我欲とは何か?
真っ先に思いつくのは
「楽して偉く(≠実力者)なりたい。」
「天からお金が降ってこないかなぁ~。」
などです。
 
しかし、‟真実の追求“を行おうと思う者は
上記のような「誰にでも分かる単純な欲望。」
は持ってはいないはずです。
持っていたとしても、それが欲望であることは
言われなくとも理解をしています。
 
真実の武道において、己を見つめる事とは何か?
‟正義“
を見つめるという事に他なりません。
 
正義?
ああ、「正しい真実の義」の事ですね?
 
違います。
 
正義とは何か?

 

それこそが「我欲」の正体です。

 

 
正義を語る。よく聞く話では、
「他流(他道場)では嘘の技を教えている。技とはコレコレだ。」
「アイツの伝系は、嘘の宗家筋だ。俺の先生は本物の宗家だ。」
「奴は免状や段位を所持していない。俺は免許皆伝だ。」
「俺の方が強い。(まぁ戦ったことは無いけどネ。)」
 
お相手を嘘(悪)と定義付けている自身の正義は、
真の義なのでしょうか?
 
 
では、私が最近体験した例を挙げてみます。
無想剣の稽古で、相手から1本取りました。
この時に山本師範から
「今のは水月からの無想でよろしいですか?」
と言う問いがありました。
 
一瞬「そうです。」言いたい自分を見つめて
「いや、今のは水月からの術で返しました。」
 
術で取る。
これは‟自分の心に嘘を付いている状態“
に他なりません。
 
お相手に勝ちたい、取りたいという
嘘の勝ちが表、形や姿として現れた状態です。
 
嘘の勝ちを「真実の勝ち=無想」
と口にすれば、嘘に嘘を重ねた
我欲の剣、畜生心の剣まで堕ちてしまいます。
 
己を見つめる。
この例では、「嘘の勝ち」を素直に嘘と認め
次に生かす事です。
合わせて「嘘の勝ち」を責めてはいけません。
自分を許すことで、他人が「嘘の勝ち」をしたときに
許すという心が生まれます。
 
さて正義。
他流・他人が自分の考え方と違う事を
嘘(悪)と定義していないでしょうか?
 
そして己の絶対正義の下、
相手の悪を成敗しようと考えてはいないでしょうか?
成敗と言うのは、「正しさの押しつけ」と表現をすれば
理解がしやすいでしょうか?
 
その正義と言う我欲を捨て去った先にある真実、
これが無想剣(自然の勝ち)に他なりません。

 
“真の義”と“正義”は非常に似た性質があります。
化学物質で例えるなら
エタノールとメタノール。
エタノールはいわゆる「お酒」の成分です。
メタノールは人体へは毒劇物です。
化系の人は「光学異性体」をイメージすると
分かりやすいかもしれません。
 
正しさの押しつけとは、化学物質で言う所の
「メタノールで作ったアルコール飲料を
他人に飲ませる行為。」
の事をさします。