんはいたよね。

〈その中で この『JUNK』を
引っ張っている芸人に

証言を求めた〉

「うわっ 出た!」
「爆笑さんだ」

(スタッフ)よろしくお願いします。
(太田)よろしくお願いします。

豪華!
すごい!

〈爆笑問題〉

〈『JUNK』設立から
番組を続ける

伊集院さんとともに『JUNK』を
引っ張っている2人〉

「長いですよね」
「『JUNK』の看板ですよ」

どういう感じなの? 俺は。

そうじゃなかった?
(田中)いや あのね…。

最初 特番で いくつか
やってたからね お試しでね。

あの時はね…。

「ああ そうなんだ」
「あら!」

あの いわゆる この…。

当時ね 『UP’S』っていう…
今 『JUNK』ですけど

『UP’S』っていうので
お試しみたいなので

なんか ちょっと
やったんだよな。

それで そのまんま じゃあ 毎週
っていう事になったんですよ。

「そうだったんだ」

…が好きで。
我々世代は みんな そうですよ。

だから 『オールナイトニッポン』で
とにかく…。

これが もう
腹抱えて笑ってたよね 毎週ね。

そういうのが もう
一番 発揮できる…。

テレビにも
めちゃめちゃ出てるんだけど

テレビより踏み込んだ
たけしさんって本当に危ないから。

へえー!
だから もう それが面白くて

すごい聴いてたし。
でも 2時間だと

たけしさん もう 途中で…。

僕 なんか覚えてるのは
ちょっと 汚い話なんだけど

芸人なんか 全部ウンコだと。
ウンコだっていう…。

…って 急に言うのよ。 それが
なんか わかんないけど

あっ すげえ…
なんか すごい事 聴いた…。

芸人イズム的なものが急に…。
そこで表れて。

〈爆笑問題念願の
ラジオレギュラー〉

〈太田さんは たけしさんのような
ラジオをやりたかったのですが

田中さんの理想は
だいぶ違っていたそうで…〉

僕はね

ラジオのアナウンサー…

いわゆる ディスクジョッキーって
昔 言ったんですけど。

そういう人に
なりたかったんですよ

中学ぐらいの頃から。

だから
お笑いに特化したわけでもない

自分の… 今日 朝起きて
天気がどうだったとか…。

「時計の針はナントカ」っていうの
好きだったもんね。

ハハハハ…!
太田さん…。

だから 最初 攻防戦がありました。
僕は どっちかっつうと

たけしさんの
『オールナイト』みたいに

もう いろんな話をして
面白い… こんな事があった

あんな事があった
っていうのだけで

別に もう フリートークで
いきたいんだけど

こいつは 時間に忠実に
曲紹介したいもんだから すぐ…。

「合わないね!」

曲のイントロとか…。
イントロの中で

タイトルコールをね
言いたいんだよね…。

芸人ラジオで
そんな人いないよ だけど。

♬~「太陽…」

いい残しでしょ。 いい残しでしょ。
そうですね イントロから こう…。

明らかに。
(富澤)なるほど。

田中さんが
本当に どうかしている事が

月に1回ぐらい表に出ちゃうのが

あのラジオの
一番の魅力な気がする。

(伊達・富澤)ええー!
しかも それも…。

ハハハハ…!
普通にしてて。

最後の最後に さっきまで…
太田さんが

「お前 トイレ… さっきまで
トイレ行きたいって言ってたけど

どうしたんだよ?」ぐらいの
振りから

「うん もう漏らしたから」
っていうのを

普通のトーンで。
ええー!

絶対 そんなやつ。
(柴田)聴きたいわ。

〈それは
『オールナイトニッポン』のライバル

TBSラジオ『JUNK』は

なぜ 芸人だけのラジオ枠を
作ったのか?〉

〈『JUNK』ができた2002年の

『オールナイトニッポン』の
パーソナリティーを見ると

芸人だけの枠が どれだけ
異質なのかがよくわかる〉

〈そこで『JUNK』設立の
当時を知る関係者に

証言をもらった〉

(スタッフ)お願いします。
(宮嵜)お願いします。

宮嵜プロデューサー。
ザキミヤさん。

〈『JUNK』が始まり 20年間
ずっと 番組に携わっている

現在 プロデューサーの宮嵜守史〉

当時 お笑いっていうところが

また ちょっと
注目されつつあったのと

その前に『UP’S』っていう枠の
タイトルで

TBSラジオの
1時~3時の数字を

牽引してたのが
やっぱり…。

…みたいなところは
あったんだと思うんですけど。

意識しての。

〈今年20周年を迎える
『JUNK』は

伊集院らに加え 次の世代として

『JUNK』を引っ張っている
芸人も存在する〉

(スタッフ)お願いします。
お願いします。

いっても 50超えてるけどね。
確かに。

〈2006年から
『JUNK』でラジオをする

おぎやはぎ〉

えっ? 最初…。

そう 代打だったんですよ。

あの時に
1人になっちゃったから…。

うやむやだったような…。

〈なんとなくで始まった
おぎやはぎのラジオですが

スタッフが忘れられない神回が〉

〈それが…〉

だいぶ前ですけど…。

今度…。

なんなら…。

生放送中に 婚姻届を
提出しに行くのは… とかって

できるのかな? って
相談を受けて。

ラジオ番組で そういう事を
させてもらえるんだっていう

喜びもあったので。

「でも ラジオは
そういうとこだよね」

(小木・矢作)『木曜JUNK
おぎやはぎのメガネびいき』。

♬~

(矢作)ノロになってから…。

(矢作)その前に… あるよ。
ちょっと…。

「おおー いいね!」

「いいリアクション」

「うるさい…」

やっぱね 生。
最初は シンプルでしたもんね。

「すごいな」

「ハハハハ…!」

「“小木つなぎ"」

「一番 つなげられない人だから」

「“いいでしょー"じゃない…」

(柴田)伊集院さんから見て

芸人がラジオをやる前
っていうのは

どういう方々が
パーソナリティーを

やっていらっしゃったん
でしょうかね?

しかも…。

そういうアーティストが
「ラジオは やります!」っつって

生で しゃべったりとかする…
そうね。

だから
『オールナイトニッポン』って

多分…。

そこでっていう事ですね。
『JUNK』は

どっちかというと
そこを なんか こう

隙間を見てじゃないけど
芸人だけでっていう。

『JUNK』は 全員芸人さん…。
ねえ… うん。

僕は始めてましたけど
芸人一色じゃなかったです。

『オールナイトニッポン』と
同じスタイルをやってた。

ある時 プロデューサーが
代わったのを機に もう 全部

しゃべりの面白い芸人だけでいく
っていって

それこそ
みんな 入ってきましたね。

(柴田)どっちを聴いたらいいんだ
みたいなのも

あったじゃないですか。
『オールナイトニッポン』を聴けばいいのか

『JUNK』聴けばいいのか
みたいな。

(柴田)そうそう そうそう!
タイムフリーとかないから。

(柴田)切り替え 切り替えで
みたいな。

〈芸人ラジオの魅力の1つには
熱心なリスナーの存在も〉

〈そんなリスナーの存在なしでは
生まれなかった神回が

『爆笑問題カーボーイ』で
誕生したそうで…〉

700回記念っつって
やったのかな。

やって
うわー! なんていってたら

この番組のリスナーで…。
うん 数えてたんだよ。

聴いてくれてた人が…。

…みたいなのがきて。

で 資料を こう…。

その 何回っていうの…

第1回から2回って
バーッてあるじゃないですか。

それが 普通に 700枚ありゃ
700回なんだけど

どっかで なんか…。
飛ばしちゃった…。

200回分 間違えて数字を書いた
スタッフがいたらしくて。

ちゃんと さかのぼって
確認なんかしないですからね。

(スタッフ)リスナーさんから訂正が入った。
(太田)そうそうそう。

ステイゴールド!
知ってる 知ってる。

〈このあと
ニッポン放送とTBSラジオ

ライバル局の垣根を越えた

芸人同士の絆が生んだ
奇跡の放送〉

〈今から11年前

サンドウィッチマンとバナナマン

2組の芸人の絆が

ニッポン放送と
TBSラジオとの間に

奇跡を起こした〉

サンドウィッチマンさん自体は

レギュラーの
パーソナリティーではないので

特番で。

一番最初にやったのが

2011年の3月の

東日本大震災から1週間後の

金曜日の夜の生放送を

お二人に 多分…
担当していただいたのが

一番
最初ですね。

〈実は この『オールナイトニッポン』の

放送の裏では

TBSラジオ
『JUNK』で

バナナマンのラジオが
放送中〉

〈当時
冨山さんには

忘れられない出来事が
あったそうで…〉

当時 裏が 『JUNK』で
TBSのラジオが

バナナマンさんが
担当してたんですけど…。

…っていう呼びかけを
してくださって。

さあ じゃあ メール いきますね。

(富澤)はい。
ラジオネーム ちひろさん。

「マン」一族ね。
サンドウィッチマン バナナマン。

えっ? えっ?
TBSで?

(富澤)「よく バナナマンが
バナナマン・サンドウィッチマンは

“マン"一族だ! と
おっしゃってて

“マン"一族への愛を
感じました!」…。

「マン」一族ね。
サンドウィッチマン バナナマン。

(富澤)「私も何か
被災地の方々のために

何か出来たらいいなと
思ってます」…。

これは ちょっと…。
ああ そうですか。

(富澤)
こんな事してくれてるんですね。

もう 本当に
前の日とかに言われて。

「やれる?」って言われて。

どうやったらいいのか
っていうのが…。

みんな まだ… 1週間しか
まだ経ってなかったんで。

(柴田)お笑い入れていいのかとか
っていうのも結構ね…。

しんみりしすぎるんなら

お笑いが今 時間割いて
ラジオやる意味もないし。

そうです そうです。
ショートコントから入ったんですけど。

(柴田)あっ そうだ…。
聴いたから 俺も。

始まる1分ぐらい前まで

どうする? っていう話…。
ショートコントからいこうと。

まさかですよね。

『JUNK』のね。
『JUNK』の。

(柴田)ねえ。
さあ という事でございまして

今回は ここまでという…。
次週はですね

芸人ラジオ新時代を
テーマにですね

ラジオイベントなど
聴く以外で発信する

新しいラジオの可能性
というのを

深掘りしていきたいと
思います。

それでは また 来週
お会いしましょう。 さようなら。