やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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俺たちの花火大会は、色々と近い。

 我が家にはペットが二匹いる。

 比企谷家の愛猫・カマクラと、由比ヶ浜家の愛犬・サブレである。

 

 サプライズで開かれた俺の誕生日会の少し後のことだ。夏休みも折り返しを過ぎた頃に、家族で旅行に行くという由比ヶ浜からサブレをあずかったのである。

 

「ひゃん!」

 

 リビングでくつろぐ俺の足元で、サブレはすりすりと身を寄せてくる。あずかってからというもの、妙に懐いてくるのだ。

 

「元気だなぁ、お前」

 

 そう言って頭を撫でると、サブレはハフハフと息を荒くさせた。

 こうして犬の面倒を見ること自体、初めてではない。記憶も朧気(おぼろげ)になるぐらいずっと昔に、犬を飼っていたことがある。

 しかし僅かな思い出を辿ってみても、ほとんどの世話は小町か両親がしていた気がする。だから犬の面倒を本当に見ていたかと言われると微妙なところだ。だってお世話される方が好きだしね、俺。

 

「ひゃん! ひゃんっ!」

 

 それにしてもこのワンコ、飼い主に似て元気である。性格も飼い主に似るのか、それとも犬種によるものなのか。

 そう言えばサブレの犬種って何だっけ。ミニチュア・ダックスフンドだったような気もするが⋯⋯由比ヶ浜に似てるから、もうガハマ犬でいいや(適当)。

 

「お手」

「ひゃん!」

 

 何の気なしにそう言って手を出すと、サブレは右の前足を俺の手にのせてくる。どうやら基本の芸は、ちゃんと覚えさせているらしい。

 

「おまわり」

「ひゃん!」

 

 サブレは元気に吠えると、左の前足を手にのせてきた。おかわりじゃねぇよちゃんとやれ。

 

「三べん回ってワン」

「ひゃんっ!」

 

 サブレはくるくるーっと三回まわって鳴き声を上げた。そっちはできんのかよ⋯⋯。

 他に何か芸ってあったっけ、なんて考えていると、ピンポーンとインターホンが鳴った。モニターを見に行くと、そこには見知った顔がある。

 

「出てくから、ちょっと待っててくれ」

『あ、⋯⋯うん』

 

 インターホン越しの返事を聞き届けると、俺はサブレがついて来ないように注意しながらリビングから出た。玄関に下りて扉を開くと、サブレの飼い主が何やら紙袋を持って立っている。

 

「あ、やっはろー」

「おう」

 

 いつもの謎挨拶をいつもの調子で受け止めると、由比ヶ浜は「はい」と紙袋を差し出してくる。

 

「ありがとね、サブレあずかっててくれて。これお土産」

「おお⋯⋯サンキュ」

 

 ちらりと見た中身はどうやらお菓子の箱らしく、どどんと『地域限定』の文字が書いてある。こういうのちょっと割高だけど、元の味の再現度高くて美味いの多いんだよな。完全ネタ志向のは知らんけど。

 

「サブレ、リビングにいるから」

「あ、うん。お邪魔しまーす⋯⋯」

 

 由比ヶ浜はそう言うと、我が家の中に入ってくる。靴を脱いで玄関に上がったところで、俺の中にふと思いつくことがあった。

 

「由比ヶ浜」

「え?」

 

 俺が呼ぶと、お互い向き合うかたちになる。俺は手のひらを上にすると、由比ヶ浜の前に差し出した。

 

「お手」

「⋯⋯?」

 

 由比ヶ浜は顔に疑問符を浮かべながらも、言う通りに手をのせてきた。

 

「おまわり」

 

 俺が言うと、くるるっと由比ヶ浜は回ってみせる。ふわりと広がったスカートが踊り子めいていて、少しだけドキッとした。

 

「三べんまわってワン」

「ってやらないよ!?」

 

 なんだ、サブレはできたのに⋯⋯。

 少しだけ残念がっていると、とととっと廊下を小走りで駆ける音が聞こえてくる。

 

「あ、結衣さーん! いらっしゃいです!」

 

 さきほどのインターホンで来訪者に気付いたのか、小町はそう言いながら階段を下りてきた。サブレに追い回されるせいで小町に保護されていたカマクラも一緒だ。

 

「やっはろー、小町ちゃん。サブレみてくれてありがとね。お土産渡してあるから、みんなで食べて」

「おおー、これはこれはどうもです」

 

 そんな会話を交わしながら、二階にあるリビングに向かう。サブレは飼い主を匂いで察知していたのか、リビングの扉が開かれるなり由比ヶ浜に突進していた。

 

「ひゃんっ! ひゃん!」

「お~、サブレすっごい元気~」

 

 由比ヶ浜がしゃがみこむと、サブレはその頬をペロペロと舐めだした。バター犬かよ。いやうん、我ながらその例えはないわ。

 

「お茶淹れますんで、どうぞ座って下さい」

「あ、うん。ありがとー」

 

 由比ヶ浜がソファに座ると、俺は小町からカマクラを受け取ってその斜向かいに腰を下ろした。カマクラはと言えば、サブレに対して警戒心バリバリである。君、しつこいぐらい追い回されてたもんね。

 

「ね、ヒッキー。これ見て」

 

 そう言って由比ヶ浜が見せてきた携帯電話の画面には、打上花火の写真が映っている。旅行先での写真だろうかと思って見ていると、由比ヶ浜がスワイプした途端に『花火大会』の文字が現れた。ずっと昔からやっている、この辺りでは一番規模の大きい花火大会の告知サイトだ。

 

「ゆきのんといろはちゃんと行こうって話してるんだけど、ヒッキーもどうかな?」

「行かねぇ⋯⋯」

 

 考える間もなく即答していた。

 何でまたそんな人の多いところに、って話だ。ただでさえ暑い夏。花火大会は夕方からとは言え、人混みとなればまあ暑い。最後に行ったのは小学生の頃だったが、あの時の混雑と疲労感は今でも覚えている。

 

「えー、いいじゃん行こうよー」

「ああ、小町は心配だなぁ⋯⋯。とっても、とーっても心配だなぁ⋯⋯」

 

 小町はキッチンから話を聞いていたのか、そんなことを呟きながら俺たちの前に麦茶を出してくれる。心配って何のことだ。お兄ちゃんは小町が噂話大好き井戸端会議オバちゃんにならないか心配です。

 

「その三人で行ったら、ぜーったいナンパされるだろうなぁ⋯⋯みんなハチャメチャに可愛いからなぁ⋯⋯」

 

 小町の呟きに、ぐっと言葉に詰まる。

 確かに雪ノ下も由比ヶ浜も、それから一色も特別に見目が良い。そんな可愛い子たちが三人集まっていたら、祭り事に浮ついた輩が声をかけるのは必定というものだろう。

 

「もしお兄ちゃんが行かないせいで三人が危ない目にあったら、どうするのかなぁ⋯⋯小町は心配だなぁ⋯⋯」

「そ、そうだよっ。ほら、ボディガードみたいな感じで。だから一緒に行こっ」

「⋯⋯花火大会に行くのをやめておいたら危険はないぞ?」

「もー! なんでそっち方向で考えるのっ」

 

 現実的なリスク回避方法を提案したというのに、普通に怒られていた。ぶんすかガハマさん可愛い。いや危険を冒してまで行くもんじゃないでしょうよ⋯⋯というのは、あまりに情緒のない意見だろうか。

 むーっとむくれた由比ヶ浜に、隣に座った小町は何やらぽしょぽしょと耳打ちする。嫌な予感がするのは、多分気のせいではない。

 

「あの、ね⋯⋯。危ない目には遭いたくないけど⋯⋯」

 

 小町は何を吹き込んだのか、由比ヶ浜の様子は妙にしおらしい。そうもじもじされるとこっちまでもじもじしてくる。もじもーじ。

 

「あたしはヒッキーと一緒に、花火が観たいな⋯⋯」

 

 ぽしょっと由比ヶ浜は呟くと、段々と頬を染め出した。その横では小町がガッツポーズを決めている。何なの、これ⋯⋯。

 

「⋯⋯その言い方はずるいだろ」

 

 諦めてそう答えると、由比ヶ浜の顔がパッと明るくなる。やはり由比ヶ浜は、どこか犬っぽい。

 

「っていうことは」

「⋯⋯まあ、男避けにしかならんと思うけど」

「やったっ。小町ちゃん、いえーい!」

「いえーい!」

 

 パチンと両手を合わせる二人を見ていると、何だか最初から断れる選択肢などなかったように思えてくる。事実、なかったわけだけど。

 

「小町ちゃんも来る? 花火大会」

「いーえー、小町は受験生ですので、おかまいなく!」

 

 そんなやり取りの後、サブレの身の回りの片付けを進めていく。帰り支度を終えると、俺たちは玄関まで由比ヶ浜たちを送り届けた。

 外に出ると、由比ヶ浜は「そうだ」と言いながら振り返る。

 

「みんなで浴衣着ていこうって話してるから、ヒッキーも浴衣着てきてね」

「えぇ⋯⋯。いやそもそも持ってな──」

「はい了解です! 必ずや浴衣で送り出しますので!」

 

 もっともらしい言い訳すら握りつぶすと、小町は大きく手を振った。由比ヶ浜も手を振り返して別れを告げると、見慣れた道を歩いていく。

 足取りはどこまでも軽やかで、その後姿は見えないしっぽが振られているみたいに思えた。

 

 

   *   *   *

 

 

 花火大会当日。

 会場の最寄り駅である千葉みなと駅は、普段では考えられないほどの人でごった返していた。

 時分は夕方とは言え、まだ明るいし暑い。その上小町によって手配された浴衣を着ているもんだから更に暑い。もう行く前から帰りたい⋯⋯。

 

「生気が抜けていっているわよ、比企谷くん」

 

 その呼び声に振り向くと──そこに立っていたのは浴衣姿の雪ノ下だった。

 白地に薄い紫の紫陽花が咲いたその浴衣は、祭り提灯みたいな黄色の帯で締められている。凛としたその立ち姿は、雑多な背景から切り離されたかのように浮き上がって見えた。

 

「やっぱりヒッキー、見惚れてる⋯⋯」

 

 すっと隣に立ったのは由比ヶ浜で、その身を包む浴衣は朝顔を基調にした淡桃色だった。華やかな色使いの中に藍色の帯が落ち着きを与えていて、こちらもよく似合っている。

 

「あー、やっぱり最初のインパクトって大事ですよね。わたしが声をかければよかったです」

 

 ちょっと不貞腐れたような声を出したのは、同じく浴衣姿の一色だ。こちらは緑地にボタンの花をデフォルメしたかのような柄が入っていて、帯の橙色と合わせると結構派手目な印象である。

 そして、何より目を引くのが──。

 

「あのー、また感想言うの抜けてますよ?」

「え、ああ⋯⋯。三人とも、よく似合ってるな」

 

 何より彼女たちが普段と違うのは、皆それぞれの位置でお団子頭にしていることだった。

 一色は普段の由比ヶ浜より少し高い位置にお団子をつくり、由比ヶ浜の方はと言えば編み込みにした髪をまとめてお団子を作っているせいでいつもと印象が違う。雪ノ下は長い髪を後ろで一つにまとめてお団子にしており、サイドの髪だけ肩口に垂らしていた。

 

「んー⋯⋯。素直に褒められるとそれはそれで恥ずかしいね」

 

 由比ヶ浜はちらちらと俺と目を合わせてくると、恥ずかしそうに目を伏せた。どないせいっちゅーねん、これ。

 

「由比ヶ浜さん、似合うというのは浴衣だけのことではなさそうよ?」

 

 俺の視線の先に気付いたらしい雪ノ下が、実に楽しそうにそう指摘する。

 浴衣だけでもインパクトが大きいのに、髪型までアレンジしてくるとは予想外だった。いや、お洒落にこだわる年頃の女の子なら、当然の感覚なのかも知れないけど。

 

「あ、気づきました? みんな結衣先輩と同じ髪型にしてみたんですよ」

 

 ほらほら、と一色は近付いてお団子頭を見せてくる。可愛い。いい匂い。おいこら花火が始まる前から頭咲かせてんじゃねぇぞ自重しろ。

 

「比企谷くんも意外に似合っているわね」

「意外は余計なんだよなぁ⋯⋯」

 

 雪ノ下がそう言うと、由比ヶ浜と一色は上から下まで俺を検分し始める。

 オーソドックスな藍色無地の浴衣に、同じ色をした鼻緒の下駄。ファッションチェックに厳しい小町ちゃんコーディネートなので、おかしなことにはなっていないはずだ。

 

「確かに、先輩って意外に身長あるから似合いますね」

「あー、ヒッキー猫背だもんね」

 

 えいっ、と由比ヶ浜が脇腹を突いてくると、思わずピンと背中が伸びた。急にそういうことするのやめて欲しい。あと近いです。そうやって見上げてこられると余計に可愛く見えて困ります。

 

「⋯⋯では行きましょうか」

 

 何故だか面白くなさそうな声で言うと、雪ノ下は雑踏の中に一歩を踏み出した。俺たちもそれを追うように、人混みの中を歩き出す。

 

「ね、まだ花火まで時間あるから、何か買っていこうよ」

「いいですね~。やっぱり花火大会と言ったら屋台の食べ物ですよね」

 

 楽しそうな会話を聞きながら、流れに合わせてゆっくりと歩いていく。

 随分久しぶりの花火大会だからか、俺は妙なノスタルジーを感じていた。期待に満ちた声、はるか遠くのスピーカーが鳴らす流行りのナンバー、時折り吹き抜ける海風。

 あれほど嫌気がさしていた人の多さも、彼女たちと歩いているだけでここまで見え方が違ってくるのだから、我ながら心変わりの早さに呆れてしまう。

 しばらく歩くと、屋台の並ぶ通りに出た。少しずつ暮れていく日の中で、早々と提灯に灯りがともっている。

 

「あれ⋯⋯?」

 

 隣を歩く由比ヶ浜が、ふと後ろを振り返るとそんな声を出した。

 

「何、どうかしたか?」

「ゆきのんといろはちゃんが⋯⋯」

 

 言われて振り返ると、雪ノ下は射的屋の前で腕を組んでいた。付き添うように一色も隣にいて、流れに合わせて歩く俺たちとの距離がどんどん開いていく。

 

「何してんだ、あいつら」

 

 遠目にパンさんのぬいぐるみが見えたから、どうやら雪ノ下が射的をやるべきかやらざるべきか悩んでいるようだ。ここではぐれていてはボディガード失格⋯⋯だが、この人の多さでは流れに逆らって歩くのは難しい。

 

「もうちょっと先で待ってよっか」

「だな」

 

 由比ヶ浜に言われて前方を見ると、十メートルほど先にちょっとした広場のような場所があった。人の流れは花火大会の会場に向けて一方向に流れているから、そこで待っていれば合流できるだろう。

 

「あれ、ゆいちゃんじゃん」

 

 広場で立ち止まるなり、そんな声が聞こえてくる。声のした方を見ると、同い年ぐらいの女の子がこちらに手を振りながら近付いてくるところだった。

 

「あ、さがみんだ」

 

 呼ばれた由比ヶ浜も手を振り返すと、さがみんと呼ばれた女子とその友達らしき女子二人もこちらに近付いてくる。

 ⋯⋯で、さがみんって誰だ。見たことがあるような気もするけど。

 

「ヒッキー、同じクラスのさがみんだよ。相模南ちゃん」

 

 そんな俺の様子に気付いたのか、由比ヶ浜は俺にだけ聞こえるような小声でそう教えてくれる。見覚えがあるのは気のせいではなかったらしい。

 

「さがみん、こっちは──」

「あ、うん。知ってる、けど⋯⋯」

 

 由比ヶ浜が俺を紹介しようとしたところで、相模は声をかぶせた。知ってる、というのは意外だったが、「けど」と締められた言葉にも違和感を感じる。

 そしてその予感は当たりだと言わんばかりに、相模は薄っすらと冷酷さを混ぜた笑みを浮かべて言った。

 

「大丈夫なの? ゆいちゃん」

 

 その一言に、すっと心が冷えていくのが分かった。

 大丈夫? なんて言いながらも浮かべられた笑いは、嘲笑以外の何ものでもない。

 何故大丈夫かという言葉が、出てくるのか。

 その答えは考えるまでもなかった。同じクラスということは、あのチェーンメールの内容のことを言っているのだろう。

 

『二年F組の比企谷はJ組の雪ノ下の弱みを握って好き放題やっているカス野郎』

 

 そんな悪い噂の流れた男と一緒に花火大会なんかに付き合わされて(・・・・・・・)大丈夫なのかと、そういう問いなのだ。今の質問は。

 またか、と自分に辟易する。またも俺は、油断していた。例え由比ヶ浜の要望に応えるかたちでここにいるとは言え、もっとやり方が──。

 

「せんぱーい! どうして先に行っちゃうんですかー」

 

 きゅっ、と腕が抱きしめられて、二の腕に柔らかな感触が伝わってくる。はっとして振り返ると、満面の笑みが俺を迎えていた。

 さらりと流れた亜麻色の髪が、頬に触れるぐらいに近い。いい匂い。なんでこいつ、こんなに近いの?

 

「駄目よ、比企谷くん。私たちから目を離すなんて」

 

 反対の腕が同じように抱きしめられると、サボンの香りが鼻腔をくすぐった。離さない、とでも言うように抱きかかえてくる腕に力が込められると、ささやかながらも確かな柔らかさが──っておい、二人とも何やってんだマジで。

 

「ちょ、ちょっと二人ともっ」

 

 完全に置いてけぼりなっていた由比ヶ浜は、他に掴むところがなかったのか浴衣の襟を掴んでくる。何で俺が怒られてるみたいになってんの、これ。

 

「⋯⋯な、なぁ、何か近くない?」

「そうですかね?」

「適正な距離感だと思うわ」

「むぅ⋯⋯ヒッキー何かデレデレしてるし」

 

 正しく両手に花状態になった俺の襟をパタパタ掴みながら、由比ヶ浜は頬を膨らませた。君がそういう(いとけ)い仕草すると余計に可愛いから控えたまえ。

 けど本当に何なんだこの状況。こんなの(はた)から見たら痴話喧嘩にしか見えないだろう。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 その感想は彼女たちも一緒なのか、相模をはじめとした女子三人組は口をあんぐり開けて俺たちの様子を見ていた。何か言葉を探している様子だが、中々出てこないようだ。

 

「ひ、比企谷くんってモテるんだね⋯⋯」

「いや、別にそんなことは⋯⋯」

「新手のギャグですか、それ」

「自覚がないなら、もう一歩先が必要かしら?」

「ねえ待って? それ俺何されんの?」

「あ、あははー⋯⋯。うちらもう行くねー」

「あ、うん⋯⋯」

 

 付き合ってられないと思ったのか、相模たちは驚愕を隠せない様子のまま人波に消えて行く。何か思いっきり勘違いされた気がするが、今となっては誤解の解きようがなかった。

 相模たちの姿が完全に見えなくなると、雪ノ下と一色はゆっくりと俺から離れる。それに合わせて由比ヶ浜も俺の浴衣から手を離すと、ようやく人心地がついた。

 

「⋯⋯で、何だよ。さっきのは」

「んー⋯⋯まだ分かりません?」

 

 一色の一言に、仕事を放棄していた思考が回転を始める。

 一色たちがやってきた方向からして、相模が由比ヶ浜に向けていたあの表情は目に入っていたはずだ。つまり、一連の行動には明確な理由がある。

 

「あの状況であなたの価値を正しく伝えるために必要な行動だった、と言えば伝わるかしら」

「⋯⋯ああ」

 

 そこまで説明してもらわなくても、俺にはよく分かっていた。

 由比ヶ浜に向けられた嘲笑の原因を排除して彼女を守っただけでなく、目の前で見せつけることで噂の真実性を否定したのだ。アホみたいに反応してしまった自分が、恥ずかしくなってくる。

 

「なんか、すまんな。助かった」

「あたしからも、ありがとう。気を使わせちゃったね」

 

 知らずに反応してしまったことが恥ずかしくなってきたのか、由比ヶ浜は少しだけ小さくなった声でそう口にする。

 やり方は多少荒療治なところもあったが、当然文句を言える立場でもない。ボチボチ行くか、と歩き出そうとしたところで、雪ノ下はふと不敵な笑みを浮かべる。

 

「相模さんの一件がなくても、同じことをしていたかも知れないけれど」

 

 って綺麗にまとまりかけてたところで、何言い出してんのこの子。めちゃくちゃ反応に困るわ。

 

「⋯⋯そろそろ行こうぜ」

「あ、流しましたね、今」

「あはは⋯⋯。まあヒッキーだから」

 

 俺だから、何だというのだろう。流すでしょ、こんなの⋯⋯。

 聞こえない振りをして歩き出した俺の隣を、今度は雪ノ下が歩き出す。

 

 その距離がいつもより半歩ほど近いのは、きっと気のせいだ。

 

 

   *   *   *

 

 

 あれから屋台を回って買い食いやら何やらしていると、花火の打ち上げ時刻が近付いてきていた。

 しかし困ったことが、二つある。

 

「ゆきのん、大丈夫?」

「いえ、あまり⋯⋯」

 

 一つは余りの混雑ぶりに、体力のない雪ノ下の限界が来てしまったことだ。時が経つに連れて増えだした人に、酔ってしまった節もある。

 

「全然座れそうなところありませんねー⋯⋯」

 

 二つ目は、そんな人出のせいで腰を落ち着けて花火を観られそうな場所がない。もう全然ない。広場には人がごった返し、このままだと立ち見するしかなさそうだった。

 

「仕方ないわね⋯⋯。あの人を頼りたくなかったけれど、背に腹はかえられないわ」

 

 一体何のことを言っているのか、雪ノ下はそう呟くと苦り切った表情を浮かべていた。

 

「ついてきて」

 

 普段の凛とした様子と比べいくらか緩慢な足取りで、雪ノ下は人の少ない方を目指すように歩き出す。その方向へ歩いて行っても、有料エリアしかなかったはずだ。

 

「雪乃先輩、そっちは有料の席しかなかったと思うんですけど⋯⋯」

「大丈夫だから、一緒に来てちょうだい」

 

 そう言い切ると、雪ノ下は有料エリアの中へと足を踏み入れる。当然入口にはチケットのチェックをしている係員がいるのだが、雪ノ下が一言二言と何かやりとりしただけで簡単に通して貰えてしまった。これもう、ほとんど顔パスじゃねぇか。

 

「すごいですね。これがVIPってやつですか」

「うん⋯⋯」

 

 どうやら同じようなことを考えていたのか、一色と由比ヶ浜はぽしょぽしょと囁き合う。

 そのまま小高い丘のようになっている有料エリアを歩いていくと、雪ノ下は浴衣姿の女性の背中に声をかけた。

 

「姉さん」

 

 呼ばれて振り返ったのは、雪ノ下の姉である陽乃さんだった。大百合と秋草模様の浴衣は以前会った時とは全然違う印象を与え、更に言うならオーダーメイドなのかってぐらいに似合っている。

 

「あら雪乃ちゃん。比企谷くんと⋯⋯」

 

 陽乃さんは俺たち視線を巡らせると、んんっ? と首を傾げた。思っていたより大所帯、ってところだろうか。

 

「いろはすちゃんと、えー⋯⋯」

「あ⋯⋯ゆきのんの友だちの由比ヶ浜結衣です」

 

 いろはすちゃんて、と思っている俺の横で、由比ヶ浜はペコリと頭を下げた。一色は以前ららぽで会ったことがあったが、由比ヶ浜は陽乃さんと初対面だ。

 

「ここの席、使っても?」

 

 雪ノ下は特に事情を説明するつもりはないのか、端的にそう言った。陽乃さんは僅かに逡巡すると、何だか見たことのある笑みを浮かべる。

 

「いいよー。ただし」

 

 陽乃さんは座っていた席を立つと、どういうわけだか俺の方に近付いてくる。

 

「え、ちょっ⋯⋯」

「君はこっち」

 

 陽乃さんは俺の袖を引っ張ると、元々座っていた席の一つ前の席に俺を連行した。なんでこうなるんじゃ⋯⋯。

 

「ちょっと姉さん」

「これが交換条件だよ。比企谷くんに色々聞いちゃおーっと」

 

 実に楽しそうにそう言うと、陽乃さんは強引に俺を座らせてくる。

 はぁ、と大きな溜め息が聞こえると、雪ノ下は不承不承(ふしょうぶしょう)といった調子で後ろの席に座った。由比ヶ浜と一色もそれに続くと、ちょうど花火大会開始のアナウンスが流れ始める。

 

「雪ノ下さんは」

「陽乃さん」

 

 質問攻めに合う前にこちらから話題を振っておこうと声をかけると、ぴしゃりと言葉を遮られる。

 

「⋯⋯雪ノ下さんは」

「強情だねー。陽乃さんって呼んでくれないならつまみ出しちゃおっかなー」

 

 陽乃さんは悪戯っぽくそう言ったが、目が本気だった。こっちは間借りさせてもらっている身だから、交渉事は分が悪い。

 

「⋯⋯陽乃さんは」

「はい、なんでしょう」

 

 おどけて言ったその声の後に、ひゅるるるる、と花火が打ち上がる音が聞こえた。パッと夜空に華が咲くと、炸裂音が腹に響く。

 

「今日はどうしてここに?」

「父の名代ってやつだよ。うちは建設会社をやっててね、こういうイベントごとに呼ばれたら顔出さないといけないから」

 

 そう言えば、以前雪ノ下の家は会社を経営していると話を聞いたことがある。招待されて特等席で花火が観られる特権というのは、権利であると同時に縛りでもあるようだ。

 

「さて、今度はこっちから質問ね」

 

 そんなことを考えていると、陽乃さんは花火に顔を照らされながらにこっと俺に笑いかけた。その笑顔が驚くほど綺麗で、心なしか心臓が早くなる。

 

「このこのー、色男! なんか女の子一人増えてるし、今日は一体どういう集まり?」

「⋯⋯同じ部活のメンバーで花火大会に来ただけですよ」

「本当にそれだけかなー」

 

 うりうりと肘で突付いてくる陽乃さんの顔が、必要以上に近い。今日はやたらとパーソナルスペースに入られ続けていて、気の休まらないことばかりだ。

 まあいいけど、と呟くと、陽乃さんは空を仰いだ。次々と打ち上がりだした花火が、今まで見たこともないぐらい近くで炸裂する。

 もっと色々聞いてくるかと思ったが、俺も陽乃さんもそれっきり黙って花火を眺めていた。後ろの席で由比ヶ浜と一色が感嘆の声を上げ、雪ノ下と何ごとかを囁き合う。

 夏だなぁ、と思った。

 恐らくは今までで一番綺麗な夏だ。整いすぎているぐらい、俺にはもったいないぐらいの、美しい夏。

 

「ねえ、比企谷くん」

 

 そんな夏の夜空に咲いた華の間を縫うように、陽乃さんは俺の名を呼ぶ。

 

「雪乃ちゃん、すごく変わったんだ。これって恋の力ってやつなのかな?」

 

 陽乃さんの瞳の中で、また一つ火の華が咲いた。

 しかしそう問われたとて、俺が答えられる質問ではない。

 

「知りませんけど⋯⋯。直接聞いてみたらどうですか」

「答えてくれなかったから比企谷くんに聞いてるんだよー」

 

 そう言ってからからと笑う顔は、雪ノ下によく似ているのにまったくの別人であることを再認識させられる。当たり前の話だが、同じ環境で育ったからとて同じ考えを抱くとは限らないし、何を考えているのかなんて分かるはずもない。

 

「だったらなおのこと俺には分からないですね」

「やっぱり言わないかぁ」

 

 言わないんじゃなくて、本当に知らないんですけど⋯⋯と心中ひとり()ちた。

 暗幕みたいに黒い空にまた花火が弾けて、鏡面のようなポートタワーのガラスにコピーされていく。

 

「よし、じゃあ質問を変えよう。比企谷くんはどの子が好きなの?」

「なんであの三人の中にいること前提なんですかね」

 

 それにしても、さっきまでの沈黙はなんだったのか。予想していた通りの質問攻めに、苦笑するしかない。

 

「お、その言い方だと三人に限らなければいるみたいな意味に取れるねぇ」

 

 それにまた、こんな誘導尋問じみたことを言う。

 即座に否定すればいいものを、何かがそれを躊躇わせた。その正体は分からないが、彼女たちの誰一人として好きになる可能性がないなんて、即答できるはずがなかった。

 

「で、どうなの?」

「⋯⋯親に好き嫌いするなって言われてますんで」

 

 そんな適当な答えを口にすると、陽乃さんはふっと笑みを浮かべた。薄くルージュの引かれた唇が、耳元に急接近してくる。

 

「それ全員好きって言ってるのと一緒だよ」

 

 耳たぶに唇が触れそうなぐらい近くで囁かれて、ぞくりと背中が震えた。陽乃さんの方を見た時にはもうその顔は離れていて、さっきの一言なんてなかったかのように夜空を仰いでいる。

 

「なーんか、ますます比企谷くんに興味湧いてきちゃったなぁ」

 

 聞き捨てならない一言が、ドンと低い炸裂音で押し流されていく。真意を確かめるようにその横顔を見ていると、ふとこちらを向いた陽乃さんと目が合った。

 

「ねえ、今度二人きりで会わない?」

 

 そう言って艶笑(わら)った顔は、やはり雪ノ下とよく似ているのにまったく別物で。

 

 

「⋯⋯遠慮しときます」

 

 

 そう答えた声は、また花火の音でかき消されるのだった。

 

 

 






 ということで、花火大会のお話でした。

 三人の浴衣ですが、公式版権絵をモチーフに描写しています。三人のお団子頭は尊い⋯⋯。
https://www.anime-recorder.com/2/108204/

 それにしてもグイグイ来る陽乃さん、なんかもうゾクゾクしますね。
 引き続きお楽しみ下さい!

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