武道の流儀間でもめごとは
絶える事はありません。
つまり、どちらが正しい流儀なのか?
と言う感情論を根底とした程度の低い争いが
絶えないという事です。
この理由は「着物警察」で調べてみると
答えが見つかります。
女性の「おはしょり」。
”定められた長さ”は何センチですか?
人によって回答はバラけます。
正しい着物の着方。
このルールができ始めたのは昭和42年からと
言う説があります。
昭和42年に、日本で初めての着付け専門学校が誕生しました。
ここから教室、学校や個人講師が誕生していき
着物の着方はより細かいルール化がなされていきました。
このルール化は「縮小していく着物業界」に
権威を持たせ高級化させて行き、結果として
着物業界を支える柱の一つとなりました。
この生まれたルール。
着物業界を維持するために一役を買ったという功。
ルールの暴走化と言う罪。
これが功罪です。
ルールの暴走化により、
「この着物には、あの帯じゃないとおかしい。」
「季節に合わせて柄を選んでいく必要がある。」
「格式ある着物と、そうじゃない着物」
このルールを守るために
「着物は複数持たないといけない」
つまりは、ルールのためのルールが出来上がります。
(これによって、着物を複数売る事には成功していますが)
そして その
マイルールを
「伝統(江戸の頃からの決まり)」
だと思い込んでしまう
ところに争いの火種があります。
これを伝統武道に当てはめてみると
もうお分かりだと思います。
その伝統武道の決まり事とは、本当に「伝統」ですか?
もしかすると昭和50年代や平成に入ってから
作られたルールかもしれない、と言う疑いは無いでしょうか?
仮に
「江戸時代から間違いなく、
形を変えることなく続いている。」
としても、安土桃山時代以前のルールは
何処に行ったのでしょうか?
江戸時代よりも古いルールを持ちだしたら
「それは古いルールだ」
とか
「時代とともに変化をするんだ」
と言う回答があると思います。
ストレートに書きましょう。
「ご都合主義。」
別の言い方をすれば
「棚に上げる。」
もっとストレートに書くと
「自分は良いけど、他人は許されない。」
着物警察以外に
「おじさんルール」
を調べても良いかもしれません。
校則の
「靴下は白で、女子は三つ折り」
という オッサン・オバハン教師。
とか
社則に無い
「新入社員のワイシャツは白のみ」
を押し付ける おじさん社員。
これらも精神の程度が同じです。
そこに科学的妥当性は無いのですから。
そして
真実を追求することは、
非常に残酷な事です。
残酷な事をする以上は、
忘れてはならない1つの約束事があります。
それは優しさです。