武道の伝書。
伝書に関するもめごとは、
大体がその伝書が本物か偽物か?
と言う部分に囚われているように感じます。
では、その伝書が本物であるとした場合、
そして偽物だった場合、
何が違うのか?
まず、本物であることが何よりも重要視される方は、
伝書=バイブル(聖書)
こう考えてのことではないでしょうか?
聖書の教えは絶対です。
その聖書(伝書)を手にすることは、
黄門様が印籠を見せつけるような物。
何者も逆らえないと
考えているからではないでしょうか?
私個人は伝書の真贋は正直気になりません。
何よりも古文は読めません。
完璧に解読できる能力があっても
私の考える伝書の立ち位置とは
「参考文献」
もう少しよく表現するならば
科学論文程度です。
科学論文は、一つの指針に過ぎません。
多くの学者は、ネイチャークラスの論文でさえ
「ふ~ん」
と言う目で読みます。
なぜか?
その論文に感化されると、研究の手が止まります。
その論文著者が神のように感じてしまい、
自分が気付くべき新たな発見が出来なくなります。
その論文に囚われてしまうと、その論文著者の研究の再現性ばかりに
目が向き、ただその著者の後追いをするだけになってしまいます。
再び伝書。
この伝書に感化されると、その伝書の再現性ばかりに
目が向きます。
新たな発見は置きません。
以前に書いたコラムの
「流儀流派は、江戸時代(以前)に停止している。」
と言う考えと相まって、
科学研究から“理科の実験の繰り返し”になってしまいます。
初学ないし、趣味の範囲で武道を続ける方は
理科の実験の繰り返しでも、何ら問題はありません。
それ以上を求める必要はないのですから。
しかし、
武道で何か先に進みたいのであれば、
多くを広い視野でみることも重要です。