cute aggression(困らせたい寮長)
フジキセキさんが理性的なヤンデレな話です。
スパダリイケメンな人だと思ってたら案外乙女でこれは……。健康になったのでスイスイ書けました。
5/14分の男子に人気ランキング92位に入ったそうです。ありがとうございます。
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私は誰かの期待に応える。
東に焼き菓子を作ってくれたポニーちゃんがいれば、喜んで食べよう。
西に迷子になって泣く子供がいれば、手品を見せて落ち着かせてから一緒に親を探してあげよう。
北に自信を損なって悩めるポニーちゃんがいれば、演劇から台詞を引用して立ち直らせてあげよう。
南に私の活躍を待つファンがいれば、この走りをその目に焼き付けてあげるさ。
そして寮に帰った後はトレーニングに疲れた娘たちを手品で笑顔にしてみせて、悩みごとも聞いてあげるよ。
私が目の前にいる間だけであっても、私を見ることで相手が笑顔になってくれればそれが嬉しい。
自慢じゃないけれど、私はこうしてみんなから慕われている自信があるんだ。私より実力や人望のある人は学園に何人もいるけど、私ほどにポニーちゃんやファンを笑顔にできるエンターティナーはあまり多くないかな。なんて。
……でも、私はあまり強くないんだ。
たまに不安に押しつぶされてしまいそうな時がある。
あの子にかけたあの言葉ははたして正しかったのだろうか?
私はファンのみんなの期待に応えられる走りをしているのだろうか?
そしてこれからもずっと周りからの期待に応えていくことができるのだろうか?
誰にだって答えの見えない悩みに苦しめられる日はあるさ。
でも、そうして思い詰めている間はトレーニングにも今一つ注力できない。
わがままな私のために、トレーナーさんは適切なトレーニングをセレクトして私を指導してくれるのに。
そこで私がうまく結果を出せなくてもトレーナーさんは私を気遣う温かい言葉をかけてくれる。
うれしくて口元がつい緩むけれど、この悩みを吐露するにはまだ至らない。これは私が私の中で決着をつけるべき悩みなんだ。
そういえば、私が休憩している際に貴方は他の娘にも優しく丁寧に指導をしてあげていたよね。私と接するのと同じくらいに優しく丁寧に。
……仕方ないか、貴方は本当に優秀だから。
彼の指導で悩めるポニーちゃんが躍進できれば私だって本望さ。
それに、私が着替えを終えて帰ろうとした時に貴方は桐生院トレーナーと笑顔で談笑していたよね。この前は2人きりでお出かけもしていたっけ。
……仕方ないよね。貴方は分け隔てなく優しいから。
私が桐生院トレーナーを笑顔にするのは簡単じゃないだろうけど、トレーナーさんだったら簡単かも。
うん、心の中でくらい言い訳はよそうか。
あの人が私以外の異性と話しているのを見ると、私は嫉妬してしまうんだ。
彼は人を笑顔にすることができる。いや、笑顔にさせてしまう。
それが最近の不調の原因なのは何の因果か。見るたび見るたびに嫉妬の炎が燃えてしまうんだ。
彼の優しさに報いるために脚に力を込めても、嫉妬に至った情景が脳裏をよぎって集中ができなくなる。フォームが乱れる。無駄に力んでしまう。体力を損なう。結果としてタイムが悪くなる。
――貴方が他の娘や異性のトレーナーさんと話していると”しっと”をしてしまうので、どうか話さないでくれるかな。指導・談笑、もってのほか――。
思い詰めるあまり、たまにこのような結論に至ることがある。だけど口が裂けたとしてもそんなことは口に出せない。
私はウマ娘として、寮長として、そしてエンターティナーとして振舞っているが、その実、子どもっぽいのかもしれない。
個人的な感情を泉の底に深く沈めて、気持ちは煮え切らないままに本日もまた練習が終わった。
「トレーナーさん、今日も一日ありがとう。今日もダメだったけれど――明日こそは期待してくれるかな」
背筋を正してはっきりと宣言する。
心の内側を悟られないように、爽やかな笑顔で。
そして夜はポニーちゃんたちが作ってくれた料理やお菓子を笑顔で食べた。食べすぎはタイムに支障が出るからあまりしたくはないけれど、そこは後の食事を調整して補っていきたい。
その後はみんなの話を順番に笑顔で聞いてあげた。
今度初めてトレーナーと顔を合わせるので緊張しているというかわいらしい悩みがあったり、あとは自分のトレーナーとの恋愛についての相談も持ちかけられてしまったり。
好きと言う気持ちを伝えたい、もっとステップアップするにはどうしたらいいか、もっと異性として見てほしいなどなど。
私はそんなに恋愛上手と見られているのかな。私自身は異性を相手にこんなちっぽけな悩みを抱えているのに。
でも私のアドバイスで自分のトレーナーさんと結ばれた娘がいたら、その娘自体に……嫉妬してしまいかねない。
脚に鬱憤が溜まる。
みんなの期待に応えるために私は笑う。雄大な晴れ空をイメージして優しい笑顔をする。
実際の空と同じように、心はいつまでも晴れているわけではない。曇る日もあれば雷雨の日だってある。それでも笑顔を作ること自体は難しくない。
そのはずなのに最近は梅雨時なのか、晴れというものがどのようなものだったか、私の笑顔はどのようなものだったか、イメージが掴めなくなってきている。
いつかは晴れるだろうと思っていても雲は濃くなるばかりで、少しバランスが取れていない。
考えるあまりに寝付くことができなくて、消灯時間を過ぎた寮内を見回ることにした。
みんな素直でいい子だから深夜の見回りなんて必要ではないけれど、少しでも気分転換をしなければ寝付くことができなさそうだった。
夕暮れ時であれば笑い声の絶えないエントランスも当然の事ながら誰もいない。
ただカーテンが閉め忘れられていて、月の光が差し込んできている。
カーテンを閉めるために向かうと、途中にあったソファの脇に紙袋が置かれていた。
誰の忘れ物だろうと月明かりを頼りに中身を見る。トリガーを引くとカタカタ鳴る銃にスポンジの刀、羽織れば黒衣にもなるような黒い布、ゴム紐で留めるベネチアンマスク。
なるほど、ビコーがヒーローごっこで使ったおもちゃか。少し硝煙の香りがしそうなバイオレンスなシナリオだったのかもしれない。
もう寝ていたら起こすのは良くないだろうし、明日になったら返してあげよう。
袋の口を閉じて持ち上げようとした矢先にシルバーの輝きがちらりと見えた。
少し思いとどまって袋の底まで見てみると、その正体はプラスチックの手錠だった。
正確には、頭に”元”とつく。ちょうど真ん中のあたりで鎖が千切れていて、手首にかける部分は○ではなくUの字になっていた。完全に壊れていて使い物にならない。これを手錠と呼ぶことはむずかしいだろう。
空想してみる。私が寮にいないうちにビコーたちがヒーローごっこ。囚われのヒロインを助けに来たキャロットマン、太刀のつばぜり合いにぱららと乱射されるマシンガン、そして現れる第三勢力の黒衣のマスク娘。
遊び疲れてもう終わろうとした時、手錠の鍵が見つからない。
私に助けを求めようとしても私の所在がわからず、外れずに焦っているうちに鎖を強引に引きちぎって手錠もへし曲げてしまった。
……先ほど廊下で拾った鍵がこの手錠にぴたりと合ったので、そんな想像がついてしまう。
それにしても、たとえ遊びだとしてもこんな手錠では拘束ができるかつくづく疑わしい。
プラスチックとなれば人間向けの強度のものだろう。とはいえ、これではヒロイン役の子も演技に身が入らなかったんじゃないかな。ちょっと腕を左右に引っ張れば鎖はもたないだろう。
相対的に見て人間は非力だから、この程度でも拘束できると聞いたけれど本当なのかな。本気を出せば力づくで外せるんじゃないだろうか。
…………でも。
不意を突いて手錠をかけるなんて手品は、まだレパートリーの中にないのだけれど。