居合道はなぜ正座で稽古をするのか?
答えは多数聞きますが、「これだ!」
と言う回答に出会ったたことはありません。
同時に、膝サポーター着用の賛否の話も聞きます。
江戸時代にはサポーターが無いのに、
サポーターを付けるとは何事か!
と言う強い意見もあります。
これらから、居合道で正座をする理由は何か?
ここを考えてみたいと思います。
かなり初期に聞いた考えは
「殿様の前では正座をする。その場で敵が襲撃してきた際に
武士は居合で殿様を守らなければならない。
正座の修練はそれが理由だ。」
反論もありました。
「殿様の前で大刀(≠太刀)を帯刀するのはおかしい。」
つまり、殿様の前では下級武士は小刀(≠脇差)、上級武士は前差(短刀)を
身に着けているだけであり、大刀はおかしいという考えです。
もっと言えば、殿様と近い位置まで行ける武士は、それなりの身分。
つまり前差の武士です。
ここで私論です。
居合道もたくさんあるので、私が多少でも知っている
英信流に限定します。
英信流の奥義は前であると言われています。
そして私個人は、前と転(まろばし)の本質は
同じであろうと考えています。
ここから、前と言う型で正座をする一番大きな理由は何か?
正座で心を落ち着かせる。
肉体的・術理の鍛錬よりも、
心の調整法としての正座であると
考えています。
そもそも、英信流も無想剣も矛盾があります。
剣は人を斬る道具、
剣法は殺人術。
これを
斬らない・殺さない。
この精神を保つには、頭で考えても
矛盾が生じて答えが出ません。
心を調整する方法として正座を行う。
これによって、
知識ではなく心によって「前」を理解させる。
ここに正座の理由があるように感じます。