365話 招集
「えいしょ!!」
男の声とともに、ずんと大きな音がする。
「おい、建材はもう少しそっちだ。ここに置くと人の出入りの邪魔になる」
大きな音のした現場。
現場監督を兼ねるグラサージュが、見咎めて注意を発した。
「うっす、グラスさん、すいません」
建材として運ばれているのは、大きな石だ。
モルテールン領は山に囲まれているだけあって、石材に困ることは無い。
さらに言えば、ご丁寧に砕かれて移動させられたものが、文字通り山一つ分、領内に存在する。
元々はモルテールン領の北方を塞いでいた山の一部が、ペイスの魔法と“魔法の飴”によって崩され、大々的に移動されたものである。
一個が城ほどありそうな岩石から、指の先ほどの小石まで。石を採取するのに苦労が要らなくなった。
これに喜んだのは、領内の建築を司るグラサージュ。
例えば巨岩であれば、それだけでぬかるんだ土地の基礎であったり、或いはそのまま建築物に加工も出来る。
小石は小石で、砂利として使う。道路の舗装材としても使えるし、家を建てる時の基礎の上に撒いて地面を固めるのにも使える。
何にしても大きさが自由に選べる石というのは、建築資材としてとても重宝するもの。あればあっただけ良いというのが、グラサージュの意見だ。
いっそ形成もしてくれれば楽でいいのにと、贅沢な希望まで出てきているのは余談である。
今運んでいるのは、スイカほどの大きさの石。人が一人で運べるものとしては、ぎりぎりの大きさ。
これを大量に使い、堤防と水路を作るのだ。
さすがに一人で運ばせていれば事故も起きるし、腰を壊したり足を悪くしたりという人間も出ることから、道具を使って二人から四人で一つを運ぶ。
一人で運べるサイズにしてあるのは、置いた後でも微調整を出来るようにという配慮である。水路にするのだから、出来るだけ隙間を作らないように組み上げる必要があるのだ。
精密なパズルを延々と繰り返すような作業。グラサージュにも部下が何人もいるが、これはもう職人芸の域にある作業だろう。
グラサージュとしても目を離すわけにはいかず、ここしばらくはずっと付きっきりで現場監督に励んでいた。
それもこれも、全てザースデンが栄えているからだ。
目下のところ、モルテールン領の領都としている
そして、嬉しいことに今なお人口は増え続けている。
他所の土地からの移民も勿論だが、何よりもベビーラッシュが続いていることが大きい。
これもまたペイスの施策ではあるのだが、市民権を持つモルテールンの領民は、子育てと出産に関わる費用が全て支給される。また、出産一時金も結構な額が出る。五人家族が三年か四年は普通に暮らせる額といえばその金額の大きさも分かるだろう。
龍素材のオークションで馬鹿みたいに稼ぎ、領主家直轄事業の製菓業でもコンスタントに利益を上げているモルテールン家だからこそ出来る政策。
妊婦の定期健診制度を整備し、その間の栄養指導と、必要があれば食糧配給。
既に子供のいる家庭などであれば、ベビーシッターの派遣。
いざ出産となった際も、医師が昼夜問わず常駐している病院での手厚い体制で出産に専念できる。
勿論、ペイスによって先進的な衛生指導が為されており、
経験豊富な医師や産婆も好待遇で抱え込んでおり、更にはモルテールン家に雇われている者は兵士や下働きであっても産休で休める。
他にも行っている施策は多々あれ、基本的には産めよ増やせよという方針。
子供を産んだら産んだだけ生活が楽になるとあって、モルテールン領では出産に積極的な夫婦がとても多い。
中には、妊婦のまま移民としてやってきて、市民権をくれと言い出すものまで居るというから、何をか況や。
モルテールン家としては、やはり他所の常識に凝り固まった移民というのはトラブルも多いという認識を持っている。出来ることならば、モルテールン領で生まれ育ってモルテールンの常識を身に着けた人間の方が使い勝手がいいというのも正直な感想だ。出産奨励政策は、将来を見越した質のいい労働力確保という面も有る。
愛郷心をもつ人間が増えれば、それだけ防諜もやり易くなるという目的も隠されているのだが、それは上層部のみ知る秘密。
移民と出産奨励による人口増加。
これは、今後も継続して行われるという
股肱の臣として、その上層部の一員たるグラサージュも今後人口がどんどん増えるであろうことは承知しており、必然的に今の街並みでは増え続ける人口を吸収できないというのも分かっていた。
本当に必要になるのは十年先、二十年先のことであっても、その時に備えて今から街を拡張していく。
無秩序に拡大していってからでは遅いのだ。秩序と合理性をもって、計画性のある拡張を行う。
それがグラサージュの仕事。
地味で目立たないながらも、モルテールン家の土台を支える無くてはならない仕事である。
「ここらへんでいいっすか?」
「ああ、そこでいい。それじゃあ資材の運搬、頼んだよ」
「ういっす」
グラサージュは、手元の計画書に目を落とす。
今次の拡張計画は、職人街の移設工事。
モルテールン領には国中から集まった職人たちが居て、それぞれに強いこだわりを持つ。
旧職人街から移動したがらない者も多くいるであろうことが予測される中、増える人口に合わせた工業生産力の増強は必須。
潤沢な予算、十分な人手、余裕のある工期、これらが揃っている今次計画が失敗するとすれば、自分の至らなさ以外の原因にはならないと、グラサージュも気合を入れているところである。
他にも抱えている仕事も多い分、今のところ順調に進んでいる計画には笑みを浮かべる余裕すらあった。
「グラサージュ!!」
ペイスの声が、大地を駆ける。
余程によく通る声だったのか、グラサージュが声のした方を振り返ってみると、かなり遠くの方にペイスの姿が見えた。
どこに居ても話題の中心となる次期領主の姿だ。遠目からでも見間違えるはずも無い。
駆け寄ってきたペイスを、グラサージュは笑顔で迎える。
「おや、若様じゃないですか。そんなに急いでどうしたんですか?」
今更ではあるが、ペイスに呼ばれたのはグラサージュ=アイドリハッパ。弓を取ってはモルテールン一と名高い豪傑。
モルテールン家では譜代の重臣であり、ペイスやカセロールが領内の土木関係の一切を任せる重鎮でもある。
そして、何事にも動じないと評される胆力を持つ。
戦いの時には実に頼もしいわけだが、平時となるとそれはどこかのほほんとした呑気さにも見えるわけだ。
「今日もいい天気ですね」
「そうですね」
工事監督の手を止めてのほほんと挨拶したグラサージュに、ペイスは一瞬毒気を抜かれる。
「この分だと、予定していた第十二期の街道敷設工事計画は予定通りに終わりそうです」
「それは重畳。しかし、今はそれを喜んでいる暇は有りません」
グラサージュのマイペースな説明に、そのまま打ち合わせを始めそうになったところで、ペイスは本来の目的を思い出して真剣な表情をする。
キリっとした男前を見て、グラサージュもただ事でないと悟ったらしい。
日頃は迷惑しかかけない次期領主も、締めるときは締める。その信頼あってこその領主代行なのだ。ペイスが真面目な時は、大抵が碌でもないトラブルである。
過去の積み重ねによる、信頼と実績のトラブルメーカーがペイスだ。
「……何かありましたか」
半ば確信したグラサージュの問いに、ペイスは頷く。
「外敵と思われる痕跡を発見しました」
外敵。正体は何か分からないが、危険であることは間違いないもの。
言葉のニュアンスから、単純な話でもなさそうだと感じたグラサージュは身を引き締める。
腐ってもモルテールン家の武人。気持ちを切り替えた彼は、工事現場のサラリーマンから、歴戦の勇士と早変わりする。
「すぐに皆を領主館に集めるように」
「分かりました」
早速とばかりに、グラサージュが部下たちに指示を飛ばし始めた。飛び交う指示は正確でいて明瞭。
部下もあちこちに走らせることで、連絡はすぐにいきわたる。
領内の地理に最も詳しいのはグラサージュだからこそ、ペイスもわざわざグラサージュを探して招集命令を掛けたのだ。
ザースデンに詰めていた従士たちが揃ったのは、ペイスが招集をかけてから僅かな間のことだった。三十分もたっていないだろう。
訓練が行き届いている証拠であり、モルテールン家の従士たちが精鋭主義をそのまま受け継いでいる証左でもある。
「一体何が有ったんだ?」
集まったのは、若手が大半。
特に、半分研修のような形で仕事をしていた去年度の士官学校卒業生が多い。
「敵が居るって話だ」
「敵? どこか攻めて来た奴が居るのか?」
「分からないが、その可能性も排除できない……ってことらしい」
「それで、俺らまで集められたのか」
本来であれば、若手などは余程に劣勢にならない限りは軍事行動において数のうちに入れない。
特に、モルテールン家のように精鋭主義を取る家では、一定水準に満たない人間はむしろ足を引っ張る。
しかし、正体不明の敵となると話は別だ。
何かあった時の為、最大限の備えをするのは理に適っている。
「同期が揃うのも久しぶりじゃないか?」
「だな。あいつを見ろよ、学校に居た時より日焼けしてないか?」
がやがやと騒がしい中、喧騒は大きな物音で静まり返る。
バンと扉を開けて入ってきたのは、ペイスとシイツ、そしてグラサージュ。
今モルテールン領に居る人間では、最高意思決定メンバーである。
「説明を始めます」
前置きを抜きに、ペイスが説明を始めた。
内容は端的であり、分かりやすい。
曰く、外敵の脅威となり得る痕跡を見つけたと。
見つけた人間がペイスであるため、情報の真偽は疑うまでも無い。
疾風迅雷、風林火山。孫子に曰く兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきを
後手に回らないためにも、いまだ不確かな情報しかない現状であっても危機を最大限に見積もり、動かせる兵力の大部分を動員してことに対処すると説明があった。
若手たちも、神妙に頷く。
「一つ質問をしていいでしょうか」
「どうぞ」
若手の一人が、実に申し訳なさそうに挙手し、発言の許可を求める。
「その頭の……どうしたんです?」
皆の目は、一斉にペイスの頭に向けられる。
より正確に言えば、頭に張り付いている確認飛行物体ピー助である。
「どうしても付いていくと聞かないのです。このまま連れていくことになるでしょう。不本意ながら」
頭の付録は、嬉しそうにきゅいと鳴いた。