新陰流が各地に広まったのは事実です。
戦国時代、伊勢守信綱公が全国行脚して広めたと
伝えられています。
広まった理由は
“実力があったから”
と言うのは否めない話です。
では、この実力とは何か?
それを考えてみたいと思います。
信綱公は各流派の師範クラスに勝った、
間違いないでしょうか?
もし、ifの話ですが
信綱公が負けた相手(他流派)をボロクソに罵り、
悪口雑言、罵詈雑言に相手の人間性まで批判をしたら?
その時代にSNSがあり、負けた相手流派のダメ出しを書き、
相手の流儀を「お遊戯」とか「形骸化」などと揶揄をしたら
どうでしょうか?
時は戦国時代。
現代のような法治国家でもなければ、司法管理者もいません。
間違いなく、その流派の師範・門弟が手に手に武器を取り
槍に弓、大勢で押し切って信綱公を殺害していたでしょう。
これ以降に全国を回る事なんて出来ません。
また弱小流派であった場合、殺すことは敵わなくても
新陰流を後世に伝えようなんて思わないでしょう。
(むしろ新陰流を悪く広めたでしょう)
ここで、負けた相手に正しいアドヴァイスをして
負けたことを指摘しなければ?
例えば
「貴殿の打ち込みには加速もあり、胆力も強い。それを生かしたまま、
新陰流のホニャララを組み合わせて、この様な太刀の動きは
どうであろうか?」
負けた相手の流儀を残したまま、新陰流を加えていった。
いや、新陰流を取り入れてもらえるように、相手の流儀を知ろうと努力したと
想像できます。
新陰流/信綱公の実力とは
「相手の流儀を生かしたまま、自分の流儀の遺伝子を残すことが出来た。」
新陰流(の遺伝子)が現代まで残った
大きな特徴だと考えられます。
これが北風と太陽の寓話の
「太陽」になること
です。